4.同期の仲間
日没近くになって訓練が終わると、ミッテルベルクの市民と周辺に住む農民と合わせて六十五名は帰宅したが、それ以外の百三十五名のうち半分近くがミッテルベルクの宿に文字通り押し込められた。
宿代と食事代はニーダーエスターマルク辺境伯領の財源から捻出されたが、全員を収容できるキャパシティがないため、一人部屋に二人が、二人部屋に四人が割り当てられた。それでも七十五名が入りきらないため、彼らを急遽夜通し営業になった複数の酒場に向かわせ、飲み食いをして酔い潰れて椅子に座って寝るか床に座って寝るという形を取った。なお、この酒代込みの食事代も財源から充てられた。
討伐隊優先で宿屋と酒場が貸し切り状態になったわけだが、隊に不参加のため締め出された客や旅行者の反感を買ったので、広場に大型テントを張って三十名ほどがそこで寝泊まりする案が浮上する。これは早晩に許可が下りるだろう。
部屋は早い者勝ちのためニナとゾフィーは駆け足で一人部屋に滑り込んだが、遅れたレオンは宿からあぶれてしまい、他を当たっても空き室はなく、どっちが早く部屋に入ったかでつかみ合いの喧嘩になっている現場を後にして酒場へと足を向けた。
酒場の扉をくぐると、肉、油、香辛料、酒の匂いが混じった熱気の塊が喧噪を乗せて出迎える。早くも出来上がっている者もいるが、多くは食事をしながら談笑中だった。レオンが部屋に足を踏み入れると、討伐隊に黒髪の人間がいることは知れ渡っていたので、一時的に会話が途絶えて視線が集まったものの、すぐに元の騒々しさが再開する。
席がないので壁に寄りかかって、三人いる狐頭の女店員の姿を見つけては手を上げるが、満席で床にまで座り込んで飲んだくれている男どもが尻に手を出すので眉を吊り上げ、足を踏まないように注意しながら酒を運ぶ彼女達には、小さいレオンの手などは眼中に入らない。
ちょうど空の木のジョッキを持って近くを通りかかった女店員を、この機会を逃すまじとばかり大声で呼び止める。
「ちょっと!」
「はあ!?」
騒々しいので、女店員も声が大きくなる。
レオンは年齢的に二十歳を超えていて体が縮んだだけなので、酒が飲めると思って試そうとし、酒を所望する。
「あんた、いくつだい!?」
「十八」
「お子様には飲ませられないね!」
「いつから飲める?」
「二十からに決まってんだろ! とぼけんじゃないよ!」
この異世界もやはり飲酒は二十歳かららしい。
「喉が渇いて死にそうだ。何かないか?」
「そんな顔には見えないけどね!」
「朝から訓練で水を飲んでいないんだ」
「だったら、山羊の乳ならあるよ! 子供同伴で来た客に出すやつだけどね!」
「それでいい。あっ、あと、串焼きとかないか?」
「この大人数じゃ、かなり遅くなるけど、待ってな!」
注文が終わると、女店員がエプロン付きのロングスカートを翻して背中を向けたので、木の床の埃が舞い上がるのを手で払う。すると、右隣に二人の男がジョッキを手にして腰を下ろし、壁をミシッといわせて背を預けた。
「よう、黒髪」
青髪で灰色の目をした痩せ男が親しげな顔でそう言って、グビッとジョッキを傾ける。レオンは、二人してからかいに来たかと思って無視しようとすると、
「俺は、第1大隊第3中隊第4小隊のクルト・アーレン。で、こっちは同じ小隊のフリード・ネッカー」
クルトに紹介されて挨拶したフリードも青髪で灰色の目だが、こちらは丸顔で太っている。
「ハイリゲンヴァルト公国出身の奴らと飲んでいたら、俺らヴァルトハイムの出なんだけど、昔同じ公国内で敵対していたフリューゲルの奴らに追い出されちゃって」
そう言われても地理関係や敵対関係が分からないレオンは、薄い笑いで応じるしかなかった。
「なあ、楽しんでる?」
「来たばかりで、まだ注文が来ない」
「そっちじゃなくて、訓練の方」
「もしかして昼間のこと?」
「そうそう」
レオンは肩をすくめて唇をへの字にする。
「訓練なんか楽しいわけないさ」
「俺らは楽しいよ」
「そりゃ、経験があれば」
「ないない。ないけど楽しいよ」
「どの辺が?」
レオンは少し身を乗り出した。
「戦うときの駆け引きとか、楽しくない?」
「そうかなぁ……」
「駆け引きだから失敗もあるさ。でも、失敗しても殺されるわけじゃない」
「そりゃそうだ」
「だから今度はこうして攻めてやろうと考えることが出来る。それが成功したら楽しいぜ」
「まだその域に達してないが」
「うん、見ててわかる」
「…………」
「今日の剣捌き、何も考えてないように見えた。闇雲に剣を振り回している感じ。それじゃダメだ」
レオンは、この男にも今日の醜態を見られていたかと思うと恥ずかしくて俯き気味になる。
「実戦になると萎縮して力が半減するから、今日みたいな振り回し方も出来なくなって殺られる」
「…………」
「訓練で萎縮していたら、実戦はもっと萎縮する。何にも出来なくなる。だから楽しもうぜ、戦友」
会ってすぐ戦友扱いされてくすぐったいレオンは、クルトの言葉を『訓練を前向きに取り組め』という忠告と捉えた。確かに、最後の方は自暴自棄になっていた気がする。木剣を振り回していたのは、どうにでもなれという気持ちの表れだった。
「ありがとう。明日は気持ちを切り替えてやってみる」
「その調子その調子。小隊が違うから剣を交えることは出来ないが、応援してるぜ。おっと、注文したのが来たみたいだぜ」
レオンが正面を向くと、怖い顔をした女店員がジョッキを突き出していた。何となく酒臭いジョッキにつがれた山羊の乳は酸っぱくて、長く置きすぎて発酵しかけている感じがしたが、それを一気に飲み干すと生き返るようだった。
不意にフリードが「あのよぉ」とクルトに声をかけた。
「なんだ?」
「こん中の連中、何人生き残るんかなぁ?」
「知らねえよ」
「半分かなぁ?」
すると、クルトがフリードの左肩をパンパンと叩く。
「知りたきゃ、お前は生き残ることだな。そして、お前が当たったかどうかを見届けるためにも俺は生き残る。ハハハッ!」
今度は、クルトがレオンの右肩を同じテンポで叩く。
「戦いに勝ったとか負けたとか、それは生き残ったから分かること。だから、生き残ろうぜ、戦友」
それからクルトとフリードは「あっちで同郷の奴が呼んでる」と言って立ち去った。
深夜を過ぎても酒場は飲み放題食い放題で大騒ぎだったが、さすがに夜通し飲む連中はいなかった。レオンは膝を抱えて額を膝頭に付けて眠ろうとするが、あちこちのテーブルから鳴り響く鼾がうるさくて眠れない。
仕方なく酒場の外に出たが、そこでも壁に凭れたり横になったりして鼾をかく連中がいて閉口する。でも、徹夜をするわけにはいかないので、寝息が静かな男の隣にしゃがんで、膝を抱えて眠ることにした。
『訓練を楽しんでやるかな』
今日のおさらいとして、指導者ハンス、小隊長ハインリッヒ、生意気なイーヴォの剣捌きを思い起こし、作戦を立てているうちに、いつしか眠りに就いていた。