3.屈辱
「さあ、来い」
ハンスの誘いにレオンは乗らない。誘う側は何か策があって、素直に突っ込んでいったら躱されて斬られる――木剣だから叩かれる――と思ったからで、木剣を握る両手に力を入れて相手の動きを子細に見る。
雄牛の構えだから剣の高さを維持して突進してくるだろうと思い、足の動きに注意する。しかし、向かって右側に――時計回りに足を運んでいる。当然こちらも相手の正面を向くように体を時計回りにジリジリと回転していく。
『あっ、逆光だ』
ハンスの頭が太陽の光を後ろから受ける位置になり、体が暗く見えた。その瞬間、ハンスが突進してきた。
訓練とは言え、剣先を顔に向けている。怪我させるのかと腹が立ち、力一杯に木剣を左へ薙いだ。
カーン!
乾いた音がして、自分の木剣が右方向へ弾かれた。いや、まっすぐに突き出されたハンスの剣がほんの僅か左にずれた程度で、力負けして跳ねたのだ。
風を切る音がして木剣が左耳をこすり、続けざまに左肩、左脇腹、右肩、右脇腹の順に乱打された。激痛で息が止まり膝を折ったところで、延髄の辺りを木剣で押さえつけられた。
「訓練だから少し左へ避けてやったが、実戦なら顔面に剣が突き刺さって、倒れたところで首を刎ねられた、って形だな」
自分の木剣の力で左にずれたのではなく、顔面を直撃しないよう意図的に左へずらしたという主張は納得がいかないが、敗北には変わりない。
「太陽を背に受けるのはずるい」
顔を上げ、心の声が負け犬の遠吠えとなって口からこぼれる。
「地面に転がった首に意識の残滓があるなら、そう言いたくなるだろうな。肺がないから声にならないだろうが」
「剣は心がそのまま現れる見本を見せてくれると思っていたが」
「見せたぞ。それに、ついでに自然を味方に引き入れる作戦も伝授したはずだ」
レオンは腑に落ちた。
「なるほど。太陽が出ていたら光を背にしろと」
「実際はそうは上手くいかないから、その逆を覚えておく」
「相手と太陽を同時に見るなってことか」
「そこしか気づかないなら、もっと剣を見ろ。そして体の動きを見ろ。周りも見ろ。そうすれば、次に何が起こるか予測が出来る」
もう一度仕切り直しとなり、二人は同じ構えで剣を持った。
今度は、ハンスは光を背にする動きをしない。それはレオンが先手を取って体をジリジリと回転したからだ。このまま行けばレオンが光を背にすると思われたとき、ハンスが先に飛び出した。
それを予測済みのレオンは、木剣を下から上に振り上げて相手の木剣の軌道を上へずらし、突っ込んでくるハンスの首辺りを横へ払って斬るつもりで木剣を動かした。
ところが、薙いだ木剣が空を切る。がら空きになった体の左半分がハンスの木剣に乱打された。手から離れた木剣が地面の上に転がり落ち、四つん這いになったところへハンスの木剣が首の左の頸動脈を上から押さえる。
「剣の動きが全部見えてしまっている。左にあったら左から右へ振る確率が高いから、躱せば左ががら空きになる、ということまで読めてしまう」
仕切り直し、今度は剣道で使う抜き胴の作戦を取ってみたが、鎧がカーンと音を立てたものの、背中を木剣でボコボコに叩かれた。
「相手が鎧で防御しているのに、そこを叩いて何がしたい? 鎧の場合は狙うところは決まっている。だが、今回はそれを学ぶ必要はない。魔人は鎧を装着しないからな」
その後、何度かチャレンジしたものの、レオンの木剣は宙を飛び、頭以外の体中にあざを作り、仰向けになって青空に笑われるか、這いつくばり地面を舐めて終わった。
「今回、魔人が雇った用心棒が暴れているようだが、これが全員剣術使いか魔法使いらしい。しかも、山賊か異界からの人間との噂だ。生半可な力では勝てないぞ」
レオンが遭遇したシュナイダーは、その両方の遣い手だ。それを知っているだけに、疑問を挟めない。
立ち去るハンスの後ろ姿を四つん這いで見送っていると、後頭部を木剣で叩かれた。振り向くと、嘲笑うイーヴォが顔を近づけてくる。
「あの竜騎兵、あれで中の下の力量だとよ。第4小隊の指導者が言ってた。ってことは、お前は下の下ってところだな」
「お前はハンスに勝てたのかよ?」
「勝てねーよ」
「なら、お前も下の下だろ?」
「何だと!? おら、立てよ! 訓練の続きだ!」
イーヴォとの再戦は、彼が避けまくる作戦から一転して攻めまくる作戦に鞍替えしたので、あざを増やしただけで終わった。
「魔人狩りに行ったら、お前が楯になれ。お前なんかに背中を預けられねえからな」
「なあ、イーヴォ。お前は、昔、剣を習ったことがあるのか?」
「あるよ」
「なぜ? ここは中立国だったんだろ?」
「俺の出身は、グーテンクヴェレン公国に飲み込まれたブラオンヴァルトだ。ガキの頃から親に教わったぜ」
「そうなのか? ハンスは、剣を扱うのは初めてなのがゴロゴロいるって言っていたが」
「ここに来てからの話だろ、それ。来る前のことなんか、あいつは全部知っているわけがねえ」
イーヴォが遠い目になった。
「公国の奴らが俺たちの村を略奪したとき、大人はもちろんガキまでも武器を持って兵士を殺したよ。俺も、老いぼれの兵士の脳天をかち割ってやった。それから報復で殺戮が始まったとき、ここへ逃げてきたのさ」
「…………」
「中立国ったって、そんな連中がわんさか集まってる。訓練を受けてないけど戦闘経験のある奴らがな」
「そうなのか」
「なあ、お前は人を殺したことがあるのか?」
「ない。首を刎ねられた現場を見たことはある」
「今度はそれをお前がやるんだぜ、その手で。木剣じゃなくてそれよりズシリと重い鉄の剣で」
それ以外も何か言いたそうだったが、イーヴォは話を切り上げて笑いながら去って行った。入れ替わりに小隊長のハインリッヒ・ガイガーがやって来た。金髪緑眼で痩せた男だが動きは俊敏で、あの蝶のように舞うイーヴォですら歯が立たない。
「稽古を付けてやるか?」
「ちょっと休ませてください」
「戦闘中に『休みたいんだ』と敵に申し出るのか?」
「これは訓練だろ?」
「訓練以上のことが戦闘時に起こる。息が上がったら――死ぬぞ」
木剣で頬を殴られ、「剣を取れ」と言われて取りに行く間も腕や背中や頭を殴られた。
レオンは腸が煮え返り、容赦なく振り下ろされるハインリッヒの木剣の乱打を浴びながらも握った木剣を振り回す。
殺陣の動きも関係ない。とにかく相手に反撃を食らわせる。
ところが、上半身の痛覚を忘れて無心で振り回す木剣は、ハインリッヒの身体にかすりもしない。
急に疲労感が襲ってきて、手足が頭に描いた動きをしてくれない。隙が出来ると、ハインリッヒの木剣にしこたま叩かれる。
力尽きて仰向けに倒れたら、両頬を何度も殴られ、喉仏に剣先が突き立てられた。
「足手まといになるなよ。何せ小隊は組み替えが出来ないんだから。お前と運命を共にするのは俺を入れて今の四人なんだから。それをよく覚えておけ」
屈辱感が全身を包み込む。たった五人の小隊の中でお荷物扱いだ。
ハインリッヒが去ると、足音が近づいてきた。音の方へ顔を向けると苦笑するニナがいた。後ろには槍を持った金髪緑眼の美少女ゾフィー・クラインが心配そうな顔つきでレオンを見ている。ニナは、からかうようにレオンへ声をかける。
「どうした? 寝てて怒られたか?」
「寝てねーよ」
「なら、ボコボコにされた?」
「悔しいが当たりだ」
上半身を起こすと、ゾフィーが近づいてきて手を差し出した。
「大丈夫。自分で立ち上がれるから」
「唇切れているから治してあげる」
ゾフィーは差し出した手をレオンの患部へ近づけると、緑色の魔方陣が出現し、たちどころに傷は癒えた。
「ありがとう。治癒魔法が使えるんだ」
「ええ。大したことは出来ませんが」
「魔法使いで槍遣い?」
「領地のお役に立てるかと思って」
ニナがゾフィーの肩を叩く。
「この子、うちと同い年だぜ。見上げたものだろ? 年上なんだから、レオン、頑張れよ」
「ああ、頑張る」
「ところで、近々掃討作戦が始まるらしいよ。それまでに仕上げてくれよな」
ニナの真剣な眼差しに、レオンは身が引き締まる思いだった。