25.スローライフの果て
マッハ一家は、町で野菜がよく売れるので、年中収穫出来てしかも生育の早い品種をメインに栽培していた。レオンは町にはベジタリアンが多いのか、はてまた健康ブームなのかと推測したが、単に安いだけだとニナに笑われた。
収穫の時期をずらして次々と出荷するので、短期間に農作業の工程を一通り覚える環境が整っていた。
レオンは畑の耕し方、種まき、堆肥やり、水やり、雑草取り、収穫、選別まで一通りを覚えた。その速さはニナが舌を巻くほどで、マリアもエマをも大いに喜ばせた。
「レオンが来てくれて、本当に助かったよ」
「拾い物って奴だな!」
「俺、落とし物かよ」
屈託なく笑うマリアとエマに苦笑するレオンは、町で職探しするよりも、このままここで生活していけたらと思うようになっていた。
『俺、やっぱり、スローライフが合っているかもな』
降雨量が少ないのは難点だが、穏やかな気候が毎日続き、過ごしやすい。洗濯は歩いて片道20分のところに流れている川で行い、沐浴する水もそこへ汲みに行くのだが、何度か続けたらもう慣れた。
川へ行く途中や岸辺で近所の農民と出会うことがあるが、過去に何度も嫌な目に遭った犬頭の人々ではなく自分と同じ人間で、最初は驚かれたがすぐに親しくなり、冗談まで言い合う仲となった。
野菜の搬入に町までエマとニナとでウサギ馬が引く荷車に乗っていくと、町の賑わいに心を惹かれることもあったが、喧噪よりも鳥たちのさえずりや風の音が恋しくなる。
『すっかり田舎に馴染んできたのかな』
リーナはレオンが畑仕事をしていると、近寄ってきてにこやかに笑いながら綺麗な花を差し出したり捕まえた蛙を見せたりと、会話はほとんどないが、すっかり打ち解けた様子だ。
三つ子は、まとわりついて戯れるので、仕事中は邪魔に思うこともあったが、はしゃいでいる姿を見るとこちらまで楽しくなる。時々気晴らしに仕事を放り出してかまってやり、追いかけっこを始めると、ニナに怒られる。
遊びに飽きて去って行く三人の背中を見ていると『あいつらを守ってやらなければ』と気持ちを新たにする。
1ヶ月もすると、レオンはマッハ一家の一員としてすっかり溶け込んでいた。
2ヶ月目に家を増築してもらい、納屋からレオン専用の小部屋に移動した。
3ヶ月目に初めて一人で町まで野菜を搬入しに行った。最初は黒髪であることを見せるのが怖くて頭巾を被っていたが、町の住人に黒目が誰一人としていないことからすぐに黒髪の持ち主だとバレてしまった。だが、多種多様な民族が集まっているので、人々はジロジロ見ることはあったもののそれほど偏見を持たず、嫌がらせを受けることはなかったので、頭巾を被らず堂々と町に入った。
4ヶ月目に山賊が討伐されて安心していたら、今度は魔人と魔獣が近所の村で出没して騒ぎとなった。しかし、竜騎兵の獅子奮迅の活躍で一掃され、村人は安堵した。
こうして、レオンがこの異世界に召還されて10ヶ月――この世界での1年――が過ぎた。
平穏な日々を過ごすレオンは、まさにスローライフにどっぷりと浸かっていた。
だが、今日のレオンは不機嫌である。
夜になって眠りに就いたものの、目が冴えてしまったのだ。
今でも時々あるのだが、魔法回路が壊れた事件や、ギルガメシュの高笑いをまた思い出した。小憎らしいドロテアや鼻で笑う衛兵まで連鎖的に思い出す。
こうなると、クララやパン屋の家族やゲオルグ一家が脳裏に浮かぶ。思い出したくもないマキナや山賊どもの顔までちらつく。
『畜生! 眠れなくなった!』
スローライフの楽しい出来事が霞んでいき、そちらに意識が持って行かれるレオンは四つん這いになり、拳で枕を殴る。それから、鼻息荒く寝転がり、何も考えないようにした。
農作業の疲れがやがて眠りを誘ったが、懐かしい都会の風景――もちろん元の世界の――が夢に出て来てしまった。
車のクラクションの音がする。横断歩道からカッコーの音が続く。女性がモニュメントの前にて笑顔で手を振る。こんな断片的な音と映像の記憶が次々と湧いてくるので、眠りから覚めてしまう。
『まただ。どうしちまったんだろう……』
この元の世界の記憶は、スローライフを堪能してからというもの、頻繁に再生されるのだ。
次の日は、夢の中で自分がダンジョンに潜って稼ぐハンターになっていた。『あ、これもいいじゃん』なんて夢の中で思う。
また目が冴えてしまった。
『理性と本能は時として相反すると言うが、俺の理性が現状のスローライフを納得させていて、本能はそれを拒否しているのだろうか?』
真っ暗な部屋で、起き上がったレオンはベッドの上であぐらを掻く。
『夢に出て来るのが俺の本能っていうか潜在意識なら、俺は元の世界に帰りたがっている。帰れないなら、ハンターになって活躍したがっている。ってことだよな?』
深呼吸をして良く考える。
『俺は行き倒れになっているところを助けてくれたマッハ一家に恩がある。だから、恩を返すためにも農作業を手伝ってきた。半分居候って感じもするが、自分なりに頑張ってきた。それは理性がさせたことで、だからスローライフが楽しいと自分自身に思わせているのだろうか?』
自分は何がしたいのかが、急に分からなくなってきた。
散々考えたら、全く眠れなくなり、朝になってしまった。
今日は、ドリッテシュタットにある得意先の八百屋へ野菜の搬入をする日だ。大あくびをするレオンは着替えて食堂へ向かう。
「おや、お疲れ気味じゃないか?」
マリアは、レオンを気遣って特別な朝食を出してくれた。
「これで元気が出るよ」
「ありがとう」
「何かあったのかい?」
「眠れなくて」
「おや? 悩み事でも?」
「いや、夢で疲れて。でも、もう大丈夫」
子供たちは口を揃えて「レオンだけずるい」と訴えるが、彼女達の前にレオンと同じ食事が並ぶことはなかった。
荷車へは、マリアとエマとニナと一緒に野菜をたくさん積み込んだ。あまり一杯積み込むとウサギ馬が動けなくなるので、山積みではないが。
エマは、荷車へ乗り込んだレオンの背中を叩き「元気を出しなよ!」と笑いながら励ました。
エマの傍らでは、無口なリーナと、賑やかなルイーザ、アロイジア、ブレンダが共に手を振ってくれた。
ニナだけは腕を組んで、しかめっ面をし、「車に気をつけろよ。道草すんなよ」と忠告してくれた。
「わかった。じゃあ、行ってくる」
「「「行ってらっしゃーい!」」」
三つ子が大声を上げて両手を振る。マリアもエマも手を振った。
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その数時間後、マッハ一家の惨劇が始まった。まるで、レオンがいなくなるのを待っていたかのように。
マリアとエマは魔人シュナイダーに殺された。
リーナは水牛の大きさで豹に似た黒い魔獣に頭から飲み込まれて絶命した。
ニナはもう一匹の魔獣に、まるで猫が銜えたネズミのように噛まれていた。
そして、能力者の三つ子は二匹のドラゴンに攫われたのである。