5.
三日後の朝に、焼失を免れたウサギ馬の厩舎を仮の住まいとしているレオンは井戸水で体を清めた後、朝の日課となっているマリア、エマ、そして遺体のないリーナの墓参りのために野菜畑の片隅へ向かう。映画などで墓穴を掘るシーンを見たことがあるが、まさか一人でそれを実行するとは想像だにしなかった。この異世界に来てから、習慣の違いもあり、仰天するような出来事が次々と起こったが、墓掘り人の経験も記憶の一ページに加わった。
こちらの人々は前に組んだ手を下げて立ったまま黙礼するのが死者へ捧げる祈りのやり方だが、レオンは仏壇の前で正座するように地べたに座り、手を合わせる。三つの墓の前で手を会わせて立ち上がったとき、視界に低空飛行でこちらに近づいてくる白フクロウが映った。
待ちに待ったフクロウ便だ。鼓動が高鳴るレオンは、口元をほころばせて両手を差し伸べると、接近したフクロウが大きく羽ばたいて減速し、掴んでいた薄紫色の角封筒を足から離した。しゃがんでそれを拾ったレオンは、百八十度旋回して優雅に飛び去る白い使者に感謝を込めて手を振る。
封筒の表は宛名も何も書かれておらず、裏には赤い封蝋が押されているだけ。
「これって、魔法をかけられた手紙って感じだな」
王宮にいた時にこの種の手紙をいくつか受け取ったことがあるが、その時にどうやって読んだかを思い出す。
「確か、こうするはず」
まず、封蝋の部分を千切って角封筒を広げて、内側が上を向いた一枚紙にする。その紙の左上から右方向に、横書き文字を点字で読むように人差し指を走らせる。すると、頭の中でジークリンデの言葉が鳴り響いた。
『レオン・マクシミリアン様。ニナ・マッハお嬢様の応急処置は無事に終了いたしました。ご本人様のご意向で、このまま本格的な手術をいたします。それには二十日間かかります。ご本人様のたってのご希望ですので、このまま進めさせていただきます。終わりましたら、またフクロウ便でご連絡を差し上げます』
機巧人形が魔法の手紙まで書くのは驚きだが、おそらくハロルドが手伝ったのだろう。だが、それよりも気になることがある。この内容だと、ニナが目を覚まして自分で手術を希望したことになる。
「家族代わりの俺の同意は――」
一度は足を踏み出したレオンだが、面会謝絶なのを思い出して歩みを止める。
「二十日かかるとは大手術だな。大丈夫かなぁ……」
そちらの心配もあるが、自炊もしなければいけないし、野菜を腐らせないように次々と出荷して金に換えないといけない。今更ながら、スローライフを満喫すると言っておきながら、いざ一人でやるとかなりの重労働で、満喫どころの騒ぎではないことに気づき苦笑する。
それから、毎日が決まり切った農作業などが続く単調な暮らしとなった。
せめてもの慰みは、毎日短時間だが、野菜の搬入の帰りに花屋の店先でアケミと逢うことだ。最初の三日間ほどは惨劇の後なので湿っぽい雰囲気の会話しか出来なかったが、ぽつりぽつりとアニメやラノベの話題を取り上げて、気を紛らしていった。六日に一回はトオルが非番だからと言って、手土産を持って見舞いに来てくれた。
「食い物持って慰めにしか来られないけれど、わりぃな」
「いいっていいって。来てくれるだけでも嬉しいよ」
「そのぉ……なんだな。三つ子の手がかりは掴めたのか?」
「生活を切り盛りするだけで精一杯だよ」
「そっか……」
「俺が助け出すって言っておきながら……無力を痛感する」
「協力してやりたいが――」
「竜騎兵の間では、ドラゴンに食われたことになっているんだろ? それなのに動いたら、トオルが睨まれるだろ?」
「そうなんだよなぁ……」
「何を呑気にしていると思われるのは覚悟の上さ。でも、死んだマリアさんもエマさんも大切にしてきた畑だから、それを放置出来ないんだ。荒れ放題になったら、夢の中で怒られるよ」
レオンは、三つ子の救出と畑の維持という同時には出来ない事柄のいずれを優先すべきかという葛藤を表に出さず、自分を納得させるように語る。だが、トオルには、本心は言っていることと違うのでは、と気づかれていた。
■■■
約束の二十日目になった。墓参りも終えて、快晴の空を仰ぎ、飛び交う鳥たちの中に白いフクロウの姿を探す。だが、いつまで待っても白い使者は現れない。
「こうしちゃいられない。野菜を持っていかないと」
キャベツに似たコールと呼ばれる野菜と、カボチャに似たキュルビスと呼ばれる野菜を荷車いっぱいに積んで、ウサギ馬を厩舎から出そうとしたとき、街道から外れてこちらに向かって来る竜車に気づいた。高貴な人が乗る車がこんな所に何の用だと訝しく思っていると、黒檀の車の御者台に座っている背の高い人物がジークリンデであることに気づいて目を見張った。
竜車は、ただただ呆気にとられるレオンの前で停車し、首が痛くなる角度で見上げないと見えないジークリンデがレオンを凝視する。
「フクロウ便を送ろうといたしましたが、ニナ・マッハお嬢様がどうしても直接貴方様にお目にかかりたいとおっしゃいますので、お連れいたしました」
レオンがいきなりの退院に酷く驚いていると、車のドアが開かれ、上から下まで真っ白の長袖で長ズボンを着用したニナが地面に降り立った。
緑のロングヘアがショートヘアくらいに短く切られていて、彼女は右手で髪を掻き上げる真似をした。それはロングヘアの時の癖だったのだが、空振りに終わる。金色の双眸は昔より鋭く感じられる。だが、それ以外は以前と変わらないようだ。
あれだけ大怪我をしていたのに、自然な動きをする。ここまで完璧に回復したことに感嘆するレオンだが、どういうわけか硬い表情になったニナが突進してきたので肝が冷えた。
感動の再会にしては殺気立っていることに怖れを成したレオンは、数歩後退りする。その2メートルほど手前で止まったニナが、青筋を立てて睨み付ける目で大声を上げた。
「レオン!! てめーは、こんなとこで何やってんだぁ!! ルイーザとアロイジアとブレンダの居所は掴んだのかよぉ!!?」
彼女の迫力に気圧されたレオンは声も出ない。苛立つニナが右足で地面を蹴ると、揺れが伝わってきた。レオンより少し背が低い彼女には考えられない重量だ。
「妹を絶対に助け出す! 協力しろよな、レオン!」
「わ、わかった」
「声が小さい!! 男だろ!!」
「はい!」
「ばあちゃんや母さんの敵を討つために力を手に入れたんだ。見てな!」
ニナが地面に足音を響かせながら林の方へ走ると、直径が50センチメートルほどの樹木にストレートパンチを入れる。すると、一撃で幹が折れてメキメキと音を立てて傾いた。そして、同じ太さのもう一本に回し蹴りを入れると、蹴られた部分から上がもげて落下した。
呆気にとられたレオンは、「まさか」と声を上げてジークリンデの方へ向き直る。
「全身義体に……?」
「全身ぎたい、ってどういう意味でございましょうか?」
「なんて言うか、その、脳や神経以外は全部機械化しているとか?」
「それに近いと言えます。体のほとんどは損傷が激しかったため、再利用は不可能でした」
「マジか……」
「まじ、でございます」
「これをジークリンデさんが一人で?」
「いえ、先生と一緒に手術を行いました」
この異世界にそんな技術が存在することに驚嘆するが、もうあの頃のニナがいないと思うと一抹の寂しさを覚える。無事に退院したことを抱きしめて祝おうにも、ニナはほぼ全てが機械の体なのだ。
「まさか、ジークリンデさんも全身義体とか?」
「いいえ。全てが機械でございます」
これはこれで恐ろしい話だ。ハロルドという錬金術師はとんでもない技術を持っていると言うことになる。
――もしや、その技術を手に入れるため、ニーダーエスターマルク辺境伯は彼を採用したのだろうか?
「レオン、見たか!?」
不意に話しかけられて思考が中断されたレオンは、ニナに向かって手を振り、大きく頷いた。
「約束だぞ! 妹の救出と敵討ちに協力しろよな!」
「わかった!」
「まずは、今回の襲撃がきっかけで編成された討伐隊に入隊する! そこで鍛える!」
「えっ?」
「え、じゃない! 素手で戦うのか!?」
そうだ。畑を守り生活を維持することを優先していたのは、三つ子を救出する、そのためには戦うことを避けていたからだ。心の中の葛藤でいつも畑の維持に軍配を上げていたのは、自分の弱気から来ているし、何から手を着けて良いのか分からなくて考えるのをやめたのも、逃げ腰が原因だ。
自分より背が低く年齢も若い少女にこれから進むべき道を教えられるのは情けないが、それは一時の恥。
レオンの心は、これで完全に吹っ切れた。
それから、野菜を売りに行ったその足で討伐隊に二人で志願することが決定した。
「その前に、墓参りがしたい」
ぽつりと呟いたニナを三つの墓へ案内すると、彼女は実に長い祈りを捧げている。
レオンは、そんな彼女の小さな背中を見て、決意を新たにした。
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ここから、話は10ヶ月前のレオンの召還に遡る。