15.修道女エリーゼ
レオンが左に森を見ながら休み休み走って行くと、徐々に左へカーブしていることが分かってきた。これは森の形が円形になっているから起こる事象なので、このまま進んでいくと、あのゴーストタウンが見えてくる可能性がある。下手をすると山賊に出会すかも知れない。そこで、途中から直進して草原を突っ切ることにした。
まずは、街道に出て町へ向かう。出来れば車を拾う。山賊が街道を歩く旅人や車を襲う可能性もあるので徒歩でも車でも危険は伴うが、当てもなく草原や森を彷徨って偶然町にたどり着くのを期待する方が、体力を消耗するはずである。
ところが、行けども行けども街道が見えてこない。点在する林を抜けても、目の前に草原が広がる。畑を耕す農民すらいない。
『これは、まずいところに来てしまったな……』
いっそのこと、ゴーストタウンへ戻って、そこから街道へ入れば良かったか。でも、そっちは顔を知られている町へ繋がっている道だ。引き返すよりも、先へ向かう方が得策だろう。
急に起伏に富んだ場所に出た。坂を上り、高台から行く手に広がる大地を一望すると、波打つ大地は草に覆われ、所々に林があり、人が住んでいる形跡は見当たらない。
『大自然に飲み込まれて行くみたいだなぁ……』
仕方なく、坂を下って先に進み、食べられそうな木の実や果実を探す。実を付けていそうな草まで探した。赤い実や黄色い実があったので口にすると、渋いか苦いかのどちらかで吐いてしまう。諦めて歩を進めると、川が見えてきた。駆け寄って喉を潤し、久々に生き返った気分になって、背伸びをして深呼吸をした。
『異世界へ行く前にサバイバルの知識は必要だな』
川幅は5メートルくらいある。水面は暗くなっていて空の景色が揺れている。どのくらい深いか、棒を刺してみたら抵抗がない。ということは、泳いで渡らないと行けなさそうだ。
『異世界へ行く前に水泳のスキルを身につけないといけないな』
泳げないレオンは、川上に向かって橋を探すことにした。もしかしたら、橋がなくても上流は川底が浅くて渡れるかも知れない。
蛇行する川に沿って進んでいくと、川が左に大きくカーブしているところに出た。左側はすぐそばに密生する竹林のようなものがある。
『ん? 誰かが走っている音が聞こえる』
竹林の裏側からだ。レオンは足を止めて棒を握りしめ、足音で竹林から現れる人物を想像してドキドキしていると、川に白い布が流れて来るのが見えた。そちらに気を取られた瞬間、竹林の裏から白衣を纏った碧眼の修道女が現れた。
幼顔の彼女はレオンを見てギョッとしたが、すぐに川を指差して、
「すみません! その棒で取ってもらえますか!?」
「え? これ?」
レオンはそばまで流れてきた布を棒に引っかけて持ち上げる。見た感じではタオルのような物だった。
「ありがとうございました!」
「どういたしまして。で、これ、何?」
「雑巾です」
「……もしかして川で洗濯?」
「はい」
上流で汚れ物を洗っていた水を飲んでしまったかと思うと、胃が暴れ出した。
「ここで下着とかも洗うとか?」
「はい」
ますます吐きそうだ。
「水、飲んじゃったけど」
「この川の水を飲む人はいませんよ」
「そんなこと知らないし」
「旅のお方ですか?」
「ああ。道に迷ってしまって」
「どちらから来たのですか?」
さあ、どう答えよう。一番近いのはゴーストタウンだが、名前が分からない。クーンと言うべきか。他の町の名前を言うべきか。
ただ、旅立った町の名前がすぐに言葉にならないと怪しまれるので、焦ったレオンは咄嗟に「ミッテ」と口走ってしまった。
「帝国の中心地からわざわざここまで? なぜでしょうか?」
「失業したんだ。で、職探しにいろいろな町を渡り歩いたんだけど、長くは続かなくて」
修道女はレオンが言葉を切ると、しばし無言になった。おそらく、長続きしない理由をレオンの顔と身なりから想像しているのだろう。
「あっ、俺が飽きっぽいとかじゃないよ。いろいろ事情があって――」
「その頭巾を取っていただけますか?」
「え?」
「そのおっしゃる事情を確かめたいのです」
「…………」
「長続きしないのは、その髪の色ですね? もしかして、黒髪の方ですか?」
レオンは素直に頭巾を取って、手ぐしで髪を整えた。
「なぜわかった……」
「目の色で分かります。しかも髪を隠しているから、なおさらです」
「やはりそうか。頭巾で隠しても目で分かるって、頭巾の意味ねーな」
「そうですね」
「異世界に来るときはカラコンが必須だと日記に書いておこう」
「からこんって何でしょう?」
「いや、異界のファッションで使う代物さ」
「??」
「まあいい。黒髪の人間の事を知っているなら、俺が異界から召還されたことも知っているよな? そんな顔してるし」
「はい」
「おっと、これを返さないと」
レオンは棒から雑巾を外して、よく絞って修道女に手渡した。
「ありがとうございました」
「俺は、レオン・マクシミリアン」
「わたくしは、エリーゼ・シュタルケです」
「俺みたいな奴らを知っている顔だが、何人と会った?」
「二人です」
「名前は?」
「エーサク・ヨスダとユージロー・イスバラでした」
「なんか変な発音だけど、それ、出来すぎた名前だから、奴らが有名人の名前を語っていたとみた」
「そうなんですか?」
「まさかと思うが、そいつらは病気で死んだとか?」
「はい。熱病で」
「いつ?」
「3ヶ月前です」
まただ。クーンで聞いたことと同じことが起きている。この異世界は、自分達の体は適合しないのか。
レオンは天を仰いだ。
「異世界に来るときは薬も常備することと追記しておこう」
「レオンさんはどこへ行きたいのでしょうか?」
「飯屋」
「え?」
「どこでもいい。とにかく腹が減って死にそうなんだ」
「……では、わたくしに付いてきてください」
雑巾を手にして川の上流に向かって歩くエリーゼの背中を見ながら、レオンは棒を肩に乗せて歩いて行った。