13.絶体絶命
トカゲが逃走したので臨時で竜に引かせた荷車が、仰向けに横たわって無言の帰宅をするゲオルグを運んで店の前までやって来たとき、竜騎兵の知らせを聞いて飛び出してきた母親は天を仰いで両手を挙げ、狂ったように泣き叫ぶ。妹のゼルダは顔を覆って泣きじゃくったが、突然鬼気迫る顔つきになって、竜騎兵の後ろから地面へ降りて放心状態のレオンに歯を剥き、激しく罵った。
「なんで、あんたが生きてるの!?」
ゼルダがレオンの左頬を平手打ちにする。
「兄さんよりあんたが死ねば良かったのよ!」
今度は右頬を平手打ちにする。
「なんで!! なんでなのよ!!」
肩で息をするゼルダが連続して繰り出す力任せの平手打ちを浴びて、レオンの頭は左右に大きく揺れ、頬に残る手の跡の赤みが濃くなっていく。
「出て行けぇぇぇ!! この疫病神ぃぃぃ!!」
両手で顔を覆ったゼルダは、その場で泣き崩れた。
金を奪われて滅多斬りにされたゲオルグとは対照的にレオンが無傷でいること自体、殺害現場から逃走したことは、竜騎兵が無言を貫いても明らかだった。
雇い主を見捨てた使用人が逃走して生き残る。集まった野次馬はこの非常識に激昂し、口々に糾弾する言葉を浴びせかけた。すると、興奮した或る者が土の上に落ちていた石を拾って投げつけ、それが皮切りとなり、皆の投石が始まった。
石礫を浴びたレオンは、人々に背を向けて逃走した。
山賊から守るため逃がしてくれたのはゲオルグなのに、彼の恩を受けた結果がこれだ。
怖くなって逃げたのではない。いったん引き返そうとしたが、トカゲが言うことを聞かなかったのだ。
強引にトカゲから飛び降りて、山賊に立ち向かえば良かったのか?
素手で? 剣を持った相手に?
どう考えても無謀だ。ゲオルグの行為が無駄になる。
そのことを言えば良かったのに、なぜ黙っていたのだ?
あまりに理不尽な仕打ちを受けたではないか。
でも、言い訳の機会すら与えてくれない雰囲気だった。
『その男に近づくと不幸になるよ』
まただ。マキナの言葉が頭に鳴り響く。
俺が知っているアニメやラノベと全然違う展開。異世界最強の力を一度は手に入れたのに、なんでこんな結果になるのだろう。親切にしてくれる人を次々と死に至らしめる。魔法回路が壊れたことにより、呪いが体から発散されて周囲の人々を巻き込んでいるのだろうか。
レオンはふと気がつくと、街道の路傍に腰を下ろしていた。太陽は大きく傾き、気温が少し下がってきた。と言っても、寒いほどではないので過ごしやすく、野宿をしても風邪は引かない。
この世界に来て、悪天候になったのは修行の場くらいしかない。王宮を出てからは、雨は降らず、気温も一定で、春か秋の陽気だ。もしかしたら、降雨量が少なくて、それで水が貴重なのだろう。
歩みを再開すると、分かれ道にたどり着いた。標識の文字は読めないが、ゲオルグと一緒に何度か行ったアイスリンゲンは右、左は町の名前は教えてくれなかったが「行くな」と言われた。食い扶持を得るために職を探したいレオンは、いったんは右に足を向けたが立ち止まった。
『アイスリンゲンはゲオルグの得意先を何軒も回ったから俺の顔が知られている。ゲオルグが死んだことや俺が雇い主を捨てたという情報が伝わったら、また追い出されるだろう。左に行くか」
なぜ行くなと言われたのかは、聞きそびれた。
『まあ、大した話でもないだろう』
頭巾を被り直したレオンは、まだ痛む頬を撫でながら、とぼとぼと歩いた。
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町に行ってみて、「行くな」と言われた理由が分かった。猫の子一匹いないゴーストタウンだったのだ。戦争で、人々がこの町を捨てて避難したまま戻ってこないのだろうか。あるいは、虐殺があったのか。
後者を考えるとゾッとするが、白骨が転がっている様子はないので、捨てられた町だと解釈して自分を安心させるように努めた。
『盗賊の巣窟だったりして……』
壊れた扉が風に揺れてギーッと軋む音を響かせると、心臓が跳ね上がる。
『ひとまず、その辺の建物に入ってみるか』
夕陽に染まる建物に入ると、中は埃っぽく、クララの袋で作ったハンカチを鼻と口に当ててソッと歩く。ハンカチは貨幣の匂いがしたが、そんな嗅覚よりも辺りの音に神経を注ぐ。すると、遠くから人の笑い声が聞こえてきた。
いよいよ悪霊の登場かと怖気立つが、耳を澄ますと「盗品」とか「儲け」とか単語が混じる。盗賊行為をする悪霊など聞いたことがない。
『ヤバい……。ここって山賊の隠れ家かも』
声が徐々に大きくなってくる。レオンは、手探りで隠れられそうな場所を探し、腰丈くらいの箱がいくつも積み上がっている場所あったので、その裏側へしゃがみ込んで身を潜めた。
「あの油商人、しけた金しか持っていなかったぜ」
「一人逃がしただろう? 奴が金を持って逃げたんじゃないのか?」
「そうかも知れねえと思って追いかけたんだが――」
「あとちょっとのところで、帝国の奴らが来やがった。そいつに匿われたかもな」
「いずれにせよ、この竜の食費は馬鹿にならねえから、なんとかしろよ」
「油じゃ腹は満たせねえしな」
「俺たちだっておんなじだ」
レオンの心の中で恐怖が怒りに塗り替えられた。
ゲオルグを殺した山賊が、今この建物の外を歩いている。壁一枚隔てて、復讐すべき相手がいるのだ。
もし、魔法が使えたら、ここで大暴れして山賊を捕縛し、竜騎兵の前へ突き出せたかも知れない。だが、今は魔法は使えず、武器すら持っていない。今日の成果を語って悔しがる敵に対して、何も手を出せずこちらも歯がゆい思いをしなければいけないのだ。
『そうだ。ここが山賊の隠れ家であることを通報しよう』
クーンの町には戻れないが、この辺りを巡回しているであろう帝国の竜騎兵は、街道沿いに歩いていると遭遇できるはずだ。そこでこの町のことを伝えればいい。
ところが、意外な方向に話が発展した。
「ここもそろそろ引き払わないといけないな」
「んだ。帝国の奴らが近くまで来ているから、見つかるのも知れねえし」
「お頭! 今からずらかりましょうぜ!」
「……良いってよ。んじゃ、そこに酒瓶の入った箱があるから、箱ごと持っていこうぜ」
外から足音が近づいてきて、建物の中に誰か入ってきた。魔石のランプを持っているらしく、部屋の中がボウッと明るくなった。
『おい。まさか、酒瓶の箱ってこれかよ?』
レオンは、自分の身を隠している箱が持ち出されたら何が起こるのか、想像しただけで総毛立つ。
「よっせ」
「うんせ」
「おい、かなり重いぞ、これ」
「ひ弱だな、おい。俺なら一人で持てるぜ」
目の前にある箱の向こうで、木箱が一つずつ運び出されている音がする。その音がだんだん近づいてくる。
恐怖で喉が渇く。心臓がバクバクと音を立てる。
見つかったら、男達に体当たりしようか。それともすり抜けて逃げようか。
決断が付かず、いよいよ目の前の箱に手を付けられて隠れているところが見つかるかと思った瞬間、
「そんなに持っていくなって、お頭が怒っているぜ」
「なんだよ、あと4つなのに」
「油を置いていきましょうって言ってこいよ」
「言えるわけねえだろ」
「……仕方ねえな」
諦めたかと思ってホッとしていると、
「俺が言ってくる」
「よろしくな」
「それまで待ってるぜ」
レオンは、心の中で拳を振り上げる。
『どっか行け、お前ら!』
と、その時、レオンの胃袋が空腹を訴えた。
「ん? お前か、腹が鳴ったのは?」
「とんでもねえ。俺じゃないぜ」
「俺でもねえ」
「誰だ?」
レオンは、口から心臓が飛び出そうになり、両手で口を塞ぐ。
ミシミシと足音が迫ってきた。
「みーつけた」
右側からランプの光が差し込み、その上でほくそ笑む髭面が浮かび上がった。