9.流浪の旅の始まり
レオンはクララ達の埋葬に立ち会いたいと司祭へ訴えたが、伝染病が蔓延しないように土葬ではなく火葬にすることと、町の者が火葬への立ち会いも反対するだろうとの理由で却下された。せめて形見分けでもと食い下がると、それはさすがに許可された。
だが、クララの持ち物は貨幣が入った袋しかない。所持品まで金に換えてきた訳ではないだろうが、若い女性が好みそうな装飾の類いも一切ないのだ。彼女の所持金を自分の物とすることに強い抵抗があったが、町を追われた後のことを考えると、無一文では心許ない。何より、彼女の全財産が役人に取り上げられて、自分に石を投げる連中の住む町に納まることを考えると、非情に腹立たしい。クララも、生まれ育った国と共闘を誓っておきながら掌を返して裏切った国に金を置いていくことは、同意しないだろう。
レオンは袋を自分のポケットに入れて、クララに向かって両手を合わせて黙祷を捧げた後、一礼してから司祭と部屋を出た。すっかり暗くなった店外へ出ると、魔石のランプを手にした二十人以上の野次馬が急にザワつき始めたが、司祭が右手を顔の高さに上げて制すると、潮を引くように静まり返った。
「彼は今から直ちに町を出る。以前みたいに騒ぎを起こさないで欲しい。火葬はすぐに始めること。そこの二人は、彼が町の外へ出るまで護衛すること」
司祭に言われて、棒を持った屈強な男二人が前に進み出る。彼らは、無言でレオンを指差した後、その指を道の先へ向ける。向こうに行けと言っているのだと解釈したレオンは、二人に両脇を固められて――ただし、適度な間隔を保ちながら――歩み出した。
大股で歩む男達に遅れまいと小走りに付いていくレオンは、何度も後ろを振り返った。興奮した群衆が追いかけてきたり投石をしたりするかも知れないのが気になるのではなく、残してきたクララに後ろ髪を引かれる思いがしたからだ。
町外れまで進むと、男達が立ち止まり、「この街道を歩いて行け」と棒で右方向を指し示した。レオンは軽く頷くとその方向へ足を向け、月明かりがボンヤリと照らす道をとぼとぼと歩いて行った。しかし、しばらく歩いて行った彼は振り返り、男達がいないことを確認すると町外れへいったん引き返した。そして、クララと一緒に訪ねたツヴァイブリュッケンの方へ足を向けた。
数分歩いた後、レオンは町の方へ振り返って草原の上に腰を下ろす。そして、ジッと時を待った。
感覚的に1時間は待っただろうか。月が雲で隠されて星明かりだけになった時、予想通り、町の右側に火の手が上がった。火葬が始まったのだ。
涙が溢れるレオンは、立ち上がると合掌して祈りを捧げた。小さな紅蓮の炎が揺れ、立ち上る黒煙が夜空の星を隠す。時折吹く風が耳朶に響き、囁き声に聞こえる。
「今まで本当にありがとう。クララのことは一生忘れない。これからの俺を見守っていてくれ」
異世界に来て毎日クララと一緒だった。飛び切り美味しい料理を振る舞ってくれた。怪我も治してくれた。身の回りの世話もしてくれた。その猫耳で赤髪碧眼の可愛い少女は、天に召されて星になった。きっと、あの赤い星がそうだ。
空を見上げるレオンは、もう一度炎に向かって一礼した後、ツヴァイブリュッケンの方角へ足を向けた。
草原を歩き、坂を下り、雲から顔を出した月が照らす道を進む。そして、確かここら辺でクララが祈りを捧げていたと思われる焼け跡の前で、跪き、合掌して、クララが天国へ旅立ったことを報告する。
その後、さらに奥へ進んで行くと、川が流れる音が聞こえてきて木の橋が見えてきた。レオンは疲れたので橋のたもとに腰を下ろし、膝を抱えて膝の上に頭を乗せる。
また昔を懐かしがって思い出に耽っていると、急にマキナの顔が脳裏に浮かんできた。あの、王宮から放り出されて路地裏で途方に暮れていたとき、クララを連れて来たのはマキナだった。
彼女はこう言い放った。
『その男に近づくと不幸になるよ。一応、言っておく』
突然に記憶から蘇ったマキナの予言めいた言葉。それはまさに的中した。
怖気を震って立ち上がったレオンは、逃げるように橋を渡り、さらに奥へと向かった。
翌朝、レオンは鳥たちのさえずる声で目が覚めた。気がつくと、林の中で寝転がっていた。なぜここに野宿を定めたのかは記憶にない。目覚めと共に、胃袋が空であることを主張し始めた。周囲を見渡すと、果実はおろか、木の実もない。
「こりゃ、サバイバルだな……」
林の中を彷徨い歩くと、南天に似た赤い実を付けている木が群生していたので、試しに実を口に入れてみたが、渋くて食えたものではない。
さらに食べ物を求めて林の奥へ入っていくと、五匹の野犬らしい集団に遭遇した。彼らも飢えているらしく、喉を鳴らして体を低くしながらゆっくり近づいてくる。レオンは、近くに落ちていた長い枝を武器に応戦するも、両手両足を噛まれた。
何とか追い払ったが、右足の負傷が酷く、棒を杖代わりに足を引きずって林を抜け、草原に出た。助けを求めたくても人の姿はなく、道らしい道もない。ひたすら、膝丈の草を掻き分けて進む。
その日一日は何も食べる物がなく、川の水を飲んだ。痛みに悲鳴を上げながらも、傷口をよく洗った。
次の日は、噛まれたところが腫れてきて、ズキズキと痛む。それに耐えながらゆっくりと移動していると、畑仕事をしている牛頭の男達に出会したので、喜びで舞い上がりそうになる。
早速、食べ物を恵んでもらうため足を引きずりながら近づいたが、追い返されてしまった。さらに別の場所へ移動し、今度は犬頭の農民達を見かけたが、近づいただけで鋤や鎌で威嚇してきて追い払われた。結局、二日目も川の水で腹を満たした。
「足の腫れが広がってきたな。これは早く町に行って医者に診てもらわないと、かなりヤバいぞ」
三日目に休み休み歩いて、ようやく街道に出ることが出来た。時折、トカゲが幌を付けた車を引いてやって来るので、足が悪いことをアピールしてヒッチハイクを試みたが、土埃を上げて通り過ぎていく。
トカゲが引く車を観察していると、重量感のある車と空の車の向かう方向が一定であることに気づく。
「空ってことは、町へ荷物を搬入した帰りだな。ならば――」
レオンは、空の車の進行方向とは反対に足を引きずって歩き始めた。
しばらく歩いて行くと、空腹で目眩が起きた。道端でうずくまり、金を持っていても腹を満たせない運命を呪う。
朦朧としていると、頭の中でクララが励ましてくれた。だが、体力が限界で、立ち上がることも出来ない。いよいよお陀仏かと思っていると、車輪の音が近づいて来て、すぐそばで停止した。
「どうしました?」
若い男の声がする。声の方に顔を上げると、商人風の出で立ちの若い男だった。
「犬に噛まれて……三日も食べていない」
か細い声で状況を説明すると、男は驚いた顔をして大袈裟に両手を広げた。
「それは大変だ。どこから来たのですか?」
「ミッテ」
「帝国の中心地から、なんでこんな田舎に?」
「失業で、職探し」
「おやおや、帝国も景気が悪いのですか?」
「知らねえ」
空腹が苛立ちを増幅し、この話し好きな男の相手をしているだけで腹が立つ。
「田舎にまで不景気が伝搬すると困るんですがね」
「いいから……町まで連れて行ってくれ」
「町? 今行ってきたばかりで帰りなんですが」
「どこでもいい! 怪我を治してくれて……食わせてくれるなら」
「はいはい。クーンの町ですが、いいですか?」
「どこでもいいって言ったろ!」
「……じゃあ、乗ってください」
レオンは、男に助けられながら空の荷台に上って体を投げ出し、そのまま意識を失った。