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8.クララの死とレオンの追放

 初めて人が死ぬ瞬間に立ち会った。


 昔話や感謝の言葉をかけているうちに、気がついたら眠るように息を引き取っていた。


 声は届かなかったかも知れないが、もしクララの心の中にいる自分が慰めや励ましの言葉をかけていたのだったら、こんな幸せなことはない。


 焼け跡で涙を流す彼女を優しく抱いてあげたように、彼女の心の中でも抱いてあげて苦しみや悲しみを分かち合えただろうか。


 涙が止まらないレオンが見つめる、高熱の苦しみから解放されたクララの顔は、久々の安息の時を享受している天使の寝顔だった。



 (ひざまず)いたレオンがクララの頬をソッと撫でていると、建物の外が騒々しくなってきた。ドカドカと足音が廊下に響き、誰かが部屋の中に侵入し、間仕切りのカーテンが乱暴に引かれる。


「その患者から離れろ」


 見ると、鼻と口を黒い布で覆い、黒い手袋をした二人の屈強な男が鉾先のない槍に似た棒を持って立っていた。彼らは無言で睨み付けるレオンを棒で小突き、ベッドから引き離すと、道を空けて昼間と同じ格好の山羊頭の医師を通した。


 医師はレオンを一瞥すると、黒手袋を()めた手をクララの首へ伸ばして脈を測り「臨終です」と扉の方へ声をかける。すると、部屋の中へ、金糸の刺繍が施された白いマントを羽織って白い角帽子を(かぶ)っている、司祭らしい太った男が入ってきた。彼も鼻と口を黒い布で覆い、黒手袋を付けている。


 男はクララのベッドのそばに立って、両手を組んで胸の高さまで上げて一定の音程で祈りを捧げると、医師も屈強な男どもも頭を垂れた。


 死者への祈りを捧げていることは雰囲気で分かったレオンだが、床に尻餅をついたまま呆けたように眺めていると、司祭がレオンに鋭い視線を向けた。


「あの男と話がしたい。中座してくれないか?」


 医師は「感染しているかも知れませんから、あまり近寄らないように」と言葉を残して、二人の男と共に去って行った。


 司祭は扉が閉まって廊下の足音が消えると、おもむろに口を開いた。


「お前は、どこから来たのかね?」


 思うように言葉が出ないレオンは、「ミッテ」と都市名だけ口にする。


「ならば、異界から召還されたのかね?」


 意外な言葉がレオンを驚かすが、その表情が答えとなった。


「やはりそうか」


 司祭はレオンに同情の眼差しを注ぐ。


「エンマに召還されたのだろう?」


 久しぶりに聞くその名前に、レオンは驚愕する。


「……そ、……そうだ」

「なら、正座をしてみよ」


 不思議なことを言うなとは思ったが、レオンは言われるままに正座をする。


「言葉に偽りはないようだな」

「なぜ分かるんだ?」

「こちらの世界の住人は、そのような正座は拷問の時しかやらないので、やれと言われても絶対にしない。それを平気でするのは、異界から召還された者だけだ」

「なるほど。……俺の世界では普通の礼儀作法だが、こちらでは拷問とは驚いたな」

「礼儀作法という方が驚くが」

「それより、あんたがなんで(えん)()を知っているんだ?」

「あの神殿で仕事をしていたからだ」


 司祭は、今一度クララの方を向いてからレオンの方へ向き直る。


「家族かね?」

「みたいなものだ」

「みたいなものとは?」

「王宮から追われたときに、俺の小間使いだった彼女が一緒に付いてきてくれたんだ。彼女がいなければ、俺、この世界で生きていけなかったと思う。だから、彼女が死んでしまって、この先……どう生きていけばいいのか……わからない」


 また涙が溢れるレオンに、司祭は同情の色を深めた。


「それは気の毒なことをした。実は、半年前もこの熱病がクルツの町で流行した。熱病は、かかるとたちどころに死んでしまう。薬も一切効かない、恐ろしい病気なのだ」

「みたいだな」

「その半年前の時も、お前と同じ黒髪の男がやって来たのだ」

「俺が病気を持ち込んだと言いたいのか! 俺じゃない!」


 レオンは興奮して立ち上がって荒い息をする。


「もし俺が保菌者だったら、とっくに彼女が感染していた! 何せ、ずっと行動を共にしてきたんだからな!」

「それが解せないのだ」

「何が解せないんだ!」

「なぜ、この建物にいる三人が同時に感染したのかが、だ」


 急に謎解きをふっかけられても、推理は出来ない。レオンは過去の歴史から引用する。


「俺の世界で昔、ペストという病気が流行ったことがある。ネズミだかノミだかが媒介した病気で多くの人間が亡くなった。だから、この病気はそういう小動物とか昆虫から感染しているんじゃないか?」

「なら、このパン屋(ベツケライ)はネズミだらけなのか? そんな不衛生な店なのか?」

「ネズミはたとえだが――」

「ならどんな動物がここにうようよしているのかね?」

「知らねーよ」

「虫もゾロゾロとはいるまいて。いれば商品にたかっておる」


 論破されてしまい、次は別の例を引き出す。


「そう言えば、コロナというウイルス――病原菌の感染が世界中で大流行したことがある。そいつは人を媒介するが、症状が出たり出なかったりする。……そうだよ。実はこのクルツの町はそういう病原菌の感染が広まっていて、症状が出たり出なかったりしているんだ。だから、平気でいる連中が多いんだ。そうに決まっている!」


 司祭はレオンの発言に何か気づいたらしく、ニヤッと笑った。


「その感染はどうやって引き起こされるのかね?」

「あんたみたいに鼻や口に布を覆わない者同士が接近して長時間話をしたり、互いに手を触れたり……」

「なるほど。接近して話したり、手を触れたり。まさに建物の中で起こりうるわけだ」

「……まあ、……そうだが」

「そういう場面にお前はいたのかね? いなかったのかね?」

「いたといえばいた。一緒に食事をしたさ。でもな、彼女とずっと一緒に行動してきたんだぞ! すぐに感染して死ぬなら、この町に来る前に彼女は死んでいるはずだろう!?」

「そうとも限らないが」

「なぜだよ!?」

「よく考えてみろ。お前が、この町に来た後、この町の中で感染してこの建物に持ち込んだのではないのかね?」


 あり得ない。絶対にあり得ない。レオンはそう真っ向から否定をするが、よくよく記憶を辿ると、ある事実がポッと心の中に浮かび上がった。


『俺、あの熱を出した婆さんの額に触っている……。婆さんに手を掴まれたし、ずっとそばにいて話もした……』


 触ったり触られたりした後は? それからどうなった?


 その手で小麦粉の袋を持ち上げた。袋を肩に乗せて、家の前で派手にこけた。クララが差し出した手に触った……。ゲルトルートが俺の手の泥を払ってくれた……。


 俺が持ってきた袋はどうなった? オヤジさんが触っている……はず……。


 レオには? あいつは、俺と常に距離を置いているから、触れていない……。だから、元気でいる……。


 認めたくない。俺が媒介したとは絶対に認めたくない。


「どうやら、その顔は、身に覚えがあるとみえるが?」

「い、いや! 知らねー! 俺は知らねーぞ!」

「この建物で三人が熱病で死んだ。その事実があっても、しらを切るのか?」


 脳天を金槌で叩かれた衝撃を受け、レオンは膝を折った。


『俺が……クララも……オヤジさんもゲルトルートも……殺した……』


 認めたくないが、自分が感染源であることは推論としては成り立つ。レオンは、心の動揺を表情に出さないように、必死で平静を装う。


「町の連中がこの建物の前で、余所者を追い出せと息巻いている。この町を出た方が身のためだ。町を出るまでの間、安全は保証しよう。後は、早く遠くへ逃げることだ」

「つまり……この町から出て行けと」

「そうだ。半年前にお前と同じく召還された者は、『自分は無実だ』と主張して町の者と乱闘になり殺された。その悲劇は繰り返したくない」


 司祭は遠い目になり、悲しい過去に顔を歪めた。

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