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6.異世界で初仕事

「これから行くクルツで、わたくしがツヴァイブリュッケンの出身であることは言わないようにしてください」

「わかった。敵国だったんだろ?」

「最終的にはそうですが、クルツは元々ツヴァイブリュッケンと共にローテカッツェン公国と敵対していました。ところが、戦争が始まると公国側に寝返ったのです」

「寝返ったって、酷い奴らだな」

「生き残るためです」

「クルツって町? それとも国?」

領地(くに)です。クルツという領主様が治めていました」

「町が国? ……まあ、256も国があれば、そういうのも一つ二つあるか」

「多くは複数の町とか複数の村で一つの領地(くに)ですが、町そのものが領地(くに)というのがクルツです」

「そのクルツで職探し?」

「はい。猫族が多いので安心ですし、町の事情をよく知っていますので」

「大丈夫か?」

「今度は大丈夫です」

「いや、職探しじゃなくて、顔がバレてないかという意味」

「たぶん……」

「心配なら、他を当たった方が良くないか?」

「他は勝手を知らないので、そちらの方が心配です」


 焼き払われたまま放置されたツヴァイブリュッケンの村を後にして、二人はクルツへ戻る。クララの言葉通り、通りを歩くのはほとんどが猫族で、たまに人間が混じっている。彼らは、自分達と似た衣装を纏って町にすっかり溶け込んでいるクララではなく、レオンの方へ一様に視線を注ぐ。もちろん、衣装ではなく首から上の部分だ。


 肌を刺す視線から顔を(そむ)け、(ささや)き声に耳を澄ましつつ、2軒訪問したがあっけなく振られてしまい、イヤな予感がし始める。だが、クララの言葉を信じてケーラーというパン屋に住み込みで働くことを二人で腰を折ってお願いすると、あっさり許可してくれた。レオンも採用という結果は快挙であるので、思わず二人で手を取り合って喜んだ。その後で、二人は顔を真っ赤にして手を離したのだが。


 猫耳の店主フリッツはでっぷり太った赤ら顔の男で、先週妻に先立たれ、売り子も辞めてしまい、七歳の男の子レオと五歳の女の子ゲルトルートの手伝いは当てに出来ず、困り果てていたところだという。饒舌な店主は身振り手振りで過去を語り、夢のお告げまで語り出した。


「夢の中で先祖が出てきて『炭焼人(ケーラー)の仕事に鞍替えしろ』と言うから、『絶対働き手が来る』と言ってやったんだが、内心は心配していたんだ。本当に来るとは嬉しいよ。……で、そっちの子はどこから来たんだい? 見たことがない髪と目の色をしているが」

「帝国のミッテです。わたくしもそこから来ました」

「それは恐れ入った。あんな大都会からこんな(へん)()な田舎へようこそ。さあさあ、歓迎するから中へ入ってくれ」


 クララが目配せして微笑むので、レオンは帝国の威光を上手く活用する彼女に舌を巻いた。


 クララは売り子と客の呼び込みを行い、レオンはパンの生地をこねるやり方をフリッツから教わった。焼くのはフリッツだが、こねる重労働から少しでも解放されて嬉しそうだった。ただし、レオとゲルトルートは、レオンのそばに近寄らず、特にレオは「自分の名前に似ているから気に食わない」と言いだして苛立っている様子だった。


「だめだめ、もっと力を入れないと」

「こうですか?」

「掌のここを使ってグーッと」

「こんな感じで?」

「そうそう。……飲み込みが早いな」

「一応、年食ってるんで」


 ついうっかり、サラリーマンの自分が出てしまい、内心冷や汗をかく。


「見えんが?」

「みんなそう言います……」

「いくつだね?」

「十八です」


 レオンは、サラリーマンと厨二の真ん中を取って言っているつもりだった。


「その髪と目の種族は、若く見えるのか。羨ましいな」

「オヤジさんも若いですよ」

「フォッフォッフォッ! お世辞を言っても何も出んぞ」


 こねる作業は、腕だけではなく腰にも力が入るので、意外に重労働だ。元いた世界でパンを作っているところを見たことがないが、職人が毎日こうやってパン生地を作っているのかと思うと、頭が下がる思いである。



 部屋は住み込み用の一つしかなかったので、フリッツが真ん中に茶色の薄いカーテンの間仕切りを作り、臨時に二部屋が作られた。顔を真っ赤にするクララを背にして、レオンが感謝の言葉を述べると、フリッツがニヤッと笑う。


「もしかして、間仕切りはない方がいいのかな?」

「それはさすがに……」

「何? 喧嘩でもしているとか?」

「喧嘩はしてませんが」

「だったら――」


 フリッツがレオンに近づき、耳元で囁く。


「夜中に相手でもしてやれ」

「オヤジさん……」


 レオンの反応を散々楽しんだフリッツが去ると、レオンはベッドも魔石のランプも窓側に移動する。


「クララは、こっちを使ってくれ」

「それでは貴方様のベッドがありません」

「いいんだ。床に寝るから」

「いいえ、わたくしが床に寝ます」

「それでは俺が気になって眠れない。いいから、そっちを使う」

「小間使いは――」

「もうクララは小間使いじゃない。俺たちは対等だ」

「主従関係はそんな簡単に変えられません」


 レオンはボリボリと頭を掻いて、顔に困惑の色を浮かべる。


「俺たち、今も主従関係(そんなこと)を続けるのか? その関係は王宮を出た時点で終わったと思っている。俺はもう、クララに小間使いとしてではなく、一人のクララとして一緒にいて欲しいんだ」


 クララの頬も猫耳もさらに赤くなる。


「俺、自分で言ってて凄く照れ臭いんだけど、その……なんだな、もう貴方様もいいから、レオンって呼んで欲しいんだ。対等になって――そばにいて欲しいんだ」


 目が泳ぐクララは、口の中で何かの言葉を(はん)(すう)している様子だった。戸惑いと喜びが入り交じる顔は、長い間無表情であった彼女には想像も出来ない。


 今までも時折違う表情を見せてくれていたが、今日のは飛び切りだ。


 これが本来のクララなのだ。王宮の中の抑圧から解放されて、無表情の仮面を脱ぎ捨てた姿を見せてくれたのだ。この発見にレオンは感動すると同時に、彼女をこれ以上困らせるのは気の毒に思えてきた。


「ごめん。急な話で驚かせたな。困ったなら謝る。でも、俺の本当の気持ちを今伝えた。どうしても今伝えたかったんだ」

「…………」

「じゃあ、ジャンケンで決めよう。勝った方が窓側だ」

「……じゃんけんって何でしょうか?」

「そっか。異世界(こつち)にはなかったか」


 レオンはジャンケンのやり方をクララに教えると、こちらにはそのような勝負の決め方はなく、あるとすればコインを指で上に弾いて手の甲で受け取り掌で上から押さえ、表か裏かを決めるくらいだという。


「コインがいいか?」

「いえ、じゃんけんが初めてで面白そうですので、そちらで決めましょう」

「じゃあ、最初はグー」


 と、レオンがグーを出すと、クララがパーを出した。


「うん、クララは窓側だ。これでいいな?」

「申し訳ございません」

「それもおしまい」

「え?」

「主従関係みたいな謝り方はするな」

「……は、はい」

「同情する。王宮では上下関係とかが絶対で、体に染みついて、それがイヤで相当辛かったんだよな? その辛さに俺が早く気づいていれば良かったと、つくづく思うよ」


 みるみる涙ぐむクララを見て、レオンは少しでも肩の荷を下ろしてやれたのかなと微笑み、彼女の両肩に手を置いて軽くポンポンと叩いた。



 パンがメインの(まかな)いで夕食を終えた後、部屋に戻った二人は、初めて一つの部屋で寝ることに心臓の鼓動が高鳴って収まらない。


「お、おやすみ」

「は、はい」


 寝間着に着替える彼女の様子がカーテン越しにシルエットでボンヤリ映るので、先に着替えが終わったレオンは床に転がって背を向けるが、衣擦れの音で妄想が膨らみ続け、目が冴えまくり、耳は音の方角に動き、動悸が鎮まらない。


 その後も、クララの寝息や寝返りの音まで気になって眠れず、早朝の鶏の鳴き声まで聞いてしまった。



 ケーラーの店に雇われて三日が過ぎた。クララが可愛いとの評判で店は繁盛し、ゲルトルートもレオンに慣れてそばに来て仕事ぶりを眺めるようになったが、レオだけは相変わらず無愛想で距離を置いていた。


「ちゃんと仕事しろよな」

「何もしないお前がそれを言うか?」

「手が止まってるぞ」

「お前が話しかけるからだろ!」


 小生意気なレオが、何だかミニサイズのギルガメシュに見えてきたとき、奴のせいで順風満帆な人生になるはずがそれを狂わされた怒りが込み上げてきて、パンをこねる手に力が入った。丸めた生地をギルガメシュの顔に見立てて、何度もパンチをお見舞いする。



 その日の夜、寝ているはずのクララが「レオン」と呼んだ。ギョッとして床から起き上がり、ランプの明かりが映るカーテンへ恐る恐る近づく。


「レオン」


 また呼ぶ声がする。はーい、レオン参上って(おど)けてみせるか、どうしたんだって血相を変えてみせるか。そんな選択肢を捨てて普通に、


「呼んだか?」


 と、静かに声をかけてカーテンを開けると、クララが寝息を立てている。ランプの光で陰影が濃い寝顔がとても綺麗だなと見とれていると、彼女の猫耳がピクッと動いた。目を開けるのかと焦るが、閉じたままなので安堵する。


『なんだ、寝言か……。クララの夢の中で俺は何をしているんだ? うー! それを考えたら全く眠れんくなったぞ!!』



 またしても徹夜の夜が明けて、四日目になった。


「レオン。小麦粉が足りないから、急いでヘルムートの店まで行って買ってきてくれないか? 道案内はレオにさせるから」

「わかりました」


 フリッツの急ぎの用事に、こねる仕事を中断したレオンは、一抹の不安を抱いた。通行人の射るような視線を浴びるのは必須だからだ。だが、そうも言っていられない。動けるのは自分だけなので、手を洗ってレオを探す。


 ゲルトルートにレオの居場所を教えてもらうと、外に行ったという。店の外に出てみると、レオは地面に棒で落書きをしていた。このクルツの町は道路が石畳ではないので、子供には格好の遊び場になっている。実際、他の場所でも、猫耳の子供たちがしゃがんでお絵かきにいそしんでいる。


「おい、レオ。オヤジさんから言われたんだが」


 と、レオに道案内を頼むと、親の言いつけでもそれを拒否して、土の上に棒で地図を書き、「覚えただろう」と足でもみ消した。


「おいおい、書いていきなり消すな」

「うるさい! さっさと行け!」


 脳裏に残る地図の映像を頼りにヘルムートの店へ行って、フリッツから預かった3銀グロシェン――ただし悪貨――と交換に小麦粉の入った袋を手に入れ、それを肩に乗せて店を出た。


『俺の元の体ならなんてことはない重さだが、ちっこくなった体にはさすがに(こた)えるな。……ん? あの猫耳婆さん、どうしたんだ?』


 遠くからレオンの方に向かって千鳥足で歩く猫耳の老婆が、しゃがんだかと思うと立ち上がり、また千鳥足で歩いて来る。それを三回繰り返した後、今度はバタリと倒れ込んで動かなくなった。


『おいおい、マジかよ……』


 昼間から年寄りの酔っ払いはいかがなものかと思ったが、倒れて動かなくなったとなれば、見て見ぬ振りをするのもどうかと思う。


『オヤジさんは早く買ってこいと急いでいたけど、これは見過ごすわけにはいかねえな』


 人通りが少なく、いても酔っ払いだろうと誰も相手にしないので、レオンは駆け寄り、袋を脇に置いて声をかける。


「大丈夫か?」

「医者を……」

「え?」

「助け……」

「聞こえない」

「助けてくれ……」


 老婆は真っ赤な顔をして手足も猫耳も震え、か細い声で助けを求める。これは酔っ払いではない。明らかに病人だ。


 レオンは老婆の額に手を当てると、人の体温とは思えない高熱に驚いて手を引っ込めた。もう一方の手を老婆に掴まれたが、これもまた尋常ではない熱さだ。


「おい、やべーぞ、これは」

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