3.
「どけどけぇ!! 怪我人が通るぞ!!」
鎧の背中から響いてきたトオルの声にレオンが顔を上げると、銀色の鎧の背が壁のように見え、その左右に見慣れた城壁が迫ってきた。この距離なら城門の検問所がすぐそばだ。
通行許可待ちの旅人や商人らのトカゲ車の列を次々と置いてきぼりにして、いつも農民に対して胡散臭い目を向ける衛兵が敬礼する姿に尻を向ける。道を独占する竜騎兵の痛快な驀進は、土を蹴る音から石畳を蹴る音に変え、メインストリートの疾風となった。
「どけぇ!! 怪我人優先だぁ!!」
減速した竜が咆哮し、トカゲがそれに応酬するが、トオルの巧みな手綱捌きで威嚇を与えただけで方向転換してトカゲ車との衝突を回避する。レオンは何が起きているか鎧が邪魔して状況が見えないが、音だけで顛末を推測し、危うく手から滑り落ちそうになったニナを抱きかかえる。
その後で顔を上げた時、視界の右にチラッとアケミの花屋が見えた。騒ぎを聞いて飛び出すアケミの姿もあったが、顔を向ける暇もなく竜が疾走を再開する。
「よーし、止まれぇ! どうどう、どう!」
竜が急に止まったので、レオンがトオルの背中に頭突きをしてしまう。詫びるレオンに無反応なトオルは鎧の重量を感じさせないほどの身のこなしで路上に着地し、レオンから慎重にニナを受け取ると、「ついてこい」と言葉を残し、レモンイエローの石造りで二階建ての建物に向かって走った。この石を使った建物は高貴な人物が住んでいることが多い。
「ハロルド! 開けてくれ! 怪我人だ!」
二階の窓に向かってトオルが叫ぶも、窓に人影はなく、扉も固く閉ざされたままだ。農民を軽蔑する通行人の眼差しを浴びながらも追いついたレオンは「開けてください!」と加勢する。
「重症者だ! 時は一刻を争う!」
扉の上にある獅子の顔の洒落たドアノックを使うのももどかしいトオルが、扉を足蹴にして言葉を繰り返すと、軋む音を立てて扉が内側に開き、黒い服を纏った恐ろしく背の高い女性が姿を見せた。
『えっ? メイド?』
レオンは、ハロルドが医師だと聞いていたので、てっきり看護婦が出て来ると思ってこの異世界特有のナース服を頭に描いていたが、青髪を――おそらくシニヨンの髪型に――束ね、白いヘッドドレスを着け、肩が少し出た黒くて短めのワンピース、白いエプロン、白いニーソックスというメイド姿に、ここは本当に病院なのかと今一度建物を眺める。
『ああ、そういや、錬金術師って言ってたな。助手兼メイドを雇っているのかな?』
そのメイドに目を向けると、雪のような白い肌、形の良い眉、やや切れ長で琥珀色の双眸、桜色の薄い唇にすっかり見とれてしまった。絵に描いたような美女だ。身長は190センチメートル前後はあるだろう。目の前に立たれたら、美貌と威圧感で緊張して声も出なくなること間違いなしだ。
「おう、ジークリンデ。元気してる?」
「トオル・コウエンジ様。ご機嫌麗しゅうございます。ですが、今の状況とかけ離れた問いかけを私に投げかけるお時間がおありとは、余程お暇と思えますが間違いございませんでしょうか? 先ほどの『時は一刻を争う』は、扉を開けさせるための嘘をおっしゃったのでございましょうか? その割には、私が扉を開ける寸前に扉を蹴る音が聞こえたのですが、その意図を推測いたしますと、トオル・コウエンジ様の言動が矛盾を来しているようにも思われますが、いかがでしょうか?」
レオンは、ジークリンデと呼ばれたメイドの流暢な長台詞に目を回す。
「わかったわかった」
そう言って、なぜかトオルがレオンの方を振り向いて「こいつの変なスイッチを入れたみたいだ。俺が悪い」と詫びを入れる。彼は、ジークリンデに向き直って、
「端的に答えてくれ」
「承知いたしました。その回答形式に移行いたします」
「ハロルドいるよな?」
「おりません」
「マジかよ!」
トオルの焦りが彼の背中を超えてレオンにもひしと伝わる。
「まじ、とおっしゃいますと?」
「おっと。そんな言葉、こっちの世界になかったよな?」
「はい」
「ジークリンデ、お前なら応急処置出来るか?」
ジークリンデがニナの頭から足の爪先まで、じーっと眺め回して、トオルの目を見る。
「はい。十中八九ですが」
「その一つ二つ足りないのは、大丈夫か?」
「肋骨が全て折れていて、背骨も腰骨も折れています。神経はズタズタで、生きているのが奇跡の状態です。これで応急処置ですから、そのようなお答えとなります」
レオンは、彼女が触診はおろか目視だけで体内の骨折や治療の可否を判断できることに大層驚き、透視能力でも持ち合わせているのではないかと考えた。それから、外傷から骨折はある程度予想が付いていたはずなのに、ニナの体を抱きしめたことへ後悔の念を駆られた。余計に患部を傷つけてしまったのかも知れないのだ。
「マジか……」
「まじ、とは、そういう状況で使う言葉でございますか?」
「まあいい。ハロルドが帰ってくるまで、応急処置をしてくれ」
「承知いたしました」
「なあ。連れがいるんだ」
トオルが顎でレオンの方を指し示す。
「俺と一緒に立ち会ってもいいか?」
「申し訳ございませんが、トオル・コウエンジ様もお連れ様も手術に立ち会われることはお断りいたします。この建物の中でお待ちになることも出来ません」
「マジ……いや、なんて言うか――」
「まじ、とは、トオル・コウエンジ様の意図しないことを私が申し上げたときに使う言葉と解釈いたします」
「いやいや、本当かって聞き返すときの言葉だ」
「そうでございますか。私の疑問が氷解いたしました。記憶いたします」
「じゃあ、外で待たせてもらうよ」
「5時間はかかりますが、それまでお待ちいただけますでしょうか?」
「半日!?」
この異世界は1日が10時間だ。ちなみに、1ヶ月は36日、1年は10ヶ月。ただし、年の最後の月は41日もしくは42日で365日を調整するというヘンテコな暦なのである。まあ、今の地球の暦が1年は3月から始まって、1ヶ月が31日、30日とほぼ交互に来て、2月に28日ないし29日で調整している暦になったとして、そっちの方が異世界人から見て複雑かも知れない。
「どうするレオン?」
「待つ」
「今からだと、夜中になるぞ」
「それでも待つ」
「夜の治安が――」
「待つ!」
深い溜め息をついたトオルは、ニナを壊れ物でも抱えるようにして建物の中へ消えた。すると、ジークリンデが扉を閉めるときにレオンの方を向いて、
「まじ、でしょうか?」
吹き出しそうになったレオンだが、「はい」と答えて頭を下げると、ジークリンデも頭を下げて静かに扉を閉めた。しばらく頭を下げていたレオンは、扉を背にして体育座りをし、膝に額を乗せてむせび泣く。
瞼の裏で、裏庭で見た地獄絵の光景がフラッシュバックする。行き交う人々の足音や車の騒音に混じって、シュナイダーの言葉が耳の中で鳴り響く。魔法が使えていたら、魔獣を灰すら残さないほどの業火で焼き尽くすことが出来たのにと、悔しさで唇を噛む。
――目の前で家族を殺されたようなものだ。
そう思うと、復讐心に火が付いて、握る拳に力が入る。
魔界には、魔法回路を修復できる男がいるとシュナイダーは言った。それが事実なら、奴の誘いに乗って直してもらい、掌を返して魔界で大暴れして復讐を成し遂げよう。
だが、三つ子の奪還が先だ。それには、どこへ連れ去られたのか調べ上げる必要がある。
チート能力を発揮して、人質を見つけ出して全員奪還? だが、それはご都合主義。現実はそんなにうまく行くはずがない。
じゃ、何から手を着けて良いのか? 見当すら付かない。
先行きが不安だらけのレオンは、まずはニナを取り戻せたことに心の救いを求め、100%ではないらしい応急処置が失敗しないようにとひたすら祈る。と、その時――、
「どうしたの?」
聞き覚えのある女性の声に、レオンは涙目の顔をゆっくりと上げた。