3.イベント発生
レオンは、太陽を背に受けて立つ三人の男の顔がよく見えないので目を細めると、いきなり顔面を足蹴にされた。弾みで後頭部を壁に打ち付けたので、脳震盪に似た症状を起こし、石畳の上へ倒れる。
「物乞いがパン屋の同情を買って恵んでもらおうとしているぜ」
「薄汚ねえ格好してる奴がいると不衛生で仕方ねえ」
「パン屋も迷惑だな。裏通りまで引きずっていこうぜ」
朦朧とする意識の中へ鼓膜に届いた声が入り込み、襟首が掴まれて強く引っ張られ、尻や足が石畳をこする感覚がそれに続く。目を開けても、見えるのはこの状況を静観する青空と男の服の一部で、首が絞まって苦しくなり耳鳴りが酷くなって目を閉じた。
男の手が離れて窒息から解放され、肺が異臭混じりにも構わず空気を求めて大きく吸い込んだ途端、三箇所同時に連続の蹴りが始まった。物乞いを懲らしめるための制裁とは思えない、何かの鬱憤を晴らそうとしている暴行が続く。嘔吐感に襲われても、空っぽの胃からは胃液しか出てこない。
蹴りの嵐が去ると、服を乱暴に触られるので、閉じた瞼の向こうで何が起きているのか想像で補うと、二本の手が何かを探している感じがした。
「金目の物があるかも知れねえと思ったが」
「本当にねえか?」
「盗品を隠してた例もあるぜ」
もう一度、胸から下腹まで探られる。
「……やっぱ、ねえな。外れか」
「だから持っているわけねえだろって言ったろ?」
「ガキの物乞いだしな」
「ちっ、無駄足かよ」
「おい、顔見られてねえだろうな?」
「太陽を背にして、顔上げてすぐに蹴り入れたから大丈夫のはず」
顔に唾を吐きかけられた後、複数の足音が遠ざかっていく。レオンは、混沌とする意識の中で、三人の背中に向かって魔法で稲妻をお見舞いする場面を思い浮かべる。三人は悲鳴を上げて倒れ込み、許しを請うが、レオンは気が晴れるまで蹴りをお見舞いし、踏み躙る。
そんな空想が消え去ると、体が倦怠感に包まれた。
『なんで起きるんだよ、異世界のあるあるイベントが……』
異世界に限らず、お話の中でよく登場する不良にこっぴどくやられる場面が、本当に自分の身に降りかかった運命を散々呪った後、今日二度目のボコりに憤恨し、自分の無力ぶりに業腹を煮やす。
『もし、あそこで不良に絡まれたのがクララだったら、守れたのか? 魔法も使えない、剣も扱えない奴が騎士になれるのかよ?』
そう思うと、激しい怒りは悲嘆に変わり、閉じた瞼から水が流れた。
『……だめだ。こんなところでクララが探しに来るのを待っていては。戻らなきゃ』
体が動かせることを恐る恐る確認しながらゆっくりと起き上がり、勘を頼りにパン屋の方角へ足を向けた。頭の中では、これからどうやってこの世界で生きていくかについての考えが空回りする。現状では、クララに頼らざるを得ない状況がもどかしい。男の面目が保てないのが何より辛い。
どうにか店の前にたどり着くと、クララの姿はない。開いた窓――木の扉から店内を覗いてみても、こちらを向いて眉をひそめる店員の顔しか見えない。やはり、不良の言うように物乞いにでも見えたのだろうかと思うと、つい先日まで軍服を着ていた自分を見せびらかしたくなる。きっとあいつも軍服を前にすると、手を揉んで腰を低くして愛想よく振るまうのだろうなと思いつつ、視線を逸らし、辺りにクララの民族衣装を求める。
「どこ行ったんだ? まさか、不良に拐かされたとか? ローブの男なら裏通りに行ったぞとか騙されて……」
背筋が凍る仮定に目が冴えて、僅かに残る気力と体力で、通行人の肩にぶつかっても謝ることはせず蹌踉めきながら歩き回る。
「クララー!」
叫ぶ声はか細く、街の喧騒に消されていく。まるで母親とはぐれた子供だと笑う気力も失せかけたとき、
「貴方様! どうなさいました!?」
不意にクララの声が背中を叩くので振り向くと、汚い形の少年を貴方様と呼ぶ少女が通行人を驚かせていた。一番驚いたレオンは頭を掻いて苦笑する。
「クララ……ごめん」
その言葉の前に、腫れた顔と切れた唇と汚れが増した服から理由を瞬時に察知したクララは、パンの入った紙袋を手から石畳の上へ滑り落とし、涙目になる。
「お守り出来ず申し訳ございません」
「いやー、アニメやラノベの場面を体験できる貴重な機会を得たぜ」
「なぜ笑えるのでしょうか? なぜお怒りにならないのでしょうか?」
「この服を着ている時点でフラグが立ったようなものだから――」
「なぜ異界の言葉で現実を誤魔化すのでしょうか?」
そうだ。クララの言うことが正しい。なぜ、この状況をリアルに捉えない。異世界の物語と照らし合わせて一致したところで、何の意味があると言うのか。
「誤魔化すって言葉、異世界にもあるんだな」
「そんなことより、治療が優先です。化膿したら手に負えなくなることも――」
「そうだな。この世界の未知なる病原菌に対して免疫がないし」
「難しい理屈はいいですから、早く」
紙袋を拾い上げたクララは、通行の邪魔にならないように近くの建物へレオンを誘導する。壁に凭れて座り込んだレオンは、クララの回復魔法に身を委ねた。
「ホント、俺って、お前――クララの言う通り、怪我が多すぎて見てらんない、世話が焼けるってやつだな」
「世話が焼けるとは申しておりません」
「すまん、言い過ぎた」
「思ってもおりません」
「悪かった。謝る」
レオンは、クララの真剣な顔が、時折目が合うと頬を染めることに気づいた。
『母性が強いと思ったけど……もしかして……俺のことを?』
すっかり元通りになった自分の顔も、頬が火照っていくのを感じる。こんな経験は初めてだ。
主従関係を越えた何かが二人の間にある気がする。
拳を握りしめたレオンは、真剣に向き合うクララを見つめて決意した。
『何が何でも俺はクララを守る』




