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1.転落の始まり

 王宮に担ぎ込まれたレオンは、暴走した魔法が原因の高熱と激痛に苦しみ、体力も気力も失われていく。霞む視界は漆黒に塗り変わり、頭がジーンとして衛兵らの複数の足音もドロテアの声も遠ざかり、彼らに体を支えられたり手足を掴まれたりしている感覚も呼吸する感覚さえも消えていった。


 あれほど苦しめていた痛覚は遠ざかり、闇が支配する虚無の世界へ永遠に落ちていく。その感覚すらも後悔と死の覚悟を道連れに消滅した。



   ■■■



 時間が停止した闇の中、左側で何かが僅かに動いた。それは左手の指の感覚に似ている。次は下の方で何かが動く。左足の指の感覚だ。どれほど長く眠っていたのかは定かではないが、脳が五感の再始動を始めたらしい。これで強い倦怠感と痺れまで目覚めてしまったが、それに耐えて重い瞼を僅かに開くと闇が払拭された。さらに開くと、光る何かと一面茶色の何かがぼやけて映るので、目を凝らす。ようやく目の焦点合わせが終わって、それが魔石のランプをぶら下げた天井の板であることを確認すると、レオンは自分が寝かされていることに気づいた。


『……そうか。あれから気を失ったんだ』


 左腕を天井に向けて上げようとすると布が当たるが、柔らかい布にしては腕の動きに対して押さえつける抵抗を感じるので、何だろうと頭を上げると、見覚えのある髪色で猫耳と後頭部が視界に入った。


「クララ……?」


 自分が驚くほどか細い声に、相手の頭が反応しない。布団の上でうつ伏せに眠っているのか。さらに頭を上げると、黒い服の肩と背中の部分が見えて、呼吸のリズムで僅かに上下している。


 こんな間近で彼女を見ることは、この四ヶ月一緒にいて滅多にない。ましてや、眠りこけている姿は初めて見た。寝息は聞こえないが、きっと心地よい眠りに就いていることだろう。


『ソッとしておこう』


 頭を枕の上に戻したレオンは、天井に視線を移した後、背中や尻が痺れているので布団の中で体を動かして寝る位置を変えた。


 と、その時、左から衣擦れの音が聞こえ、視界の左から目を真っ赤にしたクララの顔が現れた。初めて見る充血の目に驚いていると、いつもの無表情の顔がクシャクシャになった。


「よかった……」


 クララの感情の全てはその一言に込められ、彼女の溢れる涙がレオンの頬にも一粒落ちた。


「もう目が覚めないのかと……心配いたしました」

「……どのくらい、眠っていた?」

「貴方様がでしょうか?」

「うん」

「三日です」

「そんなに?」

「はい」

「まさか……つきっきりで、回復魔法を?」

「はい」


 レオンは思わず胸が詰まる。熱いものが込み上げてきたので、涙をこぼすまいと堪えながら、


「医者は? いないのか?」

「匙を投げました」

「え? 治療を諦めたってこと」

「はい。魔法回路が完全に壊れたと言って……治そうともしません」


 その言葉に、レオンは思考が停止した。


 暫しの沈黙の後で我に返り、


「壊れたってことは?」

「魔法が使えません。医者が見放したので、回復魔法を試みたのですが、ダメでした。申し訳ありません」


 ――もう魔法が使えない。


 あまりの惨めで残酷な結末に頭が真っ白になった。


 小生意気なギルガメシュを思い知らせようと、渾身の力を込めて魔法をぶつけた結果、全てを失った。魔法使いの人生を賭けてまで対戦する相手であるはずがないのに、なんたる失態。


 振り返れば、異世界に来て最強の力を得て、調子に乗りすぎていた。(おご)り高ぶるとはこのことだ。なぜこのことに早く気づかなかったのか。


 俺様男の末路。これが、当然の報いなのだろう。


 猛省するレオンの横で、抑圧されていた感情が一気に吹き出したクララは、深く(こうべ)を垂れてスカートを涙で濡らす。


「いいよ。俺が馬鹿やって自分で壊したんだから。自業自得――あ、簡単に言うと悪いことやった報いは、ぜーんぶ自分に返ってくるっていう意味」


 レオンは涙を見せないように腕で両目を隠す。


「三日もつきっきりで回復魔法を使ってくれたんだね」

「……はい」

「ありがとう。感謝の気持ちで一杯だ」

「申し訳ありません」

「謝ることはないよ。むしろ、俺の方から謝らないといけない」


 後に紡ぐ言葉が浮かばないレオンが言葉を選んでいると、扉が開く音がした。腕を上げて音の方を振り向くと、衛兵が二人入ってきた。


「目が覚めたか? もう立てるか?」


 今すぐ出て行けと言いたそうな雰囲気を言葉に感じたレオンは、二人に鋭い視線を送る。


「三日も意識がない状態から、たった今、覚醒したところだ。普通の寝起きと訳が違うぜ」

「それだけしゃべれるなら立てるだろう?」

「おい、生まれたての子馬じゃねえんだぞ。すぐに立てるか!」


 衛兵が顔を見合わせていると、後ろから誰かが部屋に入ってきた。ハンス・ペヒシュタインだ。意外な登場人物に、レオンはゆっくりと上半身を起こして向き合う。


「レオン。魔法が使えないお前に用はない。今すぐ出て行け」

「何だと! お前にはそれを決める権利があるのかよ!」

「皇帝の命令だ」

「な……」

「命令に逆らうと、どうなるかは言わなくてもわかると思うが」


 レオンの歯ぎしりはハンスにも聞こえた。


「ドロテアはどこにいる!」

「ギルガメシュの修行に同行している」

「ドロテアに会わせろ! あいつには訊きたいことがある!」

「言葉遣いに気をつけろ」

「あんたが俺と勝負したのは、ドロテアの指示だよな?」

「そうだ」

「だったら、ギルガメシュとの勝負もそのはずだ。こうなる結果を予想して仕組んだものか知りたい!」

「知る必要はない。お前はギルガメシュに負けた。しかも、魔法は使えない。役立たずに寝起きの場所と食事を与える必要はないからな」

「冗談じゃねえ! あいつだって、俺の魔法で倒れたはずだ! 勝負は互角だろう!?」


 はっきり倒れたところまでは覚えていないが、自分の主張を強めるため、ここは負けたことにする。だが、ハンスは腹を抱えて笑う。


「夢でも見ているんだろう? ギルガメシュは倒れてなどいない」

「嘘をつくんじゃねえええええっ!!」

「そんなに大声を出せるほど元気なら、立てるだろう? さあ、今すぐ出て行け」

「貴様! ()めやがったな!」

「さあ、こいつを追い出せ」


 指示を受けた衛兵は、クララを押しのけ、レオンの布団を剥ぎ取り、暴れるレオンを二人がかりで押さえつける。ここに、さらに三人の衛兵が雪崩れ込んできて、レオンと乱闘になった。興奮して両手をめちゃくちゃに振り回すレオンだったが、すぐに体力が尽きて羽交い締めにされた挙げ句、サンドバッグの如く拳の乱打を浴びて、気を失った。



   ■■■



 目が覚めたときは、レンガの壁が目の前にあった。全身の痛みを堪えて起き上がると、そこはゴミがそこかしこに転がり異臭が漂う裏通りだった。


「畜生! ゴミみたいに放り出しやがって!」


 服を見ると、白いローブを着せられている。王宮では寝間着にしていた物だ。口の中が切れているらしく血の味がする。唇を拭いてみると、手の甲が鮮血で濡れる。胸を押さえると激痛が走るので、肋骨が折れているかも知れない。


「異世界最強のなれの果てがこれかよ……」


 頭を掻いていると、後ろから複数の足音が聞こえてきた。振り返ると、軍服を着て帯剣したマキナと民族衣装を着たクララが近づいてきた。マキナは片手を上げ、おかしくてたまらないという顔をする。


「おー。お目覚めだな、天狗くん」

「天狗じゃねえ。俺にはレオンって名前がある」

「衛兵が天狗くんを担いで行くのが見えて、跡をつけていったらここだったので、この子を連れて来た」

「おい。その話、よく聞くと、途中がかなり飛んでんぞ」

「ハハハッ! バレたか。そうだよ。()(しよ)ったよ」

「飛ばしたところを埋めろよ」

「跡をつけていったらここだったので、ざまあみろって放置して王宮へ戻ったら、この子がレオンを見なかったかと訊いてきたので、この子を連れて来た。はい、おしまい」

「トオルの知り合いじゃなかったら、ぶん殴ってやるところだが」

「ほほう。ぶん殴るって言うのなら、その前に天狗くんの左腕を切り落としてやるよ」


 マキナが剣の柄に手を掛けて威嚇すると、クララがマキナの腕を掴んだ。


「やめてください!」

「大丈夫。あいつは殴る勇気もないさ。()()()だし。さ、案内したからな」

「ありがとうございました」

「何の用があるのか知らないけど、()()()()()()()()()()()()()()。一応、言っておく」


 背中を向けて立ち去るマキナにクララは一礼した後、レオンに駆け寄った。いつもの無表情はすっかり消えて、心配そうな顔つきになっている。


「酷い怪我です。治しますからそのままでいてください」


 クララの回復魔法で顔の怪我や肋骨の骨折はたちどころに治癒した。


「凄い。さすがクララの回復魔法だ。本当にありがとう」

「いいえ、どういたしまして」

「その服、どうした?」

「田舎の民族衣装です」

「いや、なぜメイド――じゃなくって、小間使いの服を着ていない?」

「……王宮から飛び出しました」


 初めて見せるクララの晴れ晴れとした笑顔にレオンは目を見開く。


「飛び出したって……やめたってこと?」

「はい」

「なぜ?」

「貴方様は怪我が多い方ですから」


 苦笑するレオンがクララの頭の上に左手を置くと、彼女はみるみる頬を赤らめた。

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