18.王宮の秘密の抜け穴
「お出かけでしょうか?」
「ああ、ちょっとな」
「どちらへ行かれるのでしょうか?」
無表情で小首を傾げるクララにレオンは冷や汗をかき、嘘をつかなければいけない罪悪感で心を痛めた。四ヶ月近く一緒にいて、レオンの規則正しい行動を見てきたクララにとって、今日みたいに沐浴場から戻ってすぐ軍服に着替えるのは異例中の異例だ。
「書庫でしたら、ご一緒いたします」
「そういや、一度も行っていないな。でも、今日はいいや」
「では、どちらへ――」
「やり残してきたことがあるから」
「魔法の訓練か何かでしょうか?」
「そう、それ」
「ドロテア様とでしょうか?」
「いや、一人で。自主練だよ」
「じしゅれん?」
「回復魔法の練習。じゃあな。すぐに戻る。扉を開けてくれ」
「……承知いたしました」
答える度にヒヤヒヤし、食い下がるクララを振り切るように部屋を出ると、廊下の向こうで軍服姿のトオルが待ちわびた様子でこちらの方を見るとすぐ、周囲の様子を窺う。彼と待ち合わせしていることがバレないかレオンは振り返ってみたが、すぐに扉が閉まってクララが見えなくなったので安堵し、トオルの元へ駆け寄って小声になる。
「いやー、小間使いが『どこへ行くのか』ってしつこくて」
「俺もだよ。ちっこいくせに、母親みたいだぜ」
「そっちも猫耳?」
「そうだ。ツヴァイブリュッケンの出身らしい」
その地名に聞き覚えがあるレオンは、クララの顔が脳裏に浮かび、心臓がキューッと締め付けられるように痛んだ。
「うちもだ。なんか、過去の話をしていなかったか?」
「別に。それより、急ごうぜ」
大股で歩くトオルの後を小走りに付いていくと、召還初日に評議会議員と顔合わせを行った部屋の扉の前で彼は立ち止まった。自動ドアみたいに前に立てばひとりでに開くのかと思いきや、固く閉ざされたままだ。
「開くのか?」
「見てろよ」
トオルが右手を突き出して掌を扉に向け、何やらブツブツと呟く。すると、音もなく内開きに開いた。
「すげー。お前の魔法、初めて見た」
「魔法じゃない。解錠コードらしい。特に魔法使いでなくても、唱えれば出来ると。これも受け売りだけどな」
「ああ、なるほど。そうだよな。そうしないと魔法使いしか掃除が出来ん」
二人が部屋の中へ入ると、扉はひとりでに閉まった。幸い魔石のランプが点灯しているので室内はうっすらと見えているが、いつもランプが付けっぱなしなのかは謎である。
「おい、外へ出られるんだよな?」
「当たり前だ。一方通行だったら、こんな所に来ないぜ」
「アクセラレータ思い出すな」
「そっちとは意味が違うだろ」
「何? トオルもラノベ読むのか」
「一般常識程度にな」
「おお、異世界転移してラノベを共に語れる相手が出来て超嬉しいぜ」
「剣士の間じゃ多いぞ、そういうの」
「何ぃ!? 今度紹介してくれ」
「それより、こっちだ」
トオルが一番奥の席に近づき、手招きする。前にドロテアが座っていた席だ。それから、椅子の座面の右半分に腰を下ろし、左半分を手でパンパンと叩く。
「何? そっちに座れと?」
「そうだ」
「座るとどうなる?」
「いいから、座れ。人が来るかも知らないから」
「お、おう」
レオンが椅子の左半分に腰掛けるとトオルの腰と太ももに自分の腰と太ももがぶつかり、体温を感じてドキッとする。
「ここで俺が抱きついたりして」
「お、おい。BLの趣味はないぞ」
「冗談だ。さ、行くぞ」
「どこへ?」
「町に決まってんだろ」
「え?」
「えじゃない」
「いやいや、この体勢でどうやって?」
「見てろ、いや、ここは聞いてろか」
再びトオルがブツブツと呟くと、一瞬にして周囲が石壁の小部屋に変化した。調度品もなく、あるのは二人が座っている椅子と、天井にぶら下がっている魔石のランプだけだ。
「聞いてろったって、小声で聞こえなかったぞ」
「後で教える。簡単だから、すぐに覚えられる」
「安直なパスワードみたいなもんか?」
「そんな感じ。扉のなんか、使い回しているから各部屋が開けられる」
「すげー。ってか、パスワードの意味ねー。異世界の連中もアホだな」
「どの世界も、パスワードは自分が覚えられないやつを使わないし、楽したいからどれも同じにするってことさ」
「で、ここはどこ?」
「どこだと思う?」
「物置とか? でも――」
周囲を見渡しても扉がない。
「完全な密室だな」
「違うんだね。正面の壁に色が違う石があるだろ? それを押してみろ」
椅子から立ち上がって壁に向かうと、組み上げた灰色の石の中に黒い石が一つだけ混じっている。
「これか?」
「そうだ」
「押すとどうなる?」
「いいから押す」
言われるままに左手で押してみると、石は抵抗なく奥へ引っ込み、正面の壁の真ん中にある石が次々と90度に回転して左右へ移動し、四角い穴が出来上がった。穴の奥は暗闇で、ランプの光も飲み込まれる。
「おー。でも、真っ暗だぞ」
「その中に入ってみな」
「闇に飲み込まれないよな?」
「心配するなって」
恐る恐る足を踏み入れ、体を前に移動させると、闇が瞬時に裏通りの光景へ変化した。いきなり明るくなったので目が慣れるまで少し時間がかかったが、狭い通路が横切り、正面には建物のレンガの壁がある。建物と建物の間から見える空は青く、太陽が傾いているのが壁に映る影でわかる。誰かこっちを見ているのではと左右を見渡したが、猫の子一匹いない。
「俺も教わったときは驚いた」
背中を押されて前に進み出たレオンが振り向くと、トオルが見下ろしてニコニコと笑う。彼の背景には、何の変哲もない扉が外側に開いている。こちらの世界では扉が内開きなのだが、通路から見て外開きなのは珍しい。
「なあ、この扉を開けたら、誰でもさっきの部屋に入れるんじゃないか?」
「大丈夫。俺らを含めて、王宮の関係者以外は結界でこの通りにすら入れないらしい」
「便利な結界だな。ちょっと都合が良すぎる設定だが」
「仕組みは知らんけどな。さてと、早速、町に行こうぜ」
トオルはレオンの手を引いてさっさと歩き出す。と、同時に扉がひとりでに閉まった。
「お、おい。先立つものがなくていいのか?」
「聞いて驚け。この軍服があれば、フリーパスなんだぞ」
「マジでか!?」
「全て王宮のツケ。どうも、お偉いさんの会計はザルらしくて、町の連中もかさ増しして請求しているんだと」
「人間のずる賢さは異世界も同じか」
「ただ、派手に使うと真っ先に俺らが疑われるから、ほどほどにな」
「確かに。修行中の俺らは籠の鳥だからな」
「修行が終われば、給金が出るぞ。しかも、外で生活が出来る」
「本当か!?」
レオンの目がみるみる輝きを増す。
「詳しくは外で話そう。いつまでもここにいると、誰かが来るかも知れないから」
「――おっと、さっきの椅子はどうなったんだ? バレないか?」
「椅子? ずっとあそこにあるぞ」
「え? 椅子ごと移動したんじゃ――」
「ないない。俺らが瞬間移動しただけ。さ、話はあとあと」
「おいおい、手を引っ張るなよ!」
手を引かれる子供のようにレオンはトオルと駆け足になっていた。