11.最強の魔力の調整
「……しろ」
聞き覚えのある低い女性の声が遠くから聞こえてきた。
「……かりしろ」
まただ。だが、全身の痛みで脳が悲鳴を上げて、声の内容が判別できない。
「おい、しっかりしろ!」
何とか把握できた。これは目を覚ませと呼びかけているらしい。レオンは、直前に起きた視界を瞬時に奪う爆発の記憶が蘇り、それと言葉を結びつけて、自分が爆発に巻き込まれたことをようやく理解した。
薄目を開けると白い塊が見え、さらに開くと、それが垂れ込める暗雲を背景に浮かぶドロテアの顔だと気づくのに数秒かかった。空を正面に見ているということは、仰向けに倒れていることになる。それから遅れて、後頭部や背中や尻に直接当たる無数の石塊の感触が神経を駆け巡る激痛に混じってきた。
「意識が戻ったようだな。あ、まだ動くな」
「俺……」
「声もまだ出すな」
「……もしか……して……自爆?」
「そうだ。お前が自分の目の前で爆発させたからな。いきなりこっちに向かって魔法を発動させるから、命が縮まったぞ」
顔の白い毛のあちこちに泥が付着しているから、土砂を被ったに違いない。視界の下の方から緑色の光が強くなり、ドロテアの顔をうっすらと染める。頭を動かせないレオンは、その光がドロテアの治癒魔法であろうと想像した。
急に胃が痙攣し、何かが逆流して咳き込み、口の中で鉄の味が広がる。
「少し時間がかかりそうだな。しばらく、このままの状態でいろ」
「ゴホッ……この後の……修行は?」
「今日は中止。血を吐いている奴に訓練などさせられるか。続きは明日だ」
「情けねぇ……」
「全くだ」
「おい……ゴホッ……同情しろよ」
「魔法回路から出るに任せて魔力を放出するからこうなる。制御の仕方が課題だな」
「これで……回路……全開?」
「全開なわけがないだろう。さっき、そんなことしていたら、お前は肉の破片も残らないぞ。町を吹き飛ばす魔法を自分の足下へ発射させるに等しいからな」
「こえー……」
「魔力の調整は本人しか出来ないから、地道に努力することだな」
「その度に……こうなるのか?」
「それはお前次第。さ、目をつぶれ。顔の治療だ。派手に怪我しているから、時間がかかるぞ」
「ボロボロ……か?」
「直視出来ん」
「ブサイクみたいに……言うなよ」
ドロテアの右手が視界に入ってきて、鼻の真上で停止した。目を閉じると、瞼の裏に見える橙色と黄色のモヤモヤの中に緑の光が覆い被さってきた。顔中が暖かくなり、痛みが少しずつ引いていく。
どれだけ時間を掛けて治療したのか分からないが、起き上がれるようになるまでかなりの時間がかかったことは、後頭部から尻にかけての痺れで分かった。ゆっくり上半身を起こしたレオンは、自分の胸や腹をみて服の損傷が想像以上に激しいことに目を見張る。
「ここは岩石が多いからな。破片でかなり怪我したといったところだ」
「みんながここで、派手に岩を砕くからだろう?」
「そうだ」
「片付けておけよ。壊すだけ壊して去って行ったら、後で練習するのに困るだろう?」
「じゃあ、お前はあの穴を養生してから帰れ」
ドロテアが顎を向ける先に、直径10メートル以上の底が見えないクレーターがあった。自分があの穴を開けたかと思うと、怖気立って四肢の血が引く。
「勘弁してくれ……」
「なら、散らかして帰る奴らに文句を言うな」
「わかったが、あの穴はどうする?」
「放置だ」
「爪痕にしてはデカい物を残したな」
頭を掻いたレオンは腰を上げるが、一度は膝を折ったものの、何とか立ち上がる。
「歩けるか?」
「なあ、俺の部屋まで転移魔法でひとっ飛びって訳には――」
「いくか。そんなことが出来たら、賊が魔法で侵入できるだろうが」
「確かに」
「あの王宮の周囲には、強力な結界を三重に張ってある。唯一の物理的な通り道はあの出入り口だけだ」
「唯一? 窓だって破れば物理的な通り道になるだろう? 実際は結界で守っているだろうけど」
「あの王宮には窓がない」
「徹底してんな……」
ドロテアに付き添われて、王宮の出入り口前まで瞬間移動し、衛兵の嘲笑を受けながら扉をくぐる。自分の部屋の前でドロテアに別れを告げて扉を開けると、無表情のクララが机の向こうで顔を上げたが、それがみるみる驚きの色に染まる。
「どうなさいました!?」
「お前……そんな表情も出来るんだ」
「そんなことより、応急手当を――」
「教官に治療してもらったよ。大丈夫だ」
「とてもそうは見えません」
「心配してくれてありがとな。教官の伝言で、服を取り替えてもらえと」
「誰かと魔法で戦ったのでしょうか?」
苦笑するレオンは、こける格好をして、
「岩場で蹴躓いて前のめりに転んだ。我ながら情けないよ」
「いいえ。貴方様から強力な魔力を感じます。それは魔法によるものではないのでしょうか?」
「……お前、それを感じ取ることが出来るのか?」
「はい。一応は」
「なあ。よく『魔力を感じる』って話を聞くが、体臭みたいに臭うのか? あるいは遠赤外線みたいに熱が伝わるとか?」
クララは無表情に戻り、首を横に振る。
「いいえ。臭いませんし、熱も感じません。自分の魔力と波長が干渉する違和感に近いです」
「遠赤外線は意味が通じたんだ」
「いえ、何のことかいつもの通り分かりませんので、触れずにおきました」
「あっそ……。じゃあ、クララ。何か魔法を使ってくれないか?」
「では、掌に灯りを出します」
そう言って、右手の掌を天井に向けながら差し出すと、ポッとロウソクの光に似た灯りが現れた。すると、レオンの体の中でなんとも言えないモヤモヤを感じ、それが気味悪くてゾクッとする。
「わかった。こう言う感覚か」
「人により感じ方は異なります。それより、ローブに着替えてベッドの上で横になってくださいませんか?」
「大丈夫だ」
断る意味で左の掌をクララに向けると、彼女はギョッとしてたじろいだ。
「おっと、わりぃ。何もしないから」
これで、魔法回路が開いた自分はもう今までのレオンではなく、強大な魔力を発する恐るべき魔法使いであることをクララに知らしめたことにようやく気づいた。
その後、クララがどうしても治療すると言って聞かないので、レオンは破れた服を脱いで上半身裸になり、ドロテアが治療済みの身体を示す。
「な?」
「はい。疑って失礼いたしました」
「あの教官、治癒魔法も使えるからすげーな。オールラウンドプレーヤーみたいな奴だぜ」
「召還魔法以外は使えるという噂です」
「そういうのを最強って言ってもいいと思うが。……ん? 俺の顔に何か付いているか?」
「泥が……」
「おっと! 治癒魔法は、洗顔までしてくれないよな! そうだ。風呂の場所を教えてくれ」
ローブに着替えた後、バスタオルと替えのローブを手にしたクララの案内で風呂の場所まで行ってみると、一応男女に入り口を分けているのが男湯女湯を連想させたが、中は想像していたのとはまるで違う、沐浴をする場所だった。
神社の手水舎に置かれている水盤に似た石でできた設備が横に長く部屋一杯にあり、そこに水が湛えられていて、手前に大きめの柄杓が置いてある。クララから事前に聞いた話では、この柄杓を使用して汲んだ水を頭から被って身体を洗うとのこと。洗面台の代わりにして顔だけとか手だけとかも洗えるが、絶対に水を湛えたところに顔や手を突っ込まないことと釘を刺された。柄杓の数と部屋の広さから、二十人は同時に沐浴できそうだ。
誰もいなかったので水を使い放題使って沐浴を堪能したレオンは、真新しいローブを纏って濡れた頭を撫でながら沐浴場を出ると、帰り道の案内を任せるために待たせていたクララがそわそわしている。
「中にいる時間が長過ぎます。水は貴重なので、お気をつけください」
「そうだったな。つい、俺の世界の癖で。以後気をつける」
「ここを管理しているお役人がいて、大抵の場合、監視のためにここに立っています。今は、たまたまいませんが」
「銭湯の番台にいるオヤジみたいな奴か」
「は?」
「いや、こっちの話」
「役人は中にいる時間を計っていますから、目を付けられると大目玉を食らいます」
「なるほど。各部屋で勝手に水を使われると困るから、ここに集中させているんだな」
「はい」
「歯磨きもここか?」
「歯を磨く?」
「お前――ってか、お前ら、歯を磨かないのか?」
「なぜ磨くのですか?」
「すげー丈夫な歯を持っているんだな……」
レオンは、クララと部屋に戻ってベッドの上に転がると、睡魔に襲われてそのまま眠り込んでしまった。
翌朝――と言ってもレオンは腹時計なのだが、夕食をうっかり抜いて不満を訴える胃袋に、クララお手製の鶏肉のソテーを詰め込み、塩の利きすぎた野菜スープを流し込むと、すぐにドロテアの声が頭の中で響き渡った。
『さあ、昨日の続きだ。部屋を出ろ』
『おい、あんた。俺が食事しているところまで監視しているだろ? タイミング良すぎるぞ』
『当たり前だ』
『ひえー。プライバシーなんかあったもんじゃないな。俺は丸裸だぜ』
『ローブを着ているだろうが』
『そういう意味じゃなくって。……はいはい。行きますよ』
『昨日みたいに、暴走させるなよ』
『言っておくが、俺はまだやり方を知らんぞ』
『自分で調整しろ』
『その調整の仕方を教えるのがあんたの仕事だろうが。ったく!』
『魔法回路は――』
『はいはい。自分でしか調整できない』
『分かれば良い』
『俺は良くないけどな』
部屋を出ると、待っていたドロテアがさっさと歩き始めるので追いかける。くねくねと廊下を曲がると、少しは道を覚えた気がしてきた。三回も経験すれば、おそらく、一人でも歩けるだろう。再び嘲笑する衛兵に見送られて王宮を去り、昨日の渓谷に瞬間移動する。
「あの岩を砕けばいいのだな?」
自分で開けた巨大な穴の縁に立つレオンは、昨日のし損じた岩がデンと構えている方を指差してドロテアを見た。
「おい。なんで後ろに下がるんだよ?」
「また攻撃を食らったら困るからな」
「手が滑っても後ろに魔法は出さねーよ」
「怪しい」
「おい。生徒を信用しない教師が指導なんか出来るのかよ」
「いいから、やれ」
舌打ちするレオンは、深呼吸をして左手を岩に向かって突きだし、神経を掌に集中する。魔法の反動を吸収出来るように体を構えた。今度は魔方陣の出現に驚かないから大丈夫。後は、魔力の調整なのだが……。
「何を迷っている。さっさとやれ」
「あんたがうるさくて、集中が途切れる! 少し黙っててくれないか!?」
「敵は待ってくれないぞ」
「そうやって焦らせる。暴走しても知らんぞ」
とにかく、力を抑える。魔力はソッと出すように。岩を人差し指で突く気分で。
軽く岩を砕くイメージを描いて、『砕けろ』と念じる。
すると、どういうわけか、昨日と同じ大きさの金色に輝く魔方陣が左手の先に出現した。弱い魔力のつもりが強く出てしまったのかと、レオンの心臓が跳ね上がった。と、その時、魔方陣の中心から青白い稲妻が飛び出し、岩に直撃した。
ドオオオオオオオオオオン!!
自分の背丈の丸い岩が粉々になって周囲に飛散する。
「危ない!」
ドロテアの叫びが背中を叩くが、振り向く間もなく、無数の破片がレオンの全身を襲った。