7.召還の目的
レオンが部屋を出ると同時に、クララが畳んだ服を両手で掲げるように持って駆け寄ってきた。服の厚みが彼女の顔の鼻から下を隠す。
「何それ?」
「これが貴方様の服です」
「部屋着?」
「いえ、外出なさるときに着用します」
「ん? 今来ているのだっていいんじゃないか?」
「いえ、それは寝間着です」
「マジでか……」
「まじでか?」
「本当かよって意味。……じゃあ、今まで寝間着で神殿の中をうろついていたわけだ。ったく、閻魔の野郎め!」
レオンが両手の拳を握りしめると、クララは目を見開き、後ろへ一歩下がった。
「エンマ様は帝国一の召還師でとても偉いお方です。そのような言い方をなさると罰が当たります」
「なんで? 神様じゃあるまいし」
ここで、ドロテアの声が頭の中で鳴り響く。
『何をしている! 早く来い!』
『ちょうど今、着ている服が寝間着だって教えられたところだ。急かすなら、この格好で行くぞ』
『まだ着替えていないのか!』
『文句言うなら、今頃服を持ってきた小間使いに言いな』
急に訪れたレオンの沈黙にクララが小首を傾げる。
「どうされました?」
「いや、猫が手招きしてうるさくてな」
握りしめた両手の拳を広げてクララから服を受け取ると、意外に重量感があった。
「服だけ?」
「いいえ、靴もあります」
「靴下は?」
「くつした?」
「知らないのか?」
「はい」
「その単語がないってことは、まさかと思うが、裸足で靴を履けと?」
「はい」
受付の机に向かったクララは、机の下から長めのブーツを取り出した。雨用の長靴という感じではなく、兵隊が履いているようなタイプに見える。
「サイズ――いや、寸法合うかなぁ?」
机の上にいったん服を置いてから、受け取ったブーツに素足を入れてみたが、ちょっと緩めの感じがするものの、大丈夫そうである。
「さてと、ここで着替えていいか?」
「お手伝いいたしましょうか?」
「裸になるんだが」
「はい。分かります」
「はぁ? この下、何も着てないから、着替えるとすっぽんぽんだぞ」
「すっぽん――ぽん?」
「いいから、後ろ向く!」
「それですと、お着替えのお手伝いが出来ません」
「何? この国のメイド――いや、小間使いって、人の着替えを手伝うのか?」
「はい」
「必要ない」
「その服の着方はご存じでしょうか?」
「見りゃ分かる。はいはい、後ろ向く」
「……はい」
不承不承に背を向けたクララが振り向かないことを確認しつつ、レオンは急いで服を着替える。黒を基調として橙色の縁取りがある詰め襟、金色の縁取りがある胸ポケット、両袖の手首近くには深紅の蛇腹が縫われている。姿見がないので見える範囲でざっと確認した感じでは、軍服っぽく見える。
ブーツを履き終えてローブを手に寝床へ戻り、それを丸めて布団の上に放り投げる。姿見が欲しいところだが、それは想像で補い、両腕を広げたり服を手でパンパンと叩いたりして、敬礼の真似をする。
「軍人になったみたいだな」
レオンはクララの所へ戻り、支度完了の格好で胸を張る。
「確かに、これを着てしまうとあれが寝間着に見えるな」
「もうお済みでしょうか?」
「終わった終わった。こっち向いていいぞ」
こちらに体の正面を向けたクララが、サッと衣服とブーツの状態を確認した後、扉の前まで行き、ゆっくりと扉を手前に開いた。すると、薄暗い部屋に明るい光が差し込み、レオンの目を射る。
「では、行ってらっしゃいませ」
「おう」
ぺこりとお辞儀をするクララを見て、レオンは肩の高さまで手を上げた。
目が慣れて見えてきたのは赤い絨毯が敷かれたピカピカの廊下と、金色の装飾が豪華な太い柱、白い壁。いかにも王宮という佇まいに期待が高まる。と、そこへ、左からドロテアがのそりと姿を見せた。
「何もたもたしている! 早く部屋から出ろ!」
「急かすなよ。今、荘厳な王宮の雰囲気に圧倒されて感極まっているところだから」
「評議会は待ってはくれんぞ!」
「待たせたっていいだろうが。期待を高める演出も必要だろうし」
「気が短い連中には逆効果だ! 行くぞ!」
立ち去るドロテアへ舌を出したレオンは、廊下へ足を踏み出す。体が外に出た途端、扉が閉まる音がした。振り向くと、部屋の中から見ると木の扉だったのだが、廊下から見ると鉄の扉だ。周囲を見渡し、戻ってくるときの目印を決めて記憶した後、ドロテアの後を小走りに付いていく。
廊下は、三車線の幅は十分にある。天井の高さは二階建ての家がすっぽり入るくらいだ。天井の全面には神話の場面らしい絵が描かれていて、歩いて行くとそれが物語の展開になっているのが分かる。壁には絵画とかは掛かっておらず、魔石のランプのみ。それが等間隔に掛けられていて、今までと違って眩しいくらいに輝いている。彫像が所々飾られているが、天井に描かれた人物と同じ格好をしている。
「すげー。絢爛豪華ってやつだな」
「お前の異界にもこのような建物があるのか?」
「あるある。だがな、ここより遥かに圧倒される場所に行ったことがある」
「皇帝の前ではそれを言うな」
「何? 同じような物を作れって言い出すから?」
「首が飛ぶ」
「こえー……」
ドロテアが早歩きになったので、レオンも追随する。
「あそこに行くのか?」
30メートル先くらいに丁字路になった所があり、突き当たりに豪華な扉が見えるので指差したが、ドロテアは一度振り返ってレオンの指差す先に視線を送り、
「いや、あそこは迎賓の間だ。右に曲がる」
「あっそ。それより、訊きたいことがある。割と重要な質問だぞ」
「重要?」
「そもそも論なんだが」
「前置きは不要。単刀直入に言え」
「じゃあ、言うぞ。何で俺はここに召還されたんだ?」
ドロテアが急に立ち止まって頭だけ振り返った。
「エンマから聞いていないのか?」
「魔法を伝授されて、指導教官に会わせてやるって言われたが、それ以外は――言われたのかも知れないが覚えていない。……いや、言ってなかった気がする」
「曖昧な奴だ」
「悪かったな」
「よく聞け。今、この国では魔法を使える人間が不足している。それで異界から魔法が使える適応者を召還しているのだ」
「つまり、俺は魔法に最適な体質だった――って奴?」
「そうだ。魔法を使うには体の中に魔法回路が必要。それは長い修練で出来上がるものだが、異界の人間はそれをすでに持っているのだ」
「俺、元の世界では魔法なんか使えなかったぞ」
「眠れる才能は、往々にして、己自身は気づかん」
自分に魔法の適性があった。そう言われると、何だか選ばれた人間という優越感が湧いてきて、レオンは唇に笑みを浮かべる。
「で、俺に期待していることは何だ?」
「最終的には評議会が決めることだが、今の段階でお前に期待しているのは、敵の軍事行動の抑止だ」
「抑止? ああ、なるほど。最強の男がいれば、相手はそう易々とは攻めてこないってことか?」
「そうだ」
「うーん……。でも、それって、常に最前列に立たされて相手を威嚇する役目じゃないだろうな? 真っ先に狙われそうで怖いんだが」
「一度、実力を見せつけてやれば、相手も怖れを成すだろうから、常に先頭に立つ必要はない」
「それって、二度目以降だろ? 最初は立つんだよな?」
「そうなるな」
「簡単に言うなよ。言われる身にもなれ。……それより、敵さんもみんな競技場とかに集めて、ド派手な魔法を見せつけてやれば済む話じゃね?」
「どういうことだ?」
「魔法の競技会を開催するのさ。そこで、俺が実力を見せつけて、人々の記憶に焼き付けるわけ」
「敵が来るかはわからんが」
「来なくてもいい。噂って奴は、あっという間に広がるだろ?」
「……なるほど。考えておこう」
「よろしく」
正面を向いたドロテアが歩みを再開したので、レオンも後を追った。