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6.異世界のカルチャーショック

 ノックの音に心臓が跳ね上がったレオンは、上半身を軽く起こして扉へ視線を注いだ。ドロテアは頭の中で呼び出すと言っていたし、猫がドアをノックするはずがないので、扉の向こうはクララに間違いないだろうと思い至って、警戒を解く。


 推測するに、必要な物があるかを聞きに来たのだろうから、色々注文してやろうと思っていると、次のノックはなく、クララが扉を開けて体を半分入れた。受付の机と頭の位置関係から想像していたよりも背が低く、目測だが自分よりも頭一つ低そうだ。服は黒くて短めのワンピースでエプロンを着用し、これに白いヘッドドレスが頭にあれば、メイドの完成だ。


「お休みではなかったのですか?」

「すぐは寝ないよ」


 上半身を起こしたレオンは、肩をすくめて笑ってみせる。


「そうでしたか。何か必要な物はありますでしょうか?」

「そうだな。こうも何もないと色々欲しくなる」


 そう言ってみたものの、無理難題を言うと口を利かなくなるらしいので、常識の範囲内で注文するしかなさそうだ。ただし、異世界の常識とこちらの常識が一致しているかは心許ないが。


「何が必要でしょうか?」

「まずは時計」

「は?」

「時を刻む物」

「それは分かります」

「良かった。それ何って言われるかと思った」

「ドロテア様が貴方様をお呼びいたしますから、必要ないと思いますが」

「呼ばれなくても、今何時か知りたい」

「なぜでしょうか?」

「クララは、今何時か知りたくないのか? 8時から働いて、もう17時になったから家に帰るとか――」

「17時? そんな時間はありません」


 17時がないと言われてレオンが首を傾げると、クララも首を傾げた。


「1日は24時間じゃないのか?」

「1日は10時間です」

「えっ? じゃあ、1時間は60分じゃない?」

「1時間は100分です」

「なら、1分は100秒?」

「びょうって何でしょうか?」


 こうなったら、とことん異世界の時間の違いを調べたくなる。


「秒はいいや。じゃあ、1ヶ月は何日?」

「36日です。ただし、10月は41日か42日になるのですが、それは天文学者が決めます」

「なんで10月が?」

「1年の最後の月だからです」

「……ああ、なるほど。時間は10進法が基本だけど、365日や(うるう)(どし)の366日をそうやって分配するだ。俺の世界の腕時計を持ってこなくて良かった。混乱するし」

「貴方様の前の方も同じことをおっしゃっていました。4年に1回42日を入れても少しずつ時間がずれる――」

「ちょっと待って!」


 レオンは手を伸ばしてクララの言葉を遮る。


「今、俺の前に誰かいた話をしたけど、俺と同じ召喚された者の小間使いをしていた?」

「はい」

「そいつは今どうしている?」

「亡くなったそうです」


 絶句して腕を下ろしたレオンは、身震いして周囲を不安げに見渡す。


「……なんか、この部屋に幽霊が出そうな気がしてきたぜ。そいつ、なんで亡くなったか、聞いている?」

「聞いていません」

「まあ、そうだよなぁ。聞いてどうこう出来るものでもないし」


 クララが話題を変えたそうに隙を窺っている様子が見えたので、レオンは先回りする。


「じゃあ、時計は諦め。なんか、喉が渇いたから、飲み物が欲しい。水でもいい」

「水でもなんて……。水は貴重品です」

「あっ、じゃあ、酒なら簡単に?」

「お酒も貴重品です。オランジュを絞った物なら出せます」

「名前的にオレンジっぽいな。それでよろ」

「よろ?」

「よろしくって意味」

「かしこまりました」


 一礼して後ろに下がったクララが音もなく扉を閉めると、レオンは寝転がってこの部屋にいた前任者を想像する。彼か彼女かは聞き忘れたが、魔法を伝授され、何かの使命を帯びてこの部屋を出た後で命を落としたのだろう。


 あるいは、ドロテアとかに逆らって殺されたのか……。


 空想を巡らしていると、クララが木のコップを持って現れた。オレンジジュースの入ったグラスを想像していたが、これでは異世界の酒場の情景で見かける木のジョッキだなと苦笑する。


 コップを渡されて橙色の液体を舐めてみると、グレープフルーツにレモンを混ぜたような味がして、オレンジらしくない。無表情のクララだが、味の感想を聞きたがっている素振りを見せるので、食レポで期待に応える。


「酸っぱいね。ちーと苦みが口に残り、柑橘系の風味が足りない」

「かんきつけいがよく分かりませんが、この地方のオランジュはこういう味です」

「他の地方は味が違う?」

「はい。栽培されている地域で七種類の味があります」

「何その虹色みたいな数の味?」

「甘みの違いです」

「甘いのがあるんだ。それが欲しいな」

「数が少ないため、貴族の方しか口に出来ません」

「なるほど。いかにも美食家の食卓に並ぶわけだ。庶民はこれを飲めと」


 我慢して二口ほど飲むも、顔をしかめ、軽く舌を出す。


「お気に召しませんでしたか?」

「いや、酸っぱいのは健康にいいと言うから我慢するけど、他にないの?」

「メロネならございます」

「いかにもメロンでよさそう……。いや、それも甘いのは貴族行き?」

「はい」

「じゃあ、これ飲んだら、それをくれる?」

「かしこまりました」


 しかし、次に出てきたメロネのジュースは、メロンの皮に近い方の薄味で熟れた味からはほど遠かった。


「ああ、貴族にお近づきになりたいぜ」


 冗談のつもりで発した言葉が、クララを不快な表情に変える。それが彼女の身の上まで察した気がして、レオンはこの話題を避けることを心に誓った。


「ところで、風呂は? 顔を洗うところは? それとトイレ、いや、便所は?」

「風呂も顔を洗うところも、ここにはありません。王宮の別の所にあります。といれとはトイレットのことだと思いますが、そこです」


 クララが部屋の隅を指差すが、そこには床に四角い小さな板が置かれている。


「へ? あの板の上で用を足せと?」

「いいえ。板を動かすと穴があります」

「紙は?」

「机の左横にあります」


 ベッドから起き上がって、教えてくれた場所を見てみると、習字の半紙の大きさで灰色の紙があった。


「すげー固そうなんですけど」

「柔らかい紙は貴重ですから――」

「それも貴族御用達ね」

「ごよう……まあ、貴族専用です」


 単語が所々通じない。果物の味が違う。生活様式がまるで異なる。慣れた元の世界が恋しくなったレオンは、溜まるフラストレーションで頭を掻きむしった。


 と、その時、頭の中でドロテアの声が鳴り響いた。


『起きろ』

『起きてるって。カルチャーショックで寝てられない状況だからな』


 声を出さずに返答すると、クララが表情で状況を察したらしく、コップを手にして部屋から出て行った。


『かるちゃー?』

『そこんとこ、スルーして、いや、無視していいぜ。で、用件は?』

『早速、評議会の連中に紹介する話になったから、その部屋を出ろ』

『なんだ。皇帝じゃないのか』

『身の程をわきまえろ』

『へいへい』


 肩をすくめたレオンは、部屋を後にした。

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