5.割り当てられた個室
「お前の部屋に案内する。付いてこい」
ドロテアが机の上からジャンプして音もなく床に着地すると、レオンを一瞥して左方向に歩いて行く。細身の体がしなやかに動いていく様は猫そのもので、夢でも見ているのではないかと疑ってしまう。そんなレオンの気持ちをよそに、宙に浮いているのではないかと思えるほど音もなく歩むドロテアは、突き当たりへ行くと左に方向転換した。また突き当たりに行くと、同じく左へ曲がる。
言われるままに付いていくと、床の上を歩いているのに下がっていく感じがした。歩く度に部屋全体がエレベータのように下がっているのかと思ったが、振動はない。この平らな床を歩いているはずが下に向かう感覚が気持ち悪くて、だまし絵の世界にいるのではないかと訝しがる。
グルリと部屋を見渡して扉がないことに気づいたレオンは、もしやこのまま反時計回りにグルグル回るのではと気になって、ドロテアの高く持ち上げられて揺れる尻尾の奥にある頭に向かって声をかけた。
「おいおい。何をやってるんだ?」
「いいから付いてこい」
「閻魔も同じこと言うんだよな。付いていく方は不安だから、先に教えろよ」
「言っただろ? お前の部屋に案内するのだ」
「どこだよ?」
それには答えないドロテアに舌打ちをし、追いかけっこの如く後を追うと、水晶玉の位置に戻りそうになった。
「おい、一周するぞ」
と、声を上げた瞬間、部屋が視界から消えて、螺旋階段の途中にいることに気づいた。左右は石の壁で、所々に魔石のランプが取り付けられている。
「これって……空間転移って奴?」
先に降りていたドロテアが振り返って尻尾を横に大きく振る。
「違う。上に踊り場があるだろう? さっきまでいたところはそこだ。そこから降りていただけだ」
と言われても見えないので階段を上がってみると、確かに先ほどの部屋と同じ広さの踊り場があって、小さな扉もある。
「何? もしかして、あの扉の向こうが神殿? 踊り場を幻影で実験室に見せていたとか?」
「そうだ。魔法で視覚も操作できることを示したまで」
「だから、グルグル回ったときに下がっていく感じがしたんだ」
「驚いただろう」
「無駄な演出が多いぜ、全く。素直じゃないあんたの性格が良く出ているよ」
「こんなのは小手調べだ」
ドロテアの声が遠ざかるので、慌ててレオンは階段を駆け下りる。
「凄い腕前なことは分かったから、見たまま感じたままで行こうぜ……って矢先にこれかよ」
まだ階段を下りる途中だったのに、今度は木造の建物の中に足を踏み入れた。階段を下りる足が平らな床に着いてつんのめりそうになり、レオンは拳を振り上げる。
「演出はいいって! 階段も幻影かよ!?」
「今度は空間転移だ」
「……はいはい。指導教官様の魔法には恐れ入りました。でも、俺の方が最強だけどな」
正面を見ると、安ホテルの受付のような場所があり、机の向こうに頭だけ見えている猫耳で赤髪碧眼の少女がいた。そばに魔石のランプが置かれていて、その光が顔を照らしているため、ジッとこちらを見る生首が置いてあるみたいで不気味である。
「ここって、もしかして宿屋?」
「いや、専用の個室だ。召還された者は個室を割り当てられる」
「へー。待遇いいな。……で、あちらの子は?」
「小間使いだ」
「俺専用?」
「そう」
「メイド付きの個室とは、さすが最強の魔法使いの待遇だな」
「めいどは知らんが、個室の作りは全員同じだ」
「なんだよ。VIP扱いかと喜んじまったじゃないか」
「びっぷがどういう意味か知らんが、最高の待遇というつもりなら違う」
「この個室の隣には、俺と同じ召還された仲間がいるのか?」
「いる」
「マジで!?」
もしかして自分と同じく召還された者と会えるかと思うと、期待がふくらみ、つい声が大きくなる。
「だが、空間同士は繋がっておらず、互いに会えないようになっている」
「そんなこと出来るのか!? 個室が隣にあって、って同じ宿屋の中にいるみたいなもんだろ!?」
「一つの建物の宿屋ではない。部屋ごとに個別の空間だからな」
「その空間ごとにメイド――いや、小間使いがいて?」
「そうだ」
「想像出来ん。会うのを諦めさせるために、騙してないか?」
「騙してどうする?」
「ちょっと聞いてみる」
レオンは受付の猫耳少女に近寄って聞いてみることにした。つぶらな瞳が可愛い少女が顔を上げるが、こちらが微笑んでも無表情のままだ。
「あのー、本当に隣の部屋に行けないの?」
「はい。あちらの扉が貴方様のお部屋です。そして、あちらの扉が王宮への共用の出入り口です。扉はそれだけです」
「今、共用って言ったよね? ほら、他の部屋と繋がっているじゃないか!」
振り返ってドロテアを睨むが、白猫は首を左右に振っている。レオンの質問に答えたのは少女の方だ。
「王宮の出入り口は一つなので共用と申し上げました。あの扉をいったん出て、王宮から部屋へ戻ろうとすると、ここに戻ってくるだけです。それは他の人も同じで、自分の部屋に戻るだけです」
「1対N対応って奴ね……。ねえ、外のコンビニへ買い物に行きたいときは?」
「は?」
「いや、コンビニはないか。そうじゃなくて、よくあるじゃん、そのぉ、ちょっと夜中に腹減って買い物行きたいとか、酒場に飲みに行きたいとか、依頼を受けにギルドに行きたいとか」
「は?」
埒が明かないのでドロテアへ振り返り、救いを求める目を向けたが、香箱座りする猫は何も語らない。頭を振るレオンは、肩をすくめた。
「はいはい。王宮へ行ってお勤め終えたらここに寝に帰るしかないってことね」
「それ以外に魔法の修行もあるが」
「そっちが先でした……」
「部屋に行けばわかるが、必要な物は全て揃っている。欲しいものがあれば、そのクララに言え。大抵の物は揃えてくれるが、無理難題を言うと機嫌を損ねて何もしなくなるから注意せよ」
「気難しいメイドって感じね。りょーかい」
「じゃあ、部屋で少し休め。後で呼ぶから王宮へ来い」
「モーニングコール? よろしく……って、あんたが呼びにここまで来てくれるとか?」
「頭の中で呼ぶだけだ」
「すげー目覚ましだな。クララちゃんに起こしてもらう方がましだぜ」
苦笑するレオンは、ドロテアとクララに軽く手を振って、自分の部屋の扉へ向かった。
この建物の壁にも魔石のランプが掲げられ、薄暗いながらも中の様子は分かる。全体は丸太を組み上げて作った山小屋を連想させる作りだ。扉は何枚もの板を組み合わせている。ドアノブを掴むと、自分の部屋に入る癖で手前に引いてしまったが、今まで扉は内開きだったことに気づき、奥へ押すと音もなく開いた。引いたり押したりしてみたが、蝶番が軋む音はしない。
「全て幻影じゃないだろうな?」
ドロテアの魔法に攪乱されたので、見る物触れる物がまやかしに見えてくる。
「それにしても、ワンルームマンションかよ、ここは」
部屋の中の把握は、ものの3秒で終わってしまうほどシンプルだ。四畳半ほどの広さの半分を占める白いベッド。自分の肩幅と比較して二倍程度の茶色の机に、背もたれのない茶色の丸椅子。机の上にある魔石のランプが唯一の照明で、周囲の壁には窓がない。
「それとも、ちょっと待遇がいい独房ですかねぇ」
ベッドに腰掛けたが、板の上に白くて薄い敷き布団が敷かれている感じがする。白い枕も好みの堅さではないし、畳まれた白い掛け布団を広げても薄い。
レオンは盛大に溜息を吐いて、ベッドの上にゴロリと体を投げ出した。丸太を組んだ天井を見上げてもう一度深呼吸をすると、冷静になった頭が今までの状況を整理し始める。
今まで異世界転移というものをアニメやラノベで知っていたので、自分が異世界転移者になったことをビッグイベントのようにはしゃいで受け入れていたが、見方を変えると、これは自分の意志が無視されて強制的に連れて来られたのと同じだ。誘拐とも言えるだろう。そう考えると、四肢の血が引いていくのを感じる。
「そういや、何のために連れて来られたのを聞いていない。根本的なことを何も知らされていないじゃないか」
ただ、転移したことに驚き、現実に起きたと喜び、出会った人と猫に軽口を叩いても相手がちゃんと返してくれることに嬉しくなっていた。
本当は、一人になる――相手にされなくなるのが寂しくてやっていたこと。心の奥底に恐怖を押し込めていた。現実を、真実を見ようとしていなかった。
「……記憶が部分的に飛んでいる。俺の名前が分からないって、どういうことだよ。リモートワークで仕事していたことはある程度覚えているのに。会社名は……X社だっけ。部署もなんとか開発部だった気がする。なのに、なんで名前だけがすこーんって記憶から消えるんだ?」
家の住所がわからない。最寄りの駅も分からない。親の名前も思い出せない。誰かに特定の記憶を消されたときに、他の記憶まで巻き添いにされたのか。
あれこれ考えていると、軽く疲れを覚えたものの、目が冴えてくる。その時、扉がノックされる音が狭い部屋の中に響いた。