第91話 枷
「……くっ!」
しっかりと再現された重力は、身体が押しつぶされそうな感覚とふわりと浮く感覚、どちらも正確に味合わせてくれる。
上昇も下降も、加えて急旋回、挙句の果てにほぼ反転しての切り返しなど慣れていない人間なら、いや、普通の人間ならすぐに気絶するであろう動きが続く。私が出来ているのは単にイスクとして培われた頑丈さと豊富な飛行時間による経験ゆえだ。
地面に接触するかしないかギリギリの高さを高速で飛んでいたかと思えば、袋小路にはまり垂直に空へと逃避する。ラティフォリアはそんな私の真後ろにピタリとつけ、隙あらば爆裂式の攻撃を撃ち込んでくる。はじめて飛ぶとは思えない動きだった。私なんかただ浮かぶのでさえ数十分はかかったのというのに、という愚痴は飲み込み今はただ回避に専念する。
街の迷路のような構造を活かし、彼女と1対1の空中戦に持ち込めたのはいいが、私と彼女が通ったあとは瓦礫と炎の海になってゆく。それほどの威力の攻撃を何度も行ってきておきながら、未だにその頻度が衰える気配がない。
はじめは魔力消費の激しい爆裂式を撃ち終わったら接近戦へと持ち込むつもりだった。それまでは街の通りを飛行経路とすることで主戦力と引き離しておく予定だったが、予想以上の粘りようだ。魔力が底をつく気配さえないとは尋常ではない。
それに、コクヴィで交戦した時よりも攻撃の威力が上がっている。範囲も威力も異常だ。
先程、たった一撃で不意打ちとはいえ適性レベル帯のプレイヤーを何人も刈り取っている。こちらも反撃で辺り一帯を薙ぎ払ったが、それでもその威力も範囲もプレイヤーとしても持つ攻撃の範疇であり、無傷だった敵や物陰に隠れていたような敵は倒しきれていない。それに連発できるものではない。
ここで思ったことがある。
まさかとは思うが、魔力量にまでナハイラの影響を受けているのではないか。ならば、尽きないというのも一理ある。
「……くそっ!」
もはや接近戦はあきらめろ、ということなのだろうか。
尋常でない、けた外れの敵を相手にしろということなのだろうか。
「逃げるな、悪魔めっ!」
「逃げるなって言われてもっ!」
これがいつも通り真正面からとびこんで好き勝手暴れていいのならばまだよかった。
こちらには容易に攻撃できない理由がある。
彼女をフィロの元へ連れていかなければならないのだ。
魔法攻撃をしてくるから魔法耐性があるとは限らない。見た限り、ラティフォリアの装備は一般的な特務士官と同じだ。接近できないからと言って魔法を放ち運悪く直撃の上クリティカルが出たら目のあてようがない。
私が銃に持ち替えるのもありだが、そもそも当たらない。
「……っ!」
いや、それでいいのだ。
当たらなくていい。当たらなくていいのだ。
また真後ろで攻撃が炸裂し衝撃と共に視界が煙に包まれる。当然手元も見えないが、そこは経験で補う。
煙から飛び出た私の手には支給されたままだった銃が握られていた。剣も腰に装備したままのため、かなりの重量になっているが私のステータスならば許容範囲内だ。飛行速度も旋回速度にも支障はない。
仮、がつく反撃の開始だ。
とは言っても、本気で行く。運が良ければ、そう、本当に運さえよければ接近戦に持ち込めるはずだ。
羽ばたくとさらに加速する。
周りの景色はほぼ意味をなしていない。辛うじて飛べる程度の空間があるかどうかが把握できるかだ。
速度を落とさないまま身体だけ反転させると連射する。だが、当たるはずもなく回避されるとピタリとこちらに向けられた銃口から銃弾が発射される。
身体を捻りギリギリ回避すると地面に当たり炸裂した攻撃の爆風に乗って上空に出る。ほんの少し方向を調節すると直進していたラティフォリアの斜め後ろに出たことになる。
だが、攻撃しようと構えた銃が手から滑り落ちそうになり慌てて左手で掴むとそのまま狙いを定める。左右反転の構えになってしまったが持ち替える時間はなかった。
背後から襲うはずが、ラティフォリアが振り向いた後だったため結果的に正面から撃ち込むことになってしまったが仕方がない。
彼女の手元を狙うと引き金を引く。
その時、不思議なことが起こった。
それまでは一定の間隔を空けてきれいに逸れていっていた銃弾が私が狙った彼女の手元に吸い込まれていくように命中したのだ。
ラティフォリアの手から力が抜け銃が滑り落ちる。
あまりの衝撃に唖然としていた私は気が付いていなかった。ソレに気が付いたのは手遅れになってからだ。ラティフォリアと異口同音の悲鳴を上げる。
目の前に迫った石造りの塔に減速することなく突っ込み全身に衝撃が走る。HPも何割か削れたが、塔が崩壊するほどの威力でありながらこれくらいで済んだのは幸運だ。
パラパラと降り注いでくる瓦礫を払いのけ立ち上がると、ふらふらと目の前の景色が揺れる。眩暈の状態異常はこんなことでも起こるのか、と呑気に考えつつ収まるのを待つ。
数秒後、揺れのなくなった視界に映っていたのは石造りの教会のような室内だった。先程の衝突で崩れ屋外の光が差し込み、砂埃がより際立ち忌々しいほど不明瞭な視界だ。
「……破壊可能でよかった」
あの速度で破壊不能オブジェクトにぶつかっていたらと考えると恐ろしい。
それよりも、と周囲を見渡す。
共に落ちたはずのラティフォリアはどこにいるのだろう。
視界がほぼ使い物にならない以上、聴覚に頼ろうと耳をすます。獣人には及ばないものの、スキル補正と合わせればそれなりの効力はある。
「………」
耳が捉えたのはパチ、という静電気のような音だ。
夢現世界ではこの音は。
「うああああぁぁ!」
「はあああ!」
咄嗟に音と声がした方へ距離を詰め手に持っている武器が銃だということも忘れ、剣のように握ると振りおろされた攻撃を防ぐ。
銃同士がぶつかり合うというなかなか聞かない音が少々大げさに鳴り響く。魔力を帯びた物同士のため、微かに鈴のような高い音もした。
何故撃たなかったのだろう、という疑問が脳裏をよぎるが、上からかかる重圧にそんな疑問は吹き飛ぶ。
元から鍔迫り合いは苦手だ。それに加え、上から体重をかけられるという極めて不利な体勢であり、接近戦という以外は最悪な状況だ。
「お前だけは……倒す……!」
「ボク狙いなのはいいけど……!」
どうすればいいのだ、と頭の中が混乱に近い様相を呈する。
ここからフィロの元へ連れていきたいが、そもそも彼らの居場所が分からない。そして何より彼女が素直についてきてくれるとは思えない。
「お前、だけは……!」
「えっと、なんで……ボク?」
フィロの話の通りならばラティフォリアが恨んでいるのはフィロだけのはず、と率直な疑問をこぼした瞬間、ラティフォリアの声が単調なものへと変わる。
「神がのぞまれた。……神の正義を為すために」
「神……」
その単語を聞いて深々とため息をつきそうになる。
私は元々無神論者などではなく、かといって敬虔な信者というわけでもない、所謂いると考えてもいいんじゃないか、といったくらいの認識をしていた人間だ。宗教的な儀式や考え方に抵抗はないし、むしろ興味をもって接していたほうだとさえ思える。日本人としては珍しいタイプだっただろう。
だが、汚灰を巡る一連の戦いの中でアルティレナスという神と神を祀るリドレイスの宗教と関わっていく中で神という存在のもたらす恩恵よりも面倒くささという側面をひしひしと感じることとなった。それからというものの、若干だがそれらの存在に信仰だの畏怖だのといった感情よりも、もっと人間に近いような認識を持つようになった。
多くの神話で、神という存在はメリットもデメリットも人間にもたらす存在だ。
神というだけで妄信するような行為は、私の目には愚かに映る。
「……その神とやらがボクを倒せと? で、力もくださった、ということか」
「使命を果たすための、力だ」
「使命とやらが何かは知らないけど、それを果たすことが本心からの行為だと?」
「黙りなさい!」
ラティフォリアの反応に口元に微笑を浮かべると、嘲笑と共に言い放つ。
「そんな枷に囚われているなんて君らしくないな」
姿勢を一気に低くすると私の方へつんのめってきたラティフォリアの手元を蹴り上げる。宙に舞った銃に彼女が気をとられた次の瞬間、私は左手に構えた銃の銃口を突き付け高らかに宣言していた。
「穿て、パージ! この枷から解き放てっ!」
流曲線を描いた青き銃から放たれた銃弾はラティフォリアの身体を貫く。
衝撃で宙を舞ったその身体が床に落ちた頃、私は詰めていた息を吐き出す。
いつもは剣を持っているはずの両手に1本ずつ握った形の異なる長銃を見やると、軽く振って見せる。
パージは浄化の銃だ。では、この世界では何を浄化するのだろうか、と考えて導き出した答えが状態異常の強制解除という効果だった。魔法にも同じ効果のものはあるが、それはレベル5以上の状態異常やGMによる術には効果がない。ならば、ゲームバランスを崩壊させるほどの代物であるアンチ武器に為せるのは通常できないことであろう、という適当も適当過ぎる答えだった。
前にフィロに見せてもらったあの儀式に組み込まれていた術式を警戒してアラキアから借りてきていたのだが、正解だった。
だが、あの術式にかかりこの銃で解除できるということは、と新たな疑問が生まれるが、今はよしとして通常装備へ戻す。
ラティフォリアの側に屈みこむと、簡単な回復魔法を詠唱してかける。
こちらの姿に気が付いたラティフォリアは身を固くしたが、何もしないで佇んでいるとゆっくりと身を起こす。
「……何を、したのですか?」
「何も。ボクと戦って君は負けた。あえて言うなら、キミを操り人形にしていた糸を切ったとでも」
私に対する異常なまでの敵対心以外変わりはないだろう。私が敵だというのも、フィロへの怒りも彼女自身のものなのだから。
だが、話が出来るようになったというのは大きい。
「2つ、聞いてほしいことがあるんだけど。聞いた後はどうしようとかまわないけどさ。また戦ってもいいし」
しばしの沈黙の後、ラティフォリアは頷いた。
「……いいでしょう」
「じゃあ、まず1つ目。これは単純に伝言。君に会って話したいと言っていた。誰だかは言わないけど。分かってるでしょ?」
「……えぇ」
「2つ目。ハイダー、この状況を見る限りナハイラもかな。彼らはアルマゲドンを使って再びこの地を焦土にしようとしている。ボクの仲間たちができることはやっているけれど、発動されればコクヴィの人間は助からない」
「……知っています。あの都市には、魔法などありませんから」
それを知っていながら、という怒りも湧いてくるが、彼女を責められない自分がいた。彼女は特務士官という役をまっとうしただけなのだ、と。
「……キミは……どうして」
それでも漏れ出た何故、という問いにラティフォリアは静かに答えた。
「どうすればよいのか、分からなかったのです。信じれるものが特務士官と司祭という誇りと矜持しか残っていなかった。……ずっとそれだけに縋っていました。ですが」
「ん?」
「あなたとあの牢で話したら、揺らいでしまった。だから、ナハイラから力を受け取った時、私は安心してしまった。何故、そこまで意思を貫けるのですか? あの牢でもこの戦いの最中でも」
思ってもみなかった問いだったが、意外とすんなり答えは出た。
「守りたい人がいるから、かな。確かにどうしても守りたい人もいるけど、その人だけじゃなくて……。なんか恥ずかしいけど、みんなを守らなきゃって」
「みんな? 親しくもない人間も、ですか?」
「うん。誰かに強制されたわけじゃなくて、戦いの中でボクが思ったことなんだ。仲良く暮らせたらいいなぁって。平和で安心できる世界で。……そのために存在するのがボクだって、思ってる」
「まるでお伽噺の世界の騎士か王のようですね。綺麗ごとばかり……なのに、馬鹿にできない。……はぁ」
ラティフォリアのたとえに苦笑する。この世界のお伽噺がどんな物かは知らないが、一応王ではある。望んでなったわけではないが、それなりの責任感はある。だが、そこに誇りや矜持を持つにはまだもう少しかかりそうだ。
「……連れていってください」
「え?」
「兄の元へ。……ただ、私は特務士官です。敵であることに変わりはない。ですが、話しをする程度ならばいいでしょう。……それまでは、頼みます」
頭装備を取り払ったラティフォリアは躊躇いがちに手を差し出す。
これはどうにかなったのだろうか、と拍子抜けながらも私も応える。
「うん、よろしく」
差し出された手を握り返すとラティフォリアは小さく口元に笑みを浮かべた。
(あれ……?)
その瞬間、脳裏に小さな手とぼやけた白い風景がよぎる。
それがなんなのか、そしてそれを記憶する前にラティフォリアの声でかき消されていった。
「行きましょう」




