第82話 ラティフォリア
声は女性のモノだった。
落ち着いた声音で堂々としている。見慣れぬ外界の民だというのに物珍しさを感じていないのか、いたって冷静な言葉だった。
「そして亜人」
その言葉にも侮蔑や興味の意は感じられなかった。あくまで職務上の確認といった口調だ。同時に害意もないようだが、彼女の姿を視界に入れてから心臓の鼓動が早まったままだった。
全身黒の装備に覆われていることはこれまで見てきたコクヴィ正規兵と変わりはないが、携えた銃や気配から本能が警戒を促してくる。同時に高揚感もあり混乱してくる。
どこぞの特殊部隊の隊員かと思えるほどの防護ヘルメットとマスクに覆われ素顔は不明だ。これまで遭遇してきたコクヴィ正規兵は男性ばかりだったため、彼ら以上の堂々とした立ち振る舞いから声と胸のふくらみがなければ女性だとさえ思わなかっただろう。
「コクヴィ正規兵特務士官ラティフォリアです。コードネームゆえに性はありません」
淡々と告げられる名前にアラキアは頷いただけだった。
それにしても特務士官か、とラティフォリアと名乗った兵士の姿を見る。
多少くぐもっているが声からするとそこまで年はとっていない。むしろ今まで出会った夢現世界の住人の中では下から数えた方が早いかもしれない。人間であるからという側面もあるが、同年代かそれより下か、といったところだろう。
聞いたところで教えてはくれないだろう。
そんな年端のいかないような少女が特務士官だというのか。フィロによると特務士官はエリートの中のエリートだ。職業の継承権を擁していても実力が伴わなければ長の家系同様継承権を取り上げられる。
とても緩いものの実務経験上、年功序列の規則がある職でそれなりの地位につくのはかなりの実力と後ろ盾を必要とするらしい。その例えに使われたのが特務士官だった。就任したてのころは雑務をこなす名だけの士官であり、その中から特に技術に抜き出た者が本当の特務士官として動くことができるのだ、と。よって表に出てくる『新米』特務士官は30半ばは越していることが多いと語っていたのだ。
来訪者だからと適当に扱われているのか、と思いもしたが、そんな様子はない。
「……要望通り、面会の手筈を整えました。ついてきなさい」
任務に忠実。迅速で的確な対応。
まさに兵士の模範例だ。
もし彼女と同等の兵士が数人いるのであれば。それが戦場に部隊として出てくるのであれば。脅威どころではない。接近できるという条件の元、私が彼女と1対1で戦って勝てるか、というほどの強さは持ち合わせているだろう。
今まで精鋭ぞろいだと思っていた連合だが、甘すぎる。どこかが崩された場合、これまでは力技でどうにかなっていた節がある。
これはゲームだ。ゲームだから私のような無茶苦茶な戦法が通じるのだ。カストが歴史を説きながらしつこく戦法を語っていた理由がようやく分かる。帰ったらもう少しだけ戦法を学んでみようとは思った。が、どこまで使えるようになるかは分からない。
なにしろ、私だ。
自分で認めるのは癪だが、猪突猛進だ。
指揮はアラキアやカストに丸投げできるとして、実際に動く人間の練度はとてもではないが集団戦がスムーズにできるほどとは言えないだろう。
軍ではないという認識のため、階級はほとんどなし。片手以上の戦闘員が一度に展開した作戦はアルティレナス戦の一度のみで、あれも被害はあっても混乱はなかった。
規律も戦闘部内だけで見れば大して厳しくはない。あれこそゲームのモラル程度の認識だ。
練度を上げようと厳しい訓練を行えば訴えられることは確実。いっそのこと少数精鋭として募集しようか、と思ったがそれでは全体の練度というものが。と、そこまで考えて思考を放棄する。
無理だ。
次の災厄が訪れることは確実だが、実感がなさすぎる。
練度を上げるためとはいえ急に締め上げるのは反感を買いすぎる。一定の練度は保たれているため、とりあえずは保留だ。
なにもすぐに災厄が顕現するわけではない。数百年の余裕はあるはずだ。アトミアの書の記録ではそうなっている。少なくとも、先代からみた歴史としては、だが。アルルカが語るには災厄との戦いの歴史が繰り返されてきたというが、それ以前の記録は未だにきちんと読み解けていない。先代の記録でさえも穴だらけなのだ。それも意図的に隠しているのがバレバレな雑な隠し方ながら見れないようにする防壁は頑丈という何とも言えない穴だらけである。そんなにみられて困る記録ならば余計に気になり、自分の目で見てみたいとさえ思えてくる。
まだ時間はあるはずだ。
今度はきちんと訓練を施した戦闘部で迎え撃てるように準備せねばならない。
理想は、そう。目の前の彼女だ。
彼女のような兵士の理想形でありながら、技術を持った精鋭たちを。
基礎を極めたうえで己の力を的確に応用できる人材が育てばいい。
「……ん?」
そこまで考えてからずっと抱いていた違和感の正体に気が付く。
何故立ち振る舞いだけで彼女の力量を量れたのだろうか、と。
確かに動きのブレだったり振る舞いからして多少は判断できるだろう。だが、設定として与えられている特務士官という立場を含めたとしても、彼女の力量は今まで考えていた『理想形』だとは判断しきれない。確かに強いだろうが、それが思い描く兵士としての理想、私でもギリギリ勝てるかどうかの強さ、基礎を極めた型、という点まで何故判断で来ているのだろうか。
それどころか、彼女にだけは負けるわけにはいかないという謎の対抗心まであるときた。心地の悪いものではないが、不思議な感覚だ。
今までの対峙してきた中で自分以上の技量を持っていたのは使徒などの敵であり敵対心の方が大きかった。彼女もコクヴィ正規兵という点では敵であるはずなのに、敵対心よりは張り合う気持ちの方が大きい。明確な敵というわけではないからだろうか。
味方に引き込めないだろうか。
肩を並べて戦えないだろうか。
彼女はこちらにいるべきなんだ、とまで考え始めてどうにか思考を停止させる。
おかしすぎる。
彼女のことは何も知らないはずなのに、知っていると訴えてくる感情。それに影響される理性。
作戦中だ、冷静であれと自制してもたがが外れそうになる。そうして話しかけそうになるたびどうにか思いとどまるのだ。
そのおかけで苦々しい表情を自然と継続できたのはよかった。
「この先でハイダー様がお待ちです」
ラティフォリアのそんな言葉が聞こえても表情を変えることはなかった。
でなければアラキア同様驚きの表情を浮かべていただろう。アラキアが指定したのは長か次席程度の地位がある人間だ。まず無理であろう長を指定し断られたところで妥協案として文官の名を出す手筈だったのだ。
こうもあっさり受け入れられてしまうというのは予想外だった。
ここからどのように方向転換してゆくかはアラキア次第だ。
「特務士官ラティフォリアです。お連れいたしました」
「入れ」
ラティフォリアがノックした扉の中から帰ってきた声は予想に反して耳に心地よいものだった。敵NPCにしては、だが。
アラキアに続いて部屋に入ると待っていたのは2人の男性だった。
奥の革張りの肘掛け椅子に座っているのがハイダーだろうか。荒廃エリア(アマルティア)人にしては濃い褐色の肌にNPCとしても珍しい金色の瞳の男性だ。初老ほどだと聞いていた割に若く見えるが、それは強い野心を反映させたかのような瞳が醸し出す空気からだろう。
では、その左隣に立っている男性は誰なのだろうか。
大柄でがっしりとした体躯、適度に刈り込まれた髪と瞳は一般的な茶色で特筆するような特徴はないが只ならぬ威圧感がある。
「ラティフォリア、そこで待機しろ。お前が客人か。わざわざこんな辺鄙な地に移住を希望とはな」
「魔法が嫌いな偏屈者なせいでね。あんたが長?」
「いかにも。こっちが」
「副官のノルダムだ」
ハイダーに指された男は淡々と述べた後、会釈する。
実際のところ表情を変えていないが、私にはアラキアがニヤリと笑ったように見えた。
「なるほど。こちらの要求を丸呑みってことか。長と次席が揃ってお出迎えとは、相当コレがほしいと見た」
コレ、と言わたのは言うまでもなく私だ。
高く評価されているのは結構。だが、厄介ごとは御免だ。
「簡潔にしよう。あまり気は長くないんだ。そっちも忙しいんだろ?」
「いいだろう。先に聞いておくが、具体的にどの職を希望しているのだ?」
「その椅子、と言いたいところだが無理だろう? 文官でも武官でもいい。これでもどちらでも腕に覚えはあるからな。後ろ盾はもちろん、ある程度の自由の保障もな」
今まで見たことがないほど強気だ。
「ほう。自らの同胞に武器を向けることも厭わないと?」
「何が同胞だ。勝手に召喚されただけっていうくくりだけで仲間意識なんかあるわけないだろ。なら、アンタらの方が気が合いそうだ」
不意に短く笑い声が上がる。
あげたのはノルダムだった。
「失礼。ハイダー様、ぜひコヤツを我が元へ置かせていただけませぬか? かねてより申しつかっておりました例の件、アレに是非」
「志望者を幾度となく切り捨ててきてか?」
「物怖じせぬ態度としたたかさが気に入りました。それに来訪者であるという点も都合がよい」
「いいだろう。連れていけ。……来訪者よ、名は?」
「アラキアだ。で?」
「喜べ、新設の部署に席を用意してやる。ノルダムの直属だ。十分だろう? 働きによっては昇格という名の側近職も考えてやろう」
「思ったよりも話が分かるヤツらしいな。……いや、話の分かる上司でよかった、というべきか。いいだろう。内容が何であれ、面白そうだ」
さて、私には何が何だかさっぱりだが当事者たちの間では話がまとまったらしい。
このあとはどうなるのだろう、と思っているとアラキアは握っていた鎖をラティフォリアの方へ放り投げる。鎖は綺麗な弧を描いてラティフォリアの手に収まる。
これは、受け渡されたということだろうか。
あれ、私は捕虜のふりであって本当に捕虜になる予定は、と抗議する前にアラキアから引き離される。
そこからは早かった。ハイダーの手の一振りでそのまま部屋から連れ出され、ひたすら階段を下るとそこに待っていたのは無機質な地下牢。
壁から伸びる鎖の先に繋がれると静寂が訪れる。
元よりつけられていた拘束具も解かれていないため、身動きのしづらさは相変わらずだ。そして見張りも含めて辺りに人の気配はない。
見張りがいないのは脱獄には都合がいいが、拘束具のせいでそれどころではない。
「は……?」
案はいくつか聞いていたが、そのどれにも本当に私を引き渡す案はなかった。他に方法がなかったわけでもないのに引き渡すとは、一体どういうことだろうか。
「どうしてだ……」
自然とそう呟いていた。
「どうして、こう……なった……?」
何か考えがあることは明白だが、せめて脱獄を考えるべきなのかの指示は欲しかった。
しかし、脱獄するとしてこの拘束はどうするべきなのだろうか。しばらく引っ張ってみたり体重をかけてみたりといろいろ試してみたが、耳障りな金属音をたてる以外効果はなかった。
身体的疲労がないため長時間の拘束と無茶苦茶に暴れた影響は出なかったが、さすがにお腹が減ってきたころ、階段を降ってくる足音を耳が捕らえる。同時に嗅覚に訴えてくるモノの存在を感じ取る。
牢の扉を開け中に入ってきたラティフォリアが手にしていたのは、パンとスープの乗った盆だった。薄暗くて中身までは判別できないが、匂いからしてコンソメ風らしい。
「口を開きなさい」
「……え?」
ちぎったパンの欠片を私の口の前に差し出したラティフォリアは極めて当然といったようにそう言う。
躊躇っていると、再度促したのちに自らの口へと放り込む。もちろん口元だけ装備をずらしてだ。薄暗がりでも白く透き通った肌が目を引いた。
「ほら、毒は入っていません。あなたはコクヴィにとって危険人物ではありますが、重要な切り札でもあるのです。殺しはしませんよ」
「えっと……そうじゃなくて……。自分の手で食べちゃダメ?」
聞くと、そこだけあらわになっていた口が納得したような弧を描く。
「残念ながら拘束を解くことは許可されていません。私とて、武器を奪われ脱獄されてしまう可能性がありますから」
「なるほど……」
渋々差し出されたパンを口にするともさもさとした食感が口の中に広がる。酷い食感だ。
続いて口にしたスープもフィレインの激安スープのようにほとんど味のないものだった。匂いだけはきちんとコンソメというところが恨めしい。
顔をしかめつつ食べ進めていると、呟かれた言葉があった。
「これらはコクヴィではまだマシな方なんですよ」
初めて聞いた職務に必須とは言えない言葉だった。
これは好機、とパンを口に入れられる前に私も言葉を発する。
「これで? 生きていけるの?」
栄養価という要素はほとんどないためパンとスープだけでも生きる上では問題ない。だが、ある程度の量は必要だ。私たちプレイヤーは空腹感だけで済むが、生き死にがこの世界の中だけで完結するNPCたちは食糧不足で死に至ることもある。
滅多にないことだが、実例があるのだ。とあるチーム同士が長期間領土戦を続けていた時のことだ。領土戦の影響で封鎖していた道の奥にある集落でNPCが次々と不審死を遂げたことがあったが、その原因が食糧不足だったのだ。設定上、封鎖していた道はキャラバン隊の航路だったとのことだ。それからは期間と封鎖場所に注意が払われるようになったことは言うまでもない。
「……中層以上の人間であれば。下層は、酷いものです」
「外から輸入するとか、できないの? 外にはたくさんの資源があるし、もっとおいしいものも溢れているのに」
「昔は交易区のみ認められていましたが、今は。……法は法。規則には、従わねばならないのです。さあ、無駄話はおしまいです。私たちは、何も、話してはいません。いいですね」
空になった盆を手に牢を出ていったその後姿を見送ると、何とも言えない気持ちになる。
法は法。規則には従わねばならない。
その言葉はまるで自分に言い聞かせているように聞こえた。現状を嘆きながら行動できずにいる理由はなんなのだろうか。
次の日も、その次の日も彼女は牢に食事を運んできては私の口元に運んだ。だが、あれ以上の会話はなかった。
そして牢に入れられて5日目。
やってきたのはラティフォリアではなく、ノルダムだった。
ノルダムは手にした太刀で拘束具を断ち切ったのだった。




