第80話 潜入作戦立案
「どーすんだよー、フィロー」
膠着状態に陥ったと判断して数日後、廃都マルティーニにある作戦会議室にロウカの声が響く。その声音は焦りを含んだというよりは、むしろ駄々っ子のようなものだった。
「あーもう、銃撃っても撃っても変わんないし進まないしぃ!」
ついでにカワイ子ちゃんからキスの1つも貰えないし、と続いたところでさすがにフィロも堪忍袋の緒が切れたらしい。瞑想からさめるなり、いつにない険しい視線をロウカへと向けると右手でつくられた拳が机を穿つ。その強さは想像以上だったらしく、《Non-destructive》の文字が拳の下で点滅していた。
「騒々しい! 少しはその口を閉じられんのか!」
「ひぃっ! すみませんでしたっ!」
あまりの剣幕に怒鳴られ慣れているであろうロウカも顔を引きつらせ、すぐさま姿勢を正し勢いよく頭を下げる。
場に漂う空気も重々しいものからピリピリとするものへと変わっていた。
誰に聞いても苦手だという返答があるだろうが、私はこういった空気がより苦手だ。場を仕切らなければならない時は、どんなに重要な議題であってもなるべく和やかな空気になるよう気を付けている。が、元からの気質のせいか、それがうまくいったことは少ない。それに、そう容易く行えることではないのだろう。
今回も比較的フィロに近い位置から事の成り行きを黙ってみていたが、フィロがああまで怒鳴る姿を見たのは初めてだった。普段から時間や規律には厳しく、時には指導する姿を見かけたことは何度もある。その多くは怒気をはらんだ嫌味、といった程度のモノだ。怒声を耳にしたのは初対面時ロウカに対する叱責と、戦場で突出し過ぎた部隊を引き戻そうとした時のみだった。
その声さえ、先程の声に比べれば生易しいとさえ思えてしまう。
普段ならばあの程度では眉一つ動かさず嫌味の1つ、2つで終わらせるだろう。そうであろうと分かる程度には彼らと共に過ごしている。思えば、荒廃エリアに足を踏み入れてから3ヵ月ほど経っている。ダークエルフのディアザと過ごした倍の時間を彼らと過ごしているのだ。あの頃は連合ではなく同盟で、戦力も今と比べれば大分心もとないものだった。慣れないことばかりで毎日が発見の連続だった。
密度の高い日々を過ごしているからか、時間の流れもゆっくりに感じてしまう。現実世界で大旅団員として地球を旅立ってから今までの時間は、生まれてからそれまで過ごしてきた19年間の何倍もの時間であったかのようだ。
予想外の出来事が次々と起こり退屈しない人生だが、常に死というものがほんの少しの衝撃で割れてしまうであろう薄いガラスを隔てて存在している。これはもう、変わることはないのだろう。他の人はどうなのだろうかと考えてみるが、そう結論が出る物でもない。
早い話、心臓を一突きだけのことだが、そこまで簡単なものでありながら人は意識したことがあるのだろうか。こんなにも、ひしひしと。
「………」
そうやってピリピリとした空気を無視しようとしていたが、あまりの沈黙の長さに限界を感じ始める。
腕を組み黙りこくっているフィロの横顔は険しい。
彼のことだ。己の中でいくつか策は出ているだろうが、そのどれもが無視できない欠点を抱えているのだろう。だからこそ口にできず、欠点を改善すべく思考にふけっている。
つまり、追い詰められている。
でなければ、彼にとっては些細なことであるあんなことで怒鳴りはしないだろう。
では、どうするべきか。と、考えて隣に座るアラキアを垣間見る。現実でならば『なんだ?』『どうした?』と、念話付きで返されそうな表情でアラキアはほんの少し首を傾げた。それに対し、これこそ現実でならば『ちょっと相談が』と口に出さずに返したい。
ここではそんなことはできないため、肩をすくめるにとどまった。
相談したいこと、とはつまりこういうことだ。簡潔に言えば、発言していいか。より詳しく言えば、とある議題を出していいか。というものだが、それを彼と話すすべはない。
故に、現状を変え得る行動を取ってみることにする。
「フィロ、1ついい?」
「……なんだ?」
焦燥を含んだ声に内心ビビりながらも、簡潔に言葉を紡ぐ。
「前にボクらに依頼した潜入の件。あれはどうするの?」
その瞬間、緑の双眸が細められ頬がピクリと動くが、彼が声を荒げることはなかった。しばらくの沈黙ののち、ため息をついたフィロは椅子から立ち上がる。
「もう、これしかないか。なるべく危険を避けるべきだと思い実行せずに来たが、限界だろう。数日中に別途指示を出すが今は、各員、戦線の維持だけを考えろ。解散していい」
私とアラキアだけを残し、他の人員をすべて退出させた後もフィロの表情が和らぐことはなかった。心ここにあらずといった様子で何度か空になったカップを口元に運んではソーサ―の上へ戻していた。
数分後やっと彼の口から漏れたのはため息だった。
「……珍しい」
「私とて、ため息の1つや2つつきたくなる。……で、潜入作戦のことだったか」
そう言いつつ自身の座っていた椅子の背後をまさぐったフィロの手には私の身長ほどもある紙の束が握られていた。ずっと立てかけてあったのだろう。と、いうことはこの話題が出されることを予期していたか又は彼の案の中で最も現実的だという結論を彼が出していたかだろう。
そこまでしつつ、躊躇しているとは一体どんな問題が待ち受けていることやら、と男の顔を見やる。
机に開かれたのは詳細な街の地図だった。
円形につくられた街は官邸を中心に放射線状に分厚い壁で仕切られ区分けされている。それぞれ商業区や行政区、居住区などといったとても分かりやすい名前と共に番号が記され何区の何番と言えば一言で場所が特定できるようになっている。区内ではさらに建物ごとに数字が振られており、現実世界の住所を思い出す。プレイヤー間ではフレンド登録かチーム間でのメッセージ機能しか使わないため手紙など出したことはないが、この世界にも住所という概念はあるのだろうか。
そのような円形の構造図が計5枚あり、面積の広いものから順に第1階層、第2階層と番号が振られている。
住所は第1階層1番区の1みたいな感じかな、と作戦とは関係のない方への興味を持ったのもつかの間、重ねられた地図の異様なほどの複雑さに目を背けたくなってくる。
一度通った場所は忘れない。地図さえあればどうにかなる。と、現実では豪語する私だが、さすがにあの新宿駅をさらに魔改造したかと思えるほどの複雑怪奇な構造を理解しろと言われるのはごめんだ。いや、いっそのこと梅田駅だとうか、などと意味のない思考を行うほど恐ろしいものだった。
私たちの反応を見越してか、フィロは5枚の地図ではなくより簡潔な30センチ角の地図を中心へ置く。簡潔とは言っても、その構造もRPGでいえばどこぞの終盤ダンジョンかと思えるほどあるが先程よりはマシだ。見ると、地下下水道と銘打ってある。
嫌な予感がし、口を開きかけるがフィロの声に一言も発せずに終わる。
作戦の説明が始まってしまえば戦略とは無縁の私に出番はない。おとなしく概要を頭に叩き込む思考に移行する。
「作戦概要としては街の正面入り口から入ってもらい、ひと騒動起こしてほしい。その後は餌を有効活用し内情調査と内通者への接触をしてもらう。……ここまでは以前話した通りだ」
「ああ、そうだな。餌は十分ある。アルマの顔は知れ渡っているし、偽文章も元は本物だ」
アラキアの言う通り、私はコクヴィ正規軍と交戦するたび最前線で暴れまくり顔を人間たちにしっかりと覚えさせた。彼らは捕虜とするのではなく解放し情報を持ち帰ってもらっている。対してアラキアは遠距離からの狙撃に徹し情報が流出するのを避けた。
その成果たるや、ご丁寧に『反乱軍の悪魔』だとかいう二つ名をプレゼントされたほどだ。
うれしくないプレゼントだ。そう考えると、これもまたいつの間にかつけられていた『双氷』の名はなかなかいいセンスだと思えてくる。
1個中隊を単騎で壊滅させただけ、というPFO時代の領土戦では助っ人のできるソロを名乗るのには最低限必要な戦果をあげただけなのだ。領土戦規模で比べればキングの助っ人としてアスタリアの領土攻撃を行った時の方が激戦だった。あの時は少なくとも50人はプレイヤーがいたのに加え、自動砲台なども合わせれば軽く連隊規模を相手にしただろう。
もっとも、PFOの中では小隊で4から10人、大隊でも25人ほどのレイドパーティー規模。師団までいっても100人ほどだ。
チームの所属人数などの問題からチーム間で同盟を組まない限り滅多に師団規模を相手にすることはなかった。イベント戦でも同様だ。そう考えると私たちの連合は後方待機や戦闘職以外を入れて総数300人、反乱軍の戦闘職もいれると400人近くいるため軍と呼んで差し支えない。
ただこれまで交戦してきた正規軍の総数も5個師団をゆうに超えているはずであり、尚も衰える気配がないところを見ると人的資源、物的資源共に余裕が垣間見える。
そんな中で中隊を1つだけ。それをやった際の反乱軍の面々の反応から私自身の基準が大幅に狂っていることなど明白だったが、今のところ必要ないので自分の基準を修正する気はない。いや、薄々本来の基準に気が付いているとはいえ、それを認めると不本意な二つ名を妥当だとさえ思えてきてしまうため認める気はない。
「それで、ここまでは、というのはどういうことだ?」
「以前、私は安全は保障すると言ったが、それは例の文官と接触したのちのことだ。ヤツならば必ず地下道より街の外へ導いてくれるだろうが、そこに到るまでの命の保証はない」
「つまり、うまく捕まって接触する必要があるってことか」
「……最悪は、だな。うまく交渉出来れば捕虜と客人として受け入れてもらえる可能性はあるが、期待はしないことだ」
要はアラキアの扱いがどうなるかが変わるだけだ。
私の立場は変わらない。仮とはいえ、捕虜という立場になるのは気にくわないが作戦とあらばしょうがない。必要ならばやってやろう。私の性格をよく理解しているアラキアが作戦に関わっている以上、後々うっぷんを晴らす場を用意してくれるはずだ。
「うまくやれ、ってことか。わかった。先に脱出の手段について教えてくれ」
「例の文官による手引きか……または規定時刻になった時点でお前たちには牢を破ってもらう。手段は問わない。邪魔が入らない限り穏やかな地下道観光同然の脱出になるだろうが、後者の場合は楽しい演習といこうではないか」
どちらにせよ反乱軍の一隊は必ず待機させる、とフィロは不穏な笑みを浮かべる。
私の勘が、これは楽しいことになりそうだ、と告げる。
その後、細かい作戦をつめるとのことで部屋から追い出された私はロウカの元を訪れとあるお願いをする。興味津々といった顔でそのお願いを聞いてくれたロウカは至極嬉しそうに反乱軍の待機部屋まで走り去っていった。どうせならと、ユニータを探し出すと連合側にも召集をかける。
ロウカと同じお願いを伝えるとこちらもまた嬉しそうに声をかけまくっていた。
数時間後、集った総勢100人ほどの銃使い達。さらにはご丁寧に反乱軍の砲撃手数組という面面に軽く失神しそうになる。連日の戦闘で疲労困憊、さらには今も戦場に出ている人が多いため集まっても30人程度だろうと思っていた数十分前の自分を呪いたくなってくる。
おかげでいい訓練になった。
その時点では単純に暇すぎる故のお遊びの側面もあったのだが、まさか、あのような形で役に立つとは思ってもいなかった。と、いうのもフィロとの作戦会議を終え私を探しに来たアラキアがそのお遊びを見て緊急脱出案を変更したからだ。




