第77話 悪夢の象徴
深紅の光が岩壁を照らし出す。
鋭い軌跡が描かれた先に待っていたのは華奢な白き剣だった。それを握るのは白い甲冑に覆われた人だ。『彼』の握る二振りの剣とトガの握る剣は絶え間なく攻撃と防御を繰り返す。
人型であり、同時にプレイヤーとほぼ変わりのない大きさだというのに『彼』の繰り出す一撃一撃はすさまじく重いものだった。
トガの背後では未だにダメージ痕の残るリベラリオンのパーティーが身を寄せ合っていた。回復アイテムはすべて使いつくしており、中には状態異常値蓄積による麻痺や毒の状態異常にかかっているプレイヤーもいる。
「どうして……」
弾き合い、大きく距離をとったトガは歯を食いしばる。
そして対峙する相手を真っすぐ見つめた。
記憶の亡霊。
『トガ』たる根源。
「こんな……こんな、幻を見せるなああぁぁ……!」
アーツエフェクトの眩い光を纏った剣がエネミーへ迫る。
白の装甲の下でニヤリと笑ったのは。
『彼』――アラキアだった。
分岐点でドウト達と別れ、ソロで罠が多いだろうと予想していた通路を調べたトガだったが、結局あの通路にあったのは大規模な崩落型トラップと小さな宝箱だけだった。巧みに宝箱の中身は状態異常解除用ポーションだったため有難くいただいておいた。
その後、ドウトのパーティーと合流すべく全速力で引き返したのだが、分岐点からしばらく進んでもドウト達を発見することはできなかった。そのまま進むと今度は同程度の幅の分岐にあたったのだが、そこにも彼らの姿はなかった。
どちらに進めばよいのか分からないほどの大きめの分岐があれば引き返すよう通達したはずだ、と悪態をつきそうになったが、まずは合流することを優先するべきだと追跡を始めた。
ソロで動くことが多いとはいえ、尾行スキルはとってあった。スキルはマックスとまではいかないが、集団に対するおおざっぱな追跡ならばできる程度は習得している。今回は相手も隠れようとしていないため、すぐに彼らの跡は辿れた。
曲がりくねった道は下り坂になっており深部へと向かっていた。
ボス部屋に到る正解の道だ、と確信するころ、トガはある異変に気が付いていた。
深部ほど状態異常の蓄積値が溜まるスピードは早まるというところまでは予想通りだったが、特殊環境下におけるエネミーの強化倍率がそれまで以上に高くなっていたのだ。ソロとはいえ、レエルマージンの十分あるトガでさえ少々手ごたえを感じ始めていた。
だが、それでもドウト達とは合流できていないのだ。
彼らは前線に対応できるレベルであるとはいえ、これまでの戦闘を見る限り彼らだけでは1時間以内に分岐点から現在の地点まで踏破することは厳しい。仮にすぐ前方にいるとすれば足音なり戦闘音なりが聞こえてもおかしくはないが、一向にその気配もなかった。
幸いあれ以上の分岐はなく1本道だったため道を間違えたということはない。尾行もきちんとできていた。
そうしているうちに、セットしておいたタイマーが1時間経過したことを知らせる。
少々耳障りなその音を即座に消すと、薄暗い谷に目を凝らし簡単な魔法を詠唱する。バフのアイコンが点灯したことを確認すると、索敵スキルを全開放し走り出す。地面を蹴るたび周りの景色が高速で流れてゆく。何度も出くわしたエネミーからタゲられるが、追いついてくるものだけの相手をして切り抜ける。
やがて聞こえたのは、悲鳴だった。
一目でボス部屋前の待機スペースだと分かる空間に出るが、トガがスピードを落とすことはなかった。
すでに開いている重厚な扉を潜り抜けると、両剣を二刀状態にし薄暗い中、唯一視認できたプレイヤータグとエネミータグが表示してある間に割り込む。
アラッシュのアーツエフェクトの光で暗闇に浮かびがったのは黒い靄のような影だった。一瞬だけ何かの形に見えたが、それが何なのか判別する前に影はぐにゃりと歪む。
そのまましばらく攻撃をしてくることなく漂っていた影だが、ボスエネミータグが表示されると同時に『ソレ』の形をとった。
白い装甲に覆われた人型。そしてよくよく見知った顔。
トガにとっての悪夢の象徴たる姿を。
あまりの衝撃に息が詰まり吐き気がこみあげてくるが、背後で聞こえた複数の悲鳴に剣をかまえる。
完全に我を取り戻せたわけではなかった。防戦一方になりながら、だがしかし状況を把握しようと強張る口を必死に動かし叫ぶ。
「これは、どういうことだ! 何故、引き返さなかった!?」
コイツは何なのだ、と続けたかったが、それを口に出せるほどの気力はなかった。ダメージを負わないよう動きながら、せめて返事を聞き逃さないようにするので精いっぱいだった。
「……わ、罠だったんだ!」
聞こえた悲鳴まじりの声は反響する。誰の声かを判別している余裕はなかった。
「命令を無視して、チェスターさんとボス部屋前まで来たら……中から、悲鳴が聞こえて! だ、だから。飛び込んだら」
「ソイツが! ボスが! ミノタウロスが……!」
ミノタウロスだと、と目の前の敵を再度見てみるが、どう見ても自らの見ているモノは変わらない。撃ち込まれた一打をアーツで相殺し弾く。
「違う! 死神だ! 死霊エネミーだ! あの鎌が見えないのか!?」
「何言ってる!? どう見てもプレイヤーだろ!? 見たこともない……高レアリティの装備で……!」
「だ、大蛇……じゃ、ない、のか……? 虹色の、鱗をした……」
聞こえる様々な名称に、各々見えているモノが違うのだと判断はできた。見ている姿が本物でないことも、理解はできた。
だが、身体が動くかは別だ。
(私は、私には……)
たとえ幻であったとしても、彼に剣を向けることは。
「……でき、ない」
上げかけた剣先が下がる。
勢いよく薙がれた白い華奢な剣をバックステップで避ける。
「お前達、よく聞け」
辛うじて声を絞り出す。声が震えないように話すことさえ集中しないとできない。
「私が戦っているうちに、脱出しろ。一人残らず、だ」
幸い取り巻きもおらず、広範囲攻撃も今のところ見当たらない。タゲもとりやすいため、1人でも支えられるだろう。ボスはボス部屋からは出られないはずのため、うまくいけばトガも逃げ切れる可能性はある。
最悪死んでも、被害は1人に抑えられる。
その言葉への返事は正反対の言葉だった。
「……その必要はねぇ」
「馬鹿を言うな! ここで1つ光を失うのが正しいとでも!? 無駄死にする気なのか!?」
「そうじゃない。もうすぐ救援が来るはずなんだよ。あんたもすれ違ったはずだろ?」
聞こえていた緊迫した声に比べて妙に落ち着いた声に、背筋に冷たいモノが走る。
「何を……言って……」
「何、って、チェスターさんが助けを呼びにいったからアンタが来てくれたんだろ? もうそろそろ後続部隊が来てくれるはずだ」
「チェスター、だと? 待て、今ここには何人いる?」
こちらへ来たのはドウトのパーティーだけのはずだ。だが、その当の本人から出たチェスターという名、そして2つのパーティーがいるにしては少なすぎる声に焦燥感に駆られていた。
その足取りが一瞬遅くなった隙に、重い一撃がトガを捉える。
ダメージ痕が刻まれるのと共にHPバーが急速に減少する。
「来るな! いいから、答えろ! 何人いる!?」
「ドウト班がリーダー含め10人全員だ」
「チェスター以外のヤツのパーティーメンバーはどこにいった!?」
「それは、ここに来る前の分岐より前で全員、殺された……って」
「……っ!?」
何故そこで引き返すなり待機するなりしなかったのか、と責めることはできる。だが、ここで感情的になっても何の解決にもならない。それに、これはドウトのパーティーではなくチェスターの問題だ。
最終的にそのチェスターの提案を受けるなり、そのチェスターに提案するなりしてここまできたのだとしても、責任の大半はパーティーリーダー、ひいては彼らを監督しきれなかった自分にある。
ほんの少し冷静さを取り戻したトガは足を止めることなく告げる。
「いいか、援軍は来ないだろう。チェスターは援軍を呼びにいったんじゃない。逃げたんだ。……私は彼とはすれ違っていないし、メッセージももらっていない」
「そ、そんなことは……!」
「現実を受け入れろ! あの男は貴様の信頼を裏切った! 今、貴様がすべきは仲間の命を守ることだ。仮に私が彼の名誉を汚したとあらば、どんな処罰でも受け入れよう。総員、今すぐ脱出しろ! アイテムは出し惜しみするな!」
しばらくの沈黙ののち、ドウトはパーティーメンバーに向けてボス部屋の入口を指さし合図する。パラパラと待機スペースを目指して移動する人影の最後尾にドウトが続く。
それを横目にトガは入口とは反対方向へと避ける方向を切り替え始めた。
数人が脱出し、ドウトを含め片手未満になった時だった。
小さな「あ……」という悲鳴をあげ、部屋の中に残っていた4人が床に倒れ込む。その身体の周りには黄色いスパークが散っていた。麻痺の状態異常だ。地面に倒れ込みつつも手だけはなんとか動くようだが、アイテムポーチに腕を伸ばすその動きはなんとも純重だ。
亡者の煉獄という状態異常値蓄積の特殊環境において、値を下げるためのポーションを飲まなかったことによる状態異常の発現だ。
トガにもその光景は見えていたが、駆けよれば彼らが攻撃に巻き込まれる可能性が出てしまう。彼らが自力でポーションを飲んでくれるのを待つしかないが、彼らの手がアイテムポーチに届いた瞬間の表情で唯一の希望も消え去ったことを悟る。すでにポーションを切らしているのだ。
鋭い突き攻撃がトガの手元を捉え剣が宙を跳ぶ。だが、宙に放物線を描いたのは剣だけではなかった。ポーションの小瓶が4本、澄んだ音をたててドウト達の側に落下する。
これで、トガの方のポーションも全て無くなる。だが、ほんの少し状態異常値の蓄積量に余裕はあった。投げるために開かれた左手に白い軌跡が迫る。
ズバッという鋭い音が聞こえ、不快な衝撃に襲われる。HPバーも半分を下回り注意色へと変わる。
「……すぅ」
そんな状況に陥っても、落ち着いた様子でゆっくりと息を吸いこんだトガは剣を握り直し、目の前の影を見つめた。
ピタリと心臓に向けて構えられた剣が淡い光を帯びる。
だが、剣先が小刻みに震えはじめ光が消えてゆく。
「……うっ」
小さく嗚咽を漏らした口元が歪み、浅い呼吸を繰り返す。
「……どうして」
相手が重心を低くしたのを見て剣を大きく引く。刀身が赤い光に包まれ、次の瞬間、白い光と激突する。
重い攻撃を弾くためのアーツは発動できても、その身体にダメージを与えるためのアーツは発動できない。
幻だと分かっている。偽物だと分かっているにも関わらず、剣を向けることのできない自分がいる。
「こんな……こんな、幻を見せるなああぁぁ……!」
そんな防戦を数分繰り返しているうちに部屋の中に見られるプレイヤーの反応は残り3つとなっていた。まだ回復していないパーティーメンバーを待つことにしたらしいドウトとそのパーティーメンバー、トガだけだ。
だが、全員が麻痺状態から回復したにも関わらずドウトが走ったのはトガの方だった。直前にドウトから何かを言われていたパーティーメンバーは待機スペースにたどり着くなり支給されていた転移アイテムを使い姿を消した。
ドウトは小振りな盾とシミターを手に突進してくる。
シミターがアーツエフェクトの光に包まれ素早い3連続攻撃がエネミーにヒットする。
「……何を、している……貴様」
初めて入った攻撃にエネミーのHPバーがわずかながら減少する。
「アンタの言う通り、仲間は守った。けど、その後まで素直に従うっていうのは俺の信条に反するっていうんだ」
「………」
「まだ、死ぬわけじゃねぇ! ただの、意地っ張りでも! 一発ぐらい入れねぇと、この気持ちが収まらないっていってんだよ!」
さらに『アラキア』にダメージ痕が刻まれる。
トガの動きは完全に止まっていた。
左手を落とされたことによる出血の状態異常でHPが減少し3割の危険域を下回った警告も、ましてやドウトの言葉さえも耳には届いていなかった。
「……あ……あぁ」
『彼』に剣を向けるのか?
いや、エネミーは倒すべきだ。敵だ。
『彼』を傷つけたのは誰だ?
味方だ。敵じゃない。エネミーは倒さねばいけない。守らなくては。
『彼』は目の前にいるのに。
ヤツは幻だ。外見をまねた悪趣味な夢だ。
『彼』は、いや、ヤツは。『彼』は、『彼』は……。
「……っぁあ」
剣が手から落ちる。
「……おい? トガさ……!?」
頭を抱え膝をついたトガの姿にドウトは言葉を失う。原因はもう1つあった。
白い剣が光を纏いながらドウトの腹を深々と斬り裂いたのだった。すでに3割を下回っていたHPが1ドットも残すことなく消え去る。
「………」
ドウトは、悔しそうに顔をゆがめ最後に何か口走り白い炎に包まれ消えた。やがてその白い炎は人型に戻ることなくその場から消え去る。
まもなくしてタゲはトガへと移った。
ゆったりとした動きでトガへと歩み寄った白い影は己を見上げる人影へと向かって剣を振り上げる。
「……アラ、キア」
虚ろな瞳に白い影がうつりこむ。
そして、顔が伏せられあらわになった首筋に向けて、剣は振り下ろされた。
薄暗がりに純白の炎が燃え上がった。




