第72話 人の招きし災厄
人間は、罪を犯した。
自らの手で終末を招く災厄を生み出した。
強き力を求めたため。願いを叶える力を求めたため。自らの存在を肯定するため。あるいは、自分ではない誰かのため。
誰も、それが災厄だと思わずに。
誰も、それが終末を招くモノだとは思わずに。
「誰も、それが自らのあるいは誰かの罪となるとは思わずにソレを望んだ」
人々が過ちに気が付いたのは、その矛先が自らへと向いた時だった。矛先が己へと向きさえしなければ気がつかなかった。
言葉だけでは届かなかった。
そうしてソレは。【災厄】は顕現した。
人が気づいたのはいつだっただろうか。
少なくとも手遅れではあった。
「それを女神は嘆いた。嘆き、……手を差し伸べた」
PFOプログラムによって精密に再現され魂に流し込まれるこまれる気配、空気がその一言でガラリと変わる。ただの薄暗い廃墟の一室に並々ならぬ緊張した空気、いや、背筋が伸びるような引き込まれるような雰囲気だ。こうして思考することも放棄して目の前の光景にくぎ付けになってしまいそうなほどだった。
フィロの声音も、これまで聞いたことのないような、声で。
指先が炎を撫でると部屋が青色に染め上がる。真っ青な炎が視界を満たす。
振り向いたフィロは迎え入れるようにゆっくりと両手を広げる。表情は影に沈みこちらからではもはや視認できなかった。
「不戦の誓い、すなわち我らの安寧。女神の祈り。我らはここに再度誓いをたてる」
その言葉と共にフィロは黄金の短剣を手に取る。誰かへ差し出すかのように鞘の方を両手で包むと、燭台を置いた台へ向かいひときわ激しく燃え上がった炎ギリギリまで近づける。
掲げられた短剣の輪郭は陽炎に飲まれたようにおぼろげだった。
「自らの罪を認めあなたへの忠誠と誓いの厳守をここに誓うものである。願わくば、この誓いの言葉が聞き届けられんことを」
素早く振られた手が炎をかき消す。
何かの爆発をも思わせるバン、という音に極度の集中状態が解かれ息をのむ。
(一体……これは……)
儀式自体に興味はあり集中する要素はあった。だが、それだけではない。これには人を引き込む何かがある。魅せられ心奪われる何かが。
これが仮想現実だからまだよかったのかもしれない。そして、力へ対するある程度の抵抗力のある私たちだから正気に戻れた。
ただの儀式ではない。表面上は女神への祈りという形をとっているが、心を、魂をとらえかねない術式だ。
「………」
静かに私たちを見下ろしたフィロはアラキアの前に屈むと顔の目の前で指を鳴らす。
「……っ!」
驚き、飛び退こうとしたのかその腰がほんの少し浮くが背もたれによって阻まれる。
「な、なんだ? 僕は、一体……」
「驚いた。普通ならばここまで早く自我を取り戻せるものではないのだがな。いや、解いてすぐ戻せることよりも、自力で解くことができる……いや、弾いたというべきか。その方が、驚きだ。……これが異界の民と我々との違いなのか」
道具をすべて箱へ戻したフィロはもともと座っていた席へ戻ると落ち着いた様子でそういった。
「どういうことか、説明してもらえる? 本気で術式に捕らえようとしたのか、どうか」
「こればかりは実際に見てもらわないと分からんだろうと思ってな。少々手荒な真似だったという自覚はあるが。……だが、これは本来の様式とは違うものなのだ」
「本来の様式とは違うもの?」
「ああ。本来人の心とは自由であるべきだ。女神も不戦の誓いを我らに与えはしたが、それは強要するようなものではなく我々が平和を望んだがゆえに与えられたモノだ。法とは違い破ろうとも罰はない。よって今の我々のように女神を敬いながらも自らの心に従い誓いを破る者もいる」
次の言葉はすでに予感していたものだった。
「かの王によって様式は変えられたのだ」
かの王、すなわち天上王ナハイラ。ハイエルフの現王。
私たちが倒さねばならない最後の敵であり、このゲームのゲームマスター。
「……っ!」
これまで聞いてきた情報と先程の事象にある可能性にいきあたる。
あまりの衝撃と恐怖に吐き気がこみあげてくる。
ガライアはクレアレアを使い私たちが魂と呼ぶものに接続して稼働している。その設計は結城がすべて行っている。その周辺機器の設計もソフトウェアの開発も全て基礎設計は結城が、それ以外も大旅団内で組織された部署が行っている。
これはひとえに技術漏出を恐れたからではない。
その力の本質が災厄へとつながるモノだからだ。外部への委託を避けたのにはもう1つ理由がある。
クレアレアを力として扱える人間が限られているからだ。この奇跡とも魔法とのとれる力は扱える人間でなければ原理を理解することは難しい。理論は存在するが、それを説明したところで現代の科学技術はもちろん、地球上の法則に当てはまらないものも多々ある。これらは実際に目の当たりにしなければ受け入れることも難しい。力を扱えないものでは理解できないのだ。
逆に言うと、これらの技術を扱える人間は多少なりともクレアレアを扱えるということになる。
クレアレアを用いたシステムを悪用した、という点ですでに少なくともトゥルーエ以上の能力者だとは確定していた。だが、トゥルーエではあそこまでの術式構造は『理解』できない。
結城からゲームマスター権限を奪いこのゲームをデスゲームとした天上王ナハイラは、イスクだ。そして大旅団の内情に詳しいどころか、確実に内部のそれも技術に精通している人間だ。その腕は結城とほぼ同等。
そんな人間は今の私では思い浮かばないが、あちらでの成り行きによっては私たちのすぐそばまで近づける可能性すらある。手間のかかるこちらからではなく、あちらから殺すこともできるだろう。
本部でもっともセキュリティの厳しい部屋の1つである医療部で保護されているとはいえ、そこに入る許可を持っているならば。
指1本動かせず、あちらへの連絡手段のない私たちではどうしようもない。アストレとカスト、あや、芦部あたりが常駐しているだろうが、ガライアを外すというのはほんの一瞬だ。
眷属である深川兄弟とイスクであるあやはある程度の耐性があるだろうが、トゥルーエでもない芦部看護師は先程の術式に一瞬にしてかかるだろう。術式に捕らえるのは一瞬だけでいい。指が、チョーカーの解放トリガーを強く引くその一瞬だけで。
それくらいならば、あの術を理解し生み出せるイスクになら可能だ。
「………」
先程の術式はナハイラが意図したものではない。あれは接続に使われているクレアレアを用いて疑似的に再現されたものだ。あくまでこの世界の魔法の一部としての術だ。
魔法の廃されたエリアにおいてそのような術式があることは異様である。シナリオに組み込み、プレイヤーに対する異変の報告という形をとることは可能だ。
どうにか気を落ち着けるとフィロへ向き直る。
「……変えられた、というのはこんな術は仕込まれていなかったってことだよね」
「ああ、その通りだ。とは言っても言動に変更点はない。変えられたというのはそう通達があったからそうだと分かっているということだ。……快く思わないという意味でな」
純粋な信仰心を洗脳に近い術式でゆがめられては、彼もいくら神と呼ばれる種族からの通達とはいえ納得できないだろう。
「ひとまずこの話は終わりにするとしよう。いい機会だと思い話したが、知りたいこととは違っただろうからな。本題へ戻そう」
「う、うん……」
クロノスの力を存分に引き出せるとしたら、彼が次の言葉を口に出すまでの数秒までの間に加減速を行い先ほどまでの情報を考え直す時間にあてただろうが、生憎ここでは十分な時間をとることはできない。終わってからアラキアと話し合うべき事柄として頭の隅に留めると、彼の話に耳を傾ける。
終末戦争の伝承にもみられるようにハイエルフは極めて高い魔法技術を擁する種族である。その力は異世界から旅人を召喚することもできる。その召喚された旅人がプレイヤーである。
召喚される条件はないため神の気まぐれとも呼ばれるが、こちらからすればログインするかしないかということになる。ハイエルフに召喚された異世界人というのがプレイヤーの立ち位置となるらしい。この世界の常識からすれば多少変な言動をしても受け入れられていたのには、そういう設定があったというわけだ。
では、何故召喚するかと問われれば異世界の民による領土統括と拡大だ。モールス大陸ではエリアごとに有力な種族による統括ができているが、エイムス大陸では一部の大都市を除き統治されているとは言い難い。
領主ひいては未来の王候補としての召喚者なのだ。傍観者としてハイエルフが過程を楽しむという意味合いもあるという。長寿である彼らは等倍速で進む壮大な建国史を楽しんでいるということだ。
歴史上の所作や力関係から上位種族として自らの存在を捉えるハイエルフにとって召喚者といえども自らに歯向かうことなど考えはしていない。それどころか加護と召喚者として選んだことによる恩義により崇拝されるべきだと考えている一派もいるという。森林エリアのエリアボスであったハイエルフが私たちのことを口汚く下級種族とののしっていたのもそのような一派がいるのであれば理解できる。おおよそ、フィティリス派というよりは現王であるナハイラ派に傾いている一派だったのだろう。
同じハイエルフといえども女神フィティリスはその他種族を見下すハイエルフの枠には入らない。彼女は終末戦争を収めたのち姿を消したが、それより前にどの種族にも優劣はないと明言しているからだ。
どこに行っても派閥争いばかり、と頭が痛くなってくる。
召喚者の存在は各種族の伝承や神話の中にも出てくる。どれも歓迎するべきものとして記されているが、その中でもフィロが知る人間の言い伝えはおもしろいものだった。
「ハイエルフを心棒する人間の間では裏伝承と呼ばれる非正規の伝承の1つに召喚者による救世の伝承がある。おおよそ予言に近いようなものだが、今の我々にとっては希望でもある伝承だ」
ありがちな救世伝承だが、一般には知らされていない荒廃エリアの邪神ことアルマゲドンの話がでてくるのだ。異世界からの召喚者がアルマゲドンを破壊し、さらには女神フィティリスの再降臨という奇跡を起こすという内容としてはあたりさわりのないモノだ。
確かに反乱軍にとっては願ってもいない伝承だ。
「とはいいつつも、具体的な方法も状況も裏伝承というモノ故に抜け落ちてしまっているのだがな。そもそも我々の目的はアルマゲドンの起動阻止と政権奪取であり破壊と女神の再降臨というわけではない。伝承は伝承として信じておくということになるだろうが」
「へぇ……」
「まあ、現状話して面白いと思えるものはこれくらいだろうか」
正式な礼拝様式から成り立ち、伝承と続いて大枠は捉えられた。追加で頼んだ軽食もすっかり空になっていた。
いつもならば聞いた情報を整理し直して気になる点を質問攻めにしたいところだが、今は違う事柄で思考の大部分を占められてしまっている。だが、ここで聞かなければ答えを得られないものもあるだろう。
無理矢理思考の方向転換をすると、唯一気になっていたことを口に出す。
「どの種族も女神フィティリスの再降臨っていってるけど、ソレが起きたらどうなるの? 待ちわびているってことはいいことなんだよね?」
「……さてね」
フィロにしては長い沈黙のあと呟かれた言葉はどこか憂いを帯びていた。どうしてそんな顔をするのだろう、と不思議に思っているとフィロは黄金の短剣を手に語りだした。
「女神フィティリスの再降臨……それは、再び世界が戦火に包まれるということだ。女神フィティリスは争いを嫌い不戦の誓いをもたらした。儀式で何故その不戦の誓いがもたらされた時を再現するのかと問われれば、それは戒めではなく女神の降臨を象徴するものだからだ」
「降臨の象徴……?」
「女神の降臨は破滅の阻止。滅びの阻止だ。すなわち降臨とは破滅へ突き進む我々への救いだ。……それが為されるということは終末戦争並の厄災が起きるということだ。多くの人命が失われ多くの人が傷つく。その先にある救いは悲願ではあるが、果たしてそこへ至る過程は願うべきものなのか……と問われれば、否。しかし……我らの求めるモノは……」
深いため息が漏れる。
「過去、この問いに答えを出そうとした者はことごとく狂っていった。救いを願えば破滅が、しかし願わねば信念が……皆、巨大な螺旋に捕らえられ抜け出せなくなったのだ」
「……それは」
私も同じような問いを知っている。
汚灰で狂ったトルムアは殺さねば害をなす存在だが、元は普通の生き物だ。それだけでなく剣を命あるものに向けるという行為自体、守るためという理由と大きな矛盾をはらんでいる。
そこに正解はない。
割り切ったはずの問いかけは再び私を捕えようとしていた。




