第69話 忠義の弓
木漏れ日が降り注ぐ中、私は手を結び歩く。
その速度はとてもゆったりとしたものだったが、私と彼女の歩幅ではその方があっていた。その時だけは心にも、身体にも、どちらにも安らぎがあった。私は、変えようのない現実を、忘れられる気がした。
この心地よい時間をいつまでも過ごしていたい。
いつまでも。
「ねぇ、アルマ」
柔らかな声が耳に届き、頬に温かな体温を感じる。
その熱は頬から頭へ移り優しく往復する。
「アルマ」
うっすらを目を開くと見えたのはユーリの顔だった。
しっかりと閉めて寝たはずの寝袋は開いてはだけていた。きれいにめくりあげられているその状態から見て私の寝相が悪かったわけではなく、誰かが意図的に開けたものだ。そもそもこの世界の寝袋は人為的に開け閉めすることしかできない。何かの拍子に開くということはないのだ。
そんなことをしたと思えるのは今、視界には1人しかいない。安全だろうとロックをかけていなかったのは失態だ。
起き上がろうとして、右手を握られ反対の手は頭に伸びていることに気が付いた。何か夢を見ていた気がするが、もしかしたら彼女が起こそうとして触ったのを夢と勘違いしてしまったのだろうか。
「……どうしたの、ユーリ。手をどけてくれないと起きれないよ」
「大丈夫?」
「何が? 何も変なことは……」
そこまで言っていつもより視界がぼんやりとしていることに気が付く。軽く頭を傾けると頬を流れる温かな水の経路が変わる。
「……なん、で……ボク、泣いて、なんか」
戸惑いながらゆっくりと起き上がる。
何か悲しいと思ったり怖いと思ったりしているわけではない。だが、涙はとまらなかった。
クレアレアで繋がるこの世界では、感情は隠しきれない。些細なものが率直に表現されることが多い。だとしたら、私のこの涙は一体何なのだろうか。何を表しているのだろうか。
「うーん、そっか」
突如、すっぽりと腕で優しく身体を包み込まれる。力強いわけでもないのに、とても安心感のある抱擁だった。
「……よしよし。がんばったね」
そのまま撫でられると安心するとともに、どこからか哀愁に似た感情が沸き上がってくる。
(どうして……)
現実世界のPRキャラクター『ユーリ』はどちらかというと年下の女の子といった雰囲気で、そのアイドルとしての小悪魔っぷりに翻弄されることも多かった。こうして安心感を与えてくれるようなキャラクターではなかった。
他に抱擁された記憶と言えば、ユニータの力強い抱擁とアラキアの抱え込むような抱擁だが、それと今感じている懐かしさは異なる。両親への感情ともどこか異なる。
そうしているうちに涙は止まり、私はその心地よい空間に身を任せていた。
結局何故泣いていたのかも、何故懐かしかったのかも分からないまま朝食をとりに行ったが、そこで意外な言葉をかけられたのだった。私の姿を見るや否や足早に近づいてきたトガは足元から頭のてっぺんまでマジマジと見渡したのち、満足げにこう言ったのだった。
「負が軽くなっているな」
「え?」
「アラキアと共に居れなくて悪化するかと思っていたが。……何があった?」
その目が私の隣にたたずむユーリへと向けられる。だが、それだけだった。話しかけることもせず、私のように呆然とすることもない。トガはPRキャラクター『ユーリ』をほぼ知らないためか、その容姿に疑問を持つことはなかったようだ。
しかし、彼女と目が合った瞬間、微かに目が細められるのを見た。
どこかいかぶしげな視線だった。ユーリに対して、というよりは自身に対してのようなモノに見えたが真意は聞きそびれてしまった。
「まあ、何にせよヒトにとってはいいことだが……。喰ったわけでもないのにな。……そうだ、アルマ。フィロが遊撃部隊として思いっきり暴れてほしいと言っていた。どんどん戦果を上げてほしいそうだ」
「わかった」
「それと、数日中に向こうの拠点からの移動部隊が来るらしい。受け入れの準備と護衛に人員を割くからこれまで以上に働いてくれ、って話だ。私も護衛として往復することになった。数日はいないが、前のように単独行動というわけではない。いいな」
本当はこのエリアを探索したくてウズウズしているくせに、とは言えなかった。確かにそれも本心だが、からかっていいことではない。彼女は事の重大さを理解しつつも、新しいまだ見ぬ未来を楽しんでいる。その希望はとても羨ましい。
彼女のように物事をとらえられれば、見える景色も違うだろう。
だが、その背景に何があったのかを知らないわけではない。耐え難い絶望の上に築かれた希望なのだ。
「……気を付けてね、トガ」
「ふん、私を誰だと思っている。実力は十分知っているだろう。……それとも、また一戦交えないと覚えていないなどとぬかすなよ?」
「冗談はよしてよ。二度と本気では戦いたくないね」
こうして見送ったその姿を再び見るまでの数日間、私はただひたすらに剣を振るい続けた。敵から捕捉されない位置から狙撃し私を援護してくれるアラキアや同じ遊撃部隊としてマルティーニ周辺を歩くガルドグルフのチームや時にはリベラリオンとも協力しながら周囲の安全と確保していった。
昼はそうして過ごし、夜はマオやイアン達から集まった情報を提供してもらったりレクトルから荒廃エリア独自のエネミーやギミックについて教えてもらったりしていた。
そして数日後、人数を増やして戻ってきたフィロの一団を迎え入れるとマルティーニの拠点は一気ににぎやかになった。特に工房ごとこちらへ越してきた職人の一団にミーナがいたことが大きい。彼女は到着早々大きな工具箱を手にマルティーニの拠点中を走り回ると整備途中だった施設や用途不明だった機械を修理し一気にライフラインを整えていったのだった。
そして彼女が到着したことによりロウカの暴走を止められる人員が確保できたともいう。約束通り私にはせがまなくなったものの、ユーリやマオ、リッカ、カイという恋人のいるクレア、挙句の果てにフィデという婚約者のいるユニータにまでキスをねだったという噂が届いていた。何故かトガの元には近づかなかったというが、それはトガの方から避けているからだろう。彼女は単独行動が多かったこともあってか、あまり人と関わるという行動をしない。
彼女の気持ちも分からなくはない。私もできることならば人付き合いは避けたいと思ってしまうからだ。
翌日も出撃の準備をしているとフィロから呼び出しがあった。
「急にすまない。コクヴィの件についてだが大分考えがまとまってな。……それに、話しておかねばならんこともある」
集められた人員は通常の作戦会議より大幅に少なかった。拠点内にいるはずのロウカとミーナの姿はなく、こちらも呼び出しを受けたのは私とアラキアのみだった。
「ずいぶんと人が少ないようだが」
アラキアの言葉に頷いたフィロは、とりあえず、と私たちに座るように促した。私たちとフィロの間に置かれた机には軽食が用意されており、この呼び出しがそれなりの時間をとるものだということに勘付く。
「はじめるとするか。まず、持っていってもらう手土産だが、反乱軍の拠点間の偽書簡が1つ」
差し出された羊皮紙をアラキアが受け取り内容を確認してから自らのアイテムストレージへ格納する。
「そして、……彼女だ」
「?」
「ふざけるなよ!」
緑の双眸に見据えられるが状況が理解できない。ただ、隣で勢いよくアラキアが立ち上がり叫んだため、何か彼の逆鱗に触れてしまうことだとは分かる。
手を伸ばし彼の服の裾を掴み軽く引っ張る。
「アラキア、待って。最後まで話を聞こう。フィロにも考えがあるはずだから」
そっと、だが冷静な声でもう一言付けたす。『ボク』としてではなく『私』として。
「物事を冷静に見極め、私情を挟むべからず……」
「………」
しぶしぶ腰をおろすが、その瞳はいつになく警戒の色をうつしていた。
一方のフィロはそんなアラキアの声にも様子にも動じる様子はなくただ静かにそこに座っているだけだった。肝が据わっているのか、はたまたAIとしての処理が追い付いていないのか、どちらなのかは判断しようがない。
続きを促し、話し始めた言葉も淡々としていた。
「まず、私自身を土産とする手だが即刻処刑され終わりだろう。他の反乱軍メンバーではどうかと考えたが、顔を知られている人間はいない。あちらにとって脅威ではないという判断だ。それでは効果は薄い」
「………」
「最近加わった脅威として目立ち且つ奴らにとって調べようのあるモノ……そう、彼女ならば即刻処刑ということはなく、高官どもを引きずり出せる……という考えだ。ハイダーも興味を示すだろう。そうなれば、彼の耳に届くのも必須。むろん、脱出の手筈は整える」
つまりはわざと捕まれということなのだろうか。
アラキアを見上げるが、彼は黙ったままだった。
「……潜入作戦の概要はすでにあちらには伝達済みだ。それらしき動きがあれば彼が見落とすことはないだろう。あとは、相応の人員で実行するのみだ」
「本当に安全だと……?」
「その点は確約しよう。むろん危険がないわけではないが、君たち2人の腕をもってすればな」
「魔法ありきでこの作戦を考えている、ということなの?」
素のステータスもほんの少し高いがそれでもその差は埋まりつつある。他に差があるとすれば、イスクであるが故のアーツの反動無視とオリジナルアーツ、そしてアンチ武器という反則級の武器のみだ。
その中でもアンチ武器による差は埋めようがない。かなりの制限はかけられているが、うまく使えば圧倒できる。
荒廃エリア人との大きな違いは魔法の技術の有無。私自身、魔法が得意なわけではないが使えないわけではない。魔法のない、いうなれば旧世界の銃相手に後れを取ることはあまりないだろう。
「アルマを選んだ理由は分かった。確かに、適任だ。……だが、すぐに了承することはできない。考えさせてくれ」
「いいだろう。……ならば、次の話へ移ろう。長くなるが、話しておかねばならんことだ」
ほとんど表情を崩さないフィロの瞳がほんの少しふせられる。
頷くと、珍しく口元に笑みのような表情が浮かんだ。そして言葉が紡がれる。
「遠い昔、終末戦争で人間を亜人、獣人に並ぶ三大勢力足らしめた理由は圧倒的な数だ。だが、現在その数は他の種族と比較すれば多いとはいえ、かつての繁栄は全て灰燼に帰した。自ら捨て去ったとはいえ、魔法の技術を失い科学のみに頼った我々は、魔法への対抗手段も失われれて久しい。魔法を使われれば、なんの反抗もできぬまま殲滅されるのがおちだろう。……それゆえに、私もこの弓を託されたのかもしれん」
目の前の机に置かれた弓はフィロの愛弓であるリエネクトサルースという名の弓だった。フィロはいかなる時も肌身離さず己の弓を持ち歩いている。
その弓には明らかに魔法の技術が用いられている。確か、ロウカとミーナの話では魔導弓という話だった。エルフ特有の見え方だろうが、集中するとその白い弓はうっすらと魔力を帯びている。荒廃エリアでは失われた魔法の技術が使われている旧世界の遺物、それもこちらで例えるならばアンチ武器並の珍しさをほこるものだろう。
彼はそれを先代の長ベルクトから下賜されたと言われていた。
「聞いてはいるだろうが、この魔導弓は下賜されたものだ。この魔導弓リエネクトサルースは廃魔都市コクヴィに残された数少ない魔法技術製品の1つだった。私が、ベルクト様に人一倍目をかけられていたことは認めよう。だが、それだけで私にこの弓を与えることはないと断じていえる。理由があったのだ」
「………」
「私が反乱軍を結成した理由は、ハイダーの圧政から人々を救うためではない。託されたのだ。コクヴィの人々の……ひいては世界の命運を」
「世界の、命運?」
いきなり大きな話になった、と身構える。
ふと、あることに思い当たり彼から見えないところでそっとメニューを開くと久々にグランドクエストのログを開いてみる。一気に書き込みがなされ文字の羅列がスクロールされてゆく中、最後に書き足されたタイトルに目がひかれる。
(……グランドクエストエピソード……『封じられし邪神』)
視線の目の前の男へ移すとはっきりとクエストフラグのマークが見えた。
「聞いてくれるか。愚かな男が託された使命と故に失った過去を。何故、我々が女神との誓いを破ってまで戦いの道を選んだのかを」




