第16話 準備完了
機嫌のよい鼻歌が聞こえてくる。
隣でホログラムウィンドウを操作する結城の鼻歌はガラスを隔てた向こう側から聞こえるメロディーとぴったり合っている。
いつもとは違い今日の『公務』はとても楽しみにしていた。ユーリのライブを見に来るというものだ。
個人的にも興味があったため聖王として職務の一環で見れることになるとは思ってもいなかったのだ。一般客の中に混ざるわけにもいかずこうして少し離れた場所からだが音響設備や映像は逆によいもので不満はない。
残念なことにアラキアは別の公務が入ったらしく来れていない。予定が分かったときの落ち込みようはすごいものだった。
アンコールを終えてステージ上からユーリは姿を消す。
岐路につく観客たちを見下ろしていると、一度切ったはずのガライアが再起動する。
レンズをおろすと私の目の前にはユーリが立っていた。おろさなくとも大旅団の施設内ならARモードは作動するが、未だにこういう外部施設では普及していない。
ときどき大旅団の進みすぎた技術に慣れ切った自分に不安を感じる。
「……どうしました?」
「もう、誰もいないんだからいいじゃん。他人行儀だなぁ」
「そうは言っても、まだ公務中だ。わかるだろう」
「はぁい」
学習が進みライブ以外でもかなり自然な立ち振る舞いができるようになったユーリは時々こうして私の前に姿を現すことがある。さらに学習しようとしているのだろうが、私の中で彼女がAIだという認識は薄れつつある。
「……初ライブはどうだった」
「すっごい楽しかったよ。私の夢が1つ叶ったんだから。これからも、もっともっとみんなに笑顔を届けたいな」
「そうか。それはよかった」
笑顔を浮かべたユーリは手を振ると姿を消す。
空間の制限がない彼女はいきなり現れては気まぐれに消えるため最初は驚き戸惑ったものだ。
「レクトル、大成功だな」
「ええ。ここまで盛り上がるとは予想していませんでしたが」
「いいことだ。彼女もああ言っているのだし、次も企画してあげるといい」
新たな収入源となる、とかいう野暮な言葉は口にしないでおく。汚灰の計画内での収支はかなりの赤字だ。そんなことを考えていられなかったというのはあるが、今後のことを考えていくのならば必要になる。
(それでも……まあ、国家予算なんて比じゃないくらいなんだけどな……)
軽く数か国分はあるだろう。
この立場となって叩き込まれた知識は多い。これまでまじめに社会系科目を学んでこなかったつけだろう。講師がカストでかみ砕きつつ教えてくれたため比較的スムーズに習得できたがそれでも苦労したことに変わりはない。
「さて、レクトル。私たちも戻るぞ」
ユーリの初ライブが無事成功し終わったことで世間の注目は再びVR:PFOに集まりつつある。
正式サービス開始は11月11日午後15時。今から約1か月後となる。
ソフトの発売は正式サービス開始日1週間前を予定しているが、すでに予約分は終了済み。当日販売分の1万本を全世界の人々が狙っている状態だ。
ネット上ではデマが飛び交うが大旅団の通常業務に支障がないもの以外は、ゲームを楽しむという面からみてあえて訂正をいれないている。予測するのも楽しみの1つだというのが運営の意向だ。
「……βテスト?」
首を傾げた私に結城は頷く。
βテストならば私やアラキアなど大旅団内で行ったではないか。そしてそれでバグなどを解決したのちにソフトとして製品化している。出荷分の15万本はすでに倉庫に用意されている。
すでに製品化したものに対してβテストだと、と。
「あくまでイスク……戦いになれた者たちから見てのシステム実装で問題ないと判断しただけだ。一般人には高難易度やもしれん」
「うーん」
「それに、あくまでソフト自体はアクセス権のようなものだ。本体はこちらのサーバなのだから今からでも修正はできるのだよ。それに、オンラインゲームというのはサービス開始後の修正があってこそだろう?」
「まあ、やることには賛成だけど……絶対応募がすごい数になると思うんだけど?」
PFOの時点でプレイヤー数は軽く100万人を超えていた。異なるメールアドレスを用いても1人につき1アカウントのみしか作れなかったためそれだけの人がいると考えられる。
そこに完全没入型VRMMORPGということで新規プレイヤー数を足すととんでもない数になるのは明らかだ。
ガライアの普及割合もVR:PFOが発表されたことにより急激に増加している。
「それに関しては抽選なりなんなりどうにかするさ。……対象者はそうだな、1万人といったところでどうかね?」
「もしかして、当日販売分の優先購入権を付ける気?」
「元よりそのつもりだ。私は無駄が嫌いでな。早朝より並んで買えぬというのは時間の無駄だと思わんかね? ならば事前に決めてしまったほうがいい。順次追加分は用意するのだしな」
「……結構反発でそうだけど、まあ……いいんじゃない?」
「むろん、君たちも招待しよう。アバターデータの変更も行わねばな」
今の私のアバターデータはPFO時代のモノのままだ。そしてそれは完全展開姿と同じもの。
そのままVR:PFOで使うわけにはいかない。
容姿はともかく、装備を変えようというのだ。私も無駄に目立ちたくはないし、ゲームを純粋に楽しみたいためその配慮には感謝している。
もちろん防具や武器の性能は従来のパラメータを引き継ぐよう設定され、元のデータも保持される。
ホログラムウィンドウの中に映し出されたアバターデータを見て私は満足し完了ボタンを押す。これで反映されたはずだ。
白を基調としていることは変わらず、しかしそこに赤いマントは装備されていない。
胸を覆う防具と一体となったように見える上着には赤のラインが入りそのラインより上半分は青色に染まっている。紺の指ぬきグローブは赤いリボン付きの白グローブへ。ひざ丈のスカートにブーツ。
下げられた細身の剣はうっすらと青みがかった白色で微かに発光しているように見える。名前は《スティリア=クリュスタルス》氷に関連する名に思わず笑みを浮かべる。
スキルにも目を通すと以前クラスとして存在したものが新たに追加されていた。接近武器がほぼすべてマスターとなっているのは現実とのリンクがあったのも関係しているのだろう。
アンチ武器は規格外のモノとして消されている。そして同時にゲームバランスを崩壊させかねないと、二刀流もシステム的に禁じられている。私は元より使おうとは思っておらず、私以外でも使う人が少なかったためあまり影響はない。
これで準備は整った。
「気を付けて行ってきたまえ」
食堂で別れ際そう言った結城に手を振ると受け取ったソフトを手に自室へ走る。
結城はGMとしての役割を持つが、初日は外から様子を見るという。数日前に終了したβテストで起きたトラブルを心配してるのだろう。一時的に混乱が起きたがすぐに収まったため私も詳細は聞いていない。
部屋に駆け込むと、すでにセットしてあったガライアを装着し電源につないであった補助機器の1つに小さなカードを差し込む。認証完了の緑色の光が点滅したのを確認してベッドに横になると残りの補助機器を順に取り付けていく。
操作性を重要視したため数は多いが快適さには代えられない。無償で手に入るということもあり推奨環境以上の環境を整えられている。
期待と興奮に高鳴る鼓動を聞きながらゆっくりと目を閉じる。
時計の針が15時を指した瞬間、設定しておいた自動ログイン機能が働き五感が消え去る。
西暦2018年11月11日。
人類は仮想現実世界へ足を踏み入れた。
誰もが期待の笑みを浮かべる中、たった1人だけ違う笑みを浮かべる者がいたことを誰も知らない。




