第115話 脱獄
今日も味のしない紅茶を喉へ流し込む。目の前のテーブルには珍しくカトラリーが一式揃っていた。皿に盛られているのがふわふわのケーキだから、というわけではない。
私のすぐ隣に陣取ったナハイラがワイングラスを傾けていた。いつもならば1人掛けのガーデンチェアが用意されているのだが、今日用意されていたのは2人掛けの長椅子だった。隣に座るように言われ仕方なく腰掛けたのだが、ぴったりと横につけられくつろげるわけがない。
そんないつもとは異なる状況に警戒心が高まる。
さらに今日のナハイラは目に見えて機嫌がいい。数ヶ月の間言い続けても一向に揃わなかったカトラリーが欠けることなく揃っている理由もたまたま機嫌が良かったから、というわけではないだろう。いつも以上に警戒している理由の大部分がこれだ。なにかヤツの機嫌をよくするようなことがあったのか、またはこれからあるのか。
この牢獄から逃げ出すために多くの検証を重ねてきた。あともう少しで脱出方法が確立する、と思った矢先にこれである。迷惑極まりないが、そもそも脱獄がそんな簡単にいくわけがないのだ。
全く忌々しい、とため息を吐くと、視界端でナハイラの手が動くのが見えた。
思わず身を固くすると、腕が肩にまわされる。サラサラとした布の感触は心地良いのだが、素肌に触れた手にこれまでにないほど嫌悪感が募る。
「そんな顔をしなくてもいいじゃないか。そろそろ笑顔の1つ向けてくれていいじゃないか」
「……笑顔の1つは向けたはずですが」
「いつも目が全く笑っていないんだよ。仮面で隠していたからかな。そこだけはさすがに気がつくというものだよ」
この世界での動きは熟知している。これまでのナハイラの言動もあわせて聖王を演じきれていたと思っていたのだが、盲点だった。元々人間として難のある私が下手に完璧な人間を演じてもボロが出るというわけだ。
「……なるほど。あなたに指摘されるとは。では無駄な演技はやめましょう」
そう言って笑みを消す。表情と感情を締め出し、今度こそ『聖王』として完璧な人ならざる者の演技を始める。
普段は求められてもあまり積極的には行わない、私にとって楽な演技だ。演技といいつつほぼ素に近い。人と接するために学んだ最適解を実行しなければ良いのだから。人を理解せず、しようともせず。
「なーるほど。これは試しておかないとな。その表情いつまで続けていられるかな?」
何をする気なのか、と俯いていると肩から下に手が動く。肩のラインをなぞった指が二の腕のレースを持ち上げ肌を突く。
「………」
二の腕のレースを弄んでいた手が、首元にまわる。振り払いたい衝動にかられるが、抑え込んだ。気色が悪い。
その手が胸元の布に移動するのを見ても微動だにせず静観を貫いた。
先ほどの言動からただの挑発行為であると分析していた。または私が抵抗し拘束するための口実を得ようとしているのだと。はたまた、虐げ自尊心を満たそうとしているのか。私を襲うつもりならばとっくにそうしているはずだからだ。だから椅子に押し倒されてもただ静かにナハイラを見上げていた。
「聖王サマさぁ、これは演技なの?」
「質問の意図が理解できません」
「普通なら抵抗の1つや2つするはずだろう? ……あーあ、これならプログラムを走らせた方が何倍もマシかぁ」
そう言いナハイラは離れてゆく。
身を起こすとナハイラはメニューを開き何らかの操作を行なっていた。それを奪えれば万事休す、なのだが、ここでナハイラを害する方法は存在しない。思いきり殴りつけたところで障壁が展開してダメージは通らない。
早々に立ち去ってほしいところだが、イレギュラーの理由を探らないことには落ち着いて脱出方法の検証も続けられない。
ここは1つ仕掛けてみよう、といくつか策を練る。その中で効果がありそうなものを試してみるべく、口を開いた。
「ますます意図が理解できません。もしや、低俗な遊び、とやらですか」
単調にそう呟くと衣服の乱れをなおす。
その効果はすぐあらわれた。苛立たしげにふり返ったナハイラが私に指を突きつけ喚く。
「低俗だとぉ!? 75層で散々邪魔してくれたもう1人の聖王サマにたっぷり嫌がらせをしようとしたのに、アンタの反応が悪すぎて計画変更だ! 泣き叫んでくれればいいショーになったというのに」
「人間の生殖行為が見せもの、ましてや嫌がらせになるという理由が理解できません」
「バケモノめ」
「……そうですね。人間からみれば正しい表現です」
最後の罵りだけには心からの同意を示す。
「寿命のない私たちは永遠を生きる存在です。やろうと思えばどこまでもあなたを焦らすことが可能ですが、それをわかっているのですか?」
「王城まで辿り着いておいてそれはないね! 今頃王城内でハイエルフどもと戯れているはずさ。全戦力を投入してね。こちらとしては一度で全員始末できて願ったりかなったりなんだけどさぁ。これでやっと世界は僕のものだ」
まだだ、とさらに煽り文句を加える。
「王を名乗りながら支配出来ずにいるとは滑稽極まりない」
「もうすぐできるとも! 見ていろ、昼にはこの世界は完全に僕のものだ! 次は計画通り大旅団ごと掌握してやる! ヤツらを排除して名実ともに王となってやるさ」
「権限を制御されているというのに今度は何を仕掛けるつもりなのですか? レクトルもいるのです。2度も同じ手は通用しませんよ」
「手はあるさ。特別に一部始終を後で見せてあげるよ」
「……そうですか」
カップに手を伸ばし残っていた紅茶を流し込む。
「……きっと、あなたの思惑通りにはいきませんよ」
そうナハイラに小さく微笑みかける。
「今のうちに余裕ぶっていなよ、聖王サマ。次に会った時にはもっと人間らしい表情を引き出してやるからさ」
ナハイラも自身のアバターを包む光に気が付いたのだろう。
目の前には《Alarm:Forced transition》の文字が浮かんでいるだろう。次の瞬間、赤い光に包まれナハイラは姿を消した。
私は無言で立ち上がると庭園を囲む壁の傍まで歩み寄った。
検証は済んでいないが、これ以上先延ばしにすることはできない。今がその時なのだ。
助走をつけて大きく跳びあがる。壁を蹴りさらに上へ。与えられているステータスに従って地面が瞬く間に遠くなるが、それでもまだ最上部に手は届かない。しかし、そこはすでに検証済みだ。細心の注意を払って壁を蹴るとそのまま落下する。手を伸ばし木の枝を掴む。グウッと枝がたわみ軋む。
「っ……!」
折れないギリギリ、されど弱すぎてもいけない。
枝が上空へ私の身体を投げ上げる。成功を喜ぶ間もなく壁面が迫ってくる。
「いっけえぇぇぇ!」
迷うことなく片足を突き出し壁を蹴る。
また空がグン、と近くなり伸ばした手の先に壁の切れ目が近づく。
「……っ!」
思い切り手を伸ばす。指先に固い感触が伝わり、必死に力をこめる。
ドッ、と壁に叩きつけられて止まった。
ギリギリ指先だけを壁にかけぶら下がっていた。
落ちないようにそっと身体を持ち上げる。現実世界でなら無理な芸当だが、ここでは筋力パラメータが全てだ。
壁の上部には寝転がれるほどの幅の平面が存在した。その中央付近でそっとたちあがる。手を伸ばしそっと進む。その指先が壁の縁の上に差しかかり、そして。
「……通れる」
そこに障壁はなかった。
第1関門は突破できた。次は脱出経路だ。
ぐるりと見渡すと、現在地が思ったよりも城の奥であることがわかる。方角は定かではないが、南側と思しき眼下には広大な前庭が見える。そこからいくつかの城壁と建物を隔てた東側の中庭が私の現在地だ。
本来ならば南側の庭園を目指して出口を探すところだが、先ほどナハイラから仕入れることに成功した情報ではアラキア達がラスボスに挑んでいるらしい。ならば所在のわからない出口を探すよりボス戦の行われている場所行く方がいいだろう。幸いここはラストダンジョンだ。VR:PFOのセオリーから大きく外れることはないはずだ。
問題は道中のエネミーに対処できないというところだが、ともう一度城を見上げる。よく見るとこの場所から城壁を伝って侵入できそうな場所がいくつかある。その中の1つに狙いを定め道順を記憶する。
そして。
「音声コマンド『システムコール』」
冷や冷やとしながらコマンドを口にする。中庭では制限されていたのか、一瞬『システムコールに失敗しました』というログが視界端に流れただけだったが、と反応を待つ。
ポン、という軽い電子音が耳に届く。
通った、と歓喜する間も惜しみ口早に考えられる限りのコマンドを羅列する。
ウィンドウが次々と開いてゆく。
その中で目当てのものを見つける。
< alma:アルマ Lv:1000(0/150000)>
主武器 :なし
サブ武器・盾:なし
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ステータスを参照してみるとプレイヤーID自体は変わらないが、レベルやステータスの数値は全く記憶にないものだった。さらに見たことのない銀色の王冠のアイコンがついていた。
開けたウィンドウの中には見慣れぬものもあった。暗くなっており選択できないものもあったが、明らかにプレイヤー用のメニューではない。もしかしたらこれがハイレベルアカウント用のメニューなのだろうか。できる限り有利に事を進めようと片っ端から確認していく。
しばらくいじっていると視界に見慣れたUIがだんだんと揃ってきた。さすがに飛行機能などは無理だったが、戦闘に使えそうなスキルも使用可能だと確信して安堵のため息をつく。
「……さすがに武器を召喚したり……は無理か」
残念、とメニューを閉じる。
エネミーと遭遇したら最初のうちは魔法と体術が頼みだが、ステータスと経験でどうにかするしかない。
大きく息を吸って吐く。
準備は整った。
彼女は青い空を見上げ大きく1歩踏み出した。




