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第112話 牢獄

 最初はソレが何なのかわからなかった。

 微睡の中、暗い水の中に引きずり込まれていくような感覚に必死に抵抗する。しかし、身体に重くまとわりつくソレを振り払うことはできずに沈んでいった。

 一気に意識が覚醒し飛び起きる。身体にかかっていた薄布が膝の上に折り重なる。

 先ほどまで夢の中で身体にまとわりついていた黒いソレの感触がまだ鮮明に残っている。思わず両手で自らの身体を擦る。

 アレは恐怖だ。アラキアから引き離される恐怖。ひとりになりたくないという純粋な感情だ。

 しばらく身体を丸めたまま目をつぶっていると冷静さと共に直前の記憶も戻ってくる。

 ひとまず索敵スキルを発動させようとするが、スキルは発動しなかった。仕方なく耳をすまし周囲の気配を探るが物音は全くしない。自らがたてた布ずれの音だけが聞こえた。

 ナハイラに囚われたというには身体の自由はきく。かけられていた麻痺の状態異常は少しも残っていない。

 これなら動くことはできそうだ、と目を開き目の前に広がる光景に思わず首をかしげる。

「……ここは、どこ」

 牢獄というには明るすぎる。そして、豪華すぎた。

 目が覚めるまで寝かせられていたベッドはキングサイズほどはある。ふかふかで式布団から枕カバーにいたるまで染み1つない白色だった。膝の上で折り重なるかけ布団も薄いながらとても肌触りはいい。夢現世界の中でも高級品といえるだろう。

 周囲を見渡してみると、私の趣味には合わないピンクと白のフェミニンな家具で統一された部屋だということが分かった。もう少しピンク色が淡ければまだ許容範囲だな、と思う程度に造形だけは趣味がいいが、広々とした部屋の中央に置かれているのがベッドというあたり、この部屋を用意した人物なりプログラムとはレイアウト方面の趣味も合わない。

 左手側は一面が窓になっているが、金色の飾り格子の装飾でその向こう側をここからは見ることができない。差し込む光から昼間なのだろうと予測するが、あまり当てにならないことは知っている。この世界では室内に差し込む光をプレイヤーがカスタマイズできる物件があるからだ。

 そして出入口らしき扉は見当たらない。

 現在地不明。時刻不明。

 おまけに、と手を動かしメニューを開こうとするがこれもまた反応がなかった。

 一瞬、現実世界なのかとも考えたが、クレアレアを行使しようとしても反応がなかったことで夢現世界なのだと確信した。

「……仕方ない」

 ため息を周囲を探索するためにベッドから立ち上がる。

 本音を言えばこのままベッドから出たくない。纏っている衣服は水着のように必要最低限の布面積に多少の装飾を加えられた程度のものだったからだ。腹回りと腕、そして足、言ってしまえば全身がスースーとしてとても居心地が悪い。

 意を決して立ち上がってみれば。

「ふぎゅ!?」

 ゴン、という重い音がして脳天から衝撃が伝わる。

 これまで経験したことのない事態に屈み頭を押さえて目を白黒させる。

 痛みはない。ただ物凄い衝撃だった。これが現実世界ならば相当痛かっただろう。と、頭をぶつけた天蓋を見上げて思う。

 二十数年の間、頭上注意という言葉は上から物が落ちてくることに注意しろ、という意味だと捉えて問題ない身長で生きてきた身としては、まさかベッドの上でたちあがったくらいで縁とはいえ、天蓋に頭をぶつけるとは思ってもいなかったのだ。それだけの身長がないはずなのだから。

 改めて身をかがめながらそっとベッドから立ち上がり距離をとる。そしてゆっくりと膝を伸ばして唖然とする。

 明らかに目線がおかしいのだ。いつもより数段高い位置から見下ろす景色に幾らか感動を覚えつつあった頃に、1つ解せぬ事態に気がつく。

 そっと胸部に手を当ててみれば、布の下に確かな膨らみが存在していることがわかる。

 呆然と両手でムニムニと膨らみをさぐってみればしっかりとその感触が伝わってくる。

「………」

 再度、手を動かせばやはり確かな感触がある。

「な……」

 その事実を脳内で理解するのに数分はかかっただろう。その間の奇行を誰にも見られていなかったのは幸いだった。

 理解した時、私は思わず叫んでいた。

「な、なんじゃこりゃあああああ!?」

 姿見の前まで突進すると、そこにうつる自身の姿を頭から足の先まで隈なく見回す。

 馴染み深いアバターよりも数十センチの数値で盛られた身体はスラリとしていてとても見栄えがいい。瞳の色や髪色は変わらないながら、体に合わせ幼さは取り払われ代わりに美しいという言葉が似合うような調整がなされている。

 大人びた身体を包むのは防御力など到底期待できなさそうな面積の白い薄布だけだ。下半身は申し訳程度にパレオが巻き付けてあるが少し動けばすぐに左足が結び目の下から露出する。足にはサンダルどころか布1枚さえ巻かれていない。完全に素足だ。

 簡素な衣服とは裏腹に、頭のどこか見覚えのある金の輪冠をはじめとして腕輪や首輪など豪華な装飾品がつけられている。さながらハイエルフの女王といったような装備だ。

 鏡で全身を確認して得られたのは、自身が全く知らないアバターの中にいる、という情報だった。

 その中でも豊満と言っていい胸部に目が吸い寄せられる。

「……むぅ」

 不満が思わず口から漏れる。

 確かに現実世界での私は真っ平らな胸部に多少のコンプレックスを抱いていた。鎧を纏った際の胸部にはぽっかりと空間があったため、衝撃を吸収してくれるというメリットがあったのだが、水着を何度か着た際には豊満な胸部を持つ人物の姿に多少の憧れを抱いたものだ。

 しかしその憧れがありながら、まったくもってうれしくないのだ。

 大きすぎる。邪魔である。足元が見えない。重い。動いた時に余計な力がかかる。など、あげればキリがないのだが、なにより許可なくアバターを変更されたという一点において、到底許せるものではない。実行した人物は1人しかいないため、衣服の造形や部屋のレイアウト、そしてこれまでの所業を含めて一度顔面を殴り飛ばしてやろうと決意する。夢現世界の中でなら問題ない。

 まずはここを脱出しなくては、と立ち上がる。

 壁一面を覆う窓に近づくと飾り格子の上に指を滑らせる。華奢だが、多少の力では曲がることはないだろう。緻密な造形の格子には最大でも腕が通せる程度しか大きな隙間はない。そこからでも外の様子は見えるだろうと顔をよせるが、ぐにゃりと歪んだ反射光しか見ることは出来なかった。

 続いて窓から半歩ほどの距離をとって拳をかまえる。パラメータがそのままであれば破壊できる可能性もあると考えたからだ。腕をつねって痛みが反映されないことを確認してから渾身の力で窓に拳を叩き込むが、案の定、破壊不能オブジェクトであるという警告で阻まれてしまう。懲りることなく残り三方の壁にも拳を叩き込んでみるが、結果は同じだった。

 ついでに床と天井にも攻撃を加えてみたが、天蓋の上にのぼるなどという稀有な体験が出来たことと、すんなりと天蓋まで跳び上がれたことからある程度のパラメータは保持されていることがわかった以外収穫はなかった。

 こうなると残りは転移装置だろうか、と再度室内を見渡すがそれらしき装置も魔法陣もない。システム管理者のみが実行できる音声コマンドなどなら詰みだが、とため息をつき、もう1つの可能性に気がついた。

 ダンジョンお得意の隠し扉などではないだろうか、と。

 筋力値を試すのも含め、部屋中の家具を片っ端から持ち上げては床や裏面を確認する。ついでに模様替えを敢行し、ベッドは壁際へ、姿見やテーブルセットなどは窓際へと移動した。どうしても受け入れ難いフリルが満載の布類などを衣装棚らしき引き出しへ放り込むのも忘れなかった。

 すっかり様相を変えた部屋の中心で今度こそ深々とため息をつく。

 今思いつく限り、この部屋から出る方法は存在しない。

 肩を落とし、ふかふかのクッションが添えられた一人掛けの豪華な椅子に腰掛け傷1つないテーブルの天板を見つめる。表面にうつりこんだ見慣れぬ自分の顔に浮かんでいるのは不安げな表情だった。数時間前なのか数日前なのか。盟主としての自信や勇猛さなどかけらもない。

「……アラキア」

 ポツリと彼の名前を呟いてみるが、当然返ってくる声はない。

 素直な感情表現システムがアバターの目元に涙を湧き上がらせるが、それをこぼすのはなんとか耐え抜いた。ここで泣いてはナハイラの思う壺だ。屈してなるものか、と。己を鼓舞する。

 きっと彼が助けにきてくれる。

『僕はアルマがどこにいたって必ず迎えに行ってやる』

 アラキアはモールス大陸に着く前、そう約束してくれた。黄昏の海岸にまで迎えにきてくれた。彼なら必ず来てくれる。

 夢現世界は無限の可能性に満ちた世界。きっと、何か方法があるはずだ。

「必ず……助けにきて。アラキア」

 手を組み小さく口にする。それだけで不安が和らいでいく気がした。

「ボクも、諦めない」

 立ち上がると、もう一度部屋を探索し始めたのだった。




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