第8話 ユーリ
「……これって、ユーリ?」
私は目の前に立つ少女を見上げた。
腰のあたりまで流れる白い髪は毛先に行くほどうっすらと赤みがかっている。その頭からは瞳の色と同じような赤色のリボンが垂れている。
彼女は大旅団がガライアのAR・VR機能を広めるためにつくられた宣伝キャラクターだ。大旅団の話題性というものもあったが、彼女のおかげでずいぶんと普及が早まったと言っていい。簡単に言うとユーリというキャラクター自体に人気が出てしまったのだ。
最初はガライアの機能説明のためにVRライブのデモを行っただけだった。
だが、思いのほか彼女のキャラクター性と歌の人気が出てしまい正式に宣伝キャラクター兼イメージキャラクター、そしてアイドルとして運用していくことが決定した。
その過程でさらに彼女に人間味を持たせようとAIの研究がなされたことは記憶に新しい。大学が再開していない間だったためたびたび開発室に出入りしては技術を教えてもらっていた。
「それで、何をしようっていうの?」
ユーリはライブではかなり自然な動きをすることができるようになっている。しかし、それ以外でいえばまだまだだ。
事実ユーリは今も私の前で微動だにしていない。常時動くのはまだ難しい段階だと結城自身言っていた。
「前に追加スキルについて話しただろう?」
「PFOの?」
「ああ」
PFOからVR:PFOになるにあたっていくつか大きな変更がなされた。
1つは全プレイヤーが同じ世界で過ごせるようになされた全サーバーの統合。これによって各ギルドの力関係が大きく変わった。そしてもともとは同じような場所にあった大ギルドの領地が重ならないよう変更されたため、街が密集している不思議な地域もある。
ゲーム内で一番大きい変更と言えば、クラスという職業の概念がなくなったことだ。前は各クラスごとにレベルがあり、そのクラスにあった武器しか装備できなかった。しかし、VR:PFOでは武器の装備制限はスキルによるものに変更された。武器にあったスキルを取ることでそれぞれの武器を装備できるようになるのだ。
スキルのレベルが高いほど高ランクの装備を装備することができる仕様になった。
そこで追加されたのが新しい装備品である楽器だ。実際には装飾品扱いから装備品への変更だが、そんな細かいことはいい。スキル名は《吟唱》、PFOのクラス概念があれば吟遊詩人といったところだろうか。戦闘能力はほぼなく、完全に支援向けのスキルになる。
《吟唱》のようにコントローラーでのプレイから実際に自分自身の意志で動かせるガライアへ変わったことによって、対応することができるものは大幅に増えた。それらは隠しスキルとなるが、解放し極めることができれば大きな力になるだろう。
「《吟唱》スキルのテスト?」
「さすが察しがいいな。実際に自分で楽器を弾き歌うこととなるこのスキルをどれほどのプレイヤーが取得するかは想像できないがね。むろん、多少なりとも需要はあるだろう。……そこでユーリは適役だと思うのだよ」
「確かに。AIとは思えない綺麗な歌声だし、かわいいし。人間っぽいっていえば、まるでラースがマーテルって名乗ってた時みたい」
「…………」
「レクトル?」
珍しく黙り込んだレクトルのほうを見ると、彼は再びメニューを開きその画面を見つめていた。GMの権限を持たない私ではただのホログラムの板に見えるが、おそらく複雑なメニューになっているのだろう。
「レクトルってば」
「ん? ああ、なんだね?」
「いきなり黙ったんだもん」
「すこし考え事をね。……下らん事さ。何の曲で試そうか、などというな」
「……んー」
新《吟唱》スキルには決まった曲はない。あえて言うのならばそのスキルを持つプレイヤー自身の曲だ。効果ごとに自分の持ち歌をセットしていく、というのがこのスキルで一番難しいと言ってもいい。
激しめの曲ならば攻撃力支援、勇ましい曲ならば防御力支援、元気の出る曲ならばHP支援といったように例はしめされているが、システム上、優しい曲を攻撃力支援として設定することもできる。完全に個人にゆだねられているのだ。
「……ユーリに任せたらどうだろう? 歌いたい曲を自分で選んでもらうの。ボクらが頼むよりいいんじゃないかな?」
「ユーリ、に? ……しかし、ランダムならまだしも……そこまでできるか。いや、試してみればいいだけか」
何やら操作したレクトルはボス部屋に踏み入るとメニューを閉じる。
ボスの出現と同時にちょうど乗れそうな壁の突起の上に瞬時に移動したユーリは右手を掲げる。その顔には生き生きとした表情が浮かんでいた。うまく起動できたらしい。
「準備はいい? さあ、張り切っていこう」
鳴らされた指の音が遺跡にこだまする。
「……すごいな。さっきと全然違う」
「先ほどまではアバターのみ接続していたからな。今は言語エンジンから諸々を繋いである。自分で考えろという命令もこなせるとは思っていなかったが、これはこれで望ましい結果だな」
「本当にAIじゃないみたい……」
そう言ったとき、ズシリという音と共に地面が揺れる。
見るとボスが足を踏み出していた。
「来るぞ!」
「じゃあ、定石通りにぱぱっと倒しちゃおう!」
グライロスを手に走り出した私の後ろからレクトルの声が追いかけてきた。
「VR:PFOのAIはかなり高度に進化しているのを忘れるな! パターンはあるが、我々が知っているのはあくまでPFO時代のモノだぞ!」
「わかってる!」
VR:PFOのエネミーは各個体ごとに専用のAIが設定されている。撃破されると初期状態に戻るが、撃破しない限りプレイヤーの行動パターンなどの情報を蓄積し続け分析しソレにあった行動をするようになる。一定の攻撃を続けて突然攻撃パターンを変え裏をかくという戦法が取れることも確かだが、同時に戦いが長引けば長引くほど不利になる可能性も秘めている。
特に後退しパターンを変えられないソロでは気を付けなくてはいけない。むやみやたらと高レベル領域に踏み込ませないための措置の1つでもある。
それと同時に種族全体の経験記録も存在するがそれについては今は関係ないだろう。
今回はレクトルとのペア。ユーリも加えるならば3人パーティーだ。パラメータもテスト用のものであり人数的にもレイドとは言えないものの、たかがこれくらいのダンジョンボスに負ける気はしない。経験は消えない。
「モオオォォォー!」
「はぁ!?」
ミノタウロス系の雄たけび、というよりは牛の鳴き声に近い声をあげたザ・ストラテーゴステーゴスに面食らう。細かい変更があったというが、まさかこんな細かいサウンドまで変更されているとは。
見た目の迫力とは裏腹に弱弱しく感じてしまう。
(それとも油断させるためのトラップか何か?)
攻撃範囲内に入った瞬間、アーツを発動する。
瞬時にザ・ストラテーゴステーゴスの背後に移動するとがら空きの背を斬りあげる。
「グモオォオ!」
クリティカルヒットしたのか声をあげてザ・ストラテーゴステーゴスは私のほうを振り返る。3本あるHPゲージの1本が半分ほど削れていた。どうやらグライロスでは威力が高すぎたらしい。
「君の相手は私なのだがね?」
盾を叩く低い音が響きザ・ストラテーゴステーゴスの視線が私からそれる。タンク系のスキルの1つである『アテンション』だ。発動の仕方は声でも何かを叩くでも、何かしら大きな音を出せばいいだけ。
「アルマ君!」
「うん! はあぁぁぁぁぁ!」
床を蹴ると思った以上に高く跳びあがる。
眼下には歌うユーリとザ・ストラテーゴステーゴスの姿が見えた。
(そうか、これは《吟唱》のバフなんだ!)
細剣に持ち替えると一直線にボスの体を貫きレクトルの隣に着地する。振り返るとザ・ストラテーゴステーゴスは膝をつきダウンしていた。
「……すっごい。チェインも繋いでないのに弱点を裏から攻撃しただけでダウンしちゃった」
「ユーリのスキルはマスターした場合でテストしているからな。それにアルマ君の武器の攻撃力も関係しているのだろうね。やはりザ・リートユグドラシル=アンヘルにしておくべきだったか?」
「まあ、それはいいとして倒しちゃおうよ」
すでにザ・ストラテーゴステーゴスのHPバーは最後の1本になっている。ダウンが解ければ武器を太刀を持ちかえ斬撃による中・遠距離攻撃を仕掛けてくるようになる。そうなると弱点に再度攻撃を当てなければ激化した攻撃を止めることができず、接近職のみのこの構成では厄介な相手になることは確かだ。
さっさと倒してしまおうと、二刀状態へ装備を変更する。
「アルマ君、待て!」
「なに?」
「タゲが私から外れている!」
「え?」
アテンションの効果は絶大だ。しかし外れているとは、どういうことだろうか。
少なくとも従来のPFOでは一撃でダウンする並みのダメージを与えるか、モンスターごとの特性で倍率が高くなってしまうスキルを使わない限り外れたことはない。私の攻撃がいくら強力だったとはいえそこまではいっていない。
「……タゲの倍率スキル……なにが?」
ダウンから回復したザ・ストラテーゴステーゴスの視線は私のほうには向いていない。太刀を抜きはらいつつ視線を向ける先は。
「ユーリ!?」
彼女は歌うこと以外プログラムされていない。目の前のザ・ストラテーゴステーゴスを敵と認識することもなければ、逃げることも防御することもすることはない。
しかしテストプレイ上、彼女にもHPの概念は与えてある。布装備である彼女の防御力はけた違いに低いはず。レベルも低ければたった1撃で彼女のHPは。
考える間もなく飛び出していた。
彼女の前に飛び込むと太刀を交差させた2つの刃で受け止める。叩きつけられた力で吹き飛ばされそうになるがなんとか耐えしのぐ。
だが、さすがにボスエネミーとだけあっていつまでも鍔迫り合いしてもいられない。すこしずつ押されていく。
「くっ……」
太刀を握っていない左腕が横から迫る。明らかに現状を分析した攻撃だ。
剣から手を放しユーリを抱える。私より身長が高いため抱きついているようにしか見えないだろうが、パラメータ補正が働いたのか彼女を抱えることができた。
時間がゆっくり流れるような感覚はイスクとして戦い危機を感じた時と同じだった。
ユーリはかばえても私にはザ・ストラテーゴステーゴスの攻撃は当たる。それも背面からということは当たりどころが悪ければ最悪半分以上HPが吹き飛ばされる可能性もある。クリティカルヒットが出たうえであちらにバフがかかっていれば、今のテストプレイ用のパラメータではさらには……。
「させるか!」
太刀が盾に当たる音が背後で響いた。
安心と共に先ほどまでとは違う恐怖を感じた。
レクトルが今まで発したことのないような殺気を纏っていたのだ。対象はザ・ストラテーゴステーゴスだが、私でさえ恐怖を感じてしまう。
「失せたまえ」
長剣が白い光を纏い凪がれる。
十字に立ち上った光の中でザ・ストラテーゴステーゴスが光の粒となって消えていくのが見えた。
「…………」
まだ光の残滓が宙を舞っている中、レクトルはゆっくりと剣を鞘へしまう。
突き飛ばした時からユーリは歌うのをやめていた。今はしりもちをついたまま、不思議そうな顔をして私のことを見ている。
ふとその右手が伸ばされ私の頭をやさしくなでる。
「ふぇ?」
私の声にユーリは首をかしげると、考え込むような仕草を見せ口を開く。
「変だったかな?」
「え?」
「私の行動は変だったかな? 」
「なんでそう思ったの?」
「あなたは不思議そうな反応をしたわ」
その言葉に私は首を横に振る。
「ううん、違うよ。少し驚いただけ。変じゃないよ」
「そっか。ならよかった」
ずっと立ち尽くしていたレクトルがようやく振り返り私たちに向かって手を差し出す。
白の手袋に覆われたその手を取ると立ち上がる。先ほどの殺気は消え去っていた。
「ユーリ、危険な目に合わせてすまなかった。……怖かっただろう」
「そんなことないよ、レクトルさん。怖くなかったわ。だって、私のことはあなたたちが守ってくれるんでしょう?」
後ろで手を組みユーリは笑う。
その満面の笑みを見つめてレクトルも表情を和らげる。
「ならいいのだが。ゆっくりやすんでくれたまえ」
「うん。またね、レクトルさん、アルマさん」
手を振ったユーリは出てきたときと同じように光に包まれ消えた。
まさかあそこまで自然な会話ができるようになっているとは思わなかった。それだけ学習の蓄積が進んだのだろう。よほど詳しい人でなければ違和感こそあれどAIだとは思わないはずだ。
目の前にアイテムの分配ウィンドウが開いたことによってボス線直後だったことを思い出す。
レクトルの顔を見ると彼はすべてのアイテムを私に渡してきた。
「えっと?」
「GM権限ではあまり意味はないものだからな。それに、ちょっとした報酬だ」
アイテムはありがたくいただくことにしたが、私が聞きたいのはそのことではない。
あの殺気のことだ。
HPの概念があるとしてもソレが0になっても死ぬわけではない。蘇生アイテムを使えば復活できるし、復活できないまま100秒経過したらフィレインの教会に死に戻りするだけだ。今はいないが、回復魔法による蘇生もある。
これはゲームであって実戦ではない。死ぬことはないのだ。
なのに。
(さっきのレクトルの反応は、明らかに。いや、私もか)
2年も戦っていれば体に染みついてしまうものなのだろうか。トルムアやラークの動きを取り入れられているPFOのエネミーたちは当然ながら他のゲームより『リアル』だ。それを引き継いでいるVR:PFOも同様だ。
汚灰はこの世界を大きく変えた。
世界だけでなく、人も。
私もだ。
あの頃はこんなことになるなんて思いもしていなかった。
鞘に納めたグライロスをマントの下で握りしめた。




