白い風の子供達
「収穫はあった?」
そんな声に、私はくるっと振り返った。ニット帽のボンボンが揺れたのを感じる。振り返れば、私の友人が長銃に銃弾を込めながら此方をみていた。
周囲を警戒しつつ、私は彼女の方へと体を向ける。足が自然と回り、アイゼン(靴の裏につける棘の様な物)のついた靴がザクリと深い雪を踏みしめる。肩にかけた長銃が重く感じた。何故なら、勿論物理的な重さもあるが、彼女の問いに良い答えは見つからなかったからだ。
「こっちは、全然」
そういって私が頭を横に振ると、そっかぁ、と残念そうな声。私だって、収穫がほしい。先程撃った銃弾を排出する為、コッキングを引っ張った。排出される空薬莢が宙を飛び、私はそれを素早く掴み取って、左のベルトポーチに入れた。空薬莢でも、火薬を詰めればまた使える。今のご時世、無駄にする物など人の死骸以外になかった。
西暦は、2000年を四十年ほど過ぎたぐらいと長老に聞いた。世界は、物理的に雲に覆われていた。地球は一ヶ月に一度、日が差すことがあるか無いかぐらいの、大氷河期を迎えている。
しかし、それは自然発生した物ではなかった。
ある日、とても偉いケンキュウシャとかいうのが、すごい物を発見した。それはありとあらゆる物質に変わる可能性を秘めた、万能性変換物質、今はパムと呼ばれる物。色んな資源の不足に喘いでいた人類には、宝物だったらしい。
そして、かつてのセキユの如く(これも、長老がいった言葉)、乱用し始めたらしい。鉄や銅なんかの基本的金属に加えて、金や銀、"ぱらじうむ"や"りちうむ"、"ろじうむ"……後半三つは良く分からないけれど、ウムが付いたり付かなかったりする、貴金属なんか。果ては、食料なんかにまで使い始めたらしい。長老は「人は過ちを繰り返すものだな」と言っていた。
そんな都合がいいだけの物質があるわけもなく。パムは変換するたび、不都合な気体を撒き散らした。有害という訳ではないが、空気の温度を著しく下げてしまう、シーピー……なんたらを、大量に吐き出してしまう物だった。
人類が気付いたときにはもう遅くて、地球の大気がめちゃくちゃになった後だった。一部の偉い人達だけが空よりもっと高い所に逃げ、私たちだけが取り残されてしまった。ちなみに、オトナ達は偉い達が逃げた日を"崩壊の日"と呼んでいる
それでも私たちは何とか生きている。ふぅ、と白い息を吐いた。この国、日本……いや、日本だった場所と言うべきか。もはや政府は存在せず、国としては成り立っていないのだから。
生き残った私達は、幾つかの集落になり、主に狩猟を行う事で生き抜く事が出来ている。四十年前、"崩壊の日"以前の遺物を回収し活用し、なんとかしている。この長銃――モシン・ナガンと言う――もそうだ。私の目の前で手をこする彼女がもっている銃もそう。彼女のは、ドライゼ銃とかいうらしい。
「全然獲れないね……」
「……うん。このままだと、後一週間もしないうちにパム飯を食う事になると思う。それでも持つかどうか……」
二人して俯いた。ちなみに、パム飯っていうのはパムから作られるご飯だ。数が少ないけれどパムはあるし、ソレを精製する機械も私達の集落にはあった。けれど、エイヨーソそのまま、って感じの味がするため、あんまり美味しくない事はいうまでもないし、何より貴重なパムを使い、その効率も悪いとなれば忌避されるのはしかたのない事だろう。
「パム飯は……うん、嫌だね」
「だから、頑張って獲らないとね」
彼女も弾を詰め終わったらしく、肩にかけ直したのをみて、私達はまた分れて獲物を狩る事にした。最近は、何故か獲物の数が少ない。ユキウサギやユキギツネなんかが主食なのだが、最近はめっきり見ない。正直にいって、辛い状況下だった。
寒さのあまり、体を掻き抱くように手を交差させ、ほぅと大きく息を吐いた。白く濁った息が、ふっと風に吹かれて消える。
集落一の猟師として、しっかりと仕事はしなければ。皆を飢えさせたくはない。右のベルトポーチがら弾丸を一発取り出して、銃に詰め込んだ。そしてレバーを引いて発射準備を整える。
アイゼンの付いた靴で、できるだけ足音を立てぬように意識を研ぎ澄まして歩く。当たり前だが、動物は感覚がするどい。私達人間がまるで及ばない程度には高い物を持っている。この辺りの生物は四十年の間に進化しており、白い毛皮を持つようになっているので、見分けも難しい。
私はふと、視界の右の小さな違和感を発見した。もぞもぞと、雪の下で何かが動いている……? 先天的なものか、私の感覚は人並より数倍すぐれていた。肩から下ろしたライフルを慎重に構えたゆっくりと膝を付いて、気配の方へ照準を向ける。私専用に調整してもらったこれは、スコープではなくアイアンサイトが付いている。
もぞもぞ、もぞもぞ……私は雪が盛り上がる時間を数えていた。ウサギならそろそろ出て来る、キツネなら後八秒ぐらい。どちらも、雪から時折頭を出して周囲の確認をする。その時を狙い撃つ。まだ出てこないという事はキツネかな。
後三、二、一――雪が退けられ、頭を出した毛皮。既に私の目は片方閉じられ、その頭に照準は向けられている。私に気付いて頭を引っ込めようとしているが、もう遅い。私の長銃の引き金が引ききられバァンと派手な音と共に反動が私の手に伝わる。
瞬間、舞う血飛沫。真っ白な世界に、そこだけ赤い花でも咲いたかのようだった。私の弾丸はちゃんとキツネの頭に命中し、一瞬でその命を刈り取った。最初は吐いたりもしていたものだが、今は慣れた、と言うべきか。どちらかと言えば、そうする他無かったのだろうけど。
コッキングを引いて薬莢を排出してまたキャッチ。空薬莢をポーチに入れながら、まだ血が流れているキツネの頭を掴んで引きずり出した。しかし、尻尾を除いても随分……大きい。
「大、物……!」
今年初めての大物キツネだった。私の声が弾んだのも、まぁしかたない事なんだと思う。久方ぶりに、皆で鍋を囲む事が出来そうだった。
その後、ウサギも一匹仕留めて、意気揚々と帰っていく。私は浮かれてアイゼンが付いているにも関わらずスキップで進んでいた。私の様子を見た見張りの人が「頭でもおかしくなったのだろうか」と首をかしげている。私はその人の方に、キツネとウサギを掲げて見せると、喜色満面の笑みで手を振った。そういう反応だと、私も獲って来た甲斐があるというものだ。
ちょっとした柵を越えて、私は帰宅した。この集落は総勢二十人。オトナ八人、子供四人、猟師六人。それなりの人数だ。ちなみに、見張りはオトナの内から二名、交代で出ている。住宅はイグルー(雪レンガで出来た家)というのが基本だ。
ほとんどの家が雪で出来たイグルーだけれど、ひとつだけ掘り出された木製の家だ。私の家は一応、そこになっている。分りやすい我が家にまで着いて、扉を開けた。
「皆、ただいま!」
「おぉ、勇、お帰り。大物のキツネに、ウサギを仕留めたんだって?」
まず目に入るのは汁にポツポツと具が浮いた鍋を焚く老人。私の養父に当る久輝おじいちゃんだ。久しぶりのひさに、輝くって書くらしい。ヒサテルおじいちゃんがいうには、私達の世代はシキジリツが低いらしいから、おじいちゃんが教えてくれている。
ただ、私にはまだ書けない字も多くて、カタカナで書いては漢字で書きなさいと言われている。でも、心の中でぐらい良いだろう。
ヒサテルおじいちゃんは、一応長老であるが、年は六十から数えていないんだそう。まぁ、それだけ大変だった、っていう事なんだろうな。
「ユウおねーちゃーん、キツネー」
「ユウおねーちゃーん、ウサギー」
「まぁ二人とも、待ちなさい。まずはお裾分け分の切り分けからだよ」
その周りのワタワタと動きまわる子供達は、養父が引き取った子供達だ。養父の子供はいないけれど、彼が拾ってきた子供達ならいる。村の子供四人のうち、二人は此処の子だ。男の子と女の子それぞれ一人ずつで、男の子が柳、女の子が星名だ。
「ヒサテルおじいちゃん、血抜きと解体手伝って」
「はい、はい。二人とも、ちょっとまってておくれよ」
はーい、と言う返事を背に私達二人で寒い外へとまた出た。三脚で組み立てられた枝に吊るされた動物を見ると、生きる為に仕方のない事なんだ、と言い訳が浮かんでくる。だけど、罪悪感は拭えない。血がポタポタと落ちていくのを見ていると、胸がきゅうっと苦しくなってしまう。
「ユウ。ユウちゃんや」
「……へっ? あ、あぁ。おじいちゃん、何か用?」
「血、抜けたみたいだよ」
おじいちゃんの言った通り、ウサギの血抜きは終わっていた。考え事をしている間に、終わってしまっていたらしい。解体用の包丁を手に持って、まずはウサギの足に切れ込みを入れた。ほんの少しだけ残っていた血がちょっとだけ噴出した。……きつい。何時も思う。おじいちゃんに任せてしまえたらと常々思う。
だけど、私が何時か教える立場になるんだ。だから、向き合わないと。そう考え、グッと力をいれて包丁を下ろした。かたい筋を、ゆっくりと慎重に切り開いていく。おじいちゃんは、その間にてきぱきとキツネを切り終わっていた。――やっぱり、おじいちゃんにはまだまだ届かないなぁ。
そうしている内に、私も解体が終わって、まだ少し血のついた肉が転がる。ふぅー、と大きくため息をついた。無意識に罪悪感を拭おうとしたようでもあった。私は頭を横にブンブン振って頭の上の雪を払い落とすと、肉を軽く分け始めた。
ここと、ここと、ここはお裾分け。毛皮は貰うから、その分肉は多く渡さなきゃ。私の友人、有沙は獲物をとってこれただろうかと顔を上げると、大きめのウサギの耳を掴んでニコニコしているアリサが見えた。良かった良かった。この分なら、ウサギ肉は殆ど渡さなくていいだろう。その代わりキツネ肉は少し多目に渡さないと。
そうこうして渡す肉の選別を済ませると、もう手が血塗れだ。家の脇には雪を溶かして温水にする装置が有るけれど、温水にするには燃料が多く必要になる。やはりそういう事を考えると、最低限の雪を溶かした冷水ですすぐ方が多くなる。
「冷た――ッ」
今に始まったことではないけれど、思わず声は出る。手を真っ赤にしつつなんとかすすぎ終わると、直ぐ様タオルで拭き取った。おじいちゃんは小さな手拭いでパパッと済ませて、みんなにお裾分けにいこう、と言った。集落の皆は友人であり、家族でもある。だから、こう言う時は助け合わなければ。
全部の家に回り終ると、おじいちゃんが一足先に入り口で待っていて、私に家に入るよう促した。私だって、こんな寒空の下にずっといたくはない。袋で分けられた肉を担いで、家の中に入った。
「ユウや。肉は洗ってくれたかい?」
「さっき洗っておいたよ。鍋に入れておくから、おじいちゃん混ぜておいてくれる?」
「はい、はい。アリサちゃんの所だね? 行ってらっしゃい」
行ってきまーす、とおじいちゃんに返事をして、私はまた寒空の下に飛び出した。肩に長銃が無いだけ、気分は軽かった。アリサは私と同じ時期に生まれた(とされている)オサナナジミだ。ただ、私はおじいちゃんに育てられ、アリサは彼女自身のお母さんに育てられた為か、性格が結構違う。
身体的な差はまぁしかたないけれど、アリサの方が女性的な部分が大きかったり、立ち振る舞いもソレらしいものだったり。逆に私は、少し男勝りな所があると言われている。自分にそんな気はしないのだが、そう思える行動をしているらしい。
すぐに彼女の家に着く。集落はせまい。それこそ子沢山とかの不測の事態が起きないかぎり集落は大きくならないので、イグルーが五軒、木造の家(我が家だ)が一軒だけだ。そりゃあ、走ればすぐに着くと言う物だろう。
私が扉をノックしようとした時に、私の存在を察知したかのようにガチャッと扉が開いた。無論、そこにいるのはアリサだ。上半身を飛び出させたせいで女性的な部分が激しく揺れた。
「ユウちゃん、良く来たね! ほら、入って入って」
「う、うん……」
半ば引きずり込まれるようにして、アリサの家におじゃました。彼女の家は極普通の集落の家だ。だけれど、女性的な雰囲気を感じる。物は割としっかり区分されて置かれている。私とは大違いだ。
「それで、その……今日もやるの?」
「もっちろん! ユウちゃんが女の子になるまで続くよ!」
生物学的には雌の分類に入るのだけれど、それでは駄目なのだろうか? と聞くと、「当たり前だよ!」と帰ってきた。これ、とてもはずかしいのだけれど……。
私が三日に一回アリサに何をされているかと言うと、一人ファッションショーである。アリサの「女の子らしくしなきゃ!」との言葉から、随分やらされている。彼女の家には防寒具以外の服が山ほどあり、私はそれの着せ替え人形にされているのだ。
正直、彼女の"女の子らしくさせる"が私を着せ替え人形にする為の言い訳にしか聞こえないあたり、私も随分と参っているのかもしれない。
「それじゃ始めるよー!」
大きく溜め息を吐いて、私は今日も着せ替えさせられるのだった。
帰れたのは大分経ってからで、リュウとセナが怒っていた。
「ユウお姉ちゃんおそいー!」
「おなかぺこぺこー!」
「ごめんごめん!」
ばたばたと雪を払いながら帰ってきた私に、開口一番に掛けられた言葉。おじいちゃんはニコニコと笑ったままだ。ニット帽を脱いで置き、焚き火の前に座り込んだ。手を掲げれば、暖かさがじんわりと私の体に伝わった。
「それじゃ、食べてしまおうか。それでは、今日一日の糧に感謝して」
「糧に感謝して」
「かてにー」
「かんしゃー」
両掌を合わせる。私にはよくわからない行動だが、おじいちゃんがいうには「命を頂く上で、示さなければいけない礼儀」らしい。やっぱり、私には良く分からなかったけれど。……命を奪って、自らの糧とすることに、最低限の謝罪はするべきなのかもしれない。
「いただきます」
静かに食事が始まる。とはいっても、数分もしない内に子供達が騒がしくし始めるのだけれど。何はともあれ、ぽつぽつと食事の光と音が全部の家に灯り始める。これが、私たちの集落の日常風景だった。
ある日の夜、ズシン、ズシンという足音に眠気をかき消された私は、すぐさま飛びおきて、おじいちゃんを揺り起した。
「おじいちゃん、おじいちゃん」
「ん……どうした、ユウ」
「変な足音が聞こえる。私が見に行ってくるから、皆を起しておいて」
私がそう言うと、おじいちゃんも素早くおきて最低限の服を着込み、外に駆け出す。私も防寒着をパパッと身に着け長銃を肩に掻けて、早足で柵の方に向かった。
集落の外を見つめるが、夜の闇と吹雪が重なると、殆ど前も見えない。だけど、私の目ならある程度は見通せる。私の目を見たアリサが「猫みたいに光ってるよ?」と言ったぐらいだ。ギィ、と音がしそうなほど、私は良く目を凝らした。
瞳孔が開いて夜の闇はゆっくりと消えていき、慣れからか吹雪は邪魔にもならない。そして、ゆっくりと足音の主が姿を現した。
――毛皮の山? 私が最初に感じた事はソレだった。その体は一面白色の世界にいて尚白く、私三人分はあるだろう巨大な毛皮の塊。ズン、ズン、と体を左右に揺らして歩く姿は勇壮極まりない。その巨体がおじいちゃんから聞いた"クマ"なのだと気付くまでに数秒掛かった。
私のクマが向かい合っているうちに、おじいちゃんが村の猟師を皆連れてきた。とはいっても、おじいちゃんを戦力に入れたとしても7人しかいないけれど。
「おじいちゃん、あれ。クマだよね?」
「……あぁ。ありゃあ、クマだろう」
おじいちゃんは何時になく真剣な顔でクマを睨んでいた。おじいちゃんが顔を顰めると、ソレこそクマの様に険しくなる。私は、モシンナガンの弾丸を詰めて、何時でも発射できる様にしておいた。準備は万端だ。
「何時撃つ? もうちょっとひきつけた方が――?」
「いや、ユウ。逃げるぞ」
私は一瞬、ヒサテルおじいちゃんの言った言葉が理解できなかった。――逃げる? この村を置いて? 私はおじいちゃんの方を振り向いた。皆同じ反応だった。
「に……逃げる?」
「村を捨てる気か!?」
皆私同様に驚き、内二人は怒っている。残りの私含めた四人は微妙な顔をしていた。否定はしたいが、村一番の知恵袋であるヒサテルおじいちゃんが、何の考えもなく逃げるなんて判断をする訳がなかったからだ。
「アレは、私たちの手には負えない。長銃では、弾が弾かれてしまうんだ。……化けモンなんだよ、あのクマは。ヌシさ」
弾丸が弾かれる……? それは、本当に動物なのか? 私は疑問におもった。もはや、それは昔の兵器、戦車とかいう物ではないのか。ただ、ヒサテルおじいちゃんが言うのならそうなんだろう。私は長銃を下ろすことを戸惑わなかった。
「ユウちゃん……」
「おじいちゃんが言うのなら、それ以上に確かなことなんてない」
少なくとも、私はそう思っている。だから私は、皆に改めて声を張り上げた。
「皆! 急いで大事な物を家から出して! 逃げる準備をはじめよう!」
私はそういって、クマと向かい合ったままのおじいちゃんを向いた。「先にいきなさい」と、おじいちゃんがいった。少し躊躇した私は、しかしアリサの肩を叩いて行こう、と言った。彼女も微妙な表情をしていたけれど、「そうだね」と言って、私と一緒に駆け出した。
この時ばかりは集落の狭さに感謝した。リュウもセナも呼んで来てオトナ達と一緒に逃げさせ、他の住民の荷物の運び出しも手伝う。アリサが服を八割持って行こうとしたのを四割まで減らすのが一番大変だったが、掘り出し物の機械や解雪(雪を溶かす機械)を運んで荷車に乗せ、クローゼットやパムを収納した箱、とにかく貴重品の類を一切合財詰め込んだ。
「銃はどうする!?」
「長銃は全部持っていこう! 短い奴は戻って来たとき残ってたらでいい!」
その場の指揮は村長と私が執った。何故私なのか疑問だったけれど、考えて見れば私は一応副狩猟長という立場であった。
「毛布はー?」
「あ、そっか! 毛布! 大きい奴だけ持ってきて! 後は捨てよう!」
ともかく、急いでいたから指揮は実際誰でもよかったのだろう。私は残りの家を指差したり、その間子供たちが何かの動物に襲われたりしないかの警戒をした。
「ユウちゃん! 大体全部つめ終わったよ!」
「……そうみたいだね。私はおじいちゃんを呼んで来るから、その間何か不備がないかの確認をお願い!」
そういうが早いか、私は柵に向かって駆け出した。おじいちゃんが心配だ。あのクマに何かされていたらと思うと、気が気ではなかった。長銃に手をかけて、急ぎ足で柵へと向かったが、近くおじいちゃんの姿はなかった。まさかと思い、柵から身を乗り出して辺りを見渡した。おじいちゃんに限って、そんな――暗い視界の端っこで、鮮やかな赤色が見えた。
そこに倒れているのは、クマではなく、どうみてもヒサテルおじいちゃんだった。
「お……おじいちゃん!?」
私は思わず、柵を飛び越しておじいちゃんに駆け寄った。こういうときは、どうするのだっけ?! おじいちゃんが教えてくれたはずだ。まずは首か手首で、脈を確認しないと!
思いついた瞬間、私の手はおじいちゃんの首に当てられていた。五、六、七……脈は無かった。信じられなかった私は、口の前に手をかざした。息もしていなかった。袈裟掛けに切り裂かれた傷からは、血が流れ出て来ている。
おじいちゃんは死んでしまっていた。
「……そ、んな」
そんな馬鹿なと叫べたら、どれだけよかったか。私は暫く放心状態のまま、血塗れのおじいちゃんの体を抱き抱えていた。アリサが呼びに来なかったら、多分ずっとそうしていたと思う。だけど、おじいちゃんの死は、私だけではなく、村にとっても大きな損失だった。
荷車を皆と一緒に引きながら、心はどこか遠い所にあった。何故だ。何故、おじいちゃんが死ななければならなかった? おじいちゃんは贔屓目にみても賢かった。そんなおじいちゃんが、何の考えも無く死にに行く様な事が信じられなかった。何故? そんな疑問が頭を離れなかった。
「皆、頑張って! 後もう少ししたらホラアナがあるから!」
アリサが声を張りあげているのを、胡乱げに眺めた。疑問が私の頭を鈍くしていた。必死に車を押しながら、考え続けていたから。
「ユウちゃん、どうしたの?」
「……いや。なんでもないよ」
私の様子をみて、アリサが話しかけたが、曖昧な返答で茶を濁した。と、前方で歓声が上がった。何かと思って頭を荷車の脇から出せば、ホラアナの入り口が見えた。だけど、私の心は晴れないままだった。
おじいちゃんが無意味に死ぬなんて、やはり信じられない。一人縮こまりながらずっと同じ事を考えていた。では、何か理由があったのか。――わかればこんな苦労はしていない。
「ねぇ、ユウちゃん。大丈夫? ……とはいっても、無理があるかぁ」
「アリサ……。おじいちゃんが、無駄に死ににいくなんて、やっぱり考えられない。あのクマには何かあったんだよ」
私なりの答えはしかし、結構的を射ている気がした。あの大きさは異常だ。おじいちゃんが昔言っていた、突然変異体とか言うのに違いない。だけど、クマの突然変異体だとしても、しっかり逃げれば問題ない筈。まだクマと集落の間は開いていたから、別に逃げても追ってくるようなことはなかった。だとしたら何故……?
そう思った所で、前掘り出された本から見た事を思い出した。――『人の味を覚えた動物は危険だ』
おじいちゃんは流れ者だったと聞いた。もしかしたら、集落に来る前に、あのクマに会っていたのかもしれない。そこで、匂いを覚えられたのかも。まさか、それから私達を逃がすために――?
ズシン、ズシン……ズシン、ズシン……。悪夢の足音。いや、悪夢ではない。だって、まだ夜は明けて居ないし、何より――おじいちゃんが死んだのは、悪夢なんかではないから。
「……ッ!」
「ユウちゃん……どうする?」
アリサが心配げに私の方を見た。私だってどうしたらいいかなんて分からない。分からないけど。今やるべきことは、皆を守る事だろう。それだけは確かだ。私は長銃の弾を込めて、荷物の中に詰め込んだロック式の大きなケースを引っ張り出した。
私が真っ先に詰め込んだこれは、おじいちゃんが「もしも、皆を守らなくては成らないときに」と言って鍵を掛けた物だ。”今の人類に必要ないもの”、とおじいちゃんが言っていたのを覚えていた。
ポケットに常に仕舞ってあった鍵を取り出して、ケースのロックを外した。ガチャンと重い音がして、歯車仕掛けが回りだした。今の世界にとっては殆ど遺物のこの技術は、収納……というより"封印"に使われている。勿体無いと言えば勿体無いが、中に入っているものを考えれば仕方ないと思えた。
開いたケースに入っていたのは重々しい全金属製の狙撃銃だ。明らかなオーパーツなこの狙撃銃は、旧時代でも人に使うことを許されなかったシロモノ。
――対物狙撃銃
「それは……?」
「おじいちゃんの最終兵器。これで、アイツを仕留める」
「そんな!」とか「無茶だ!」とか、そんな声が聞こえる。でも。
「アイツは、多分人の味を知ってて、今私たちの臭いを追ってきてる」
だから、此処で仕留めなければ。私たちは、一生アイツから逃げ回らなければならない。おじいちゃんが命をかけて作ってくれたであろう時間と距離。此処で奴を、殺す。
言葉にするには簡単で、実行するのは難しい。そもそも、この対物狙撃銃でアイツを撃ち抜けるのかという問題がある。それに、奴が私を無視してどこかに去っていってしまったら、今度は何時アイツが来るのかと怯えて暮らしていかなければならない。
もはや、奴を撃ち殺す他に道はない。
「村を守ろうとしたおじいちゃんの死を無駄にはしない」
おじいちゃんが自分だけ助かろうとしたなら、私たちに撃つ様にいって自分は逃げてしまえばよかった筈だ。そうしなかったのは、きっとおじいちゃんが私たちを、集落を守ろうとしたからに他ならない。臭いを覚えられてこういう状況にはなったけれど、大分距離には余裕がある。
私は皆の反対を押し切って、雪の吹き荒ぶ外へ出た。風と大玉の雪が私をしたたかに打ち据える。だけど、私は洞穴の上へと上って音のする方へ目を向けた。
白い世界に、動く白。僅かに見える黒点は目か鼻か。どうでもいい。マガジンに詰められた弾を確認した。……七発こっきり、限界まで装填されているようだ。というか、重い! それでも肩に紐をかけて全力で持ち上げれば、何とかなった。
ある程度踏み固め、体を完全に伏せた。腹這いに横になった姿勢で、狙撃銃の二脚を広げて固定する。ストックを肩にあてて照準を安定させ、片目を閉じてスコープを覗き込んだ。普段のモシンナガンでスコープをつけていないのはレンズが光を反射して、それを察知した動物が逃げるのを私が嫌がったからだ。
だが、逃げない獲物を狩る場合、これ程適したオプションも無いだろう。
――クマと、スコープ越しに目があった。
「WOOOOOOOOOOOOON!」
「ッ!?」
クマの独特な雄叫びに思わず一瞬怯んだ。だが、直ぐにスコープを覗き直し、狙いを直した。一発で仕留められれば良いが、どうか。安全装置を解除して引き金をを引き絞り、まずは様子見と、狙い済ました第一射が放たれた。
ドゴォン!
空間が破裂したような爆音と共に、音よりも早く弾丸がクマの頭部へ向かう。クマの咆哮はかき消され、一瞬の内にクマの頭が破裂する――かと、思いきや。
クマがひょいと首をかしげて避けた。
「そんな、馬鹿な――ッ!?」
長銃より圧倒的に弾速が早いこの狙撃銃の弾丸を見てから避けた? いや、そんなことはないだろう。見てから避けたのでは遅すぎる。となれば、もしや。こちらの銃口の先、弾道を読んでいた――?
私の背を冷や汗が流れた。たかだかクマが、この距離で弾道観測? そんな馬鹿な。しかし、だとするなら。私は騒がず、コッキングを引いて空薬莢を排出した。弾丸が自動で再装填されるのは便利だと思いながら、再度狙いを定める。クマは微動だにしていない。今度は撃たずに、頭から、胴体へ狙いを移した。すると、その射線から外れるようにクマが動き始めた。
「確定、か……」
スコープから頭を上げた。なんて言う化け物熊だ。チッと舌打ちが漏れた。しかし、避けるという事は威力を危惧しているという事だ。当てさえすれば……そう思った瞬間、再び咆哮が耳を劈く。見れば、そう遠くはない距離からクマが走ってきていた。――当てられないと高をくくったか。なめられた物だ。
しかし、当てられないのは事実。まだ距離があるから考える時間はある。どうする、どうする……?
瞬間、発砲音。対物狙撃銃とは違う、空気の壁を叩いたような、そんな音。それがアリサのドライゼ銃の発砲音だと気付くのに一瞬かかった。死を分かちうる一瞬が。
「これでも食らえってのよ!」
「アリサ!? 出てきたら駄目……!」
彼女の放った弾丸はしかし、クマの毛皮を貫通するには至らない。私の叫びも空しく、クマは私より近かったアリサを標的に定めたようだった。
「WOOOOOOOOON!」
「クソッ! 間に合って!」
スコープを再度覗きみて、クマの体へと照準を合わせていく。アリサに注意が移った今なら当る。私の、猟師としての勘と言うべきか。それが痛烈に私に訴えかけていた。そんな事わかってると、そう思いながら、思うように動かない重量のある狙撃銃の砲口を逸らしていく。
後クマ二匹分と言うところまでアリサへ近付くクマに、ようやく照準が合った。もはや完全に狙いを定める気など毛頭なく、あるのはアリサを助けなければという一念だけだった。
引き金が引かれ、弾が音速を突き破って開放される。その弾丸は、はたしてその主の名にふさわしい役割を見事になしえた。PGM ヘカートII。手に携えた炎でもって、宿敵の巨人を打ち倒した女神の名を冠したこの狙撃銃が、私とアリサの命を、ひいては集落の命を救っていた。
村に戻ると、おじいちゃんの死体は酷い有様だった。クマに貪られて半身は既に無くなっていた。そんな変わり果てた姿のおじいちゃんを、私は棺に押し込んだ。塗装も何もない質素な棺だったが、この集落には精一杯だった。おじいちゃんも多分我慢してくれるだろう。
本で見たキャンプファイアーの様に組まれた木の中に、おじいちゃんの遺体と、薪やら何やらを詰め込んだ。晴れてこそいなかったが、雪は幸にも止んでいて、今の内に終わらせてしまおうという考えで皆動いていた。
パパッと準備をし、村の男衆(というほど数もないけれど)の手をおおいにかりて、何とか雪が降り出す前に終わらせた。普段は村長がやる点火の仕事を、今回限りは私にやらせてと村長を拝み倒した。とはいっても、村長もそんなに渋りはしなかった。
こうして松明を片手に、仮の火葬場の前に立つと、おじいちゃんが本当に死んでしまったのだと実感する。死は何時も唐突だ、とおじいちゃんが寂しそうに呟いたのをぼんやりと思い出した。傍には、アリサが立ってくれている。
「つらいなら、変わるよ?」
「……ううん。これは、私が志願した事だから」
そうだ。送り出すのだから、一番近くにいた私がするべきだろう。松明をもって火葬場に一歩ずつ近付いた。棺が、組んだ木の隙間からチラリと見えた。私は、それを見ないように意識して、一番下の薪に火をつけた。常にしけっている様な木だから一気に、とはいかなかったけれど、それでも確実に火がついていく。
ごうごうと炎が大きくなるのに、そう時間は掛からなかった。私は、アリサがいる所まで歩いて戻った。煙がもうもうと上がっていく。その煙に、おじいちゃんがいるのだと考えて、皆思い思いに声をかけて行く。
「さようなら!」
「じゃあね!」
「そっちに逝ったときは、よろしく!」
それを横目に見ながら、私は煙を見つめて、ボソッと呟いた。
「……元気でね」
死んだ人は、アノヨと言う場所に飛んで行くらしい。だから、どうかそこで元気に過ごしてほしい。そう思って、私は天へと上って行く煙を眺めた。ふと、自分の肩にアリサの手の温もりを感じた。
「ユウちゃん。……泣きたい時は、泣いていいんだよ」
そんな言葉を受けて、私は不意に臭いを感じた。煤けた様な、灰が舞い上がったような。人の骨が焼ける臭いの様な。
――死臭。
私は、目から涙が零れているのに気付いた。ボタボタと流れて行くそれを止めようと両手で覆ったが、それでも私の目から涙が流れ続けた。耐え切れず、私は膝をついて大声で泣き叫んだ。その時、おじいちゃんがもういないのだという事を確信してしまったからこその慟哭だった。
その日、私たちは大切な人を失った。だけど、私たちは前を向いて歩いている。惰性でも慣性でもなく、"明日を生きる"為に。そして"今日を生きれなかった人"の為に。私たちは、両の足で確かにたって歩いていた。
西暦2000年を四十年以上経って、人類の栄光は遠い昔の影と化したけれど。決して、楽な暮らしとは言えないけれど。
私たちは、此処で生きている。これからもずっと、生きていくのだ。
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