第1話 人助け
高齢の呪術師が市場で酒を飲んでいる頃、別の世界では生命輝く星が終焉の時を迎えていた。星はあらゆる生き物には珍しく、性別にかかわらず新たな生命を産むことが出来る。その星が緑色の輝きを徐々に失ってその命が尽きるのを待つだけになっていた。星はその命が尽きる直前、新たな生命輝く星を地上に産み落とす。産まれたばかりの星は風に吹き上げられ天を舞い、世界を越えて一人の子供に宿った。
寒風が吹き荒れるヨナ皇国とサラーム王国の国境付近の高い山の中腹に、一人の青年がたたずんでいる。背の中程まで伸ばした白銀の髪を無造作に結び、彫りの深い綺麗な顔立ちをした青年ウォルナットは黒いマントに身を包み、離宮にほど近い川を目指し下山を始めた。川までたどり着いた時、ウォルナットは溜め息をついた。
普段、皇族が使う橋を一人の少年が歩いていたのだ。一目でヨナ皇国出身と分かる腰まで伸ばした紫がかった黒髪をポニーテールにした、十代半ばくらいの少年はウォルナットに気づくことなく橋を歩いて行く。
その時だった。少年の来た方向の橋の入り口に人影が現れたのだ。人影が少年に気づいたらしく、人を呼んだのでウォルナットは急いで橋にいる少年に声をかけた。
「走れ!」
少年は少し躊躇したが、覚悟を決めたらしく橋を走り始めた。それと同時にウォルナットも少年の元へと駆けつける。少年はぎこちない走りで橋を渡り終えた。その時、人影が呼んだと思われる数人が弓矢を射ったので、ウォルナットは矢が少年に当たるかと思った。だが、矢は少年に当たることなく地面に突き刺さっていた。実は矢が当たる直前に少年が足を滑らせて、川に落ちたのだ。
そのことに気付いたウォルナットは急いで棒を結びつけた剣を岩の隙間に突き刺し、縄で自分の体を結び付け、川に飛び込んだ。
「くそっ、あのガキはどこだ!」
全体を見渡していると、少年の青い袖が見えた。その袖を頼りに少年の元まで泳ぎ、少年を抱き寄せ目印としていた剣の所まで泳ぐ。ようやく岸に上がると、ウォルナットは少年の様子を確認した。少年は少し水を飲んだらしく、ぐったりとしていたがウォルナットが蘇生術を施すと水を吐き、息を吹き返した。
「お前、なんであそこにいたんだ?」
ウォルナットが問いかけると少年は少し恥ずかしそうに答えた。
「……離宮にいる母上に忘れ物を届けただけ」
「離宮? あそこは雲の上の方々がいるところだろう? なんでそんなところに?」
「それは……」
そう少年が言いかけた時、明らかに宮中勤めと分かる、ゆったりとした緑を基調とした服装の初老の男がウォルナットたちの元にやって来た。どうやら離宮に少年が川に落ち、ウォルナットが助けたことが伝わったらしい。彼に気づいたウォルナットはやや警戒しながら彼を見上げた。いくらなんでも早すぎるのだ。知らせが行ったとしても、ここまで早く来るとは思えない。宮中勤めの人間は武官以外、優雅さを優先して素早く動くことは無いはずだ。
初老の男はウォルナットにお辞儀をすると、穏やかな笑みを浮かべながら話し始めた。
「助けて頂きありがとうございます。この件についてお礼を申し上げたいので、お名前と今宵のお宿を教えていただけませんでしょうか?」
ウォルナットは男の丁寧な物言いの中にも優雅さを感じた。だが自分は一介の用心棒だ。雲の上の人と関われるような人間ではない。
「私は名乗る程の者ではありません。それに、礼はいりませんよ。では私はこれで」
「そういう訳にはまいりません。この子の母親がお仕えいたしておりますお方が、ぜひと申していらっしゃるのですから」
そんなに早く情報が行っていたのか。一体どういう仕組みなんだ。ウォルナットはそう思わずにはいられなかった。こういう雲の上の人間が下界の人間に声をかけることにウォルナットは警戒していた。
そう言う時は決まって何かしらの思惑があるとウォルナットは睨んでいたのだ。そして、その勘は外れたことはなかった。
「俺みたいなしがない男が会えるわけありません。お引き取り下さい」
「そうですか。分かりました」
そう言うと初老の男は少年を連れて行った。ウォルナットは彼らが立ち去るのを見送ると、剣を仕舞い再び山を下り始めた。
これがウォルナットを運命の渦に巻き込む出来事だったことを、彼が知る由もなかった。