プロローグ
この世界には、鳥や動物をはじめとした様々な生き物が暮らしている。その中で人は国を作り、民をまとめ暮らしていた。国は人々から税を取ってそれぞれの領土を潤しながら、国を経営していた。また、交易によって互いに繋がりを持ち、力の均衡を図っている。その一方で、軍事力を強化して他国の領土を狙わんとする国もあった。
世界の多くの国々で人々は平和に過ごし、それぞれの職を全うして暮らしていた。彼らは国が設置する学校で文字を学び、生きるのに必要最低限の学問を学ぶ。その学校を卒業すれば彼らは実家に戻ってそれぞれの職に就くのだが、就く職によってはさらに上級の学校で学ぶ必要があった。
その上級の学校はたいていの場合、国の首都の端の方に設置されている。そこで学ぶ彼らでさえも異世界の存在を学ぶことはなかった。それもそのはずで、異世界はこの世界と表裏一体の関係にありながらほとんど交流がないのだ。異世界のことを学ぶのは、呪術師と言う特異な職に就く者たちだけだった。そのおかげで、異世界とこの世界を繋ぐ者は呪術師しかいないと多くの呪術師が思っていた。
だが、それは間違っていたのだ。それを証明する存在に気づいたある一人の高齢の呪術師はほくそ笑んだ。呪術師は市場の喧騒を聞きながら、雨が上がったばかりの空を見上げて酒を一口飲んだ。彼女は無類の酒好きだった。彼女の手にかかれば、店の半分の酒が姿を消すだろう。
「今日の酒は格別だね。あの日に飲んだ酒と同じくらいだよ。そうだろ?月」
彼女は隣に座る金髪の娘に声をかけた。娘は何も答えなかったが、彼女は気にしなかった。娘は元々口数の多い方ではない。彼女は酒をあおりながら数年前、呪術で触れた異世界での出来事を思い出していた。その世界はここと違って彼女の興味を引くものが数多くいた。
「確かあの時はお宅等の小鳥どもが騒いでいたね。探し物は見つかったかい?」
娘は彼女の言葉に頷くと、彼女だけが見えるシャボン玉の膜のように揺らめく珠を取り出した。その珠は淡い虹色をしており、触れれば壊れてしまいそうだった。その珠の性質をよく知っている彼女は、娘が何をするつもりなのか推察した。
「過去を映すつもりかい。まぁ、あんたがその気なら見せとくれ」
娘は頷くと珍しく笑みを溢した。娘は彼女と酒を飲んでいる時、もう一度あの日のことを見せようと考えていたのだ。そうすれば、彼女自身も何かを感じるだろう。そう考えていた娘は、過去を映す珠を掌で転がした。掌で転がった珠は淡く光り輝き、その中に風景を映し出した。
淡く光り輝く珠の中は、朝日が辺りを照らし始めたとある王国の森だった。朝露に煌めく緑豊かな森の梢や枝では、緑や青などの色とりどりの小鳥たちが話している。彼らはこの世界の鳥とは違い、人語を操りコミュニケーションを取っているのだ。彼らが話すなどこの世界の人間は思いもつかないだろう。
最初に話し始めたのは、緑の羽根色に黄色の腹のアルンドと言う種類の鳥だった。彼はこの王国の人々とよく交わっていた。
『あの可愛らしい姫はどこに消えたの?』
『……さぁ……。魔女が連れ去ったらしい』
アルンドに答えたのは、赤色の羽色に橙色の腹のソルと言う鳥だった。彼は司祭の鳥と言う別名を持つにふさわしく、冷静に情報を分析する能力に長けている。
『なんで魔女は姫を連れ去ったのだろう……?』
『……さぁ……? それは分からない』
『姫、戻って来られるのかな?』
『……さぁ……。でもきっと我らが王が見つけ出してくれる』
ソルは信じ切った瞳を他の小鳥たちに向ける。彼の種族は他のどの鳥よりも、「王」に対する信頼は厚いのだ。その一方で、人間の王はほとんど信じていなかった。そんな彼だからこそ、その真っ直ぐな瞳を疑う鳥はいなかった。
他の鳥たちの願いもソルの願いと同じだった。小鳥たちは姫が好きなのだ。滑らかな桃色の髪に緑の瞳を持つ、可愛らしい笑顔が特徴的な彼女を嫌う鳥はほとんどいないだろう。
『早く戻っておいで、姫。姫を慕うあの子の為にも……』
『国王も心配してるしね……』
小鳥たちは一斉に止まり木から飛び立つ。その姿はまるで色とりどりの花吹雪が舞うかのようだった。天を舞う鳥たちは先程の心配など忘れたかのように虚空で戯れていた。そんな中、一羽の青い小鳥がぽつりと呟いた。
『サクラ姫なんて、誰がそんなことを決めたのだろう』
珠の光が消えると娘は珠を懐にしまい、店を立ち去った。娘を見送った彼女は再び酒を一口飲む。まだ雨の匂いが残っていたが、彼女は別の気配を感じていた。その気配は雨の匂いに似ていたが、もっと濃厚で清らかなものだった。それを感じることが出来る彼女は当代きっての呪術師として有名で、気が付くと姿をくらませているという強者でもある。
彼女は既に察していたのだ。もうすぐ、この国を巻き込んだ大きな異変が起こることを――。