【名も無き人喰い】3
【8】
初めて会った感想は、「なんて綺麗な少女だろう」だった。
綺麗な服。綺麗な顔。綺麗な白い髪。綺麗な手。綺麗な紅い目。
きっと、汚れたことが無いのだ。生まれたときから綺麗で、生まれたままに綺麗で。だからこんな、恐怖も何も感じていないような目で僕を見る。
僕がなりたかった《僕》の理想形。
化け物じゃなく、人間。
「……人喰い、さん……?」
殺してやろうかと思った。
頭から無惨にも無様に食ってやろうか、とも。
断じてお腹が減っていた訳じゃない。“食事”ならついさっき終えたばかりだ。流し込んだ名前も知らない若いお兄さんの肉は、まだ僕の胃の中を十分に埋めてくれている。
でも、殺してやりたかった。
それはまるで衝動的に、あるいは感情的にまた情動的な、明確な私怨の塊みたいな殺意で。
ただ僕の持っていないものを当然のように持っているその少女を、僕に許されなかった生き方を平然と許容しているその少女を。
羨んで。
妬んで。
だから、殺そうと思った。
殺してしまおうと、決めた。
けれど一方で、奇跡のように綺麗なこんな少女に汚い僕が触れて汚してしまうことを、怖れる気持ちもあって。
“奇跡”は、僕が初めて愛したものだったから。
一瞬の葛藤。
永遠に似た躊躇。
伸ばしかけた指先が頼りなく宙を掻いてーーそうして、何も出来ずにだらりと下がる。
無意味だ、と思った。
この少女を殺しても僕が人間になれるわけじゃない。
この少女を殺しても僕が化け物でなくなるわけじゃない。
変わらない。
だから、無意味だ。
では一体、僕はどうすればいいのだろう?
ぽつり、と水滴が後頭部に当たって、反射的に顔を上げる。空は晴れていた。けれど、雨が降っている。
この現象の名前を僕は知っていた。『通り雨』。狐の、嫁入り。
そんなことを頭の何処かが考えーーそうやって無意識の内に現実から逃げようと必死になっている自分に気が付いて、自嘲する。
なんて、惨め。いや、惨めな生活にはもう慣れた。
諦めよう。
もう僕は、どうしたって化け物らしい。
と。
その時だった。
驚愕。
「ねぇ」
頬に触れた確かな体温。そこで僕は、あの少女の存在をようやく思い出した。そういえば、彼女もまた、紛れもなく此処にいたのだと。
失念していた。忘れていた。
だからこそ突如として触れられた時の、驚きは大きい。
汚したくないからと手を伸ばさなかった奇跡が、あろうことか自ら近付いてきて。
そして、僕を捕まえる。
「私の名前はーーーー。貴方の名前はなんというの?」
知らない。
知らねぇよ、名前なんか。
そんな言葉すら、出てこない。
声が奪われてしまったみたいだ。
「ふぅん。じゃあ、人喰いさん」
そうして何も言わずーー否、何も言えずに黙ったままの僕の目を自分の目にしっかり合わせて、視線と視線を絡ませて、彼女は続けた。
空に浮かんだ観覧車。
テトリスのブロックみたいなビルの群れ。
黄金に輝くケルト十字と、隣接する赤銅色の千本鳥居。
血にも紅葉にも似た赤い空。
それらを背景に据え置き、微笑して。
叩けば折れてしまいそうな、弱々しい笑顔で。
「一緒に帰ろう?」
何処へ。
なんて、聞けなかった。