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箱庭図書館の事件目録  作者: 雨夜 紅葉
『名も無き人喰い』編
5/30

真夜中メトロ❷

【5】


「……群青、ねぇ」

「ん?ああ、結局読んでるんだ」

「お前が読めっていったんだろ」


先ほどのページに栞紐を挟んで、一度本を閉じる。最初こそかなりの嫌悪感があったけれど、人皮装丁とやらにも大分慣れてはきていた。勿論、好意的に感じることは出来そうもないが。


列車はまだ止まらない。


俺はふと窓の外に目を向けてーー地下トンネルのコンクリートの内壁しか見えないことに溜め息を零すと、改めて灰に向き直った。

俺の視線に気付いたらしい灰が、ちらりとこちらを見る。


「おい、灰」

「何?」

「その……何て言ったっけ、と、トリニレット?」

「トロエベット・ハート・オロイラ伯爵ね」

「そう、そいつ。さっき『殺された』っていってたけど、」

「殺されたよ。そりゃあもう無残な感じに」

「……いやどうやって死んでたかじゃなくて。そいつ、殺されなきゃいけないような奴だったのか?」

「ーーん」

「お前のことだから先に少しくらい調べてんだろ?ここまで付き合わされてんだ、俺にも聞く権利はあると思うんだけれど」

「それは事前知識という観点で?」

「心の準備という観点だ」


確かに一理あるね、とわざとらしくうなづいて、灰は手にしていた本を懇切丁寧に閉じた。扱いの差からみて割と大切な本であるらしい。少なくとも、『名も無き人喰い』よりは。

そんなことを頭の隅で思って、それから、灰がゆるりと口を開いたのに気がつきそちらへと意識を向ける。


「よくさぁ、『死ななければいけない人間なんていない』ってよく言うじゃん。なんていうかな、愛すべき性善説っていうか。それに則って言えば彼は、死ぬべき人間ではない」

「なら、」

「だけどね、文月七夜(フヅキナナヤ)先生?彼は、トロイベット・オロイラという人間は、生きるべきでもなかったんだ」


特に何の感情も乗せられていない、まさしく業務連絡といった口調。

否、もっと“らしく”言うならば、登場人物のプロフィールを語るような。


「彼は殺されるべき人間だった。残酷に、あるいは残忍に」


反射的に、ひくり、と喉が引き攣る。

もうろくに笑い飛ばすことも出来ない。なぜなら、笑い事ではないのだから。

どんなことをしでかせばそんな評価をされるようになるのだろうか。想像出来ないというか、あまり考えたくもない話である。まぁ、可能な限り俺の人生からかけ離れた位置で静かにその存在を終えて欲しいくらいには、真っ当でないことは明らかだけれど。


「君はエリザベート・バートリ公爵夫人を知ってるかな?かなり昔の、歴史上の人物なんだけれど」

「……名前だけは」

「充分だよ。その公爵夫人ーー人呼んで『血の公爵夫人』。彼女の起こした事件と同じようなことを、彼もまた、引き起こしてしまったわけだ」


ああ、嫌な予感。


「彼にはね、地上都市エリュシオンの最下層であるスラム街『ノーズ』から人を攫ってきては屋敷の拷問部屋で嬲り殺している、って噂があったんだよ。スラム街の人間は殆どが天涯孤独の身、誰か居なくなったってそこまでの騒ぎにはならないからね」

「ご……拷問?この時代に?」

「そう。器具は裏市場で仕入れてたらしいよ」


平然と告げられた事実に、ぞわりと背筋が凍るのを感じる。どうやら今回の故人は生粋の嗜虐趣味(サディスト)だったようだ。いやいや、性癖の括りに収まるかどうかは置いておくとして。

とはいえ、拷問。成る程それ故に、『チノイロ屋敷』なんてけったいな名前が付いた訳か。

そう思えば少し理解出来たような気もするけれど、けれどもやはり、納得するには程遠い。俺は別に聖人でも正義の味方でもないから、こういう典型的に残酷な人間の話を聞くと、どうしてもこう思ってしまうのだ。


《早く死んでくれて良かった》と。


暴力は嫌いだ、痛いから。だから暴力を武器にする人間も当然好かない。そういう人間相手に改心とか更正の時間を与えてやれる余裕があればいいんだけれど、俺にそんなものは無いから、だから早々に消えてくれたことを喜ぶだけだ。残念だ、とは思わない。“それ”は俺の役目ではない。

とはいえ、この話は死んだ人間のことでだからもう終わったことだ。今更何を思おうと、特に意味は無いのだけれど。


「で、ここからが本題」


そんな俺の思考を断ち切るように灰は言う。少しだけ愉悦が混じっているようにも感じる、そういう声だった。


「オロイラ伯爵の死について、だね」

「ん、ああ。……お前が出てきたってことは、他殺なんだろ?」

「御名答。あれは見事なまでの他殺だったよーーあれで事故死や自殺だったら今世紀最高のミステリー小説が書けそうだ。勿論、伏線でも何でも無く」


殺人ということは犯人がいるという意味で、(マカ)り間違っても喜ばしいことではない筈なのに何処か楽しそうな調子で語るその様子に、内心溜息を零す。意図には呆れと苦労が半分半分。中々変わったところのある友人なのは理解しているけれど、こういう部分だけは真面目に治療するべきと思う。不謹慎にも程度があるのだ。

しかしとして、優先順位の一番上は灰の“病気”についてではない。そういうすぐに解決しなさそうなものよりも、片付けられる事例から順に手掛けるべきで。

何せ俺は、医者なのだから。


「……死因は?」


すると灰は、すぐさま答えを用意してきた。


「刺殺。一撃目で脊髄を突き刺して、二撃目で頸動脈をばっさり。素人目にちらっと見た限りだけれど、争った感じはしなかったかな」


まさか暗記してんのかよ、というツッコミは、喉の奥までで抑えておく。こいつならそれくらい普通にやってそうだ。

じゃあなくて。


「なんだ、意外と普通だな」

「そう?」

「そりゃあ、チノイロ屋敷とかエリザベートとか拷問とかよりは普通だろ。こんな国な訳だし?」

「確かに、ね。


(モット)も、ここで終わりならの話だけれど」


沈黙。


「遺体の左脇腹と喉笛。それらがそれぞれ抉り取られてたよ。それも、死ぬ直前から死後にかけての数十分間に」

「……、うわぁ……」

「想像しない方が良いよ、グロいから。特にこの先は」


まだあんのかよ。

そう言いかけて、これから俺はそんな無残な遺体を検死するのだという事実に気づき若干泣きたくなった。本当に勘弁して頂きたい話だ。

なんて。俺の心情を知ってか知らずか、灰の話は淡々と続いて。


「その傷痕はなかなか特殊な形をしていてね。脊髄と頸動脈に残っ刃物らしき切り口とは全く別の、鈍く鈍い“何か”で無理やり千切り取った、みたいな。付け加えると、千切られた部分はどこからも見つかってない……で、以上のことから僕が推測ーー想像するに、」


黒いコートの袖から躍り出た指先が空を切り、それから、ある一点でぴたりと静止する。

ーーーー丁度、俺の隣の座席に置かれたあの本の、正面で。


「おそらく犯人は、《喰った》んだよ。それこそ、そこの人喰(マンイーター)よろしく、ね」


示されたのは『名も無き人喰い』。人が人を喰う、物語。


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