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箱庭図書館の事件目録  作者: 雨夜 紅葉
『名も無き人喰い』編
25/30

Have a good night.

【17】


部屋から持ってきてもらった白衣を羽織り、医療用の手袋をはめる。今例の倉庫にいるのは俺一人だ。灰を含む事件関係者は、皆一様に別の部屋で待機している。これは俺が頼んだことだった。自分でだって見ることのない“死んだ後の自分”を大勢に見られるのは“彼女”も嫌だろうと、そう思ったからだ。この話をすると、灰はいつも呆れた表情で「死んだ人間に羞恥心や嫌悪感は無いけれどね。そもそも脳が動いてないし」なんて言ってくるが、そして実際にさっきも言われたけれど、こればかりは気持ちの問題なので仕方がない。理屈で解決出来るものではなく、また解決するべきものでもないのだ。


「ーーじゃあ、やるか」


呟いて、深呼吸。

それから、俺はようやく両手で彼女の頰に触れた。

肌に温もりが無いのを確認して、そのまま指先をロープの食い込んだ首に滑らせる。荒い網目に擦られた傷は比較的浅く、加えて、ロープを引き剥がそうと掻きむしった後も見つけられなかった。思い立って彼女の手のひらを持ち上げれば、つるりと綺麗な状態を保った爪が晒される。右に続いて左も見てはみたが、やはり傷はない。抵抗はしなかったのだろうか。意識を奪われてから殺害されたのだとすれば、相応の痕跡が残っている筈だ。

再び首に視線を移す。後頭部に手を差し入れ、軽く喉を反らさせた。同時に、もう片方の手でロープを解きにかかる。が、力一杯締められた結び目が解くのには時間がかかりそうだったので断念する。代わりにポケットから折り畳み式のナイフを取り出し、少し考えてから結び目を切った。ぱら、とロープが床に落ち、ブラウスの襟から傷口が覗く。


「…………」


意外だった。けれどどう見たって、これは“そういう”痕だ。否定の仕様がない。つまりは、一から考え直す必要がある訳で。

ため息を零し、服の(ボタン)に手を掛ける。女性の服というのはデザインに凝っていれば凝っている程着脱が面倒で、しかも“脱がせる”“着させる”となると余計にややこしいつくりになっているものだ。当たり前のことだが俺はエプロンドレスの構造など見当もつかないので、四苦八苦しながらなんとかはだけさせることに成功した。絵面的には女性の服を剥ぐよろしくない光景だと自覚しているが、まぁ俺は死体愛好家(ネクロフィリア)ではないし婚約者のいる身でもあるから、あまり注視しないで頂きたい。

兎に角、晒された部分の筋肉や皮膚の弾力と変色具合から死亡した時間を計算する。死後硬直が若干、角膜の混濁は見られない。死んでからそんなに時間は経っていないようだーーーー3、4時間程度だろうか。にしては死体温が低すぎる気もする。この倉庫、そんなに寒くはないけれど。となると、やはり先程の推測は当たっているのらしい。

続いて両脇に手を差し入れ、ひっくり返す。意識の無い人間というのは総じて重く、やっとのことで彼女をうつ伏せにしブラウスをめくり上げた。死斑。はっきりくっきりと言える程ではないものの、でも確かに、血液が重力に従って下降した証拠である。

背中に、死斑。

成る程、確定だ。(たんてい)に報告出来るレベルの強固な現実である。こればかりは、検死の甲斐があったと思い上がるしかない。

もっとも、灰が先んじて知っている可能性だって充分にあるけれど。


こんなところだろうか、と再び彼女を仰向けに横たえて考える。まさかここで解剖する訳にもいかないし、求められてもいないと思う。まぁ、後々「必要だ」と言われたら、その時すればいいということで。

一昔前の“言われたことだけやってるようじゃダメだ”と教えられていた時代じゃあ俺の考えは褒められたものではないのだろうけれども、堕落を推奨する理想郷(エリュシオン)では全然許容できる範囲の価値観だ。

よしそうしようーーーーと立ち上がりかけて、


「ああ、そうだ」


そこで、一つやり残したことがあるのを思い出す。それは、どうでもいいようで何より重要な作業である。危なかった、なんて心中で呟いてから、彼女の傍にしゃがみ込む。

まるで何もかも諦めているみたいにがらんどうな瞳は、虚空を見つめたまま固定されていて。


「ーー……おやすみ」


俺は右の手のひらをそっと両目の上に置き、そして、静かに彼女の瞼を下ろした。


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