【名も無き人喰い】 6
【14】
出鼻を挫くようだけれど、率直にネタばらしをすれば、彼女は別に死んだりはしていなかった。
生きていた。
尤もこの僕は、彼女が目を覚ますことはもうないのだろうと本気で思ったりもしたのだが。
あれから永遠にも近い数十分間を過ごした後、彼女はあまりにも普通に、あるいはどこまでも平常に起き上がった。起き上がって、驚きに目を見開いたままの僕をちらりと一瞥し、それから。
「…………ああ」
なんだ、と。
また駄目だったのか、なんて。
そんなことを呟いてーー覚束ない緩慢な動作で、ふらふらふわふわと歩き去ったのだった。
一方、残された僕は。
彼女を追いかけようとすら思えずに、今もなおただ呆然と、彼女の向かった方向を眺めている。
いきなり倒れたかと思えばいきなり起きて、一呼吸も置かない内に今度は何処へ行ってしまって。
訊きたいことも言いたいことも沢山有ったはずなのに。
「……」
心の何処かで、僕はきっと察していたのだろう。長い付き合いではないけれど、それでも一目で理解したのだ。
再び声を発した彼女が、もう僕の知っている彼女ではなかったことを。
例えるなら、鏡に映る虚像の様に。
或いは、足元に伸びる影の様に。
先程の《彼女》といつものあの子は、僅かながらも大きく違っていて。
声も顔も腕も足も髪も目も肌もそっくりな癖に、何かが、それも一番大切な何かが、言葉通り致命的にずれていた。
もう《彼女》はあの子ではない。白い髪で赤い目の、絵本の兎によく似た少女はーー僕の隣にいた綺麗な少女は、何処かに消えてしまったのである。
理由はわからないし、教えて貰ったって理解ができるとは思えないけれど。
「いや、うん。そうじゃなくて、そういうんじゃなくてーーーー」
まるで言い訳するみたいに煮え切らない自分に言い訳しようとしても、開いた僕の口から、意味のある言葉は出てこない。喉が、脳が、上手に動いていないらしく。ぐるぐると、吐き出せない思いだけが渦巻いていく。
だから僕は、とりあえず、「まぁいいか」と言った。「別にいいか」、「もう終わったことだし」と。
そして最後に「これから何をしよう」なんて呟いてから、今更ながらようやく立ち上がる。
服についた見えない埃を両手で払い落とし、すっかり暗くなった街並みをぐるりと見渡してみる。至る所に吊り下げられた提灯が風に揺れ、黄色や桃色の灯りが、淡くアスファルトを照らして。
ああ、思い出した。
僕は、生まれてきた訳を探さなければならないんだった。
この世界に産み落とされた理由を。
『探して』
『私を、探して』
ーーそういえば、あれは所謂「遺言」ってやつなのだろうか。どんな意味があるのかはわからないけれど、でも、これが彼女との最後の会話であることに違いは無いのだ。
もしかしたら、さっきの『彼女』に関係があるのかもしれない。否、全く関係が無かったとしても。
私を探して、なんてーーまるで昔の詩人みたいだ。酷く抽象的で、偶像的な探し物。
そんなの、化け物の僕に見つけられる筈もないのになぁ。自分のことだって碌にわからない僕に、ちょっと一緒に居ただけの、名前も知らない女の子のことなんて。
もう何処にも居なくなった、君のことなんて。
「……あーあ」
僕は、たった一人で空を仰ぐ。
あんなに愛した奇跡が、前より燻んで見えるのはなんでなんだろう。目が慣れてしまったからなのか、それとも。
隣にあの子がいないから?
なんて。
僕に「寂しい」という感情はない。
だから、彼女が居なくなったって困りはしないのだ。もともとは一人だったんだし、二人で居たって、何かをしていた訳ではないし。
ただ、でもやっぱり、何処かで彼女を特別に思っていたのは自覚しているから。
本当はずっと、知っていたから。
探せというならーー探して欲しいと言うのなら、駄目元で試してみてもいいだろうと思う。
どうせついでだし、とも。
だって、僕の左隣ーー誰も居なくなったそこは、今確かに、少しだけ肌寒いのだから。




