テンプレートと村人F❷
黒い枠に囲われた、床に嵌め込むタイプの蓋。カモフラージュはカーペットで充分だったんだろうか。少々あからさま過ぎるというか、隠す気が無かったのではないかとすら思えてくるディテールだ。まぁ、此処に辿り着くにはまずこの部屋に入れねばならない訳で、その為には当然屋敷に踏み込む必要があるのだから、到着までの関門の厄介さ故にそこまで警戒していないのかもしれないが。
「オロイラ伯爵は定番が好きなんだよ。定番の悪役とこれまた定番の主人公の、使い古されたありきたりな物語がお好みらしい」
取っ手と床とをがんじがらめに固定する鎖の先の、錆び付いた古い南京錠に先程の鍵を差し込めば、鈍い音ともに蓋が開いた。見下ろせば、地下の奥深くまで続く木製の梯子が目に入る。招くように、あるいは、誘うように。
ーーっと、あれ?
さていよいよ降りていこうかという場面で、俺は今更、登場人物が一人足りていないことに気がついた。
「トーマさんは、」
俺を霊安室に案内し、灰を現場まで連れて行くと行っていた筈の彼の姿を、そういえば少し前からみていない。根拠は無いが第一印象で勝手に判断する限り、客を放り出すほど無防備でも無用心でもなさそうだったのだけれど。
という類いの俺の言葉に、ん。と振り返った赤い目が、どうでも良さそうに部屋の外を示す。
「先に戻ってもらってるよ。道は覚えたから」
「ああ……あの人関係者だもんな。側にいられたら、こうやって部屋荒らしみたいな真似は出来ないか」
「それもあるけれど、それだけじゃなくて」
個人として彼のこと嫌いだから、一緒にいると落ち着かないんだよね。
そんな風に零しながら梯子を降り始めた灰に、俺は思わず溜息を吐いた。
「嫌いだから」って、ガキか。
俺だって精神が成熟してるとは言い難いタイプの人間だ、でもこいつ程ではない自信がある。もう社会に出て何年も経つのだから、本音と建前の割合を調節した方が良いだろうに。
もっとも、当のトーマさんが気にしているとは思えない分、それを指摘するのも面倒臭い。
だから結局俺は、黙って片手で器用に梯子を掴む灰を眺めていることにした。
降る度に、明かり一つ無い地下へと消えていく赤。よくもまぁ、踏み外さないものだ。足元なんて全然見えていないように思えるけれど、感覚で何とかなるものなんだろうか。少なくとも俺は絶対御免だ。転落、転倒必至である。
「おい、灰。なんか見えるか?」
「今の所は特に。っていうか、すっごい血生臭いんだけれど。物理的な意味で」
「……豚でも解体したんじゃねぇの」
「そうかもね」
いやいや、地下で豚解体する意味がわからん。
という至極真っ当なツッコミはあえて口にせず、俺たちはまるで現実逃避のような会話を延長させることにした。
暗黙の了解。
確か、そういうやつ。
「牛とか魚って可能性もあるよな」
「この屋敷の使用人なら誰でも出来るんじゃない?道徳観念とか低そうだし」
「確かに。どうするよ、“動物”の生首とか出てきたら」
「うーん、僕肉料理ってそこまで好きじゃないんだよね」
「そこじゃねぇし」
どんどんくぐもっていく声に、どうやら順調に進んでいるらしいと耳を澄ませつつ思う。何処へ向かっているのかとか、何があるのかなんて考えたくもないが。
大体、この屋敷の作りには不可思議な所が多い。何故か霊安室があったり、色んな所に明かりが足りていなかったり、やや演出過剰気味だと言わざるを得ないくらいに。
チノイロ屋敷。
殺されるべき被害者、か。
最初から予想はついていたけれど、どうやら本当に、後ろ暗い秘密があるらしい。人形メイドにスピリチュアルヤンデレ、狂信執事とーー拷問狂。彼らの棲家としては、《誂えたように》ぴったりだ。
……否。もしかして、実際に《誂えた》のか。
常識と道徳のない狂った使用人達は外部への情報漏洩を防ぐための人選で。【趣味】の末に誤って殺してしまった人間を、弔い隠すための霊安室。明かりを消せば、余計な痕跡だって誤魔化せるだろう。
とすると、この地下室は。
加えて、『名も無き人喰い』を書いたのがここの住人だと言うのなら、それは一体何のために。
そしてもう一つ。
彼らは何故、灰に依頼したのか。
隠したいことがあるなら探偵を使うのは愚策だ。どうしても必要なら、金であしらえそうな奴を選出するべきだろうに。
彼らが依頼したのはよりにもよって不知火灰。
面白半分に事件を引っ掻き回すような、それでいて無駄に優秀な『名探偵』。そんな人間を屋敷の中に入れて、あろうことか目を離すなんてーーありえるのか?
むしろ彼らは総じて、灰よりも俺を警戒しているようだった。探偵どころか所謂“助手”ですらない、ただの医者である俺を。
不合理で、不条理だ。
納得いかない。
「問題は、その違和感を消化する能が俺に無いってことなんだよなぁ」
推理は灰の専売特許だが、あいつは謎を見つけるだけで解決しようとしていない。気付いていない、訳も無いのに。
つまりは万事休す。
打つ手なし、ということ。
「まぁ、被害がこっちに来ないならいいけれど」
とはいえ、気になるものは気になる。傍観者の性なのだった。
ん。
……そういえば、さっきから声が聞こえない。非常に聞き取りにくいものではあったけれど、確かにここまで届いていたのに。
まさか、そんなに地下深くまで続いていたのか?というか、続いていたとしてもだ。あいつ、明かりも無しに何処まで行ってんだよ。キリがないと知ったら途中で戻ってくるだろ、普通は。
いや、あいつ自身が普通じゃないから引き返して来ないのだといえば、その通りだけれども。
踏み外して落下、で、死んでたりしないよな。おいおいおい勘弁してくれ。いくら俺でも、死者蘇生はちょっと無理だーーーーなんて、若干ずれたことを大真面目に考えて。恐る恐る身を乗り出した、途端にーーーー
「七夜、降りて来れる?」
面白いものがあるよ。
と、まるでいい予感のしないお誘いが、梯子の先から投げかけられた。
こちらの様子が見えていたかのようなタイミング、である。本当に見えていたかは、定かではないが。
兎にも角にも俺は、一瞬確かに跳ね上がった心臓が落ち着くのを待って口を開いた。
「面白いもの?死体とか屍体とか、遺体とかじゃねぇだろうな」
「どれも違うよ。ある意味それ以上にショッキングだ」
それ以上。
死んでいる人間よりも衝撃的なものが、この世にあると。
ふうん。
「絶対行かねぇ」
「……そこは普通『わかった今行く』って答えるところじゃないの」
「俺の危機察知能力が盛大にして豪勢に警鐘を鳴らしている。ので、却下」
す、っと一歩分後ずさって、溜息。予感というのは随分と非科学的で、理由や根拠にするには頼りないものであることを俺は正しく理解しているが、あえて言おう。
嫌な予感がする。
否、良い予感が全くしない。
どうしてもしないといけないことは仕方ないとしてーーーー自らの知的欲求を満たすために危険地帯に飛び込むほど、俺は名探偵じゃあない。
リスキーな手を使うぐらいなら無知なままでいいのだ、俺は。
「いいから降りておいでよ」
だというのに、ーーーー長い付き合いだ。俺の考え方なんて把握している癖にーーーー灰が「ああそうですか」と引き下がる様子は、無い。
「どうせ暫くの間はこの屋敷で《生き残らなきゃ》ならないんだ。好奇心とか興味とか以前に、有利な立場を得る為の情報として吸収しておくべきだと思うよ」
どころかそんな風に真っ当な意見まで突き返されて、お前汽車の中で君は死なないから大丈夫とか言ってただろ、なんて反論する間も無く「死にたくないだろ?」とか付け加えられたりすれば、ここでの俺の選択肢は、とある最悪の一手を残してもう消えている。
再度吐き出した溜息が、膝に落ちて。
「……夕食食えなくなったら責任とれよ」
立ち止まろうとする足を何とか動かし、俺は梯子に手を掛けた。




