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箱庭図書館の事件目録  作者: 雨夜 紅葉
『名も無き人喰い』編
13/30

テンプレートと村人F❶

【12】


「ーー自分を取り巻く一から十まで全部がどうでもよくなって、さっき済ませた決意とか考えた末の決断とか形だけとはいえ誇りと呼べた何かとか、そういう大事なものをほっぽり出すことになっても、とりあえずこの現実から逃れられるならそれで良いんじゃないかって思えてしまう精神状態。つまりは今の俺みたいなのを、本当の意味で“泣きたい気分”っていうんだろうなぁと思うわけだよ、俺は」

「どうしたの、長台詞なんて珍しいね。そんなにグロかった?」

「……この上無くな」


時計の針が午後6時35分を示す頃。

先ほど案内された書斎ーー要するに事件現場だーーの扉を開けた俺は、いち早く室内にいた灰に向かって、包み隠さず本音をぶちまけていた。

流石の灰も今だけは軽口を叩こうとはせず、微かな同情を込めた表情で黙ってそれを聞いている。

おそらくはこの天才も、初めて見た時は同じことを思ったのだろう。泣きたい、とまではいかなくても、ドン引きしたに違いない。

何を見たのか、といえば。

ここに来る前に連れて行かれた先が、簡易的とはいえ霊安室であったことを考えれば、おのずと答えは出るだろう。

いや、なんで個人邸に霊安室があるんだってツッコミは、この際置いておいて。


「報告しようか?探偵殿。見事に気持ち悪さ全開な結果だったぜ」

「見事に聞く気が失せる前置きだね。でもまぁお願いするよ、文月先生」


ころころと掌の上で転がしていた目に見えて高価(たか)そうな万年筆を、これまた高価(たか)そんなデスクの上に置く。そうして灰は何かを探すように部屋中を緩慢な動作で歩き回りながら、ちらりとこちらを見やった。その視線に促されるまま、俺はつい数分前になんとか書き上げたカルテを開く。

何から伝えるべきかに少し迷ってーー結局、上から順番に読み上げることにした。


「脊髄を貫いたのは先端が鋭い棒状の物体。傷の形と浅さから推定するに多分万年筆だ。つーことで勿論これが死因じゃない。その、なんていうか、案の上なんだけれど、喉笛を抉られたってのが直接の死因だ。それから、脇腹だな。典型的な咬創だし、ついでに体中あちこち歯型だらけだったし、大方の予想通り“喰われた”んだろう」

「……体中?」

「ん。致命傷を与えてから食いついた、って感じだ。ただ、即死ではなかった筈なのに抵抗の跡が全く無かったんだよなぁ。そこが妙っちゃ妙か。まぁ、呼吸出来なかっただろうから酸欠起こして動けなかっただけかもしんねぇけれど」


可能性や推測出来る理由は多々あるが、医者(おれ)からすれば意思を持って抵抗を避けた線が濃厚である。

という、最後の言葉だけは飲み込んで口を噤む。必要なのは事実報告であって余計な意見は控えるべき、ってのが検死を担当する際の俺の線引きだ。考察するのは自由だけれど、口に出して仕舞えばその瞬間から“協力者”になる。文字通り、一線を越えてしまうのだ。俺は何があろうとも《向こう側》に行く気は無いーーあくまで一般人、せめて関係者程度でいたいと思う。

俺は探偵でも今は失われし警察でもないのだから、そんな知的好奇心や正義感でやすやすと危険に晒されるような、趣味も道徳も持ち合わせていない。

そういうのは、やりたい奴がやればいい訳でーー俺はミステリー小説の読者の様に、理屈とか証拠を必要としない想像を、自分勝手にしているだけだ。

あくまで他人事。

安全地帯から眺めていたい。

願望であり、思想。


「消極的だねぇ。君の傍観精神はかつてないレベルで究極に完成されているらしい。別に批判も批評もするつもりはないけれど、少しは折り合いつけて物語が関わらないと主人公になれないよ?」

「いーよならなくて。なりたいとも思わねぇし。第一志望は村人Fだ」

「Aではない辺りがもう末期だね」


ぱたん、と閉じたカルテをデスクに置く。世間話というか、馴れ合いの様な会話をしながらも灰の視線は常に何かを眺めていて、何と無く気になった俺は、その手元を後ろから覗き込んだ。


灰が持っていたのは、小さな金の鍵だった。


アンティークものっぽいデザインの、造形から考えるにおそらくレバータンブレット錠。


「僕としては、どんなに的外れでも思いついた推理は口にして欲しいものだけれど」

「なんで」

「ノックスの十戒、知らないの?《“ワトスン役”は自分の判断を全て読者に知らせねばならない》ってルールがあるんだよ、ちゃんと」

「誰がいつお前の助手になったよ。職業選択の自由がある限りありえねぇし」


灰は鍵を一度空に放りーー重力に従って落ちてきた所をぱしりと握り込む。それから不意に何処かへ歩き始めて、部屋の中央付近で静止した。硬い革靴がコンカンコンとカーペット越しに床を叩き、


「……此処だね」

「あ?」

「定番ネタだよ。王道と云ってもいいくらいに。探偵になった以上は経験してみたかったフェイクの一つだ」


再び部屋の端まで移動した灰の手で、乱暴にカーペットが剥かれていく。2分後、最終的には蹴っ飛ばされて、不思議と埃一つない床が露わになった。

それを見た俺は、ようやっと灰の言葉の意味を理解する。

成る程確かに、ありふれたネタだ。


隠し通路。

それも、地下。


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