【名も無き人喰い】4
【11】
僕と彼女は、二人きりになった。
少し前まで一人だった僕は二人になって、少し前まで一人だったらしい彼女も、僕と一緒に二人になった。
特に意味があったわけじゃない。
意味も理由も感情も、必要ないと思っていた。
二人でいたいと思ったことも、実はなかった。
ただ“なんとなく”。気まぐれの様に、僕らは二人で息をしていたのだ。
きっと飽きたら、離れていただろう。
その程度の関係で。
でも“なんとなく”飽きなかったから、ずっと一緒にいた。
この手を、繋いでいた。
そうしたらそれがいつの間にか当たり前になっていて。
僕は人を殺して。
彼女は人を殺さずに。
綺麗な彼女は汚れてしまって。
汚い僕は、汚いままで。
ずっと。
一緒に。
「ねぇ、人喰いさん。貴方は、これからどうしたいの?」
それは、ある日のこと。
公園のベンチに座り夢中になって星を眺めていた彼女が、唐突にそう聞いてきた。
咄嗟のことに質問の意図を測りきれず、首を傾げて彼女を見れば、その大きな目に僕の姿が映る。
「貴方は、何をするつもりなの?」
再び問われて、僕は考え込んだ。
何を。
《何》を?
つまり彼女は、この僕に、「何をする為に生きているのか」と訊きたいのだろうか。
人を殺してまで生きて。
したかったことってなんだ?
言葉が出てこない。
最初はただ、生きていたかっただけで。《奇跡》の中で、不思議の国の住人になりたかっただけで。目標も夢も、考えたことなんて一度もなかったけれど。
今。
今はそこまで、必死に生きてはいない筈なのだ。
やっぱり長く生きれば生きるほど余裕も出てくるし、この生活に慣れた自覚だって、ある。
ならばやはり、そろそろはっきりさせておくべきなのだろう。
考察開始。
実は、考え始めて早々に浮かんだ答えがある。
彼女とーー目の前にいるこの綺麗な少女と一緒に居たいから生きているのではないか、と。
でもその答えを僕はすぐさま掻き消した。掻き消して、なかったことにした。確かに彼女と居る時間はそう悪いものじゃなくて、彼女がいなくなったら僕は死んでしまうかもしれないけれど、多分そういうことではないのだ。
正直に言うなら、ただ嫌だった。
人を殺す理由に、人を喰べる理由に、彼女の存在を使うのが嫌だった。外に出る前ならともかく、外に出て“普通”を見たくもないのに見てしまった僕は、知りたくなかったのに知ってしまった僕は、それが《悪いコト》だってちゃんとわかっていたのだから。付け加えるなら、わかっていても喰べなきゃ生きていけない僕が今も息をしていることだって悪いコトなのも理解させられたんだけれど、とりあえずはどうでもいいとして。
僕は何故生きているのだろう?
決まってる。心臓が動くからだ。
でも僕は心臓を止める方法を沢山沢山知っている。
息を止めても血を流しても頭を打っても胸を抉っても人は死ぬ。当たり前に死ぬ。酷く簡単に脆く死ぬ。死ぬとはとっても楽なことだ。げーむおーばー。お終いになるだけ。
返って、生きるのはとっても難しい。苦しいし辛いし痛いし寂しい。喰べるのだって失敗すれば殺されてしまうんだから、いつだって命懸け。《世界》は僕を拒絶しているのだ。
それでも僕は、「そうだ死のう」と思ったことは無かった。「死んだ方がいい」とも、思ったりしなかった。
何故?
わからない。
否、わかるはずもない。
きっと普通に生きてる普通の人間たちにだってそんなことわからない。自分がどうして生きているのかを、知っている人はごく僅かだ。皆わからないまま、なんとなく人生を送っている。
それは永遠の謎とかそういう類の何かであってーーーー
って、あ、そっか。
それにしよう。
考察終了。
この間約30秒。
30秒で、僕は一番しっくりくる答えを出した。
「探し物をしてるんだ」
すると彼女は、きょとんとした表情で僕を見て。
「探し物?」
「うん、探し物。それを見つけなきゃ、僕は死ねないんだ」
「何を探してるの?」
不思議そうに、本当に本当に不思議そうにそう問われた僕は、用意して回答をそのまま口にする。
「自分が生まれてきた理由を、探しているんだ」と。
見開かれていた目が、僕が言い切った途端に伏せられた。その白い肌に影を落とす睫毛は僅かに震えていて、何度か見た、人が泣くときの様子を彷彿とさせる。泣きそうなんだろうか。僕は泣いたことがないからわからないけれど、涙が零れるのは悲しいからだった筈だ。だとしたら、泣いて欲しくはないと思う。泣かれるぐらいなら笑っていてもらった方がずっと良いと。
ーー否。正確には、この子の悲しんでいる姿を、見たくなくて。それが、彼女のための気持ちなのか自己満足のための気持ちなのかははっきりしなくても。
でも、どうしよう。
喜ばせればいいんだろうか。“悲しい”の反対はきっと“嬉しい”か“楽しい”だ。不幸の反対が幸福であるように。とはいえとても自分が誰かを楽しませられる人間には考えられないから、僕に残された道はそれしかない。かといって、喜ばせる方法だってわかんないんだけれどさ。
ずっと昔、何かの本で「自分がして貰って嬉しいことをしてあげればいい」って読んだ気がする。実行してみよう、なんて思って、よく考えれば僕はして貰って嬉しいことどころかされて嫌なことだって経験してなかったことに気がついて諦めた。
万事休す。
しょうがないからせめて、と困り果てた末に彼女の顔を覗き込めば、慌てて張り付けられた作り笑顔に少し胸が痛んだ気がした。
痛みを知らない心臓の奥の方が、それでも確かに、ぎしりと軋むように。
「見つかるといいね」
そう言って笑ってみせた彼女は、やっぱりちょっと、泣きそうな顔をしていた。




