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箱庭図書館の事件目録  作者: 雨夜 紅葉
『名も無き人喰い』編
11/30

Welcome to

「勘違いでしょ勘違いよね勘違い以外あり得ないわ中々運命の人が現れないからちょっとリンクした人に心惹かれただけよね運命かもって思っちゃったって、間違って思っちゃったって、それだけの話よね。よね。よね?まさか本当に好きになったとかじゃううんそんなことないってわかってるんだけれど念のためっていうか形式美っていうか、そもそも私愛人の一人くらい許せる懐の広さを持ち合わせているから安心していいのよ。ところで貴方の婚約者って、いえ一応の名目上の婚約者って意味だけれど、その人ってどういう人なの私より可愛いの?私より優しいのかしら?ねぇ答えてよ簡単でしょ答えは一つしかない筈よ一つしか与えないわああでもついでだからもっとその人のこと教えてほしいなぁ電話番号とか郵便番号とか住所とか家族構成とか友人関係とか宗派とか仕事とか趣味とか特技とか嫌いな色とか嫌いな食べ物とか嫌いな物とか嫌いな人とか教えてほしいなぁ別にどうこうしようっていうんじゃないのよちょっとオハナシするだけよもしかしたらオトモダチにもなれたりするかもしれないわね貴方の、一応の名目上のとはいえ婚約者に向かって酷いことなんてするわけないでしょう私優しいんだから神様の大いなる意志によって定められた私達の運命の前では婚約者も愛人も浮気相手も泥棒猫も大した障害にはならないのよ」


本日最長の愛の囁きだ。

生憎と全然嬉しくない。

むしろ、言葉の端々に漏れ出した怪しげな単語に愕然とするばかりで。


なにこの人。

ああもう、嫌だ。


内心泣きたい気分になりながら、さてどうやってこの場を切り抜けるかを考える。とりあえず適当に言いくるめてしまえばいいんだろうというのは最初に考えたことだけれど、でも得てしてこういうタイプの人間は、受け入れられてからの方が厄介になるものだ。それにまぁ、一応、結婚を目前に控えた身なのだから、あんまりこう、浮気紛いのことはしたくないというか。

とはいえ、ばっさり拒絶して刃物で刺されたりしたら笑い話にもなりはしない。加えて、このまま愛を語られ続けるというのも論外だ。頭おかしくなる。

ならばやはり、最新の注意を払いつつ良い感じに誤魔化して、とにかく脱出しなければ。

と、口を開きかけた、その瞬間。

俺が何かを言うより1秒ほど早く背後の扉が開いて、俺は慌てて口を噤んだ。


「お嬢様、そろそろお時間です。不知火様に現場を見て頂かなくては」

「……トーマ」


“トーマ”。

そう呼ばれた青年は、俺と灰を見ると恭しく頭を下げる。その動作は明らかに訓練され尽くした完璧なもので、“年季が違う。”そんなことを感じさせて。

銀の髪が僅かに揺れて頭が上がれば、真っ先に目に入る、黒い眼帯に覆われた右目。そして唯一晒された左目は、何の感情も写してはいなかった。

無表情。

表情の、無い人間。

そういう表現が、よく似合う。


「お嬢様のお気持ちはわかりますが、先に事件の方を解決して頂かなくては。お連れしてよろしいですか?」


淡々と、どこまでも冷静に告げた彼に彼女は一度何かを言おうとして、けれど何も発することはなく、ただ「ええ」と了承の意だけを示した。ついさっきまであんな長台詞を喋っていた人間とは思えない殊勝さだ。

否、彼女だけではない。

黙って傍観していたアリスさんも、心なしか背筋を僅かに伸ばしている。あの無気力感が少しだけ消えたようにすら思う。

一体なんだというのだ。

いやいや、俺個人としては、大いに有り難いことだけれど。

ただ、灰が。

屋敷に足を踏み入れた当初からどこか楽しそうだった、愉しそうにしていた灰が、怪訝そうに、というか。

分析するような目で、彼を見ているものだから。

ーー自然とこっちも、落ち着かない訳で。

なんて、室内の空気を知ってか知らずか。青年はもう一度頭を下げると、俺と灰を扉の外へ促した。ぎぃぃ、と開いた扉の隙間から覗いた廊下に、人影は無い。

けれど、この部屋に居続けていてもしょうがないのだからと、青年に続いた灰を追って外へ。


再び扉が閉まる。


それを確認してからようやく、彼は俺たちに向かって言った。


「初めまして。ここからご案内させて頂く、トーマ・マッドハッターと申します。この屋敷で、執事のようなものを任じられております」


先に主の非礼を謝らせて頂きたいのですが。

そう問われて、突然のことに動揺しながら何とか了承した俺に。彼は、「ありがとうございます」と零して続ける。


「我が主は初めてお会いなされた人物には必ずあのようなことをされるのです。おそらく当人に悪気は無いのでしょうが、不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした」


ーーなんというか。

ここまで徹底して丁寧にされると、逆に怖いというか。


「ああ、いや、別に」


いいですけれど、と僅かに身構えて答えれば、彼は相変わらずの読めない表情で曖昧に目を伏せた。

それからふっとまた目を開けて、手袋に包まれた左手を廊下の奥に向ける。


「では、ご案内させて頂きます」


示された先にあるのは、闇。

随分とまたホラーテイストだ。いや、もうここの住人自体が充分にホラーだけれど、そういうことではなくて。

思わず始まりの一歩を躊躇う。今更なことは重々承知しているが、本能的な恐怖心だけはどうしようもない。

と言っても、だ。

今回の俺の仕事は検死であり、正確で明確な結果を残す義務がある。ならば、遺体を直診することは絶対に必要な事項だろう。

正直行きたくはない、が、ここまで来てしまった以上進むしかない。

そうやって、情けなくも未だ立ち竦んだままの自分を叱咤した。

と、そこで。


「……つまらないな」


ーー隣から伸ばされた左腕が、俺の行き先を塞いだ。

真っ直ぐにトーマさんを見る灰の表情が、ぞっとする程に冷たい。


「僕は君のような人間が一番恐ろしいよ。考えることを放棄した人間の最高峰、ーー否、最底辺と呼ぶべきかな。脳ごとどこかに置き忘れてるようで、見ているだけで不安定な気分になる」

「、っおい!灰、」


流石に言い過ぎだ、と注意しようとして、向けられた視線に制された。張り詰めてさえいないものの微妙な空気に包まれて、けれど灰の失礼過ぎる発言を気にも留めていないかのように飄々としているトーマさんの態度がまた、噛み合わない雰囲気を増長させている。

どうしたものか、とは考えつつもとても口を挟めるような状況(シチュエーション)ではない。加えて、何を考えているのか何も考えていないのか、トーマさんも何かを発しようとはしなかった。


「一つ訊いていいかな、執事さん」


だから、自然と生まれた沈黙を破ったのは灰だった。

この物語において唯一の【探偵】である、灰だった。


「トロエベット・ハート・オロイラが死んだ今ーー君は、誰に献身しているのかな?」


するとトーマさんは、僅かに目を伏せる。何かを思い浮かべるように、あるいは、何かを思い出しているのかのように。

それは彼が初めて見せた、随分と人間らしい表情で。


彼は答えた。


「例え伯爵の心臓が止まったとしても、この命はあの方のものです。あの方の願いを、叶え終える瞬間までは」



それから数十秒後。

結局促されたまま闇の中を進みながら、俺はふと思う。

“願い。”

あの方の願いをと、トーマさんは言ったけれど。

拷問狂で、チノイロ屋敷の主人で、最後は人喰いに喰われたかの伯爵は。

一体何を望んだのだろう。

自分のいなくなった世界に、一体何を願ってーー死んだのだろうかと。

けれどそれは、口に出す必要は無いほど微かな疑問で。

俺は振り切るように頭を振って、一言の会話もなく進んでいく彼らの後を追った。


闇が続いている。

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