第七話『黒衣の悪魔 side black 2』
「待ってよ!どうだった拓馬くん?」
足早に立ち去ろうとする拓馬の後ろから、焦ったようににつかさが声をかけてきた。
「ああ。そういえば、お前いたんだったな」
「忘れるなんて、ひどいよ拓馬くん」
つかさは拓馬をたしなめるように小突いたが、その顔はなぜか嬉しそうだった
「ね、恐喝じゃなかったでしょ?」
「恐喝じゃなかったけど、何か気が抜けたな。応援団の本性があんなだったなんて」
「ボクは知ってたけどね」
楽しそうにスキップしながら、拓馬を追い抜いたつかさは誇らしげに言う。
「何で?」
拓馬がそう尋ねるとつかさはにっこりと笑って答えた。
「新入部員が一人だけって言ってたでしょ。それってボクのことだから」
「……っ」
拓馬はつかさの顔を驚いた表情でみつめた。
「驚いた?ごめんね。今まで黙ってて。応援団ってイメージが大事らしいから、新入生指導が終わるまでは、他言するなって言われてたんだ」
「そうなのか」
「ああ、早くボクも学ラン着てみたいな。学ラン姿の女の子って、拓馬くん的にはどうかな?アリ?それともナシ?ボクはアリだと思うんだけどなあ」
拓馬はつかさのに言われて、つかさの応援団姿を想像してみたが、応援団の新入生指導に印象が強かったためか、全然イメージできなかったのだった。
◇◇◇
次の日の放課後
拓馬は再び不機嫌そうな顔のつかさに捕まっていた。
彼女の所属している部活が応援団であるという事実が判明して以来、彼の頭の中では色々な謎が一つに繋がっていた。そして、その中でももっとも厄介なのが「部員不足の応援団に拓馬を入部させようとしている」つかさの目論見だった。
「ねえねえ拓馬くん。入部、するでしょ?でしょ?」
そんな言葉が一日中拓馬の耳元で囁かれていた。例に漏れず、放課後になってもすぐにつかさは拓馬のところにやってくる。
「お願いしますっ!入部してくださいっ!」
「はあ?なんで俺が応援団なんかに。誘うなら太陽にしろ。俺は帰宅部だって」
「それはボクが許しません」
「お前の許しを乞う必要性は一体どこにある?」
「それはそうだけど……、っていうか、この距離は何?何でボク達こんなに離れてるのさ?」
疑問を投げ掛けるつかさの言い分ももっともであった。
彼らとの間には、まるで通り道を挟んでいるかのような隔たりがあり、そのせいでつかさは声を張り上げねばならない状況に陥っていた。彼女が一歩詰めると、拓馬は一歩退く。けれども、つかさが一歩退いても、拓馬が一歩寄ってくることはない。
「この距離は俺の安全圏だ。力付くで俺を従わせようとするお前の抗議して、お前の間合いには入らないことに決めた。文句なら過去の自分に言え」
「むむっ!でも、そんなことじゃボクの気持ちは変わらないもんねっ!拓馬くんが入部してくれるまで諦めないもん」
そう宣言すると、つかさは鞄を持って教室を出た拓馬の後を執拗に追いかけた。それから逃げる道すがら『廊下は走らない』というポスターの前を堂々と走り抜け、拓馬はある事実に気づき背筋が凍るほどの悪寒を覚えた。
(しまった……こいつさっき俺が入部するまで諦めないって言ってたよな。つまり、入部しなければ追いかけ続けるという言葉の裏返し。それは困る、というか一種の脅しだ)
ならば、と拓馬は足を止める。それに伴って後ろから追い付いたつかさも同様に足を止めた。
「つかさお前は俺が入部するまで本当に勧誘をやめないんだな?」
「そうだよ」
拓馬は再度確認する。つかさもにっこりと笑って肯定した。
「ならば、こちらにも手がある。お前が今すぐ勧誘をやめなければ、俺はここから飛び降りるっ!」
「えっ!それはちょっと困るかなあ……」
(ちょっとだけかよ。大事件だぞ)
心の中でそう悪態を吐きながら、拓馬が校庭に面した窓の方へと寄っていくと、本気だと思ったつかさがものすごい力で腕を引っ張りはじめた。
「ストップッ!この高さじゃ死ねないよ!」
「どんな引き止め方だよ!お前の口から『大野拓馬を応援団に勧誘しません。誓います』という言葉が直接聞けるまで、俺は自分の意志を変えない」
「わかった。じゃあ、百歩譲って、じゃんけんで拓馬くんが勝ったらきっぱり諦めます。誓います!」
人の命が懸かってるときに譲歩するな、と言いたかったが、もともとが非現実的な条件であったためか、むしろつかさの言い分がもっとも現実的な提案に思えてきた拓馬は、しぶしぶそれを飲むことにした。
「わかった。その条件を飲むことにしよう」
「じゃあ、ボクが勝ったら拓馬の入部決定も追加で」
「まあ、勧誘をやめないってことなら必然的にそうせざるを得なくなるな。不本意だが」
「いいよ」
つかさは嬉しそうに体を揺らす。
(とは言っても、俺もこの勝負も普通にやれば負ける可能性を排除できないからな。ここは一つカマをかけてみるか)
「つかさ、俺はパーを出す」
「わかった」
(つかさは月乃みたいにひねくれてないから、素直にチョキを出す確率が七割と言ったところ。裏を読んでパーを出す確率が二割、裏を読みすぎてグーを出す確率が一割。だったら……)
拓馬はもう一度深呼吸をした。その間につかさの表情をチラリと確認したが、彼女の表情はいつものそれと差異なく、そこから彼女の心理を読み取ることはできなかった。
そして、拓馬は拳を握りしめて叫ぶ。
「じゃんけんぽん!」
次の瞬間、拓馬はグーを、そして、つかさはパーを出していた。
それが意味するもの、拓馬の負けでつかさの勝ち。詰まるところは入部しなければならない状況に一気に追い込まれた拓馬であった。
「やったー」
「何でチョキを出さなかった?」
「だって、拓馬くんが素直にパーを出すとは思わなかったもん。拓馬のことは友達の中ではボクが一番知っているもんね」
結局、拓馬はつかさに連れられて、昨日のあの場所、体育館裏に向かうことになった。
◇◇◇
拓馬は思いがけずもう一度体育館裏に足を踏み入れることになった。しかし、それを喜ばしく思っているのは、彼の隣にいる少女だけである。
応援団などという組織は時代錯誤の集団であるという意見も聞かれる世の中、わざわざ入部しようと考える物好きな生徒は皆無であるだろう、と拓馬は思っていた。
ところが、である
体育館裏を訪れた彼の目に入ってきたのは、そこに集まった新入生の集団だった。彼の考えるような物好きな集団がいたのである。しかも三人も。もっとも、この三という数字を多いと考えるか少ないと考えるかは個人の自由ではあるが。
「おいおい、どうなってやがるんだ?」
「うそ!結構集まってるじゃん」
拓馬は驚きの声をあげ、そして隣にいるつかさに視線を送る。
嬉しいような、驚いたような、そんな表情を浮かべたつかさの姿がそこにはあった。拓馬はそれを確認すると体の向きを百八十度変え、今まで来た道を引き返そうと逆に一歩足を踏み出した。
「おれ、帰る」
「うん、それはダメ」
つかさは拓馬の襟首をがっしりと掴む。
「何でなんだよ!あれを見ろ!全然部員不足じゃねえじゃねえか!」
「それはそうだけど、……ボクは拓馬くんに入って欲しいのっ!……お願いっ!」
「それは部員不足の時の話だろ!」
「あーもう!男の子のくせに言い訳をしないっ!男に二言はないっていうでしょ」
(はあ、ダメだった。今日一日は保身のためにおとなしく従っておくか)
拓馬は襟首から伝わる力加減に恐怖を感じ、つかさに従うことを決めた。
彼女はそんな拓馬を引っ張るようにして連れていくと、元気よく挨拶の声をあげる。
「せんぱーい。こんにちはっ!」
「おっす、八尋ちゃん、久しぶりだね。見てよ、入部希望が予想以上に多くて、私らも驚いててさ。もしかして、この一年生って八尋ちゃんが連れてきたの?」
「いえ、そんなことはないです。ボクが連れてきたのはこの男の子だけですよ。入部希望が増えたのは、きっとこの部活や先輩方が魅力的だからですよ」
つかさが笑うと先輩は、ありがと、と一言述べて照れ笑いをした。
今までと違って、学校指定の女子制服を着用している彼女は、応援団のユニフォームである学ランを着ているときよりも数段可愛らしくなっているのが拓馬の目から見てもわかった。
そして、そんな彼女の背中越しに急に声を張り上げたのは、応援団長の霧島凍一だった。彼は手持ちの時計で時間を確認すると、もう一度みんなに告げる。
「よし、全員揃ったかな。ただいまの時刻を持ってこの場にいる一年生を正式に応援団の一員として受け入れることとする。一、二、三、四、五……全部で五人。上出来だ!」
団長は嬉しそうに笑った。
その笑顔には応援団長としての厳かさは伴っておらず、ただ純粋に一部活の部長として心から後輩ができたことを喜んでいるようであった。
「みんな。今日は集まってくれてありがとう。俺が応援団団長の霧島凍一。二年生だ。よろしくな」
団長が挨拶をすると、その場にいた一年生は皆一様に頭を軽く下げた。
「まず、昨日の件で俺から謝っておこうと思う。昨日は部員が脅し文句のようなものを並べて、本人の意志を尊重せず無理矢理ここに連れてきたこと、本当にすまなかったと思っている」
団長はそう言って五秒ほど頭を下げた。
「そして、その事に関して自己紹介を含めて部員から話がある」
「二年の内海彼方。すみませんでしたッ!」
「同じく二年の宗賀柚子。昨日は本当に申し訳なかったと思っている。言い出したのは私だ。本来ならば、真っ先に頭を下げねばならなかったのはこの私なんだ。不甲斐ない」
しばらく沈黙が続いた。
するといきなり、パン、と手のひらを叩く乾いた音が響く。
「はい。というわけで昨日の件はこれで終わり。何か不満があったら、後で個人的に俺の所に来てね。対応するから。本当は今日ここに来てない一年生達の方にも何かしらフォローしたいんだけどね」
団長は語尾を弱めて呟いたが、その表情は拓馬の目には微笑んでいるように見えた。
「今日はこれで終わり。俺たちもこの格好だし、場所も体育館裏。ロケーション最悪じゃん。応援団としての正式な顔合わせは明日以降ということで。とりあえず必要な説明として、活動日は平日の放課後。場所は最初は駐輪場になるのかな。他に質問は?」
団長は急に口調を早めると足早に説明した。
そこに手を挙げたのは一年生の中で髪を後ろに束ねて短いポニーテールを作っている女の子だった。
「はい、はい。質問良いですか?」
「はい、どうぞ」
「団長さんって普段からメガネしてるんですか?新入生指導の時はなかったから。っていうかメガネしてるとあんまり威厳ないですね」
別にどうでもいいだろう、と拓馬は思ったが、その質問を聞いた凍一はにっこりと笑って答えた。
「ああ、これね。これは伊達メガネ。これがないとみんな俺のこと怖がっちゃうんだよね。まあ、応援団としてはそっちの方が良いんだけど。言葉で説明するより、見てもらった方が早いかな。今のこの状態が、一般生徒としての俺。そして、メガネをはずした時……」
そう言いながら、凍一はメガネに手をかけてゆっくりとはずす。
その時だった。辺りの空気が変わったのは。
何か殺気のようなものが空気を伝って肌に感じる。以前にも同じような感覚を体験した。そう、あれは新入生指導の時。
「これが、応援団長としての俺だ――」
拓馬は身震いをした。メガネの有無でこんなにも変わるものなのか、と。
再び凍一がメガネをかけると、穏やかな空気に戻る。
「応援団はオーラがあってなんぼだからな。みんなもきっと練習すればこれくらいのオーラは身に付くよ」
笑顔でそう答えた凍一のその表情は優しかった。