第五話『学校のヒミツ⑤』
一日目の新入生指導が終わった、次の日の昼休み。
いつもの様に机を向かい合わせて一緒に昼食をとっていた月乃とつかさは、お互いにいつもとは異なるような溜め息をついた。
「はあ疲れた。新入生指導なんて無駄な労力を使って神経すり減らすだけの行事だわ、もう嫌になる」
と、一緒に昼食をとっていたつかさに月乃はこぼした。
「ボクも、まさかこの学校にこんな行事があるなんて思いもしなかったよ。でも、月乃の憂鬱はボクの言うことちゃんと聞かなかったからでしょ。ボクの言う通りに校歌を覚えてれば、少なくとも昨日みたいな失態はなかったはずだよ」
「もう思い出させないでぇー。あれは私の一生の不覚なのーっ!」
月乃が身を乗り出しながら、顔を赤面させて必死につかさの頭の中から昨日の自分を消そうとするその姿は、普段の強気で高飛車な月乃からは程遠く、貴重な一面であった。
月乃をそこまでさせるような出来事は、つかさの言う通り昨日の新入生指導で起こっていた。卑しくも口パクでやり過ごそう等と言う考えが甘かったのだ。案の定応援団員の目に留まり、五分間説教の洗礼を受けながら、その間、月乃はみんなの晒し者にされていた。
「でも運が良かったよね。あの程度で済んで。本当に運が悪かった生徒を挙げるとするなら、それは確実に太陽だよ。昨日の太陽はこっちが同情したくなるくらい頑張ってたからさ。その上、太陽は新入生指導が一日だけと思ってたみたいで……」
月乃が目をやった先には机に向かって校歌の載ったプリントを必死で眺める太陽の姿が見受けられた。歌詞を見ては空で暗唱し、再びプリントに目を落とすと言う作業をずっと繰り返している。
「一日目が終わった瞬間に頭の中から歌詞が消え去るなんて。もうちょっと自分の脳内容量を考えて頭の中をクリーンアップした方がいいんじゃないかしら?アイツの変な色情とかは消去した方が助かる人がいるってのに」
「それは、みんな月乃みたいに無勉で学年一位がとれるくらいに頭が言い訳じゃないんだから、月乃基準に考えたらダメだよ。ボクだって明日には忘れてる自信があるんだからね」
つかさの指摘に、少しばつが悪そうな表情を浮かべた月乃は、嘲るように太陽に向けていたその視線をもとに戻す。そして、取り繕うに小さな声で溢した。
「でも確かに、ここの校歌は所々古語が使ってあって、古い言い回しも多いから、意味をちゃんと理解しないと覚えにくいのは同意するけれど」
チラリとつかさに視線を送る月乃。
そして、彼女は改まったように小さな咳を一つ吐くと強調するように言った。
「そ、れ、に、つかさちゃんが勘違いしてるようだから言っとくけれど、私はあなたがさっき言ったような神童じゃないんだからね。確かに、ろくに勉強もしないで学年一位を取ったこともあるけれど、それだけ。普段は人並みに勉強してるつもりだし、少なくとも、私はこの学校の入学試験は二位通過。つまり、私よりも頭がいい人はいるってこと。もっとも、誰だかは知らないのだけれど」
「それはそれは。月乃ったら冷静ぶってるけど、実は心中はあまり穏やかではないんでしょ?月乃って中学の時から勉強に関しては譲らない性格だったし、話を聞く限りでは一位通過の生徒が誰なのか、どうしても知りたいみたいだしね」
「べ、別にそんなこと言ってないもんっ!」
「はいはい。分かってるって」
つかさは月乃の反応を面白そうに観察しながら、無邪気に笑って誤魔化した。
「そんなことより、まず月乃は校歌の歌詞を覚えなきゃだね。今日はたぶん逃げられないよ」
「大丈夫だって。あとで覚えるから」
「それじゃあ、不十分だよ。月乃だから忠告してあげるけど、応援団を舐めない方が良いと思うよ。月乃はあの応援団長が学校内で何て呼ばれてるか知ってる?」
「知らないけれど……」
「『黒衣の悪魔』。それが霧島団長の持っている二つ名だよ」
「悪魔……?黒衣はあの長い学ランのことを指しているとして、悪魔って言うほどの人だったかしら」
月乃は手を顔に当てながら疑問顔でそう言うと、つかさは再び苦笑いを見せた。
「何だか月乃は違うみたいだ。ボクみたいにあの恐怖と緊張を誘い出すような独特なオーラに当てられなかったみたいだし」
「当たり前よ」
そして、月乃は満面の笑顔で言った。
「とにかく、今日一日を乗り越えれば、平和な学校生活が訪れるわ」
(だから、その前に校歌を覚えろって言ってるのに……)
心の中で心配するつかさとは裏腹に、月乃の声は明るかった。
◇◇◇
同時刻、同じ教室内のできごと
女子二人が、昨日のできごとに花を咲かしている間、一人孤独に奮闘している男がいた。手嶋太陽である。彼の小さく開いた口からは、絶えず校歌のフレーズが漏れ出ていた。
「……えっと……未来を創る――」
「おい、未来を創ってどうするんだよ。三番の歌詞が混ざってるぞ、太陽。三番は正しくは未来を刻む、だ。ちなみに、二番が誇りを刻む、一番が歴史を刻む、な」
太陽の前の席に人がいないことを確認し、そこにスッと腰を下ろした拓馬が遮るように注意を促した。太陽はその忠告を聞きムッとした表情をつくる。
「何を言ってるんだよ。未来を創ったって別におかしくはないだろ?俺は断じて間違ったことを言ってないっ!」
「お前こそ何を言っている?作詞者がそう書いてるんだから、その通りに覚えろよ」
拓馬がそう返すと、太陽は一瞬にしてがっかりした表情になった。かと思うと、すぐに泣き顔になって拓馬に泣きついてきた。
「拓馬は良いよな、応援団に目をつけられてなくて。おまけに校歌を完全に暗記してるし非の打ち所がないじゃねえか」
「一学年は何人いると思ってるんだ。確率的にはお前の方が特殊だから。それにあの短時間できれいさっぱり忘れてしまうお前の頭もどうかしてるぞ」
「俺の頭の中は月乃のことで一杯だから」
「気持ち悪いな」
拓馬は太陽に軽蔑の眼差しを送り、そして太陽はまるでパンチを受けたかのような顔になった。
「落ち込んでいるように見えるお前に、ひとつだけ言っておく。昨日のお前は確かに英雄だった。そこは喜ぶところだぞ。お前が昨日選ばれることで、他の生徒は選ばれなかった。そして全力で歌ったことで、他の生徒に飛び火することを防いだんだ。それに昨日のお前は強烈に印象に残った。それは月乃も例外ではないはずだ。それが何を意味するか、お前にはわかるだろ?」
「それは本当か!何だかやる気が出てきた!」
「幸運を祈るよ」
拓馬は去り際に太陽の右肩に手を置くと、席を立ってその場を後にしたのだった。
◇◇◇
拓馬が教室を出ると、何を思ったかつかさが同じようについてきた。
教室の扉を閉めると同時に大声で拓馬を呼び止めると、拓馬は何だか疲れたような顔をつかさに向けた。
「ねえ、拓馬くん。まだ部活は決まってないの?」
「なんだよ急に?」
「いやあ、新入生指導が終わると一年生も一段落つくし、早めに決めないと拓馬くん自身が疎外感に苛まれるよ、と思って」
「お前は要らん心配をせんでよろしい」
拓馬は苦々しい表情を作ると、つかさから顔を背ける。
「やっぱり、決まってないんだね。よし、決めた!ボクに任せてよっ!」
「何を任されてるんだよ、お前は。いつも強引なんだよ」
「良いでしょ別に。拓馬くんも男の子なんだから、はっきりしなよ」
男の子だから、つかさはいつものようにそう付け加えた。しかし、拓馬にとってこの言葉ほどつかさの口から聞きたくない言葉はなかった。
「あのな、中学の時から言ってるけど、俺はつかさを含め他人というのには一切踏み込まない。だから、つかさも俺に踏み込んでこないでくれ」
それは拓馬の中学時代からの口癖だった。だから今回も、拓馬は深く考えずいつものように軽い気持ちでそう返すと、足早につかさから離れていく。
残されたつかさは、それを聞いて独り難しい顔をつくっていたのだった。
◇◇◇
応援団による新入生指導二日目が始まった。
それは再び一年生と応援団が相見えることを意味していた。学校内で語り継がれるエピソードに加え、実際にその恐ろしさを体感した一年生には、昨日のような浮わついた雰囲気はなかった。その代わり、始める前から既にそこを支配していたのは、恐怖、の二文字。 そして、それを象徴するかのような応援団の『黒』が体育館の中には光っていたのだった。
「只今より、新入生指導二日目を開始するッ。昨日散見された、校歌うろ覚えの愚か者は今日は必要ないッ!今日は二日目だが、最終日でもあるッ!昨日以上に厳しく指導していくッ。心してかかるように」
応援団長の怒声が昨日と同じように飛ぶと、一年生の気はさらに引き締まる。
一年生の息づかいが大きく聞こえるようになった。それは体調不良にならないように深呼吸を繰り返している音だった。
昨日の新入生指導では、十人ほどの生徒が体調不良、貧血、その他諸々の理由で退場を余儀なくされている。それはもちろん環境のせいもあろうが、もうひとつ大きな理由がある。
霧島団長の放つ威圧感、圧迫感。
黒衣の悪魔と称されるそのオーラは人にストレスを与える力があった。例えるなら、蛇に睨まれた蛙、ヤクザに睨まれた一般人。
そのオーラは今日も健在だった。そんな中で閉じ込められる以上、しっかりと気を引き締める必要があるのは考えればすぐわかることだった。
二日目の指導も滞りなく、怒声の飛び交うなか進行する。
応援歌、校則の正しい意味の暗唱、挨拶の仕方、と次々とプログラムをこなしていくと、気が付くと、全体の四分の三ほどの時間が経っていた。
ここで、団長が大きな声で一年生に告げた。
「では、今から校歌の練習にうつるッ!校歌は学校の何だッ!」
「「顔ですっ!」」
「そのとおりッ!わかってるなら、全力で歌うことッ!」
横にいる応援団員が一度だけ威嚇するように睨みを効かしたあと、合図を送って校歌の演奏を始める。
聞き飽きたようなメロディーが流れ、彼らの頭の中には瞬時に歌詞が駆け巡った。そして、それは音のあるフレーズとなってそれぞれの口から発せられるが……
「声が小せえぞッ!腹から声出せッ!」
と、すぐさま応援団長の怒声が飛び交う。それでも演奏は続いているため、一年生は歌を中断することはできない。それが昨日から続くルールだった。
「手を抜いてんじゃねえ!そこ!いいからステージに登壇しろ!」
「はいっ!」
一人生徒が指を指される。
指名された男子生徒はそう返事をしたものの、その瞳は明らかに命令に従うことを拒んでいる目である。応援団は急かす。それでもなお、ステージに上がろうとしないのを確認すると、団員自ら腕をつかみ、ステージ上まで引っ張りあげた。更に、
「そこのお前!見てないからって、手を抜いてんじゃないッ!応援団は背中にも目があるんだッ!逃れられると思うなよ」
もう一人の生徒も先程の男子生徒と同じように、ステージに上げさせられた。
ステージ上では開始早々既に二人、みんなの晒し者にされていた。しかし、驚きはない。それらの生徒は昨日の時点で既に応援団に目をつけられていたことを、多くの生徒が知っていたからだ。
そして、それがまだ始まりに過ぎないことも知っていた。
この二人の生徒を皮切りに、次々と、できの悪い生徒はステージ上にあげられる。
そんな状況になって、気が気でなかったのは月乃である。
(いったい何?何なのよーっ!ステージに上がるなんて絶対に嫌なんだからねーっ!)
口では覚えたての校歌を歌いながら、心の中では必死にそう願う月乃。しかし、その祈り空しく、応援団員は月乃のいる二組を前から進んできて、もうすぐ、エンカウントしようとしていた。
目と目が合う。それは気のせいではない。明らかに月乃に送られた視線だった。
目の前の団員が何かを言おうと口を大きく開けたのが、月乃の目にははっきり写った。
しかし、次の瞬間、聞こえてきたのはステージ上にいる応援団長の声だった。
「やめッ!では、最後にもう一度ッ、始めから校歌斉唱を行うッ。これが最後と思って全力で歌うことッ!いいなッ!」
一瞬、体育館の中が静まり返る。
その張り詰めた空気の中、応援団の合図により校歌の前奏が流れ始めた。周りの息遣いが、まるで音楽の一部であるかのように耳に入ってくる。
月乃も応援団員が目の前で見ている手前、全力で歌う以外に選択肢は見つからなかった。額に汗の流れるのを感じる。月乃は大きく口を開いて、息を吸い込んだ。
♪蒼い道 歴史を刻む
百人の 桜は儚き
仰ぐ友 契りし誓い
振り返らぬ 徒を導いて
創る道 迷う少年
♪蒼い道 誇りを刻む
風の音 忙しく過ぎる
和を尊び 生きる今日
双肩に 伝統担いて
護る道 走る少年
♪蒼い道 未来を刻む
影を追い 叶えいつの日か
光る証 二人三脚
空見上げ 門に立ちて
拓く道 夢みる少年
――月乃は脱力した。
目の前の応援団員も心なしか表情を緩めたように見えた。
「団員は全員ステージに戻ってこい。ステージにいる生徒も、自分のクラスにもどれ」
今度は無言が体育館の中を支配した。聞こえるのは、木でできた床を踏みつける音だけ。
全員がもとの場所に戻ったのを確認した応援団長はもう一度だけ部屋の中を見渡したが、その目には先程までの固さはなかったような気がした。
そして、再び口が開かれる。
「只今を持って、新入生指導を終了するッ」
それを聞いて、一年生の中には安堵を含んだような小さなため息が漏れた。
その空気を感じ取って、横にいた団員が声をあげようとしたが、団長が自らそれを制止した。
「二日間よく耐えてくれたと思う。この二日間で起こった出来事に理不尽さを感じた生徒もいるだろう。応援団に対する嫌悪感を抱いた生徒もいるだろう。そんな感情は顔を見ればすぐにわかる。しかし、指導が終わった今、そんなことは我々は気にしない」
応援団長は言葉に詰まる。
明らかに何かを迷っているようだった。きっと、その言葉は予定になかった言葉なのだろう。それを証明するかのように、横にいる応援団員共々驚いたような表情を浮かべていた。
しばらくの無音が続いたあと、何か吹っ切れたように団長は言葉を繋いだ。
「校歌と言うものはもっと心を込めて丁寧に歌うものだ。それは間違ってない。けれども、この二日間の指導では、ただ全力で歌うこと、その事を指導してきた。なぜなら、俺は校歌斉唱というのは学校の顔であり、学校が行う一種のパフォーマンスであると考えているからだ。そこには宗教的理由も、政治的理由もないッ!しかしッ、俺はッ、聞こえない上辺だけの綺麗な校歌より、聞こえる野蛮な校歌の方が好きなんだあッ!この思いはずっと変わらないし、俺が応援団長である以上、伝えていきたいことだと考えている」
応援団長は、この場を締めるかのように更に声を張り上げる。
「みんなにとってはただの通過儀礼に過ぎないかもしれない。来週には校歌を忘れるかもしれない。しかし、俺はここの校歌が大好きだし、この学校が大好きなんだ。それだけは変わらないッ!」
霧島凍一はありったけの声で己の思いのたけを述べた。それは当初の計画にはなかったのだろう、団長以外の団員はきょとんとした表情でその様子を眺めているのであった。
その余韻を楽しむかのように、しばらくは誰も何もしゃべらなかった。
そして、最後に今までの全てをかき消すような鋭い声で彼は叫んだ。
「以上ッ!解散ッ!」
月乃は応援団長の言葉を何だか不思議な感覚を覚えながら聞いていた。バカにしたくてもできないようなそんな雰囲気を彼はまとっていたのだ。
応援団長は深々とお辞儀をすると、ステージ上から姿を消す。
これで二日間の新入生指導は完全に終了した。
疲れたような、あきれたような表情が一年生を包むなか、つかさだけが一人笑っていた。