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03.エメラルドグリーンの瞳

 ルカは一人、あてもなく歩いた。となり町は通り過ぎた。前の町とそう変わらなかったからだ。そのまたとなりの町も過ぎた。やれそうなことが、ひとつもなかったからだ。ルカは細い足で、ずいぶん歩いた。

 単調な道も、薄暗い森も、険しいでこぼこ道も、川も越えた。

 しばらくすると、また老婆と遭遇した。道の隅に立ち手招きしている。ルカは駆け寄った。老婆はどこからともなく、フード付きの白いマントを取り出して少年に渡した。

「ここからはこれを身にまとうんだ。フードはまぶかに被るんだよ。いいかい。目を見られるんじゃないよ。その美しいエメラルドグリーンの瞳を失いたくなければ」

 人から何かを褒められたのは初めてだ。ルカはなんとなく、くすぐったい気持ちでマントを身に着け、フードをまぶかに被った。

「さあ、おいき。ここからは見たこともない世界だよ」

 老婆が言うと、歩いていた道や見渡していた草原や、森や川や山が消えた。代わりに現れたのは、幾何学的な模様をした高い建物や、宙に曲線を描いているレールとそれに吊るされて移動する箱だった。道はきれいに舗装され、ゴミはひとつも落ちていない。

 行き交う人は多い。街は広く、迷路のように入り組んでいるのに、誰も迷うことなく歩いている。

 ルカは人の流れに乗って歩いた。人々は言葉を交わさず黙々と歩いている。視線も合うことがない。ただ決められた道を決められたように歩いているようだった。

 あまりに奇妙だったが、ルカは思い切って声をかけてみることにした。

「あの、こんにちは。ちょっと聞きたいことがあるんです」

 すれ違いそうになった二十歳くらいの女の人を呼び止めた。女の人は立ち止まり、「こんにちは。なんでしょう」と機械的に答えた。

「上を行ったり来たりしているあの箱はなんですか?」

「モノレールよ」

「ものれえるって、なんですか?」

「乗り物よ。あれに乗って遠くへ移動するの」

 乗り物と聞いて、ルカの胸はときめいた。

「どうやったら乗れますか?」

「あの列に並ぶの」

 女の人は指差した。三メートルほどのポールの先にピカピカ光る球体があり、クルクルと回っている。そこへ行列ができていた。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」


 ルカはさっそく列に並んだ。モノレールは一車両ずつの運転で、ルカが乗ったのは六番目に来た車両だった。

 中へ入ると左右の端に長い座席があって、中央にはつかまり立ちするための手すりがある。

 ルカは手すりにつかまった。馬車や自転車以外の乗り物に乗ったことがないので、自然と表情がこわばった。だが走り出すと興奮に変わった。

 音も立てず走り出す箱は、揺れもほとんどない。まるで魔法のような乗り物だった。風よりも速い。

 ルカは窓の外をもっとよく観たくなった。どんな勢いで景色が過ぎ去っていくのか確かめたかった。そして思わず約束を忘れ、フードを取ってしまった。

 まずルカの真向かいにいた数人が目を見開いた。

「エメラルドグリーン」

 一人が呟くと周囲がざわめき、まもなく車両内は騒ぎとなった。ルカは動揺してフードを被り直したが、もう遅い。

 たくさんの手がルカに伸びた。訳もわからないまま囚われ、駅に着くと、立派な身なりをした恰幅のいい燕尾服の男に引き渡された。

 ルカはサーカスに売られるのではないかと、おびえた。だがサーカスには売られなかった。行った先には立派な屋敷があり、豪華な部屋が用意されていた。食事も当然のように出てきた。そしてある少女に出会った。

 粗末ではないが良いものでもないワンピースを着た少女は十五歳くらいで、とても痩せていた。

「今日からお世話をさせていただきます」

 と少女は言った。ルカはそのことには驚かなかった。どの程度の家で暮らすと女中がつくのか知っているからだ。ただ、それ以外のことは知らない。

「どうして僕はここにいなくちゃいけないの?」

 ルカの質問に、少女は目を丸めた。

「瞳がエメラルドグリーンだからです」

「変な理由だね」

「変じゃありません。しきたりです」

「そんなしきたり、初めて聞いたよ」

 会話が終わると、ルカは目の前の料理に口をつけた。お腹は充分に空いているので、次々と胃袋におさめられた。その様子を少女が唾をのみ込みながら見つめていることにも気づかず。


 来る日も来る日も、ルカは至れり尽くせりの生活を送った。一国の王子であった時より甲斐甲斐しく世話をされたかもしれない。城では誰からも関心を寄せられなかったが、ここでは誰もが関心を寄せてくれる。ルカは嬉しくて幸せだった。

 こんなふうに幸せだと、自然と周りに目がいくようになる。ルカはある時ふと、身の回りの世話をしてくれる少女が、ルカの食事を見つめているのに気がついた。

 少女は痩せている。満足に食べていないのは明らかだ。ルカはフォークを手にしたまま、ためらった。農家で経験したひもじさを思い出し、胸が痛んだ。

 ロールパンが五つある。そのうちの二つはあげてもいいんじゃないかと思った。飲み物はなくなれば新たに注いでもらえる。ローストチキンだって、とても大きい。一人では食べきれないのだし、手伝ってもらったほうがいいんじゃないか……と。それに部屋には少女とルカしかいない。とがめる者はいないのだ。

「ねえ、半分こしようよ。僕いつも残しちゃうでしょ? 手伝ってくれたら嬉しいな」

 少女はパアッと頬を染め、嬉しそうに微笑んだ。その笑顔を見てルカも嬉しくなった。少女が少しでもお腹いっぱいになってくれたら幸せだと感じた。


「分かったかい? 人は腹が満たされなくても、心が満たされれば幸せなんだよ」


 不意にどこからか老婆の声が聞こえた。ルカは宙を見上げて、ニコリと笑った。

「そうだね」


 それからは朝も昼も晩も、ルカは少女と食べ物を分け合った。少女はそのうち心を開き、身の上話をするようになった。

 両親を亡くしてから屋敷で働くようになったけど、ろくな食べ物は与えられず、きつい仕事ばかりさせられるのだと言った。でも今は悪くないと言う。

「ルカのおかげでご主人様も機嫌がいいし、あなたはこうして食事を分けてくれるでしょ? とっても嬉しいわ」

「分けてるんじゃないよ。手伝ってもらってるだけだよ」

「うふふ。優しいのね」

 なにが優しいのかルカにはわからなかったが、少女が自分を気に入ってくれたのだと思うと、顔が赤くなった。


 ところがそんな日々も長くは続かなかった。二人で食べ物を分け合っていることが屋敷の主人に知られてしまったからだ。

 屋敷の主人は鬼の形相で怒った。

「なんてことをしてくれた!」

 少女は責め立てられ、その様子を直視したルカは恐怖に固まった。ルカに与えられた食事はルカしか口にしてはいけなかったと言うのだ。しかしルカには理不尽な言い分にしか聞こえなかった。それならそれで、主人が少女にも充分に食事を与えていれば良かったからだ。

 大きな声で怒鳴りちらされるので、少女はどんどん小さくなった。顔は真っ青で、いまにも泣き出しそうだ。

 ルカも泣き出しそうだった。怖くて悲しくて、どうしようもなくなった。そして……

 気づくと少女と主人のあいだに立っていた。

「僕がそうしようって言ったんだ! この子が悪いんじゃないよ!」

 その背に少女が手を当てた。

「いいのよ、かばってくれなくても。あたしは良くないと知っていて断らなかったわ。悪いのは、あたしなの」

 ルカは驚き、振り返って少女を見つめた。

「良くないってなに? なぜ同じだけ食べちゃいけないの?」

「エメラルドグリーンの瞳をしているかどうかは大事なの。その人の食事を分けてもらうのはいけないことなのよ」

 知らない世界のルールに、ルカは困惑するばかりだった。

「誰がそんなこと決めたの? 目の色だけで決めるなんて、おかしいよ」

「でもそれが規則なの」

「まともにご飯も食べられない規則なんて……おかしいよ」

 そこへまた、老婆が現れた。そのあいだだけ周りの時が止まった。老婆はルカの前へ立ち、ニヤリと笑った。

「そろそろ力をあげようかねえ」

「ちから?」

「そうだよ。自分のものは何でも人にあげられる力さ。欲しいかい?」

 ルカはいっとき首をひねった。自分のものをあげられるのは当たり前じゃないかと思ったのだ。だが深く考えてみて、やっと意味がわかった。

「もしかして、髪とか目も?」

「そうだよ」

 ルカは嬉しくなって飛び上がった。

「もらうよ! その力!」

 ルカは力をもらって、少女に目をやった。エメラルドグリーンの瞳を手にした少女は、これから大切にされるだろう。

 ルカは時間が止まっているうちにと、屋敷を飛び出した。

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