01.王子ルカ
十ばかりの少年ルカは王子だった。
国は小さいが平和で豊かだ。風車を動力源として農作物を育て、電気を灯す。運河からは水と魚の恵みを受け、貿易も盛んである。
そんな国の王家に生まれたルカには、とても大きな欠点があった。
いつも自慢ばかりしているのだ。
「この懐中時計、かっこいいだろ? それからこの自転車も。すごく速く走るんだ。乗ってると、まるで風になったみたいだよ」
特に自転車はお気に入りのようで、毎日自慢していた。馬車が主流の世界では画期的で高価な乗り物だ。みんな乗りたがったが、ルカは見せびらかすばかりで、決して誰も乗せようとはしなかった。意地も悪かったのだ。
なので、町の子供たちは口々に言い合った。
「あいつ、どうして自慢ばかりするんだろう。王子のくせに」
「王子だからだろ? 甘やかされてるんだよ」
「べつに自慢するのはいいんだけどさ。貸してくれる気もないのに見せびらかすの、やめてほしいよな」
大人たちも言った。
「こんなこと言いたくはないけど、あの子が第二王子で良かったよ。もし皇太子様だったら、この国に未来はなかったろうからねえ」
陰口を叩かれていることは、ルカも知っていた。知っていて知らぬふりをしていた。やきもちを妬いて言っているだけだと、うそぶいていた。
僕がうらやましいんだろう。兄様のように責任はないし、お小遣いをいっぱい貰って遊んでいられるから——と。
だけどそれは強がりだ。ルカも自覚していた。しかし態度を変えようとは思わなかった。どんな形でも注目されていればよかったのだ。なにをしたって好かれないなら嫌われているほうがいい、と。
いつからそうなったんだろう。生まれつきなんだろうか。ううん。周りの大人が悪いのさ。
ルカは考えながら、城の門をくぐった。
城へ帰っても出迎える者はいない。みんなには、ルカの顔を見るより先にやることがあるからだ。各々の仕事や、皇太子や王女の世話だ。
ルカの兄と姉は、とても見目麗しい。そのうえ聡明で優しいから人気者だ。国民の憧れであり、支持を得ている。ルカとは正反対なのだ。が、ルカはひがんだりしなかった。別に兄や姉のようになりたいわけではないからだ。
ルカがなりたいのは、風だった。空や森を自由に駆け抜ける風になりたかった。だから自転車が好きだった。ずっとこぎ続けていれば風はいつまでも吹く。髪に、頬に、肩に、全身にたわむれる風。風に抱かれていれば、自分も風になっている気がした。
僕の友達は風だけ。自転車に乗っている時に感じる風だけなんだ。
ルカは、ひねくれた眼差しで遠くに過ぎ行く雲を眺めた。
今日も城下町の子供ら相手に自慢を繰り返した。明日もそうするだろう。毎日毎日あきることなく続け、やがて誰も耳を貸さなくなったとしても、やり続ける。まるで嫌われることが使命であるかのように、ルカは人に忌み嫌われていくのだ。だが傷ついたりしない。ルカにとっては愛も憎しみも同じだからだ。
愛を求めても得られるのは憎しみばかり。だからいつしか、それが愛だと思うようになったのだ。
それでも時々は考えた。どうして求める愛が憎しみばかりなのだろうかと。
上の二人と年が一回り離れているのは、予定外の子供だったからだが、これだけでは愛されないことの原因にはならない。
王位継承権は三番目だけど、それだけでもない。
王家には一人の王子と一人の王女がいれば充分だったのか。
そんなはずはない。
ひとりだけ聡明ではなく、きわだって美しくもないせいなのか。
……それは一理ある。否。すべてのことが偶然重なったために愛されないのかもしれない。一時は貪欲に愛を欲したこともあるが、やり方がよくなかったのか、成功しなかった。
五つの時だ。
公務に忙しくしている両親や、勉学に励む兄と姉の気を引こうとして、ルカは自分の部屋に火をつけた。もちろんこっぴどく叱られた。が、それも高価な絵が燃えてしまったことを怒られているのではなく、自分が焼け死んでしまったかもしれないと心配して怒ってくれたのだと思ったルカは、うれしくて思わず笑ってしまった。
火をつけて怒られているのに、うれしそうに笑った少年を、大人たちが不気味に思わなかったはずはない。
「あれは悪魔の子だ」
と囁かれるのに、たいして時間はかからなかった。
それからもルカは、あの手この手でみんなの気を引こうとした。花瓶を割ってみたり、カーテンを引き裂いてみたり、家畜を全部逃がしてしまったり、大人が困りそうなありとあらゆることを、やってみた。
大人たちは目を血眼にしてルカを探し、捕まえて叱った。ルカはそのたびに喜んだ。叱られるのは、愛されているからだと信じていたのだ。
「みんなが僕を良くしてやろうと必死なんだ。それだけ僕を愛しているんだよ。でもいい子になっちゃダメだよ。みんなが僕に構えなくなって、淋しくなるだろ?」
そう言うと、両親は驚き、さっそく策を練った。ルカが何をしても叱らず、構わないように、と。
その日から、どんなイタズラをしても誰も叱りにこないので、ルカはお小遣いをせびった。毎日せびっていれば、いつかは叱ってくれると思ったのだ。だが両親は黙ってお金を渡し続けた。
ルカは欲しいものなどなかったので、貯金した。それを使う時が来たのは、自転車が店頭に並んだ時だった。
自転車を買い、乗る練習をして町へ出ると、みんなの視線が集まった。ルカは面白くなった。
「みんなが僕に注目してる。自転車ってスゴイな」
しかしそれも、だんだんと飽きられた。町中を毎日のように自転車で回っているルカの姿は当たり前となり、珍しくなくなったのだ。それでもルカが自転車から降りなかったのは、風が好きになったからだ。
そしてある時。ルカは自転車で走った時に吹く風がどんなに素晴らしいのか自慢したくなった。はじめは子供たちも興味津々でルカの話を聞いたが、「試しに乗りたい」というとルカが頑として断るので、やがてバカらしくなった。
「乗せてくれないんなら、もう来るなよ!」
言われたルカは頭にきて、子供たちの群れに自転車で突っ込んだ。何人か軽い怪我をした。
ルカは、こんなことが大人に知れたら、いよいよ叱られるに違いないと期待した。だが誰も叱りにはこなかった。
こうして少年は、親兄姉や世間の大人や子供たちから敬遠され、見捨てられていった。
もう誰からも愛されないのだ、とわかったルカは、町の子供らを妬んだ。やすやすと無償の愛を得ている彼らを憎んだ。だがこの憎しみすらも、やがて愛だと思うようになった。ルカは町の子供らと交わって遊びたいと願っていた。それなのに憎らしいと考えるのは、憎しみも愛だからだと解釈するようになったのだ。
ルカは、自分が彼らを羨ましいと思うように、彼らにも自分のことを羨ましがらせたかった。その妬みが愛を生むと思ったからだ。しかしそうすればするほど自分自身が不幸になっていくのは何故なのか、わからなかった。
愛は求めるほど去って行くものだと、うすうす気づきはじめた時は、もう手遅れだった。いまさら何も止められなかった。