学園都市にて。二日目。
外はまだ暗い。
大きなモノがベランダに降り立った事に気付き、枕の下に置いた脇差しに手をかける。
敵意は感じない。
それはドアに手をかけるけれど、鍵を開けてはいない。
外に立っているのは妙齢の女性。その髪はエリザより深い赤に見えるのは外の暗さの性だろうか。
開けるべきか。とりあえず声をかけようと身を起こす。
ガシャンッ
声をかける前にガラス戸を蹴破ってきた。その足に傷は無く、裸足のままガラスを踏みつけて入って来る。
「気付いて居たのならとっとと開けんか。」
気付いていたのに気付いていたらしい。
そのままベッドに腰掛ける。
「トラ・イグだな。儂はリエール・ブレンス。キクノ学園学園長でありエルザの祖母になる。」
そこまで言って懐から一通の書状を出す。見覚えがある師匠の紹介状だ。
「徹夜続きでストレスが貯まっている所に面白いものが見えたので思わず飛び出して来てしもうた。それにしてもルーデンとイオシスの紹介とは前代未聞よ。」
冗談と撥ね付けられなかったのは僥倖とするべきか奇禍とするべきか。なにはともあれまず言うべきは、
「すみません。その紹介者は嘘です。」
ベッドの上で頭を下げる。
「ん?ルーデンは違うと思ったがイオシスの弟子ではないのか?」
「違います。お二人ともあった事ありません。」
「むぅ。騙りかのぅ。」
それでも紹介状を開くと二通の手紙が出て来た。
「これはお主宛じゃのう。」
一通を渡される。宛名には「コートラへ。」裏には「お師匠様より。」とある。ひとまず手紙は後で読むとして、背中に嫌な汗をかきながらリエールさんが読み終わるのを大人しく待つ。
「フフ・・。」
面白い事でも書いてあったのだろうか。背中が振るえている。
「ははははは。」
ついには声を挙げて笑う。とりあえず不愉快ではなさそうな事に安堵し、笑い終わるのを待つが、直に笑い声は止んだ。
「アキナ殿はお元気なようじゃな。」
「はい。」
その口調は丁寧な物で知り合いである事をうかがい知る事が出来た。とりあえずほっとする。
「この手紙には、入学と住まいについて頼むと書いてある。また、見識を広げさせたいとあるが衣食については触れておらん。儂としては問題ないがどうする?」
師匠は自分の食い扶持はなんとかしろと言うことなのだろう。
なら、
「師匠の言う通りに自分でなんとかしたいと思います。」
「うむ。そうするのも見聞を広げるのに役立つであろう。」
ドンドンドン
ドアを激しくならす音がする。
直に止むと、一際大きい音と共に扉が開けられた。
「どうしたの!?」
エルザが足で蹴り開けたらしい。片足を挙げたまま剣を片手に室内をうかがう。まず正面の破られた窓扉に、次いでベッドに腰掛けるリエールに目をやった。
「御婆様、玄関からお入り下さいな。」
一応言葉では咎めているけれども、既に諦めているようで肩を落として溜息を履いた。
「ん、まぁすまんのぅ。」
エルザが後ろに声をかけると数人のメイドが手早くガラス片などを片付けて行く。
「それで、トラの紹介状を見たのですね。」
「うむ。入学を認める。それと住居に中央の屋敷を渡す。」
「トラは何処に通うのでしょうか?まぁ中央なら何処へでも行きやすいとは思いますけれど・・・。」
リエールさんが校舎を決めるのではないのか。
その疑問を読み取ったのかリエールさんはこちらを見て口を開いた。
「儂が決めては見聞云々の前につまらんじゃろう。そもそも何処か一つの校舎で授業を受けねばならぬ訳ではないしのう。」
そう言って口元で軽く笑うその姿は楽しくて、と言うよりはニヤリといった表現が正しいと思う。
「儂は少し寝る故に昼間で起こすな。」
欠伸を一つするとそのままベッドに倒れ込んだ。枕を取られ隣に寝るリエールさんとエルザを見る。
「まさか御婆様と一緒に寝るわけにもいかないでしょう。今別の部屋を用意します。」
エルザが再びため息をついた。
「いや、もう起きるよ。少し庭で鍛錬してもいいかな?」
「なら、着替えはこの娘に案内させるわ。私はもう少し寝るから五月蝿くはしないでね。」
「うん。」
首を振って肯定するとベッドから出る。
「なんだか朝から疲れたわ・・。」
剣を片手に戻って行くエルザ。改めて見れば寝間着のままだ。急いで駆けつけてくれたに違いない。
「ありがと。」
その背中に声をかけると剣を軽く持ち上げて答えてくれた。
メイドに案内されて小部屋で着替えると刀を渡される。
「お嬢様が返されるとおっしゃっていました。」
なんだかんだで信用してくれたのだろう。もしくは何か有っても叩き伏せられると思っているのかもしれない。
刀を手に薄暗い庭に裸足で立つ。ひんやりと芝生が気持ちいい。庭の真ん中まで行くと静かに刀を抜き正眼に構える。丁寧に刀を振り上げ喉の高さまで切っ先を斬り下ろす。数度繰り返し、次は腰の高さまで斬り下ろす。それも数度繰り返すと徐々に早く。体が温まった所で止め左右袈裟斬り、左右横一文字、左右逆袈裟斬りと続け最後に突きを確かめると、今度は体を動かしながら斬り下しから初めていく。
再び突きまでやったところで深く息を吐くと、途中から見ていたエリザに声をかける。
「何か用かな?」
「もうすぐごはんよ。汗を拭いてから来なさい。」
それだけ言うと濡れたタオルを投げつけて室内に戻って行ってしまう。
「五月蝿かったかな?」
ありがたくタオルで顔と体を拭ってからその後を追う。
途中メイドさんにタオルを預けて部屋に行くとエルザとマーサさんが待っていてくれた。
「おまたせしました。」
メイドが引いてくれた椅子に座る前に二人に頭を下げる。
「いえいえ。」
「さっさと席に着いて。食べるわよ。」
エルザに促されて椅子に座ると直に朝食が運ばれて来る。スープにサラダ、ハムエッグとパンと普通の食事と変わらない様に思っていたけれど一つ一つが美味しい。ハムエッグを食べ終えた頃に、普通の朝食で滅多に見ない物が出て来た。5kg程ありそうなTボーンステーキだ。どうやらエルザ用でマーサさんにはない。肉を給仕しているメイドを見ていると。不意に目が合った。こちらをじっと見てから肉に目をやる。どうやら目で居るかと聞かれている様なので慌てて首を振る。朝からあんな量の肉を食べられる気がしない・・・。
エルザが肉を腹に収めて行くのを片目にマーサさんとお茶を飲みながら話す。
「昨夜は良く眠れましたか?」
「はい。あんなに気持ちが良いベッドに寝たのは初めてです。」
「まぁお上手ですこと。」
マーサさんはそう言うけれども嘘じゃない。キクノまで来る間に自分が泊まった様な下級の宿は大体が板の上に寝わらと布が何枚かといった案配だったし、師匠のベッドもこんなにふかふかではなかった。
「枕もふかふかでいつまでも眠っていられそうでした。」
「それはリエール様に起こされてしまった残念でしたね。」
確かに起こされなかったら朝の鍛錬はさぼったかもしれない。
「部屋から拝見しましたけれど、綺麗な動きなのにまるで風を斬る様でしたね。」
風を斬る様と言われて少し嬉しい。何故なら自分が目指す所の一つでもあるからだ。
「トラこの後私と戦いましょう。」
いつの間にか肉を平らげたエルザがそんな事を言ってきた。
「リエールさんが起きて来るまでにエミリアの所へ行って来ようかと思うから・・。」
エルザに道を教えて欲しいのだけど。
「おそらく寝ているから夕方に訪ねるのが良いと思いますよ。なんなら使いを出しておきます。それに刀使いとの手合わせは初めてなので気になりますわ。では一時間後に。」
嬉しそうに席を立つエルザ。
「もう決定なのね・・。」
「お怪我をなさいません様に。」
マーサさんもそう言って席を立った。
あとでメイドさんに聞いた所、夜行人種の人達を訪ねるのは早くても昼過ぎ、普通は夕方に訪ねるのが礼儀とのこと。一日の開始時間が違うのだから当然だろう。
メイドさんに案内されて来たのは、エルザに指定された屋敷の裏手にある建物。木造ながらしっかりとしているその建物は全面板の間で、そんじょそこらの道場より大きく板の間は磨かれている。
「古いけれどなかなか良いでしょう。」
エルザは既に道場の真ん中に立って待っていた。
「私はこれでいいかしら?」
軽く頷いて同意を示す。
エルザの持っていたのは一振りの木剣。少し見れば使い込まれたのがわかる。薄く光沢を放っているのは強化魔法がかかっているからだろう。
「あいにくと刀の木剣はないからそのままで良いわ。」
「え、」
いくら寸止めのつもりでももし手元が狂ったら怪我は免れない。
「いいのよ。ほら。」
こちらの言葉を封ずる様に切り掛かって来る。バックステップでかわす。
「もし・・。」
「えいっ。」
突いて来た剣に体を開いて躱すとそのまま弧を描く様に距離を取る。
「当ったりしたら、」
「ふん。」
突いて崩れた体のまま片手で剣を横殴ってくるけれど、一歩下がれば当らない。
「危ないよ。」
「良いって言っているでしょ!」
そう言われても斬るわけにはいかない。
「んー。」
何と言ったら良いのだろう。壁にかかっている木剣を借り手も良いのだけれども、刀を相手にしたいと言っていたし・・・。
考えている間にもエルザは崩れた体を直して激しく切り掛かって来る。
(組伏すか。)
そう思って下からの切り上げをかわすのと同時に大きく下がる。
(次に突っ込んできたら組み伏せる。)
しかしエルザは下を向いて肩で息をしている。
「な、なんで」
(あきらめたかな?)
顔を上げたエルザの横には火球が二つ。
「擦りもしないのよ!!」
叫びと同時に火球が飛んできた。
直線的なその動きは速いけれどもエルザの剣よりは遅く躱すのにはわけない。
(だけれども、)
エルザは気付いて居るのか、それとも気付いて居ないのか。
(おそらく後者だろうな。)
後ろの入り口には案内してくれたメイドが一人。彼女が避けられるかどうかは微妙な所だろう。そこまで考えたときには後一歩の所まで火球が迫る。
あとは考える必要も無い。
鯉口を斬り、その剣線が二つの火球に重なる様に振り抜く。
ポンッ
可愛い音がして火球が消える。
「えっ・・。」
驚くエルザに一足飛びに近づくとその首に刀を突きつける。
「参ったわ。」
木剣を道場の床に落として手を挙げるエルザ。
直に刀を引いて納める。
「まさか魔法まで使って負けるとはね。」
「危ないだろう。」
指差す先には入り口に控えたメイドさん。
「まさか、そこまで考えていたの?ちなみにあの娘が居なかったら?」
「避けたに決まっている。」
「私じゃ刀を抜かさせる事も出来ないのね。」
「まぁ今回は稽古だしさ。」
倒すつもりなら抜かねば勝てないだろう。彼女の力の前では押さえつける事は難しいに違いない。
「まさか斬れるつもりなの?」
驚くのは当然。竜族の皮膚はその鱗が変化した物であり、固い。その堅さと力の強さ、そして固有の魔法を持って種として最強の名を得ている程に。
「まぁね。」
「その刀が特別な物とか?」
「いや、多分普通のだと思う。」
師匠が拾って来たと言っていたからそんなに特別な物だとは思えない。
「ふーん。」
それでもジロジロと見て来るので腰から抜いて渡す。
「いいの?」
「見たいのでしょ?」
エルザは嬉しそうにそれでも丁寧に刀を抜く。
「特別な感じはしないわね。ちょっといい?」
振ってみたそうなので許可を出す。
二、三回振って首を傾げる。
「剣とは違うからね。」
剣の「切る」と刀の「斬る」は違う。それにエルザの剣は力に任せて叩きつぶす、潰し切るといった剣で自分とは全く違う。その為に納得できないのだろう。
「うーん。私には合いそうも無いわね。」
エルザだったら刀よりも斧や鎚の方がまだ合いそうだ。そんなこと言ったら怒りそうなので勿論言わない。
「それにしても本当に斬れるのかしら。」
斬ると言った発現に納得できないのか指先でチンチンと刃を叩いている。
「もういい?」
「えい。」
返してもらおうとした時に、いきなり自分の腕に刀を叩き付けるエルザ。
「「「あっ。」」」
自分が出した声だったか、それともエルザか、はたまたメイドさんか。
エルザの腕に叩き付けられた刀は真ん中から見事にへし曲がった。
「ご、ごめんなさい。」
いち早く動いたのはエルザ。指で刃先を持つと曲がったのを直そうとする。
「ちょっ・・。」
待ってまで言えなかった。
曲がった刃は、金属疲労と竜族の力の前にあえなく折れた。
「・・・・・。」
「・・・・。」
「・・・。」
「えっと。」
「ごめんなさい。」
深々と頭を下げるエルザ。
「もし良かったら私の剣を・・。」
そっと立てかけてあった剣を差し出して来るけれども
「剣は上手く使えないから。僕には重くてね・・。」
使えない訳じゃないけど、刀の様には使えない。それに力が無いために剣本来の持ち味も活かせないと思う。
「まぁ、しょうがないかな・・。」
エルザに貸したのは自分だし、まさか自分自身で試し切りするとは思いもよらなかったけど。
「ここにいたか。」
入り口から姿を現したのはリエールさん。
一目見て状況を判断したらしい。
「エルザが責任もって代わりを探すのじゃな。」
「はい。」
なんか申し訳ないけれど、武器が無いのは問題なのでその言葉に甘えておこう。
「とりあえずトラの家に行くぞ。そのあと二人で武器屋にでも行って来い。」
リエールさんの案内で向かったのは街の中心にある広場。そこから八方に道が続いており広場に近い程建物は高く5階建て等の石造りの建物が並んでいる。
「ここを真っすぐに言った突き当たりが普段儂のいるブレンス校じゃ。更に奥には儂の家が在る。何か用があれば訪ねて来い。そしてここがお主の住まいじゃ。」
広場に隣接する建物の間に細い道が通いる。知らなければ入る事は無いであろうその道リエールさんとエルザは迷い無く入って行く。
建物の間を縫う様に着いた先は、ぽっかりと空間が開けていた。
「ここじゃ。」
小さな広場の先には鉄柵があり門となっている。そしてその先には小さな建物がぽつんとあるだけ。
門まで近づくと直に一人の男が走り寄って来た。
「リエール様。只今開けます。」
その初老とも言ってよいであろうと思われる男は直に鉄柵に取り付くと、直に門を開けた。男の力が思ったよりも強いのか、手入れが成されているのか、スムーズに開いた門を抜けて敷地内へ入る。
男のかけて来た方には小さな建物が一つ。他には塀と芝生と奥に樹々が見えるだけである。
「セバスご苦労じゃな。」
セバスと呼ばれた初老の男は恐縮してリエールさんに頭を下げたままだ。
「もったいのうございます。」
「本日よりここをこのコトーラに譲り渡すがお主はどうしたい?」
ようやく頭を上げた男がこちらを見て来るけれどもその前に一つ気になる事があった。
「譲り渡す?貸してくれるのではなかったのですか?」
街の中心にこの広さってことは高いのではないだろうか。もちろん対価を払えと言われても払える気はしていない。
「正確には返却するだな。もともとお主の師匠の物じゃったからなここは。儂は預かっておっただけじゃ。」
師匠と大都市。結びつかない。
「アキナ殿が居た頃はこんなに大きな街ではなかったのじゃよ。」
顔に出ていたのか、教えてくれた。
「それで街を去る際にアキナ殿が儂の父に預けていったので代々、と言っても父と儂だけじゃがここを守って来た。それで実際にここを管理してくれていたのがセバスじゃ。」
セバスさんが静かに頭を下げ、あわてて僕も頭を下げる。
「あとはこれにサインをしてくれれば終わりじゃ。セバスについては二人で話すが良い。儂の屋敷で良かったら何時でも戻って来てくれてかまわんぞ。」
最後の言葉はセバスさんにかけたもののようで、顔はセバスさんに向いたまま一枚の書類とペンをこちらに突きつけて来た。
書類には確かに師匠から預かっていた物を僕に譲り渡すとあり、それには建物や土地だけでなくそこにある家財道具等も含まれるらしい。
(師匠の物ならいずれ返せば良いし・・。)
そう考えてサインをする。
「うむ。これで儂の仕事は終わりじゃ。あとはエルザとセバスに聞くと良い。」
リエールさんはそれだけ言って来た道を引き返していく。
「忙しい中ありがとうございます。」
後ろ姿に声をかけると書類を持ったままの手を挙げて振り向かずに去っていく。
「やっぱりエルザに似ている。いやここはリエールさんにエルザが似ているのかな?」
小さな声で呟いたのだけどエルザには聞こえていたらしい。
「私はあんなに自分勝手じゃありません。」
身内だから思う所があるのか、エルザを見ると口を尖らせていた。
「さて若様。」
「若様?」
一瞬誰を呼んだのかわからなかった。けれどもセバスさんの顔はこちらを向いているし、ここには自分とエルザとセバスさんしかいない。一応自分を指差すとセバスさんが頷く。
「その呼び方何とかなりませんか?」
「ではトラ様とお呼びさせて下さい。」
できれば様も要らないのだけれども、たぶんセバスさんは認めてくれないだろうし、若様よりはマシだと考えて訂正はしない。
「トラ様。私の処遇を決めていただきたいのですが。」
処遇とか言われても。
「セバスさんはどうしたいですか?」
自分としてはどうしたらよいのかさっぱし想像できない。なので、本人の希望に添うのが一番な気がする。
「お許し頂けるのでありましたら、これまでと同じ様にここで仕えさせていただきたく存じます。」
「それはかまわないけれど・・。」
希望を聞いといて今更な事に思いついた。
これだけ広いのだから一人二人一緒に住んだ所で問題は無い。リエールさんが任せていたくらいだから信頼できるだろうし、正直庭や塀・門等の管理はよくわからないから助かる。だけど一つ大きな問題がある。
「今の僕じゃセバスさんにお給料払えないと思う・・。」
自分の食事代くらいは稼げると思うし、頑張ればセバスさんの食事代くらいは稼げると思うけれども、リエールさんが払って来た金額は無理だと思う。いくらなのか想像もできないけれど。
「問題ありません。」
「問題ない?」
「はい。老いぼれ一人対してお金がかかる訳ではありませんし、たまにあそこで鳥や木の実等を採らせていただけたら食事代もほとんどかかりません。」
鳥や木の実が採れると言う事は、家の裏に見える樹々は思ったよりも多く多彩なようだ。
「うちから払っても良いとは思うわよ。」
今まで黙っていたエルザが助け舟を出してくれた。
「それには及びません。」
エルザの助け舟はセバスさんに一蹴された。
「それにこんな老いぼれを新たに雇う所も無いとは言いませんが、少ないとは思いますし、その少ない所も安い賃金できつい仕事がほとんどです。なので出来る事なら住み慣れて愛着もある所に留まって余生を過ごしたいと思っているのが正直な所です。」
「セバスならうちに来ても。どこか他に行っても冷遇される事はないと思うけどねぇ。」
セバスさんの言葉を受けてもエルザは今いち納得していない。
それでもセバスさんの意見が変わる事はなさそうで、口をつぐんだままだ。
「まぁトラが嫌じゃなければ好きにさせてあげたら?」
少しの沈黙の後、エルザの方が折れてそんな事を言ってきた。
セバスさんの方を見ると深く頷いて無言でお辞儀をする。
「だったら、お試しと言う事じゃ駄目かな?」
「試験でしょうか?」
「はい。そうとってもらってもかまいません。」
「わかりました。私ここの管理にかけては他の者には負けぬ自信があります。」
その静かな物腰とは裏腹にセバスさんの目に熱が籠り始めた。
「いえ、セバスさんの試験ではなくて、僕のことです。」
誤解している様なので慌てて訂正する。
「ここはいずれ師匠に返すことになるとは思いますが、何の縁か今は僕の持ち物に成りました。そして、そこの管理をしていただくと言う事は無給ではいけないと考えます。」
「しかし、」
セバスさんの言葉を封じてさらに言葉を重ねる。
「確かに、僕の収入は無いですが、今後生活をする為に仕事を見つけるなりするつもりです。この街の物価や仕事の種類もまだわかりませんし、僕がいくら稼げるかはわかりません。なるべく頑張りますけど、今までこうして稼ぐ事も少なかったので自信が無いと言うのが正直な所です。なのでセバスさんが満足できる金額がお払いできるか、この三ヶ月、いえ、二ヶ月をお試しと言う事にしてくれませんか?」
一気に自分の意見を言って二人の意見を待つ。
「うちはかまわないわ。家にもそう言っておいてあげる。」
エルザは直に同意してくれた。
「・・・。承知しました。」
セバスさんは何か言いたそうにこちらを見ていたけれども、目を合わせて数秒後には了解の意を示してくれた。
「とりあえずこの話しは良いわね。遅くなる前に私が壊しちゃった刀の方と、トラの荷物をこちらに運んでしまいましょう。」
「セバスさん。これからよろしくお願いします。」
「こちらこそよろしくお願いします。荷物はこちらで受け取っておきましょう。」
「そうね、よろしくお願いするわ。」
荷物くらい自分で運ぶと言いたかったけれどもエルザが早々に頼んでしまったので、なんとなく言い出せずに皆で一度マーサさんの所へと戻る。
マーサさんとセバスさん二人は知り合いで何か話しがあるというので、折れた刀を持ってエルザと共に家を出た。
「まずは武器屋に言ってみましょう。ついでに必要な物を買えばいいわね。」
店の位置もわからないので言われるままにエルザに付いて行く。
一件目に行ったのは大通りにある四階建ての店で、武器も防具も売っていた。なんでも学園内に何店舗か有り、品質としてはまぁまぁだけれども数打ちの分安く、種類も比較的多い。
近接武器コーナーを覗いてみると早速声をかけられた。
「なにかお探しの物がありましたらお探し致します。」
若いお兄さんがニコニコとエルザに声をかける。僕じゃなくてエルザに声をかけたのは僕にお金がないと思ったのか、エルザが武器を持っていなかったせいか。
「刀が欲しいの。」
「刀ですか・・。」
お兄さんがこちらを見て来る。正確には僕の手にある刀に。
「あいにくと、当店では扱っておりません。剣が重いようでしたら、短剣や細剣もございますが・・。」
如何致しましょう?とこちらを見て来る。
申し訳ないけれども首を振る。
ダガー等の短剣であれば腰にある脇差しで良いし、細剣の突きを主体とした戦い方は僕の戦い方とはちょっと違う。
「残念ね。」
無いのならば仕方が無いので店を出る。
「あまり好きじゃないのだけれど・・。」
そう言いながら次に入ったのは二店舗となりの三階建て。
「これは、ブレンス家のエルザ様。いらっしゃいませ。本日は我がアスノート武器店にどのような御用事でしょうか。」
もみ手をしながら直におっさんが近づいて来た。
(うわっ)
エルザが好きじゃないと言った理由がわかる気がする。
指には宝石のついた指輪が幾つも並び、丸々と太ったお腹は金の刺繍の入った服を今にも張ち切きそうで、さらには香水の匂いが店に入ったばかりのこちらまで臭って来る。近くにいるエルザが顔をしかめている所を見るとよほどきついのだろう。
「刀はある?」
とっとと用事を済ませてしまいたいのか単刀直入にエルザが訪ねる。
「刀でございますか。珍しい武器ですが、当店では勿論用意しておりますが、何ぶん珍しい物で・・。」
「高いの?」
言葉短くエルザが訪ねる。
「いえ、エルザ様が買えない様な事は無いのですが、何ぶん珍しい物で。」
「いいからとっとと出しなさい。」
高い物なら遠慮しようと思う。
「一振りしかございませんが、エルザ様がそうおっしゃられるならお出し致しましょう。といっても奥に展示してありますのでご覧下さい。」
店の奥に案内していくのに離れて着いて行く。エルザには悪いけれど臭いから・・。
「こちらでございます。」
案内されていったのは奥のカウンター、その奥の壁に額に入れられて飾られていた。
「・・・。」
「・・・・。」
二人して声も無い。
その様子を何と思ったか店主らしきおっさんが饒舌に語り始めた。
「これはあの人類最強とも言われる武聖イオシス様が以前使っていた物で、私達の特別なルートで特別に手に入れた物であります。これだけの物になると中々使える人は居ないと思いますが、エルザ様でしたら問題ないかと思います。その腕前、御容姿、御名声と素晴らしいですから。」
そこまで店主が推すそれは、もはや刀では無かった。大きさは大太刀、いや大剣とも言える大きさであり、そこまではまだ良いとしても金の鞘に金の柄、その他にも細工や宝石、魔石、象牙と思われる物がちりばめられていて、もはや武器を言うよりも美術品と言った所だ。それも趣味の悪い・・。
「こ、これはちょっと・・・。」
なんとか声をひねり出した。
「そ、そうね。ちょっとあいそうも無いわね。」
「大変残念でございます。刀ではございませんが・・。」
ごそごそと次の商品を持ち出して来るけれど、エルザは我慢の限界だった様で体をこちらに向ける。
「次に行きましょう。」
その若干ひきつった顔と、額の汗をみて何も言えず、店を後にする。
「エルザ様、何か御用の際には我がアスノート、アスノート武器屋をよろしくお願い致します。」
最後まで匂いと共に声が追いかけて来た。
「ふぅ。」
店を出て少しするとエルザが息を吐いた。
「エルザが苦手と言ったのがわかるよ。」
「あの匂いは参るわね。趣味も私とは全く違うし、武器の金額と性能もあわないわ。なんていうか、見た目だけと言った感じ。」
「凄かったね・・。」
あの人が歩いた後はわかりそうなくらい臭っていた。
「あのきつさは竜人や獣人には凶器ね。」
気を取り直して何店舗か回ってみるが、何処も刀を取り扱っていない。
「少ないとは思っていたけれどここまで無いとは・・。」
エルザは予想していた様だ。
「なんでなのだろうね。」
「なんでって、使う人が居なくちゃ売ってもしょうがないからでしょ。」
「少ないの?」
初耳だ。
「トラの住んでいた所はわからないけれど、少なくともここではほとんど見かけないわね。私の知っている範囲でも、トラともう一人だけ。」
「武聖が使っているなら皆も使いそうなものだけど・・・。」
「はぁ、本当に知らないのね。」
呆れられたけど、それでも説明してくれる。
「武聖は刀も使えるだけで、剣や槍、斧、短剣、といった近接武器は勿論、弓なんかの遠距離武器も使えるし、暗器や手裏剣といった多種多彩な武器を使うわ。そして次々に入れ替え、更にはその身体能力と相まって、人類最強、個人で竜王と渡り合える唯一の人間とか言われているのよ。」
「竜王と渡り合うとか凄いなぁ・・。」
おとぎ話にしか聞こえない。
「もし人間に生まれていなかったら間違いなく世界最強でしょうね。」
「一度会ってみたいな。でも刀使いが少ないのは何故かわかる?」
「それは弱いからよ。」
断言された。
「えっと使っている身としては・・。」
「いえ、トラは強いわ。多分だけど、私の攻撃をあれほど避けられるなんて中々居ないもの。それでも普通の人が使うには剣や斧と打ち合ったら折れるなり曲がるなりしてしまうし、打ち合わない様に避けるにはもっと軽い短剣や細剣を選ぶわね。どちらにしても鎧ごと斬れないなら軽い武器が良いでしょ?つまり、中途半端なのよ。頑丈さも軽さも微妙で、少ないから刀術を教える人も居ないから増える事も無い。そうすると使う人は更に減るじゃない。」
「そうなのか・・。」
その他にエルザが言う所によると、獣人や竜人は基本的に人より力が強く、重い武器を使えるし魔族は他より多い魔力で体を強化するなりそれこそ魔法で攻撃するなりすれば良い。海や川に住む水族と呼ばれる人達は水魔法の才能を先天的にもつし、そもそも水辺で彼等と戦うのは愚かしいとされているほどのアドバンテージを持っている。人間も鍛えれば斧や剣、槍を使えるし、狩りには弓を使うなど幾つかの武器を使い回し戦う。そのような理由によって刀使いは少なく、刀を使うのは目立ちたがり屋か変わり者が多いらしい。
「だから珍しくてトラと戦ってみたかったのよ。」
戦った事が無いから戦ってみたい。そんな欲望に忠実なエルザお嬢様。
(バトルジャンキー・・・。)
心の声を読んだのか、立ち止まってこちらを指差してバトルジャンキーなお嬢様はこう言った。
「強い者と戦ってみたい、これは強く生まれた私達のあたりまえの欲求なのよ!」
つまり、戦いの欲求に忠実だということ。
「やっぱりバトルジャンキーじゃん・・。」
思わず口から出てしまった。
「うっ・・。あのね、一応ある程度年を経たら治まるのよ。竜族皆がそう言う訳じゃないし、他の種族にもそう言う人が居るのよ、ほらさっき言っていた武聖とかもそうみたいだし・・。」
いくら言っても変わらない。
「つまり、戦うのが好きってことでしょ?」
「まぁ、嫌いじゃないわね。でも、バトルジャンキーは無いと思うの。可愛くないし、なんか危ない人みたいでしょ。」
武器を持って対面した時の圧はなく、もじもじとそんな事を言っている。
何を言われても暫くこのイメージは拭えそうも無いので、先に話しを促す事にする。
「刀が少ないのはわかった。あきらめる?」
残念だけれども暫くは脇差しと適当な武器を見繕うしか無い。
「いえ、トラが変なこと言うから止まっちゃったじゃない。最後に一軒行きましょう。私の知り合いの所よ。」
向かう先は決まっているらしく、大通りを下って脇道へ、大きな建物は無くなり徐々に鎚打つ音が聞こえて来た。
「ここよ。」
住宅とは違う一角。その中の一つ。周りと比べると少し大きく綺麗で中では何人かの人が忙しそうに働いている。さらに奥からは鎚打つ金属音がする。
「あ、エルザ様。武器の手入れでしょうか?」
若い男が気付いてこちらに声をかけて来た。
「いえ、ちょっと相談が会って。」
「親方は今、奥で作業中なので少しお待たせする事になっちゃいますけど・・。」
「勿論かまわないわ。」
「ではこちらでお待ち下さい。」
案内された先の小部屋には申し訳程度の椅子と机、それに剣や槍といった武器が立てかけられている。
エルザと椅子には座らずに立てかけられた武器を眺めているとドアがノックされた。
「お嬢様お久しぶりでございます。」
入って来たのは妙齢の女性。髪は短く、体つきはしっかりとしており、シャツから見える胸元と腕は色気よりも力強さを感じる。
「チコさん!。お元気そうで。」
「おかげさまで元気ですよ。どうぞ。」
持って来たお茶を進められて三人で椅子に座る。
「邪魔するぞ。」
椅子に座ったのを見計らった様にチコさんよりも更に太い腕と胸板をもった男が入って来た。シルバーの髪は後ろでまとめられ、眼光は鋭い。肩からかけられたタオルで汗を拭いている所を見ると、先程まで火の側にいたであろうと予想が出来た。
「ルガートさん。急がせてしまいましたか?」
「いや、丁度良い区切りだったんでリックスのヤツに後は任せて来た。近頃は彼奴も仕事を覚えて来たからな。」
椅子に座ると、チコさんの前に置かれたお茶に手を伸ばす。
「もう、お父さんったら。」
「それで、相談だって?あれ以上重たくて頑丈な剣は今の所無いぞ。材料を揃えれば作れない事も無いが、いっそ大剣や鎚にしちゃった方がいいんじゃないか?」
「やっぱり私は剣が・・。いえ、今日はその話しではなくて。」
「こっちの坊主の相談か。」
視線を向けられたので頭を下げる。
「はい。」
手に持っていた包みを置く。
「そうなの。今日はトラの刀を探して色々回ったのだけど何処にも売ってなくて、ルガードさん何処か心当たりは無いでしょうか?」
ルガードさんはエルザの話しを聞きながら包みを開く。
そこには曲がってから折れた為に鞘にも納められない刃があった。
「そっちも見せてくれ。」
言われるままに持っていた半分の刀身と鞘、それに腰の脇差しも渡す。
黙ったまま脇差しと半分になった刀身を見るルガードさん。
「本当の刀だな。」
「本当の?」
チコさんが横から聞いて来た。
「あぁ。たまに見かける形だけ似せた偽物とは違う。本物だ。」
そう言ってチコさんに渡すと今度はチコさんがじっくりと見て更に指で軽く叩いたりしている。
「これ、外して見ても良いかい?」
「どうぞ。」
僕の許可でチコさんが柄も外し、じっくり見ている。
「初めてみたよ。ありがとう。」
「お前も初めてなら他のヤツも見た事あるまい。坊主、他の奴らにも見せてやっても良いか?」
見たからと言って減る物でもない。
「勿論かまいません。」
「チコ。」
言葉を受けてルガードさんが顎で指示する。半身の刀身と脇差しを持って部屋から出て行った。他の人達に見せる為だろう。
「この街の店では見付からんだろうな。見付かっても偽物と思って良い。」
「さっきから偽物とか本物とかどういうことなのですか?」
エルザも僕と同じ事を思っていたらしく、すかさず質問した。
「基本的に使う人間が少ないのは知っているな?」
さっきエルザに説明されて知っている。
返事がないのを肯定の意味と捕えたルガードさんが言葉を継ぐ。
「また、エルザの嬢ちゃんや他の奴らが使う剣や斧をいった武器と刀はつくりかたが少々異なる。勿論儂らが作れないとは言わないが、材料はまだしも道具や製作工程の違いをかんがえると普通の鍛冶屋では手を出さん。」
「普通の?」
「あぁ、大体刀を作る鍛冶は刀を専門に作る。道具が違うから当然と言っても良いだろう。しかしだ、専門に作るには使う人間も無ければまぁ売れない。だから作るヤツも居なくなる。そうすると珍しいものが好きな人間が欲しがる訳だ。一つのコレクションだな。」
鍛冶屋とて商売、売れなければやっていけないのは明白だ。
「そうなると、どうせ武器として使わないのだし、形だけそれっぽく似せたのを作って売るヤツが居るわけだ。大体武器をコレクションする様なお大臣様は金払いもいいしな。」
「武器なんて飾っていてもしょうがないのに。」
「まぁ儂も孃ちゃんの意見に賛成だが、美術品として扱うヤツも居るわけだ。」
「確かに探すのは大変そうですね・・。」
いっそ師匠に手紙でも出して探してもらった方が良いかもしれない。
「刀でなくても良いならそこそこ切れ味の良い剣があるが・・。」
「剣だと重いのとそれに斬り方が変わりますから。」
「確かに戦い方も変わっちまうが、あれだけひん曲げるくらいだから力は足りてそうなもんだがなぁ。」
思案げにこちらを見て来る。
「あの、実は・・。」
喋りにくそうにエルザがその疑問に答える。
話しを聞いて苦笑いするルガードさん。
「確かに嬢ちゃんの力じゃひん曲がって折れるな。しかし鍛冶屋としてはもうちょっと武器を大切にして欲しいものなのだが。」
「ごめんなさい。」
その場でエルザが頭を下げる。
「わしに謝られてもしょうがないし、嬢ちゃんも反省している様だから少し探してみるか。」
ぱっと頭を上げるエルザ。しかし直に思い出したかの様に肩を落とす。
「でも見付からないって。」
「店で売っているのは見ないが、鍛冶仲間に声をかければ見付かるかもしれん。まぁ期待せずに待っていてくれ。」
ルガードさんの言葉を信じて、店を出る。ちなみに折れた刀は置いて来た。
その足でエミリアの寮へと行く。
何故かエルザも付いて来た。エミリアの寮は大通りに面し、庭が無い分敷地はそこまで広くはないけれどもマーサさんの家よりは大きかった。
門番に取り次ぎを頼むと直に入り口に案内されロビー横の小部屋にて待つ。
「ここは屋敷と言うよりも寮ね。」
「えっと、ゲンロだっけ?そこの?」
「えぇ、彼女達は生活サイクルが私達とは少し違うから仲間で固まる事が多いわね。」
「それにここならお互いの習慣に対して理解がありますから。」
エルザと話しているとウェルキンさんがお茶を運んできてくれた。
「誰?」
エルザが耳元で囁いた。
「エミリアさんの執事さんでウェルキンさん。ウェルキンさんこちらはエルザ。家の事とか色々とお世話になってまいす。」
「初めましてエルザ・ブレンス様。エミリアお嬢様の執事を勤めさせていただいております、ウェルキンと申します。トラ様に置かれましては良き知遇を得られましたな。」
「ちょっと待って、私を知っていてくれたのは嬉しいのだけど、ウェルキンさんは本当に執事ですか?私の知っているヴィゴード家のウェルキンって人物は執事の枠におさまる様な人物じゃないのだけど・・。」
エミリアを知っていた事と言い、ウェルキンさんを知っていた事と言い、エルザは色々な人を知っている。
そんなエルザの質問に答えたのはマリアさんを連れて現れたエミリアだった。
「うちにウェルキンは一人だけですわ。エルザ様のおっしゃっているウェルキンはおそらくこのウェルキンで間違いありません。入学までの間、こちらでお世話をしてくれていますの。」
相変わらず無表情のマリアさんは変わらないが、エミリアの顔は分かれたときよりも随分と落ち着いている。
「初めまして、エルザ様。私、エミリア・ヴィゴードと申します。この春より、キクノ学園ゲンロ校に入学致しますので、これを機によろしくお願いします。」
「ご丁寧な挨拶、痛み入ります。申し遅れましたが私、エルザ・ブレンスと申します。この度トラ殿と知遇を得たのをいいことに、図々しくもお邪魔しました。こちらこそよろしくお願いします。」
二人が立って挨拶をし、元々座っていないマリアさんとウェルキンさんは別として一人座っているのもなんなので立ったは良いけれど、二人の丁寧な挨拶に立ち入る隙間が無い。
「お嬢様方挨拶も程々で座ったらいかがでしょうか。トラ様が戸惑っておいでです。」
マリアさんの冷静な一言が嬉しい。
「そうね、トラも変な顔をしているしね。」
「そうですわね。」
お嬢様二人が座ったのを見て自分も座る。結局一言も発さなかった。
「トラ様がエルザ様と一緒に居るということは、紹介状がきちんと届いた言う事でしょうか?」
「おかげさまで入学できる事に成ったよ。紹介状出してくれてありがとう。」
「お礼には及びません。挨拶の折に渡しただけですから。でも入学できてよかったですね。やっぱりブレンス校に?」
「いや、好きな所に行って良いって言われたよ。」
「えぇ、お婆様は別に一校にこだわらなくても良いと。」
「でしたらゲンロ校にもいらして下さいな。同じ授業を受けるのを楽しみにしておきますから。」
エミリアの笑顔を見ると行っても良いかなと思う。
「ブレンス校も悪くはないから顔を出しなさい。」
エルザに言われると少し恐い。
「それで本日いらっしゃったのは住まいのことでしょうか?この寮は空き部屋もあるようですので紹介できますけど。」
「いや、住む所は何とかなったよ。」
「あら。私達が来る前に買い求めようとした所、なかなか良い所はなく諦めましたのに良く見付かりましたね。やはりブレンス家の紹介でしょうか?」
エミリアが興味深そうに聞いて来たので、家の場所と、理由を話した。
「それは良かったですね。今度遊びに伺わせて下さい。」
「是非。まだ僕も家の中を見ていませんけどね。」
「ならマリアにお掃除に行って貰いましょうか?」
「いえ、多分大丈夫です。」
自分でもやるし、セバスさんも手伝ってくれるだろう。
「なら、うちからは入学祝いになにか送りましょうか・・。」
お茶を飲みながら徒然と会話をし、少し早めの夕食もごちそうになった。夜の一族の夕食と言っても血が出て来る訳ではなく、普通の食事にワインといったところで、あえて普通と違う事を言うのならば肉が多い事だったが、エルザは喜び、勿論僕もお腹いっぱい食べさせてもらいこっそりベルトの穴をずらした。
話しに出た引っ越し祝い&入学祝いについては遠慮しきれなかった。エミリアには助けてもらったお礼も兼ねてと言われ、エルザには「紹介者から祝いを送る物だ!」と突っぱねられた為だ。
エミリアは紹介者じゃなくて紹介者の孫だと思うのだけど・・・。
欲しい物をと言ってくれたけれど、何が必要かもわからないので後日改めてということにしておく。
「お気をつけて。」
「長々とお邪魔しました。」
「肉が美味かった。今度はうちにも来てちょうだい。」
エミリアが玄関まで見送ってくれ、エルザと共に月下を行く。
「今日は買い物も出来なかったな。」
「明日必要な物を確認してから買いに行ってみるよ。」
生活用品を買うつもりだったけれども既に雑貨屋等は店終いの時間である。それにエルザと街を歩いたのでなんとなく店の位置がわかった。
基本的に大通りに店があり、店が閉まる頃にはその前に屋台が。中央に近い程大きい店が多く、大通りから逸れると住居や大きくないお店があった。所々にある大きな建物と敷地はおそらく学校でその周りには寮が多い気がした。中央広場には昼から屋台が何店か並び、そこから北にはマーサさんの家の様な大きな屋敷が何軒かある。例外はあるだろうけれども、昨日今日見た感じこんなところだろう。
「暇だったら顔を出すわ。またね。」
「おやすみ。」
エルザと中央広場手前で分かれ家へと戻ると直にセバスさんが門を開けてくれた。
「おかえりなさいませ。」
「ただいま。それにしてもこの門なんとかしたいね。」
セバスさんの日頃の手入れのおかげか重たさをそれほど感じないとはいえ、山の中の家に住んで居た身としてはいちいち門を開けてもらうのは悪い気がするし、面倒臭い。
「私としてはかまいませんが・・。」
門をくぐり家まで行くと荷物を渡してくれた。
「許可をいただいておりませんでしたので、預かっておりました。」
家に入る許可なんてとらなくてもかまわなかったのに。
「こちらが鍵になります。昨日、空気を入れ替えてありますので埃まみれと言う事は無いと思います。」
「ありがとうございます。なにか設備の説明はありますか?」
受け取った鍵で扉を開ける。
「こちらがスイッチでございます」
セバスさんが操作をすると家に灯が入った。
魔導ランプの灯に照らされた部屋は誇りまみれどころか、長年使っていなかった家とは思えない程に綺麗だ。
「綺麗に管理していてくれたのですね。」
思わず口に出た。
「いえ、建物全体に劣化防止の魔法が刻まれています。」
確かに良く見れば師匠のものと思われる魔法が発動している。
「でも丁寧に手入れされているのがわかります。」
内装は普通の家より少し良いくらいだけれども、一つ一つが長年磨かれ、全てが合わさり落ち着いた空間を生み出している。それを生み出したのはセバスさんの管理の賜物だろう。
「お褒めにいただきありがとうございます。ランプ等には魔力の補充はされておりますが、生活用品に付きましては揃っておりません。」
「うん。今日は買えなかったから明日買って来るよ。」
「それがよろしいかと。各種スイッチはわかりますでしょうか?」
「師匠の所に有った物とそんなに変わらないし大丈夫だと思う。」
玄関から入るとまず正面に階段があり、その階段の奥と左に扉がある。
「二階が寝室として使われていた様です。一階には空き室が二部屋とトイレ、居間、台所と食料庫があります。また食料庫からは地下の倉庫に行けますが地下の酒以外は何もありません。」
案内されて軽く見たところ、食器なんかは有ったけれども食料等の消費物は無かった。ただそれ以外に買う物がなさそうなので手持ちのお金でも住み始められそうだと安心する。
「二階は寝室以外に客間が一室、書斎若しくは書庫と思われる部屋が一室ございます。」
二階の一番大きな部屋を寝室としていた様でダブルベッドがあり、奥には広いベランダに繋がっている。客間と言われた部屋はシングルベッドと小机、クローゼットがあり、書斎には本棚が並びその半分程が埋まっていた。
「細かい確認は明日にして、今日はもう休むよ。」
エルザと手合わせをした後に一日街を歩いて、エミリアと話をしたことによって少し疲れたのと、お腹が一杯なので眠気が徐々に近づいて来ている。
「かしこまりました。玄関は閉めておきますのでごゆっくりお休み下さい。」
一礼して階段を下っていくセバスさん。
寝室と言われていた二階で一番大きな部屋に荷物を置く。一着だけの着替えはクローゼットに。布団の無いベッドには外で寝る時に使っていた布を一枚。枕元に財布と脇差しを置くと、もう荷物は無い。
(布団も買わないと駄目かな。)
今の時期は暖かくなって来たので無くても良いかもしれないけれど、寒くなってきたら必要になるから買ってしまったほうが良いかもしれない。
そんなことを思いながらベッドに飛び込む。
「うわっ。」
思っていたのと違う感触に驚く。飛び込んだ衝撃でベッドの底が抜けたらしい。
(マットは大丈夫っぽいけれどベッドも買わないと駄目か、この調子じゃ色々お金かかりそうだなぁ・・・。)
持っているのは出際に師匠がくれた金貨一枚と自前の残金、銅貨五枚と銅銭四枚、鉄銭二枚。銀貨は無い。
(明日必要な物を調べるのと仕事についても調べないと駄目かなぁ。)
山に居るときはお金かからなかったからどのくらい必要なのかいまいちピンと来ない。
そんなことを壊れたベッドで考えているうちに、ウトウトと夢の中へと落ちていった。