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そのダンジョン事故、保険金は出ません。 〜元査定員の俺はログ鑑定で無謀な探索者の嘘を暴く〜  作者: 平八
第六章 その訓練設計、事故を前提にしていませんか

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第59話 欠けた設計ログは、訓練効果を隠していました

【訓練設計補助ログ】


【復元処理:完了】


【復元項目:通信負荷区域】


【正式開示:なし】


【事故査定課照合:開始】


 通信負荷区域。


 その一行が、画面に残っていた。


 通信不良地点。


 通信死角。


 通信減衰。


 前話まで、俺たちはそれを事故現場の条件として見ていた。


 だが、復元された項目名は違う。


 負荷。


 その言葉は、事故ではなく訓練の側にある。


 偶然そうなった場所ではない。


 訓練設計上、意味を持たされた場所。


 少なくとも、その可能性が出た。


 真鍋課長は、机の上の胃薬の瓶を見ていた。


 まだ開けていない。


 前話で飲んだばかりだからか。


 それとも、もう効く気がしていないのか。


「相沢」


『はい』


「復元って、どこから出した」


『監査用差分ログです』


「勝手に掘ったわけじゃないな」


『照合権限内です』


「そういう言い方をされると、余計に不安になる」


『権限外ではありません』


「まだ少し不安だ」


 相沢は、画面に復元元を表示した。


【復元元】


【監査用差分ログ】


【対象:白浜臨時訓練場第三層】


【記録種別:訓練設計補助ログ】


【正式資料添付:なし】


【差分保存:あり】


【復元可否:可】


 正式資料には添付されていない。


 だが、差分としては残っている。


 消えたのではない。


 提出されていなかっただけだ。


 御園さんが、画面を見た。


「補助ログなんですね」


「はい」


「正式な安全基準表ではなく」


「訓練設計の補助記録です」


「だから、開示されなかった」


「その可能性があります」


 俺は、復元結果の表示を許可した。


 相沢が、通信負荷区域の詳細を開く。


【訓練設計補助ログ 復元結果】


【項目名:通信負荷区域】


【対象区域:第三層北東区画/南側連絡路前】


【負荷種別:通信減衰】


【負荷目的:指示途絶時の自主判断観察】


【観察項目一:退避判断開始までの時間】


【観察項目二:通信回復地点探索の有無】


【観察項目三:帰還石再同期試行の有無】


【安全基準適合表:反映なし】


 部屋の空気が、そこで止まった。


 通信減衰。


 指示途絶時の自主判断観察。


 退避判断開始までの時間。


 通信回復地点探索の有無。


 帰還石再同期試行の有無。


 前章で、俺たちはそれらを事故後のログとして見た。


 退避判断遅延。


 第三層滞留。


 帰還石使用なし。


 無謀行動あり。


 だが、復元ログでは違う名前で呼ばれていた。


 訓練負荷。


 観察項目。


 教育効果。


 御園さんが、小さく言った。


「観察、していたんですか」


「少なくとも、観察項目として設定されています」


「助けるためではなく」


「そこまでは言えません」


 俺は答えた。


「訓練では、観察は必要です」


 御園さんは頷いた。


 彼女は、もうすぐに感情へ走らない。


 だが、画面から目は離さなかった。


「でも、その観察項目が、事故後には過失になった」


「そこを確認します」


 相沢が、事故後の標準様式を横に並べた。


【訓練設計補助ログ】


【通信負荷区域:第三層北東区画/南側連絡路前】


【指示途絶時の自主判断観察】


【退避判断開始までの時間】


【通信回復地点探索の有無】


【帰還石再同期試行の有無】


   |


【事故後標準様式】


【退避判断遅延】


【第三層滞留】


【帰還石使用なし】


【無謀行動あり】


 真鍋課長が、低く言った。


「同じものを、違う名前で見てるな」


『はい』


 相沢が答えた。


『設計時点では観察項目です』


「事故後は」


『過失評価項目です』


「胃に悪い変換だな」


『変換規則は未確認です』


「そこを真面目に返すな」


 画面に、本庁回線の通知が入った。


【教育訓練支援室】


【上席訓練設計官 鷹宮怜司:接続】


 前回より、通知が早かった。


 こちらが復元したことを、向こうも把握したのだろう。


 真鍋課長は、胃薬に手を伸ばさなかった。


 代わりに、画面だけを見た。


「来ると思った」


『接続します』


 相沢が言う。


 画面が切り替わる。


【教育訓練支援室】


【上席訓練設計官 鷹宮怜司】


 鷹宮怜司は、前話と同じ表情だった。


 条件を見る目。


 人ではなく、設計を見る目。


 ただ、今日は少しだけ声が硬かった。


『事故査定課が、訓練設計補助ログを復元したと通知を受けました』


「はい」


『当該ログは、正式な安全基準適合表ではありません』


「承知しています」


『訓練設計補助ログは、教育訓練支援室内部の設計支援資料です』


「承知しています」


『事故査定課の通常照合範囲ではありません』


「事故後過失評価に接続している可能性があるため、照合しています」


 鷹宮の目が、わずかに細くなった。


『何でも接続すれば、査定対象になるわけではありません』


「その通りです」


『通信負荷区域は、事故を誘発するためのものではありません』


「はい」


『通信が不安定な状況で、参加者がどう判断するかを観察するための設計項目です』


「確認しています」


『それを事故後の過失評価と直結させるのは、短絡です』


「直結はしません」


 俺は、復元ログを指した。


「だから、変換経路を見ています」


 相沢が、変換比較画面を拡大する。


【設計側項目】


【通信負荷区域】


【指示途絶時の自主判断観察】


【退避判断開始までの時間】


   ↓


【事故後評価項目】


【退避判断遅延】


 鷹宮が、画面を見た。


『観察項目と事故後評価項目は同一ではありません』


「同一ではありません」


『退避判断開始までの時間を観察することは、訓練として一般的です』


「あります」


『通信が途絶したとき、探索者が立ち止まるのか、通信回復地点を探すのか、帰還石を再同期するのか。それを見ることは、実戦教育として必要です』


「必要です」


 御園さんが、画面を見たまま動かなかった。


 鷹宮の言葉は、冷たい。


 だが、間違ってはいない。


 実戦では通信が落ちる。


 指示が途切れる。


 道が分からなくなる。


 そのときに判断できなければ、死ぬ。


 だから、訓練で見る。


 そこまでは成立する。


 問題は、その後だ。


「訓練で作った沈黙を」


 俺は言った。


「事故後に本人の遅れとして数えています」


 部屋の空気が、さらに硬くなった。


 真鍋課長の手が、机の上で止まる。


 御園さんが、こちらを見た。


 相沢は、何も言わずに事故後標準様式を拡大した。


【事故後標準様式】


【退避判断遅延:あり】


【通信負荷区域:反映欄なし】


【指示途絶時観察:反映欄なし】


【退避判断開始時間:退避完了遅延へ加算】


 鷹宮の声が、わずかに低くなった。


『沈黙、という表現は感情的です』


「では、言い換えます」


 俺は画面を見た。


「訓練設計上の通信減衰負荷を、事故後標準様式では当事者側の退避判断遅延として集計しています」


 鷹宮は、黙った。


 相沢が、小さく表示を更新した。


【表現修正】


【訓練で作った沈黙】


   ↓


【訓練設計上の通信減衰負荷】


 真鍋課長が、低く言った。


「冷たくした方が、逃げ場が減るな」


「はい」


「胃に悪い」


『否定できません』


 相沢が答えた。


「もう否定してくれなくていい」


 御園さんが、復元ログの観察項目を見ていた。


「通信回復地点探索の有無」


「はい」


 相沢が、事故後ログを重ねる。


【参加者行動:通信回復地点探索】


   ↓


【事故後評価:第三層滞留】


 御園さんの声が、低くなる。


「滞留、になる……」


「はい」


 俺は答えた。


「通信が届く場所を探して動いた時間です。ですが、標準様式では第三層に残り続けた時間として扱われます」


 相沢が、次の項目を表示した。


【参加者行動:帰還石再同期試行】


   ↓


【事故後評価:帰還石使用なし】


「帰還石を使おうとした時間は」


 御園さんが言った。


「使わなかったことになるんですか」


「使用完了ログがなければ、そう処理されます」


 俺は画面を見た。


「助かろうとした行動が、助からなかった結果だけで評価されています」


 相沢が、最後の項目を表示した。


【参加者行動:指示途絶時の待機】


   ↓


【事故後評価:退避判断遅延】


 御園さんは、言葉を失った。


 通信を探せば、滞留。


 帰還石を試せば、使用なし。


 指示を待てば、判断遅延。


 画面は、参加者が助かろうとした痕跡を、ひとつずつ過失の言葉へ置き換えていった。


 鷹宮が、静かに言った。


『事故後標準様式の処理設計は、教育訓練支援室の管轄ではありません』


「分かっています」


『我々は、通信負荷を設計しました』


「はい」


『事故後にそれをどう評価したかは、事故査定課側の問題です』


「その可能性もあります」


 俺は答えた。


「だから、接続確認です」


 鷹宮は、わずかに口を閉じた。


 接続。


 その言葉が、前話から続いている。


 安全基準と事故後過失評価の接続。


 訓練負荷と標準様式変換の接続。


 設計側の条件と、当事者側の過失の接続。


 どこかで誰かが悪意を持って書き換えたとは、まだ言えない。


 だが、接続の結果だけを見ると、危険を受けた側に過失が残っている。


「鷹宮設計官」


 俺は言った。


「通信負荷区域があること自体を、問題にしているわけではありません」


『では』


「通信負荷区域が事故後の標準様式に反映されず、参加者の行動だけが過失評価に残ったことを問題にしています」


 鷹宮は、しばらく黙っていた。


『それは、合同照合になります』


「はい」


『教育訓練支援室、事故査定課、監理官室の三者が関わる』


「必要です」


『重いですね』


「事故です」


 鷹宮の目が、少しだけ冷えた。


『訓練も重い』


「知っています」


『知っているだけでは、設計はできません』


「設計はしません」


 俺は答えた。


「査定します」


 真鍋課長が、机の上の胃薬を指で押した。


 飲まない。


 今は飲まない。


 相沢が、照合所見欄を開いた。


【事故査定課 訓練設計補助ログ照合所見】


【対象:白浜臨時訓練場第三層北東区画】


【復元項目:通信負荷区域】


【確認事項一:第三層北東区画/南側連絡路前に通信減衰負荷設定あり】


【確認事項二:負荷目的は「指示途絶時の自主判断観察」】


【確認事項三:観察項目に退避判断開始までの時間、通信回復地点探索、帰還石再同期試行が含まれる】


【確認事項四:事故後標準様式に通信負荷区域および観察項目の反映欄なし】


【確認事項五:退避判断開始までの時間が、事故後評価では退避判断遅延として扱われた可能性あり】


【所見:訓練設計上の通信減衰負荷と事故後過失評価の接続確認を要する】


 御園さんが、所見を読んでいた。


「これで、通信が悪かったことが問題になるんじゃなくて」


「はい」


「通信負荷が発生するように設計されていた可能性と、それが事故後に消えたことが問題になる」


「その通りです」


 鷹宮が、画面越しに所見を読んだ。


『通信が悪くなるように、ではありません』


「修正しますか」


『通信負荷が発生するように、です』


 正しい。


 悪い、は評価語だ。


 負荷、は設計語だ。


 黒木の地の文ならともかく、所見には使わない。


「採用します」


 相沢が、御園さんの言葉を参考注記に落とし直す。


【参考注記】


【通信が悪くなるように設計】


   ↓


【通信負荷が発生するように設計】


 鷹宮は、わずかに頷いた。


『その表現なら、訓練設計上の用語として扱えます』


 真鍋課長が、低く言った。


「敵に添削されてるぞ」


「敵ではありません」


「味方でもないだろ」


「はい」


「厄介だな」


「はい」


 俺は、確定欄へ進んだ。


【白浜臨時訓練場事故:訓練設計補助ログ照合】


【通信不安定:偶発条件】


   ↓


【通信負荷区域:訓練設計上の設定】


【指示途絶時自主判断観察:設定あり】


【事故後評価:退避判断遅延への接続確認】


【訓練効果設定:追加開示請求対象】


 画面の中で、通信不安定という言葉の下に、訓練設計上の設定という注記がついた。


 偶然か。


 不具合か。


 設計か。


 そのうち、少なくとも設計側の言葉が出た。


 まだ断定ではない。


 だが、もう事故後評価だけでは閉じられない。


 真鍋課長が言った。


「通せ」


 俺は、確定キーを押した。


【事故査定課 照合所見:確定】


 御園さんが、静かに言った。


「通信が届かない場所を、ただ危ない場所として見ていたんじゃなくて」


「はい」


「判断を見るための場所として、置いていた」


「可能性です」


「でも、事故後には、それが消えた」


「はい」


 御園さんは、目を伏せた。


「それは、苦しいですね」


 その言葉は、誰かを責めるためのものではなかった。


 現場に立った人間として、そこにいた参加者の足元を想像した言葉だった。


 鷹宮が、回線越しに言った。


『苦しい状況で判断するための訓練です』


 御園さんの顔が、少しだけ上がった。


 鷹宮は続ける。


『探索者は、苦しい状況でしか判断できない場面に立ちます』


「はい」


 御園さんは、静かに答えた。


「だから、その苦しさを設計したことを、事故後の記録にも残してください」


 部屋が、静かになった。


 鷹宮の目が、初めて御園さんを見た。


 治癒師としての言葉だった。


 黒木の査定ではない。


 相沢のログでもない。


 現場に立ち、呼吸と心拍を見てきた人間の言葉だった。


 鷹宮は、すぐには答えなかった。


『……記録の接続については、合同照合で確認すべきでしょう』


 御園さんは、小さく頷いた。


「はい」


 真鍋課長が、ようやく胃薬の瓶に手を伸ばした。


 一粒出す。


 見る。


 そして、飲まなかった。


「今日は飲まないんですか」


 御園さんが言った。


「今のは、胃薬で流したくない」


 課長は、瓶を置いた。


「いい所見だった」


 御園さんは、少しだけ驚いた顔をした。


 相沢が、次の復元候補を表示する。


【関連復元候補】


【退避経路選定理由】


【推奨退避経路:南側連絡路】


【北側補助路:非提示】


【非提示理由:訓練対象外】


 真鍋課長の顔が、また固まった。


「待て」


『待機します』


「だから、そういう意味じゃない」


 相沢は、そのまま表示を続けた。


【第三層地形図】


【北側補助路:存在】


【訓練提示経路:南側連絡路】


【南側連絡路:通信負荷区域を通過】


 御園さんが、画面を見る。


「北側にも、道があったんですか」


「地形上は」


 俺は答えた。


「でも、提示されていなかった」


 相沢が、次回照合対象を表示した。


【次回照合対象】


【退避経路選定理由】


【最短退避経路:北側補助路】


【訓練提示経路:南側連絡路】


【表示ステータス:非提示】


 鷹宮の回線は、まだ切れていなかった。


 だが、彼は何も言わなかった。


 その沈黙が、前話より重かった。


 通信が沈む場所は、ただの穴ではなかった。


 訓練負荷区域。


 負荷として、そこに置かれていた。


 そして彼らは、その負荷へ向かう道だけを教えられていた。


 次に見るのは、通信が途切れた理由ではない。


 なぜ彼らが、そこを歩かされたのかだ。

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