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そのダンジョン事故、保険金は出ません。 〜元査定員の俺はログ鑑定で無謀な探索者の嘘を暴く〜  作者: 平八
第三章 その支払済み案件、まだ終わっていません

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第38話 その事前協議は、誰を守るためですか

止める理由は、いつも正しい顔をしている。


 混乱を避けるため。


 負担を減らすため。


 現場を守るため。


 制度の安定性を保つため。


 どれも、聞こえはいい。


 どれも、間違ってはいない。


 だからこそ、厄介だ。


 正しい言葉は、時々、開けるべき蓋の上に置かれる。


 その下に何があるのかを、見えなくするために。








 教育訓練支援室から届いた文書は、事故査定課の会議室モニターに固定されていた。


【教育訓練支援室 標準処理管理班】

【件名:支払済み案件に対する再確認作業に関する事前協議について】

【支払済み案件に対する再確認は、保護者への心理的負担、教育訓練現場への影響、支払済み処理の安定性に関わるため、実施前に教育訓練支援室との事前協議を要します】

【なお、標準処理全体の信頼性に影響する表現および判断については、慎重な取り扱いをお願いいたします】


 最後の確認欄には、あの名前があった。


【確認:教育訓練支援室 上席監理官 久我】


 真鍋課長は、文書を黙って読んでいた。


 胃薬の瓶は、机の左端。


 今日は、蓋が開いている。


 御園さんは、佐伯さんの面談記録を伏せていた。


 相沢は別室から接続している。


 画面の隅には、十一件のログ保全状況が残っていた。


【対象:十一件】

【利用者側画面ログ:保全中】

【担当者側処理ログ:三件一部欠落】

【異議申立導線展開ログあり:〇件】

【例外相談導線到達ログあり:〇件】

【説明担当者による異議申立導線案内ログあり:〇件】


 真鍋課長が言った。


「黒木」


「はい」


「本庁は、こちらを止めに来た」


「はい」


「止める理由は並んでいる」


「保護者負担、現場影響、支払済み処理の安定性、標準処理全体の信頼性です」


「どれも正しい」


「はい」


「だから、厄介だ」


「その通りです」


 真鍋課長は、胃薬の瓶に触れた。


 だが、飲まなかった。


「付き合いすぎるな」


「承知しています」


「本庁の正論を全部受けていたら、また会議室で日が暮れる」


「日が暮れる」


「ただの嫌がらせに付き合う時間は、うちの課にはないという意味だ」


「承知しました」


 御園さんが、小さく息を吐いた。


 相沢の通信欄に、短い文字が出た。


『事前協議用の資料、三分割で準備しています』


「三分割」


『本庁の主張。事故査定課の確認事項。ログ欠落の説明要求です』


「出せるか」


『いつでも』


 真鍋課長が頷いた。


「接続しろ」


 俺は、教育訓練支援室との協議回線を開いた。


【事故査定課—教育訓練支援室 事前協議】

【議題:支払済み案件に対する再確認作業に関する事前協議について】

【出席:事故査定課 真鍋課長/黒木査定官/御園治癒師】

【接続:相沢技術補佐】

【本庁側:教育訓練支援室 標準処理管理班】


 本庁側の画面が開いた。


 前回と同じ柴崎係長。


 その隣に、もう一人いた。


 名札には、春日とある。


【教育訓練支援室 事前協議担当 春日】


 事前協議。


 つまり、止めるための窓口だ。


『事故査定課の皆様、本日はお時間をいただきありがとうございます』


 柴崎係長が、いつも通り丁寧に頭を下げた。


 春日は、画面の向こうで資料を開いている。


『本件につきましては、支払済み案件に関する再確認作業が、関係者に与える影響を慎重に整理する必要があると考えております』


 真鍋課長は、短く返した。


「説明を」


『はい』


 春日が資料を共有した。


【事前協議確認事項】

【一、保護者への心理的負担】

【二、教育訓練現場への影響】

【三、支払済み処理の安定性】

【四、標準処理全体の信頼性】

【五、再査定可能性に関する表現の慎重な取り扱い】


 見慣れた言葉が並ぶ。


 正しい。


 きれいだ。


 そして、こちらを止めるために十分な言葉だった。


『まず、保護者への心理的負担についてです』


 春日が言った。


『支払済み案件について再確認を行う場合、保護者に対し、すでに終わった事故を想起させることになります。場合によっては、二次的な心理負担を生じさせる可能性があります』


「その可能性はあります」


 俺は答えた。


 春日が、少しだけ目を動かした。


『事故査定課としても、その点は認識されているという理解でよろしいでしょうか』


「はい」


『であれば、保護者再接触については、慎重な事前協議が必要です』


「必要です」


 俺は、御園さんの配慮案を表示した。


【保護者再接触時配慮案】

【時間制限なし】

【中断自由】

【後日回答可】

【自動遷移なし】

【治癒師同席可】

【回答しない選択可】

【確認対象:補償額への不満ではなく、説明画面表示時の選択可能性】


 春日の視線が、わずかに止まった。


 御園さんが言った。


「負担があるから確認しない、ではありません。負担を増やさない方法で確認します」


『しかし、再接触自体が――』


「負担になる可能性はあります」


 御園さんは、相手の逃げ道を、先に言葉にした。


「だから、こちらは手順を変えます。十三秒で閉じる画面は使いません。自動で進む確認欄も使いません。途中でやめられます。戻れます。後日答えられます。答えない選択もできます」


 春日は黙った。


 御園さんは続けた。


「保護者負担を理由に確認を止めるなら、まず、前回の説明画面が保護者負担を軽減していた根拠を示してください」


 俺は、御園さんの言葉を記録した。


【事故査定課回答】

【保護者再接触に伴う心理的負担は認識している】

【ただし、当該負担は再確認を一律に制限する理由ではなく、再確認手続きの設計において軽減すべき事項である】

【事故査定課は、時間制限なし、自動遷移なし、中断自由、後日回答可、治癒師同席可等の配慮措置を設ける】

【よって、保護者負担を理由に再確認そのものを制限する場合、教育訓練支援室は、従前のKG系テンプレートが実際に保護者負担を軽減していた根拠を提示する必要がある】


 入力を確定する。


 春日が、資料を一枚送った。


『次に、教育訓練現場への影響です。支払済み案件の再確認が広がれば、現場担当者への問い合わせ、説明責任、教育訓練活動への萎縮効果が生じる可能性があります』


 真鍋課長が、そこで口を開いた。


「現場への影響はある」


『はい』


「だから、ログで確認する」


 春日が、わずかに眉を動かした。


「現場にいきなり押しかけるわけではない。担当者を吊し上げるわけでもない。まず、残っている記録を見る。記録があるなら、記録で答えればいい」


『ただ、現場側に追加説明を求めることになれば――』


「求める必要があるなら求める」


 真鍋課長の声は、低かった。


「事故査定課は、現場を潰したいわけじゃない。査定が成立していたかを確認したいだけだ」


『現場負担については』


「負担はある」


 真鍋課長は、認めた。


「だが、成立していない処理を支払済みで閉じたままにする負担を、誰が背負う」


 春日は、すぐには答えなかった。


 真鍋課長は続けた。


「現場のためと言うなら、現場に未成立の処理を背負わせるな」


 俺は、記録する。


【事故査定課回答】

【教育訓練現場への影響は認識している】

【ただし、本件確認は現場担当者への責任追及を目的とするものではなく、KG系テンプレート適用済み支払済み案件における説明・同意・異議放棄成立条件の確認を目的とする】

【現場負担軽減を理由に再確認を制限する場合、教育訓練支援室は、支払済み処理が現場および保護者双方に未確認の負担を残していないことを示す必要がある】


 柴崎係長が、そこで口を挟んだ。


『支払済み処理の安定性も、制度上は非常に重要です』


「重要です」


 俺は答えた。


『支払済み案件が広範に再確認対象となれば、制度全体への信頼に影響します』


「影響します」


『であれば、慎重な取り扱いが必要です』


「必要です」


 柴崎係長の目が、少しだけ鋭くなった。


『事故査定課も、支払済み処理の安定性を軽視しているわけではない、という理解でよろしいですね』


「はい」


 俺は、朱ヶ丘案件の表示を出した。


【朱ヶ丘案件】

【支払済み処理:完了】

【保護者側明示同意操作:確認不能】

【異議申立導線展開ログ:なし】

【例外相談導線到達ログ:なし】

【説明担当者による導線案内ログ:なし】

【担当者側処理ログ欠落:該当なし】

【保護者未送信文:納得なんて、していません】


「軽視していないから、確認します」


『どういう意味でしょうか』


「支払済み処理の安定性は重要です」


 俺は、画面に新しい行を出した。


【支払済み処理の安定性】

【前提:説明・理解・同意・異議放棄の成立】


「ですが、その安定性は、説明済み処理が成立していることを前提にします」


 俺は、画面の一行を指した。


【前提:説明・理解・同意・異議放棄の成立】


「前提が未確認なら、安定しているのは処理ではありません」


 次の行を入力する。


【前提未確認の固定化】


「未確認のまま固まった帳簿です」


 俺は続けた。


「支払済み処理を守るために、説明済み処理の成立確認を拒むことはできません」


『拒む、という表現は』


「では、制限」


 俺は言い換えた。


「支払済み処理を守るために、説明済み処理の成立確認を制限することはできません」


 俺は、記録する。


【事故査定課回答】

【支払済み処理の安定性は制度運用上重要である】

【ただし、当該安定性は、個別案件における説明・理解・同意・異議放棄の成立を前提とする】

【前提が未確認である場合、支払済み処理の安定性を理由として成立条件の確認を制限することは、未確認状態の固定化につながる】

【よって、支払済み処理の安定性は、再確認を制限する根拠ではなく、むしろ成立条件確認の必要性を高める事情である】


 入力を確定する。


 春日が、最後の資料を開いた。


『標準処理全体の信頼性に影響する表現についても、慎重な取り扱いをお願いします』


 来た。


 この文書の本体だ。


 保護者負担。


 現場影響。


 支払済み処理の安定性。


 それらを並べた先に、本庁が本当に守りたいものがある。


 標準処理全体の信頼性。


 つまり、久我式だ。


 真鍋課長が、胃薬の瓶を押さえた。


「黒木」


「はい」


「ここはお前だ」


「承知しました」


 俺は、久我の確認欄をもう一度表示した。


【確認:教育訓練支援室 上席監理官 久我】


 その下に、標準処理の改善報告を並べる。


【KG系テンプレート導入効果】

【処理時間短縮】

【異議申立率低下】

【支払済み処理移行率向上】

【現場負荷軽減】


 春日が言った。


『標準処理は、多数の案件を安定的かつ迅速に処理するためのものです。一部の個別案件における疑義をもって、標準処理全体に問題があるかのような表現を用いることは、制度への信頼を損なう可能性があります』


「標準処理全体に問題がある、と事故査定課はまだ断定していません」


『では』


「確認します」


 俺は、三件のログ欠落資料を閉じたまま、指を置いた。


「標準処理全体の信頼性を守るためにも、個別案件で説明済み処理が成立していたかを確認します」


『それは、標準処理そのものへの疑義と受け取られかねません』


「標準処理なら、確認に耐えます」


 春日の動きが止まった。


 俺は続ける。


「確認に耐えないなら、それは信頼性ではありません」


 通信の向こうで、誰かが紙を動かす音がした。


 俺は、記録する。


【事故査定課回答】

【事故査定課は、現時点でKG系テンプレート全体の瑕疵を断定していない】

【ただし、標準処理として運用されている以上、個別案件における説明・同意・異議放棄成立条件の確認に耐える必要がある】

【標準処理全体の信頼性は、再確認を制限することによってではなく、再確認に耐え得る記録および根拠を示すことによって保全される】


 入力を確定する。


 真鍋課長が、短く言った。


「まとめろ」


「はい」


 俺は、本庁側が提示した四つの理由を画面に並べた。


【本庁側提示理由】

【一、保護者への心理的負担】

【二、教育訓練現場への影響】

【三、支払済み処理の安定性】

【四、標準処理全体の信頼性】


 その下に、事故査定課の回答を置く。


【事故査定課回答要旨】

【一、保護者負担は、再確認手続きの設計により軽減すべき事項であり、再確認そのものを制限する根拠ではない】

【二、現場影響は認識するが、未成立の可能性がある処理を現場に固定することは、現場保護とは評価できない】

【三、支払済み処理の安定性は、成立条件が確認されていることを前提とする】

【四、標準処理の信頼性は、確認を避けることではなく、確認に耐える記録を示すことで保全される】


 そして、一行を加えた。


【結論】

【事前協議において示された各理由は、再確認時の配慮事項としては有効であるが、説明済み処理および異議なし処理の成立条件確認を制限する根拠とはならない】


 入力を確定する。


【通信待機:三秒】

【本庁側音声入力:検知なし】


 三秒。


 短い。


 だが、十分だった。


 やがて、柴崎係長が口を開いた。


『……その点については、確認の上、回答します』


 俺は、頷いた。


「では、追加で確認をお願いします」


 柴崎係長の目が、警戒した。


『追加確認、ですか』


「はい」


 俺は、三件のログ欠落資料を開いた。


【北杜総合実習事故】

【T+00:39〜T+00:43 担当者側処理ログ欠落】

【T+00:44 説明済み処理完了】


【西苑訓練校事故】

【T+00:40〜T+00:42 担当者側処理ログ欠落】

【T+00:43 異議なし処理移行】


【白浜臨時訓練場事故】

【T+00:38〜T+00:43 担当者側処理ログ欠落】

【T+00:44 支払前説明ステータス完了】


 画面の向こうで、春日の表情が消えた。


 俺は、淡々と続ける。


「KG系テンプレート適用候補十一件のうち三件で、わずか四秒から五秒の担当者側処理ログ欠落を確認しています」


 俺は、三件の時刻を順に示した。


【T+00:39〜T+00:43】

【T+00:40〜T+00:42】

【T+00:38〜T+00:43】


「欠落はいずれも、確認猶予終了直前から説明済み処理完了直後に集中しています。偶然にしては、位置が揃いすぎています」


『ログ欠落については、保持期限や抽出条件の可能性も――』


「その可能性はあります」


 俺は遮らない。


「だから、説明を求めます」


 春日が黙った。


「本庁は、再確認作業に事前協議を求めました。であれば、事前協議の議題に含めます」


 俺は、新しい議題欄を入力した。


【事前協議追加議題】

【KG系テンプレート適用済み支払済み案件三件における担当者側処理ログ欠落について】

【確認事項一:欠落発生理由】

【確認事項二:欠落箇所前後の説明済み処理および異議なし処理への移行根拠】

【確認事項三:欠落箇所を説明済み処理成立の根拠として扱えるか】

【確認事項四:同様の欠落が他案件に存在しないことの確認方法】


 入力を確定する。


 真鍋課長が、低く言った。


「止めるための協議じゃない」


 俺は続けた。


「確認するための協議です」


 柴崎係長は、画面を見たまま固まっていた。


 春日が、ようやく言った。


『当該ログについては、本庁内で確認が必要です』


「お願いします」


『本日の事前協議では、即答が難しい内容です』


「承知しました」


 俺は、画面を閉じなかった。


「では、本日の協議記録には、教育訓練支援室が三件の担当者側処理ログ欠落について即答できなかった旨を記録します」


 春日の表情が、ほんのわずかに動いた。


『表現については慎重に――』


「慎重に記録します」


 俺は、入力する。


【協議記録】

【教育訓練支援室は、三件の担当者側処理ログ欠落について、本協議内で即答困難と回答】

【当該欠落箇所は、確認猶予終了直前から説明済み処理完了直後に集中しており、説明済み処理および異議なし処理への移行根拠確認に関わる】

【教育訓練支援室に対し、欠落発生理由および前後処理の成立根拠について回答を求める】


 入力を確定する。


 柴崎係長が、深く息を吸った。


『確認の上、回答いたします』


「期限は」


 真鍋課長が言った。


 柴崎係長が止まる。


『期限、ですか』


「事前協議を求めたのは本庁だ。こちらの再確認作業を止めるなら、止める根拠の提示にも期限が要る」


 春日が資料を確認した。


『三営業日以内に、一次回答を提出します』


「相沢」


『記録しました』


 真鍋課長が頷いた。


「黒木」


「はい」


「本日の協議は」


「終了でよいかと」


「理由は」


「本庁側の事前協議要求に対し、事故査定課は配慮事項と確認制限根拠を分離しました。さらに、三件のログ欠落について説明要求を提出しました。次は、本庁側回答待ちです」


「よし」


 真鍋課長は、画面を見た。


「本日の協議はここまでとする」


『承知しました』


 通信が切れる直前、春日が一度だけ久我の確認欄を見た。


 ただの視線移動だった。


 だが、それだけで十分だった。


 通信が切れた。


 会議室には、しばらく音が戻らなかった。


 御園さんが、静かに言った。


「止めに来たのに」


「はい」


「説明する側になりましたね」


「そうですね」


 相沢が、通信越しに短く言った。


『ログ欠落の議題、正式に協議記録へ入りました』


 真鍋課長は、胃薬の瓶を閉じた。


「黒木」


「はい」


「本庁は次にどう来る」


「朱ヶ丘だけなら例外的に認める、という妥協案が来る可能性があります」


「なぜだ」


「標準処理全体への波及を止めるためです」


「だろうな」


 真鍋課長は、十一件の一覧を見た。


「朱ヶ丘だけで済むか」


「済みません」


「理由は」


「標準処理だからです」


 俺は、作業メモに次の一行を入力した。


【標準処理だからこそ、例外ではない】


 止める理由は並んでいた。


 だが、適正だった根拠は、まだ一つも出ていない。


 本庁は、蓋を押さえに来た。


 その手に、こちらは欠落ログを載せた。


 まだ、彼らの判断ミスとは認めない。

第38話をお読みいただき、ありがとうございました。


正しい言葉は、時として蓋をするために使われます。


次回、第39話。


『標準処理だからこそ、例外ではない』


本庁の「妥協」を、事故査定課はそのまま拡大の足場にします。


引き続き、見届けていただけると嬉しいです。

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