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そのダンジョン事故、保険金は出ません。 〜元査定員の俺はログ鑑定で無謀な探索者の嘘を暴く〜  作者: 平八
第三章 その支払済み案件、まだ終わっていません

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第35話 例外処理の入口は、どこにありましたか

入口は、あるだけでは足りない。


 書類のどこかに書いてある。


 画面のどこかに置いてある。


 規約のどこかに残っている。


 それだけで、入口が機能したことにはならない。


 入口とは、そこにたどり着けるものを言う。


 見つけられること。


 選べること。


 戻れること。


 止められること。


 説明を受けた人間が、自分の意思でそこへ進めること。


 そうでなければ、それは入口ではない。


 壁に描かれた扉だ。








 事故査定課の小会議室に、利用者側画面ログの再構成データが表示されていた。


【朱ヶ丘案件 利用者側画面ログ再構成】

【対象:KG系補償説明テンプレート】

【再構成範囲:説明画面表示開始から説明済み処理移行まで】

【補助機能:因果鑑定補助/ログ・リプレイ】

【表示形式:ユーザー導線デバッグ】


 映像は出ない。


 佐伯さんの顔も、芽衣さんの姿も映らない。


 画面にあるのは、時刻と処理と導線だけだ。


 ただ、それで十分だった。


 この案件で見なければならないのは、人の表情ではない。


 人が何を選べたか。


 何を見つけられたか。


 何に届かなかったか。


 そこだ。


 相沢圭吾が、別室から接続している。


 今日は、彼の声が近い。


 いつもの通信越しの声ではなく、画面の中でこちらの端末に手を突っ込んでいるような声だった。


『黒木さん、準備できました』


「表示してください」


『はい』


 画面が切り替わる。


【ログ・リプレイ開始】

【T+00:00 補償説明画面表示】

【T+00:00 利用者側端末アクティブ】

【T+00:02 表示領域:補償金額/本人過失割合/減額理由】

【T+00:05 児童バイタル:呼吸数高値】

【T+00:08 保護者側スクロール操作:なし】

【T+00:12 保護者側タップ操作:なし】

【T+00:16 児童バイタル:呼吸数再上昇】

【T+00:21 利用者視線推定:児童側へ逸脱】

【T+00:29 確認欄表示】

【T+00:29 確認猶予カウント開始】

【T+00:29 表示数字:十三】

【T+00:30 表示数字:十二】

【T+00:31 表示数字:十一】


 十三。


 十二。


 十一。


 数字は、画面上ではただ減っている。


 だが、佐伯さんは言っていた。


 あの数字に、追い立てられたんです。


 何かを考えたり、選んだりする時間なんて、最初からありませんでした。


 御園ミミが、佐伯さんの面談記録を開いたまま、画面を見ていた。


「この十三秒の間、異議申立の入口は見えていたんですか」


 相沢が答える。


『初期表示では見えていません』


「表示してください」


『はい』


 画面の右側に、利用者側画面のレイヤー構造が表示された。


【利用者側画面 表示レイヤー】

【第一表示領域:支払金額】

【第二表示領域:本人過失割合】

【第三表示領域:減額理由説明】

【第四表示領域:確認欄】

【画面下部折りたたみ領域:異議申立導線】

【画面最下部リンク領域:例外相談/後日相談窓口】

【初期表示時:第四表示領域まで表示】

【異議申立導線:初期非展開】

【例外相談導線:画面外】


 御園さんの表情が硬くなった。


「異議申立は、画面の下」


「はい」


「例外相談は、さらに下」


「はい」


「初期表示では見えていない」


「はい」


『しかも、十三秒の確認猶予中に、保護者側のスクロール操作はありません』


 相沢が、ログを拡大した。


【T+00:29〜T+00:42 確認猶予中操作ログ】

【スクロール:なし】

【異議申立導線展開:なし】

【例外相談リンク到達:なし】

【後日相談窓口リンク到達:なし】

【同意ボタン操作:なし】

【異議放棄操作:なし】

【処理移行:自動】


 十三秒間。


 佐伯さんは、スクロールしていない。


 異議申立導線を開いていない。


 例外相談にも届いていない。


 後日相談窓口にも届いていない。


 同意もしていない。


 異議放棄もしていない。


 それでも、画面は進んだ。


【T+00:42 確認猶予終了】

【T+00:42 説明担当者側処理:説明済み】

【T+00:43 支払前説明ステータス:完了】

【T+00:43 異議申立:なし】

【T+00:44 次工程移行】


 真鍋課長が、胃薬の瓶を机に置いた。


 まだ開けない。


 音だけが重かった。


「入口はあった」


「画面構造上は」


「だが、佐伯さんは到達していない」


「はい」


「案内もされていない」


「はい」


「スクロールもしていない」


「はい」


「それで、異議なし」


「はい」


 御園さんが、低く言った。


「見えていない入口を、入口と呼ぶんですか」


 俺は答えなかった。


 答えは、所見に入れる。


 端末に入力する。


【利用者側導線確認】

【朱ヶ丘案件において、異議申立導線および例外相談導線は画面構造上存在する】

【しかし、当該導線は初期表示領域外または折りたたみ領域に配置されており、確認猶予十三秒内に保護者側が認識・展開・到達した記録は確認できない】

【よって、当該導線が制度上存在することのみをもって、保護者側に異議申立または例外相談の機会が実質的に提供されたとは評価できない】


 入力を確定する。


 相沢が続けた。


『もう一段、見てください』


「表示を」


『利用者側の視線推定とバイタル変動を重ねます』


 画面に、赤と白のラインが出た。


【利用者側視線推定ログ】

【T+00:00〜T+00:06 画面中央】

【T+00:07〜T+00:14 児童側へ視線逸脱】

【T+00:15〜T+00:20 画面上部へ復帰】

【T+00:21〜T+00:28 児童側へ視線逸脱】

【T+00:29 確認欄表示】

【T+00:30〜T+00:41 視線安定せず/画面下部到達なし】

【T+00:42 次工程移行】


【児童バイタル補助ログ】

【T+00:05 呼吸数高値】

【T+00:16 呼吸数再上昇】

【T+00:30 呼吸不整】

【T+00:38 保護者側姿勢変化:児童側へ】


 御園さんの手が、机の上で止まった。


「これ」


「はい」


「十三秒の間、佐伯さんは画面下部を見ていません」


「はい」


「娘さんの方を見ています」


「はい」


「そちらの方が、自然です」


「はい」


 御園さんは、画面から目を離さなかった。


「我が子が苦しそうにしているのに、画面下部の折りたたみリンクを探せる親の方が少ないです」


「記録します」


「お願いします」


 俺は、所見を追加する。


【医療・説明状況補足】

【確認猶予中、保護者側視線は画面下部導線に到達しておらず、児童側へ複数回逸脱している】

【同時間帯に児童バイタル高値および呼吸不整が確認されており、保護者が児童状態確認を優先したことは不自然ではない】

【当該状況下で、画面下部折りたたみ領域内の異議申立導線または画面外の例外相談導線を認識・展開することを、任意判断の前提として扱うことは困難】


 俺はさらに、所見の冒頭へ一行を加えた。


【事故査定課所見:見えていない導線は、導線とは評価しない】


 入力を確定する。


 画面の向こうで、相沢が少しだけ息を吐いた。


『ログも同じことを言っています。黒木さん、続けますね』


「お願いします」


 画面に、因果鑑定補助の赤い警告が表示された。


【因果鑑定補助/導線評価】

【異議申立導線:存在】

【異議申立導線:利用者側認識ログなし】

【異議申立導線:展開ログなし】

【例外相談導線:存在】

【例外相談導線:画面外】

【例外相談導線:到達ログなし】

【後日相談窓口:存在】

【後日相談窓口:到達ログなし】

【説明担当者による案内ログ:なし】


【因果接続警告】

【導線存在】→【異議申立機会提供】

【接続根拠:不成立】


【因果接続警告】

【例外相談導線存在】→【例外処理機会提供】

【接続根拠:不成立】


【因果接続警告】

【異議申立操作なし】→【異議なし処理】

【接続根拠:不成立】


 赤い警告が三つ並ぶ。


 存在。


 機能。


 到達。


 それぞれが、つながっていない。


 相沢が言った。


『システム上は、導線は存在しています。でも、利用者側イベントがゼロです』


「ゼロ」


『はい。スクロールなし。展開なし。到達なし。案内なし。判断操作なし』


「それでも処理は進む」


『はい。自動で進みます』


 真鍋課長が、胃薬の蓋を開けた。


「入口があるから問題ない、か」


「はい」


「入口までの道がないじゃないか」


「はい」


「しかも、時間で勝手に扉が閉まる」


「はい」


「地獄のような設計だな」


「標準処理です」


「その言い方をやめろ。胃に来る」


「はい」


 御園さんが、端末の画面を見たまま言った。


「佐伯さんは、『時間で勝手に進みませんか』と聞きました」


「はい」


「実際に、前は勝手に進んだんですね」


「はい」


「戻れなかった」


「はい」


「じゃあ、あの人が確認用文面を怖がったのは、当然です」


「はい」


 俺は、佐伯さんの面談記録を開いた。


【急がなくて、いいんですか】

【時間で勝手に進みませんか】


 その言葉は、ただの不安ではない。


 経験に基づく確認だった。


 佐伯さんは、一度、時間で進む画面に閉じ込められている。


 だから、次の確認でも、時間で勝手に進むことを恐れた。


 俺は所見を追加する。


【保護者心理負担補足】

【保護者は面談記録確認時に「時間で勝手に進みませんか」と確認している】

【当該発言は、過去の説明画面において確認猶予終了後に画面が自動遷移し、戻る方法を認識できなかった経験と整合する】

【よって、KG系テンプレートにおける自動遷移仕様は、保護者に対して以後の確認手続きへの不信および心理的負担を生じさせている可能性がある】


 入力を確定する。


 相沢が、次のデータを表示した。


『黒木さん、後日相談窓口の導線も見ます』


「お願いします」


【支払済み通知書 最終ページ】

【表示項目:支払額】

【表示項目:支払日】

【表示項目:減額理由】

【表示項目:処理区分】

【最下部リンク:後日相談窓口】

【文字サイズ:最小】

【初期表示:画面外】

【スクロール到達率:一・八%】

【クリック率:〇・三%】


「〇・三」


 真鍋課長が呟いた。


『はい。後日相談窓口のクリック率です』


「低いな」


『低いです。ただ、これを本庁は「相談窓口あり」として扱っています』


「見えていなくても」


『はい』


「押されていなくても」


『はい』


「存在しているから」


『はい』


 御園さんが、静かに言った。


「存在しているだけなら、助けではありません」


「はい」


「助けは、届かないと意味がありません」


「記録します」


 俺は入力する。


【後日相談導線評価】

【支払済み通知書上、後日相談窓口は最終ページ下部に存在する】

【しかし、当該導線は初期表示範囲外であり、スクロール到達率およびクリック率はいずれも極めて低い】

【朱ヶ丘案件において、保護者が当該窓口を認識または利用した記録は確認できない】

【よって、後日相談窓口の制度上の存在をもって、保護者側に実質的な救済機会が提供されていたとは評価できない】


 入力を確定する。


 相沢の声が少し硬くなった。


『これ、三つとも同じ構造です』


「三つ」


『異議申立導線。例外相談導線。後日相談窓口』


「はい」


『全部、存在はしています。でも、利用者側の行動ログがない。到達していない。案内もない。なのに、処理上は「機会提供済み」と扱われている』


「はい」


『これ、実装としてはかなり綺麗です』


 真鍋課長が、嫌そうに相沢を見た。


「褒めるな」


『褒めていません。設計が一貫しているという意味です』


「悪い意味でか」


『はい。悪い意味で、非常に一貫しています』


 相沢は、三つの導線を並べた。


【異議申立導線】

【制度上存在:あり】

【利用者側認識:なし】

【展開・到達:なし】

【処理結果:異議なし】


【例外相談導線】

【制度上存在:あり】

【利用者側認識:なし】

【到達:なし】

【処理結果:標準処理継続】


【後日相談窓口】

【制度上存在:あり】

【利用者側認識:なし】

【利用:なし】

【処理結果:支払済み確定】


 同じ構造。


 ある。


 だが、届かない。


 届かない。


 だが、機会はあったことになる。


 機会はあったことになる。


 だから、異議なしになる。


 異議なしになる。


 だから、支払済みになる。


 綺麗な線だった。悪意も、バグもない。


 ただ処理を効率化するという正しさだけを追求した結果、人間が一切の反論を許されずに処理されていく。


 あまりにも綺麗で、気持ちが悪かった。


 俺は、因果鑑定補助の総合所見を開いた。


【因果鑑定補助/総合導線評価】

【制度上存在する各導線は、朱ヶ丘案件において利用者側の認識・到達・操作ログを伴っていない】

【導線存在から機会提供への因果接続は不成立】

【機会提供から異議なし処理への因果接続は不成立】

【異議なし処理から任意の異議放棄成立への因果接続は不成立】


 真鍋課長が、胃薬を飲んだ。


「不成立が三つ」


「はい」


「本庁の言う入口は、どれも入口として機能していない」


「はい」


「黒木。次の照会に入れろ」


「組めます」


「短く言うと」


 俺は、赤い警告を見た。


【導線存在】→【機会提供】

【接続根拠:不成立】


「本庁は入口の存在を主張しています。ですが、利用者がそこへ到達した記録はありません」


「もっと短く」


「入口があることと、そこへ入れることは別です」


 真鍋課長は、少しだけ目を閉じた。


「それを一行目に置け」


「はい」


 俺は、再照会案を開いた。


【事故査定課 再照会案】

【入口があることと、そこへ入れることは別である】


 続けて、入力する。


【教育訓練支援室は、異議申立導線、例外相談導線、後日相談窓口等の制度上の存在をもって、機会提供済みと評価している】

【しかし、朱ヶ丘案件において、保護者側が当該導線を認識し、到達し、操作した記録は確認できない】

【また、説明担当者による当該導線の案内ログも確認できない】

【確認猶予十三秒、児童バイタル高値、保護者側視線の児童側逸脱という状況下で、当該導線を認識・利用可能であったと評価する根拠は不足している】


 入力を確定する。


 御園さんが、静かに言った。


「これで、佐伯さんの十三秒が記録に戻りますか」


「戻します」


「お願いします」


「はい」


 相沢が、通信越しに続けた。


『十一件にも同じ導線評価をかけられます』


 真鍋課長が、すぐに顔を上げた。


「できるのか」


『同一シグネチャの案件なら、利用者側画面ログの再構成が可能です。ただし、バイタルや視線推定まで揃うのは一部です』


「導線到達ログは」


『取れます』


「異議申立導線展開ログは」


『取れます』


「後日相談窓口の利用ログは」


『取れます』


 真鍋課長が、胃薬の瓶を置いた。


「やれ。保全も同時にかけろ」


『了解です。導線到達ログ、展開ログ、後日相談窓口の利用ログ、説明担当者の案内ログまで押さえます』


「抜けを作るな」


『作りません』


 相沢の返事は短かった。


 だが、画面の向こうでキーを叩く音は、さっきより速くなっていた。


 真鍋課長が、こちらを見た。


「黒木。本庁は次に何と言う」


「個別案件の利用状況に過ぎない、と返してくるでしょう」


「導線は制度上存在した。使わなかったのは本人側の事情、か」


「その線です」


「潰せるか」


「十一件に同じ導線不達があれば、個別事情ではありません」


「標準処理の問題になる、か」


「はい」


 御園さんが、画面を見た。


「また、十一件ですね」


「はい」


「朱ヶ丘だけでは終わらない」


「はい」


 俺は、次の作業欄を開いた。


【次工程】

【KG系テンプレート適用候補十一件に対する導線到達ログ照合】

【確認項目:異議申立導線展開ログ】

【確認項目:例外相談導線到達ログ】

【確認項目:後日相談窓口到達ログ】

【確認項目:説明担当者による導線案内ログ】

【目的:制度上の機会存在と実質的機会提供の差異確認】


 入力を確定する。


 思考を止めない。


 画面を睨みつける御園さんの横顔を視界の端に収めながら、俺は端末を閉じた。


 小会議室のモニターには、まだ相沢が暴き出した赤い警告が残っている。


【導線存在】→【機会提供】

【接続根拠:不成立】


 入口はあった。


 本庁はそう言うだろう。


 だが、佐伯さんはそこへ入っていない。


 見ていない。


 触れていない。


 案内されていない。


 娘の呼吸を見ながら、十三秒の数字に追い立てられていた。


 それを、入口と呼ぶなら。


 俺たちは、その入口そのものを査定する。


 まだ、彼らの判断ミスとは認めない。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


第35話では、本庁が「あります」と言った入口を確認しました。


異議申立導線。

例外相談導線。

後日相談窓口。


確かに、画面構造上は存在していました。


ですが、佐伯さんはそこに到達していませんでした。


初期表示では見えていない。

折りたたまれている。

画面外にある。

確認猶予は十三秒。

児童の呼吸状態は悪化している。

スクロールログも、展開ログも、案内ログもない。


今回の核は、


【見えていない導線は、導線とは評価しない】


そして、


【入口があることと、そこへ入れることは別である】


です。


次回は、


『一%未満の異議を、成功と呼びますか』


本庁が成果として見ていた「異議申立率の低下」を、真鍋課長が管理職として査定していきます。


引き続き、事故査定課の査定を見届けていただけると嬉しいです。

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