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そのダンジョン事故、保険金は出ません。 〜元査定員の俺はログ鑑定で無謀な探索者の嘘を暴く〜  作者: 平八
第三章 その支払済み案件、まだ終わっていません

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第29話 四十二秒の説明を、もう一度再生する

四十二秒。


 短い。


 説明と呼ぶには、あまりに短い。


 理解と呼ぶには、もっと短い。


 まして、同意と呼ぶには、足りなさすぎる。


 だが、帳簿の上では、その四十二秒がすべてを終わらせていた。


 説明済み。


 異議なし。


 支払済み。


 本人過失五〇%。


 画面を見ていた時間が、同意に変わる。


 沈黙が、異議なしに変わる。


 何も選べなかった時間が、手続きを終わらせる根拠に変わる。


 それを、標準処理と呼ぶ。


 ならば、もう一度見る必要がある。


 四十二秒の中で、何が起きたのか。


 そして、何が起きていなかったのか。








 事故査定課の端末には、朱ヶ丘案件の因果鑑定補助画面が開かれていた。


【朱ヶ丘案件 因果鑑定補助初期所見】

【保護者説明画面の閲覧は確認】

【保護者側明示同意ログは未確認】

【異議放棄操作ログは未確認】

【説明済み処理は、保護者側操作ではなく説明担当者側処理により成立】

【画面滞在時間四十二秒をもって、理解・同意・異議なしと扱う因果接続は現時点で不成立】


 現時点で不成立。


 この一文だけでは、まだ弱い。


 支払済み案件の蓋を開けるには、もう一段いる。


 四十二秒が短い、では足りない。


 かわいそう、でも足りない。


 保護者が納得していない、だけでも足りない。


 必要なのは、処理の構造だ。


 保護者が同意しなかったのか。


 同意する操作ができなかったのか。


 同意する前に、システムが説明済みへ進めたのか。


 そこを分けなければならない。


 俺は端末の再構成範囲を拡張した。


【因果鑑定補助:再構成範囲変更】

【対象:朱ヶ丘案件 保護者説明画面ログ】

【再構成範囲:説明開始前後六十秒】

【追加対象:確認欄表示制御/猶予カウント/同意欄処理履歴/異議申立処理履歴】

【目的:説明済み処理成立条件の確認】


 相沢圭吾から通信が入った。


『黒木さん、追加で制御ログを拾いました』


「表示できますか」


『できます。ただ、これ、欠落じゃないです』


「どういう意味ですか」


『保護者側の操作ログが消えているんじゃありません。操作が発生する前に、処理が先に閉じています』


「処理が先に」


『はい。確認欄が出てから、猶予終了まで十三秒。その間に同意操作はありません。でも、説明済み処理だけはきれいに完了している』


 相沢の声が、そこで少しだけ低くなった。


『これ、人間が焦って処理したログじゃないです。最初から、そう閉じるように作られています』


 御園ミミが、横で顔を上げた。


「最初から、閉じるように」


『あ、すみません。まだ断定じゃないです』


「分かっています」


 俺は相沢の送ったログを開いた。


【保護者説明画面 制御ログ】

【説明画面表示条件:支払済み前説明】

【確認欄表示条件:画面滞在二十九秒経過】

【確認猶予:十三秒】

【確認猶予終了時処理:説明担当者側処理へ移行】

【保護者側明示操作:任意】

【異議申立導線:次画面以降】


 真鍋課長が、画面を見た。


「任意?」


「はい」


「同意操作が任意?」


「ログ上は」


「任意なのに、処理は同意欄へ入るのか」


「そこを確認します」


 御園さんが、小さく言った。


「十三秒」


「はい」


「確認欄が出てから、十三秒ですか」


「ログ上は」


「その十三秒で、親が過失五〇%の説明を理解して、異議を出すかどうか選ぶんですか」


「そのように設計されています」


「設計、ですか」


「はい」


 御園さんは、それ以上言わなかった。


 怒っている。


 だが、今日の目的は怒ることではない。


 四十二秒をもう一度、処理として見ることだ。


 俺は、再構成を開始した。


【因果鑑定補助:再構成開始】

【対象:朱ヶ丘案件 保護者説明画面】

【表示形式:タイムライン】

【音声ログ:欠落】

【映像再構成:不可】

【操作・処理・表示履歴のみ再構成】


 画面に、四十二秒が並んだ。


 過去の映像は出ない。


 部屋の匂いも、母親の表情も、少女の呼吸音もない。


 そこにあるのは、時刻と処理だけだ。


 だからこそ、逃げられない。


【T+00:00 説明画面表示】

【T+00:01 保護者端末アクティブ】

【T+00:03 支払済み前説明文 表示】

【T+00:07 保護者側スクロール停止】

【T+00:09 児童バイタル:呼吸数高値維持】

【T+00:11 児童バイタル:呼吸数再上昇】

【T+00:14 保護者側操作:なし】

【T+00:18 保護者側画面アクティブ状態維持】

【T+00:21 説明文末尾未到達】

【T+00:24 保護者側操作:なし】

【T+00:29 確認欄表示】

【T+00:29 確認猶予カウント開始】

【T+00:30 同意欄表示】

【T+00:30 異議申立導線:折りたたみ表示】

【T+00:33 保護者側操作:なし】

【T+00:37 児童バイタル:呼吸数高値】

【T+00:41 保護者側操作:なし】

【T+00:42 確認猶予終了】

【T+00:42 説明担当者側処理:説明済み】

【T+00:42 同意欄:処理済み】

【T+00:42 異議申立:なしとして処理】

【T+00:42 保護者側明示同意ログ:なし】

【T+00:42 保護者側異議放棄操作ログ:なし】


 事故査定課の空気が止まった。


 四十二秒の中身は、想定より悪かった。


 ただ短いのではない。


 読む時間がなかったのでもない。


 選ぶための画面が、選ぶ前に終わっていた。


「説明文末尾未到達」


 御園さんが、画面の一行を見たまま言った。


「はい」


「最後まで読めていないんですか」


「ログ上は、説明文の末尾まで到達していません」


「でも、確認欄は出た」


「はい」


「異議申立導線は」


「折りたたみ表示です」


「折りたたみ」


「開かなければ見えない形式です」


 御園さんの手が、治療記録フォルダの上で止まっていた。


 次に、彼女は別の行を指さした。


【T+00:11 児童バイタル:呼吸数再上昇】


「黒木さん、ここ」


「はい」


「呼吸数が上がっています。過呼吸発作が落ち着いていない状態です」


「はい」


「そのあとも、高値が続いています」


 御園さんの指が、さらに下へ動く。


【T+00:37 児童バイタル:呼吸数高値】


「我が子が息を詰まらせている横で、親に、十三秒以内に折りたたまれた異議申立導線を見つけろ、という設計ですか」


「ログ上は、そうなっています」


「それで開かなかったら、異議なし」


「処理上は」


 御園さんは、目を伏せた。


 だが、声は震えなかった。


「これは、説明を受ける状態ではありません」


「はい」


「保護者は、画面だけを見ていたんじゃありません。目の前の子どもの呼吸を見ていたはずです」


「はい」


「その状態で、説明文を最後まで読み、折りたたみを開き、異議申立を選べなかったことを、異議なしにする」


 御園さんは、画面から目を離さなかった。


「それは、医療的にも、手続き的にも、同意できる状態ではありません」


 真鍋課長が、低く言った。


「相沢」


『はい』


「これ、保護者側の操作ログが欠落している可能性は」


『低いです』


「理由は」


『同じ時間帯のスクロール停止、画面アクティブ状態、表示履歴は残っています。入力系だけ丸ごと欠落しているなら別ですが、そもそも同意操作のイベントが発生していません』


「つまり」


『ログが消えているんじゃなくて、操作がありません』


 相沢の声が、少しだけ硬かった。


『保護者は、何も押していません』


 御園さんが息を吸った。


 俺は画面に目を戻す。


 相沢の言い方は正しい。


 ただし、そのまま所見には書けない。


 書ける形にする。


「保護者側明示同意ログは、欠落ではなく未発生として扱います」


 俺は入力した。


【補足所見】

【保護者側明示同意ログについて、同時間帯の他操作・表示履歴が取得可能であることから、単純欠落ではなく、同意操作未発生として扱う】

【児童バイタルログ上、説明画面表示中に呼吸数高値および再上昇を確認】

【保護者は説明画面閲覧と同時に、児童の呼吸状態悪化を視認していた可能性が高い】

【上記状況において、確認猶予十三秒をもって任意の同意または異議放棄が成立したものとは扱えない】


 入力を確定する。


 真鍋課長が、胃薬の瓶を握ったまま言った。


「これで、同意なしは立つか」


「同意があったとは扱えません」


「異議なしは」


「異議を出す導線は折りたたみ表示です。確認猶予十三秒の中で、異議申立導線を認識し、開き、内容を理解し、入力する必要があります」


「無茶だな」


「はい」


「所見に書け」


「はい」


 俺は次の所見欄を開いた。


【異議申立処理について】

【異議申立導線は確認欄表示後、折りたたみ表示として配置】

【確認猶予は十三秒】

【保護者側による異議申立導線展開ログ:なし】

【異議申立入力ログ:なし】

【上記状態をもって、保護者が異議申立権を理解し、任意に放棄したものとは扱えない】


 御園さんが、静かに言った。


「任意に放棄」


「はい」


「ここまでしないと、異議なしにしてはいけないんですね」


「本来は」


「本来は」


 その言葉が、部屋の中で少し重くなった。


 本来。


 この案件では、その本来が省かれている。


 画面を表示した。


 四十二秒経った。


 黙っていた。


 だから説明済み。


 だから異議なし。


 だから支払済み。


 それが、標準処理として通っている。


 真鍋課長が言った。


「黒木」


「はい」


「この四十二秒をどう扱う」


 俺は、ログをもう一度見た。


【T+00:29 確認欄表示】

【T+00:29 確認猶予カウント開始】

【T+00:42 確認猶予終了】

【T+00:42 説明担当者側処理:説明済み】

【T+00:42 同意欄:処理済み】

【T+00:42 保護者側明示同意ログ:なし】


 短い。


 だが、問題は短さだけではない。


 この四十二秒は、説明の時間ではない。


 同意の時間でもない。


 反論が成立しないまま、処理が終わるまでの時間だ。


「説明時間ではありません」


 俺は言った。


「理解時間でもありません」


 御園さんが、こちらを見る。


「では」


「同意が成立しなかった時間です」


 俺は、所見欄に入力した。


【四十二秒の扱いについて】

【画面滞在時間四十二秒のうち、確認欄表示後の猶予は十三秒】

【説明文末尾到達ログなし】

【保護者側明示同意ログなし】

【異議申立導線展開ログなし】

【異議放棄操作ログなし】

【説明画面表示中、児童バイタルログに呼吸数高値および再上昇あり】

【よって、画面滞在時間四十二秒をもって、保護者の理解・同意・異議放棄が成立したものとは扱えない】

【本件四十二秒は、説明済みの根拠ではなく、同意不成立を示す時間として扱う】


 入力を確定する。


 キーボードの音が、妙に大きく残った。


 真鍋課長が、ゆっくり息を吐いた。


「同意不成立か」


「はい」


「支払済みの前提が一つ、折れたな」


「はい」


「だが、まだ支払済みは崩れん」


「承知しています」


「次は誰だ」


「説明済み処理を行った担当者です」


 御園さんの表情が、わずかに変わった。


「人に聞くんですね」


「はい」


「ログだけでは足りない」


「はい」


「誰が、この沈黙を同意欄に変えたのかを確認します」


 真鍋課長が胃薬の瓶を置いた。


「補償窓口か」


「はい」


「嫌な照会になるぞ」


「想定しています」


「そこは想定していい」


「はい」


 俺は、新規照会文を作成した。


【朱ヶ丘案件 補償窓口照会案】

【照会事項一:画面滞在時間四十二秒を説明済みと処理した根拠】

【照会事項二:保護者側明示同意ログがない状態で、同意欄を処理済みとした理由】

【照会事項三:異議申立導線が展開されていない状態で、異議なしと処理した理由】

【照会事項四:確認猶予十三秒の妥当性】

【照会事項五:児童バイタル高値状態における保護者説明継続の妥当性】

【照会事項六:KG系テンプレート運用時の現場判断範囲】


 御園さんが、五つ目の項目を見た。


「バイタルも入れるんですね」


「はい」


「ありがとうございます」


「記録です」


「はい」


 御園さんは小さく頷いた。


 次に、最後の項目を見る。


「現場判断範囲」


「はい」


「現場の人が勝手にやったのか、本庁の様式がそうさせたのか」


「そこを分けます」


「分けたら、どうなりますか」


「現場の過失か、様式の瑕疵か、両方かが見えます」


 御園さんは、小さく頷いた。


「どちらにしても、あの親子には関係ないですね」


「補償上は関係します」


「そういう意味ではありません」


「承知しています」


 真鍋課長が言った。


「黒木」


「はい」


「次は人間が相手だ」


「はい」


「ログより面倒だぞ」


「承知しています」


「ログは嘘をつかん」


「はい」


「人間は、嘘をつく」


「はい」


「もっと面倒なのは」


 課長は、画面を見た。


「本人が嘘だと思っていない嘘だ」


 俺は頷いた。


「はい」


 補償担当者は、きっとこう言う。


 標準様式に従った。


 保護者から異議はなかった。


 迅速に処理した。


 早く給付金を届けるためだった。


 すべて、適法かつ円滑に進めた。


 その言葉の中で、四十二秒の沈黙は消える。


 保護者が何も選べなかった事実も消える。


 過呼吸の少女の横で、母親がただ画面を見るしかなかった時間も消える。


 それを、もう一度、書類の上へ戻す。


 俺は照会案を保存した。


【朱ヶ丘案件 補償窓口照会案 保存完了】


 画面には、因果鑑定補助が弾き出した赤い警告が、まだ残っている。


【因果接続警告:同意ログ不成立】


 四十二秒。


 標準処理が「説明済み」と呼んだ沈黙は、合意の証ではない。


 同意が成立しなかった記録だ。


 真鍋課長が、通信回線の準備を進めながら言った。


「相手は『標準様式どおりです』と言うぞ」


「はい」


「『ルール通りに処理しました』とも言う」


「はい」


 俺は、朱ヶ丘民間訓練所の補償窓口コードを入力した。


「なら、そのルール通りという言葉を、根拠ごと査定します」


 まだ、本人の判断ミスとは認めない。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


第29話では、朱ヶ丘案件の「四十二秒」をもう一度確認しました。


四十二秒という時間が短い、というだけではありません。


説明文の末尾まで到達していない。

確認欄が出てからの猶予は十三秒。

異議申立導線は折りたたみ表示。

保護者側の明示同意ログはない。

異議放棄操作もない。

さらに、その間、児童のバイタルログには呼吸数高値と再上昇が残っていました。


それでも、処理結果は「説明済み」「同意欄処理済み」「異議なし」になっていました。


黒木たちは、この四十二秒を「説明済みの根拠」ではなく、「同意不成立を示す時間」として扱い始めます。


次回は、ログではなく人間です。


『その沈黙を、誰が同意欄に変えましたか』


朱ヶ丘案件の補償窓口へ、黒木たちが照会をかけます。

標準様式どおりに処理しただけだと言う人間に、四十二秒の沈黙をどう突きつけるのか。


引き続き、事故査定課の査定を見届けていただけると嬉しいです。

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