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婚約破棄ですか?大歓迎です!これからは辺境で定時退勤を満喫しますね  作者: 九葉(くずは)


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第9話 この人材は、辺境に不可欠です

 大広間は、息が詰まるほど広かった。


 天井から吊り下がるシャンデリアの数は、覚えたくもない。磨き上げられた大理石の床。ずらりと並ぶ各領地の代表者たち。宮廷高官。そして──玉座の上の国王マティアス陛下。


 俺は息を吐いた。


 人前は苦手だ。いつもなら声が小さくなる。言葉が出てこなくなる。


 だが、今日はやるべきことがある。


「──ベルクハイト辺境伯領の業績報告を行います。名代として、魔物保護局長ルーカス・ベルクハイトが報告いたします」


 声が出た。自分でも驚くほど、はっきりと。





「当局では、本年度、事務体制の全面改革を実施いたしました」


 資料を広げた。書類処理速度の推移。マニュアルの導入効果。個体ナンバリング制度による管理精度の向上。予算管理表の刷新。


「これらの改善は、すべて一人の事務官の着任によって実現しました」


 大広間がざわめいた。


「セラフィーナ・ローゼンベルク嬢。ローゼンベルク伯爵令嬢にして、当局正規事務官」


 ざわめきが大きくなった。その名前を知っている者がいる。──元王太子婚約者。婚約破棄された伯爵令嬢。


 視界の端で、クラウス殿下の顔が強張った。


「具体的な成果をお示しいたします」


 モルテの個体管理記録を広げた。健康状態、成長記録、行動パターン。一頭ごとに丁寧に記された記録は、この精度でなければ保護計画を根拠づけることはできない。


「この記録管理は、セラフィーナ嬢なしには実現できませんでした」


 大広間を見渡した。


 声を張り上げた。


「この人材は──辺境に不可欠です」


 広間が静まった。


 俺の声が、天井に反射して戻ってくるのが聞こえた。


 ──あの人のために、こんなに大きな声が出るとは思わなかった。





「加えて、一点。当局事務官に対する出頭命令について申し上げます」


 資料をもう一枚、広げた。セラフィーナから預かった革表紙の冊子。五年分の業務記録の控え。


「この記録と、王宮に提出された報告書の照合を求めます」


 クラウスが立ち上がりかけた。


「何を──」


「王宮提出の報告書原案の筆跡鑑定を申請いたします」


 国王陛下が頷いた。宮廷魔法師が呼ばれた。


 帳簿が開かれた。報告書が並べられた。


 魔法師の手が光り──数分後、結果が読み上げられた。


「……クラウス殿下の名で提出された報告書原案のうち、九割以上がセラフィーナ・ローゼンベルク嬢の筆跡と一致いたします」


 広間が凍った。


 百人を超える出席者が、誰一人として声を発していなかった。


 その沈黙こそが、クラウスに対する答えだった。


「──クラウス」


 国王陛下の声が、静かに落ちた。怒鳴るのではなく、一段低くなる。


「弁明はあるか」


 クラウスの喉が動いた。言葉を探しているのが見えた。


 しかし──出てこなかった。


 朗々と響くはずの声が、そこにはなかった。





 裁定が下された。


 クラウスには「実務研修」として地方領地への派遣。婚約破棄の違約金未払いは、ローゼンベルク家への正式な賠償。出頭命令は、権限乱用として即日撤回。


 リリアーナ嬢の「白百合の聖女」は、社交界から静かに崩壊した。クラウスの地方研修に同行する羽目になり、あれほど忌避していた事務仕事を目の当たりにする。





 回廊に出た。


 父が待っていた。オスカー・ローゼンベルク伯爵。


 その顔を見た瞬間、目が潤んだ。


「お父様」


「……よくやったな」


 父は泣いていた。


「ごめんな。王宮に送り出して──ずっと、気に病んでいた」


「お父様のせいじゃありません」


 首を横に振った。


「お父様。私は辺境で働き続けます。ここが、私の居場所です」


 父が涙を拭いて、頷いた。


「……わかった。立派になったな」





 回廊の奥で、ルーカスさんが壁に寄りかかっていた。


 大広間で声を張り上げた人とは思えない、いつもの無表情。でも──目が赤い。


「局長……いえ」


 言い直した。


「ルーカスさん。ありがとうございました」


 ルーカスさんが顔を上げた。


 その手が、私の手を取った。


 大きな手。剣を握っていた手。証拠の帳簿を突きつけた手。


 ──震えていた。あの時と同じ。森の中で擦り傷を確認した、あの時と。


「……よかった」


 低い声。掠れている。


「ここにいてくれて」


 返事の代わりに、手を握り返した。


(この人の声は、私の前でだけ違った。半音高くなって、少しだけ柔らかくなる。──ミラが言っていた通りだ)


「帰りましょう、ルーカスさん。私たちの場所に」





 帰路の馬車の中。


 並んで座った。窓の外を、秋の田園風景が流れていく。


 マルタのスープが恋しい。モルテが膝に飛び乗ってくるのが恋しい。五時の鐘が恋しい。


「……セラフィーナ」


「はい」


「帰ったら、話がある」


 ルーカスさんは窓の外を見たまま、それだけ言った。


(話……? まさか異動ですか? 私は定時退勤を手放しませんよ? それともクビ? え、業績あるのにクビ?)


 馬車が揺れた。


 秋の風が、車窓から吹き込んでくる。


 隣に座る人の肩が、少しだけ近い気がした。


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― 新着の感想 ―
え?主人公は辺境で『待ってます』とか言ってませんでしたっけ? 局長が馬で出立するの見送ってたよね?(前話のラスト) なんで王宮にいるのかな?
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