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婚約破棄ですか?大歓迎です!これからは辺境で定時退勤を満喫しますね  作者: 九葉(くずは)


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第5話 うちの職員だ

「あなたのような人材がこんな辺境にいるのは、正直もったいない」


 爽やかな声だった。


 アルベルト伯爵は二十五歳の好青年で、栗色の髪を整えた育ちのいい顔立ちをしている。事務室の椅子に腰かけて、色分けされたバインダーの棚を感心したように眺めていた。


「この分類体系、素晴らしいですね。全個体のナンバリングまで。うちの領地の経営にも、ぜひあなたの手法を取り入れたい」


 にこやかに微笑む。嫌味がない。純粋な称賛だ。


(スカウト、かな。悪い人ではなさそうだけど──)


「ありがとうございます。ただ、私はこの局が気に入っておりまして」


「もちろん引き抜こうなどとは! ただ、定期的にご指導いただけないかと──」


 アルベルトが身を乗り出した、その瞬間。


 影が割って入った。


 ルーカス局長が、無言で私たちの間に立った。腕を組み、アルベルトを見下ろす。


「……うちの職員だ」


 低い声。それだけ。


 アルベルト伯爵が一瞬目を見張り──それから、小さく笑った。


「失礼いたしました、局長殿」


 目が笑っている。何かに気づいたような、面白がるような笑み。


(……縄張り意識の強い方なのかな、局長は)





 夕方、アルベルト伯爵を歓待するため、城下町の「森の蜜亭」で食事会が開かれた。


 鹿肉のロースト。山菜のスープ。焼きたてのライ麦パン。辺境の料理は素朴だけれど、素材の力がある。


「辺境は食が豊かですね。これは見事な鹿肉だ」


 アルベルトが上品にナイフを動かしている。


 その隣で、ルーカス局長がフォークでジャガイモを刺した。力が強すぎて、皿が鳴った。


「局長、食器に八つ当たりしないでください」


 トビアスが小声で囁いた。局長は答えなかった。


 アルベルトがセラフィーナに話しかけるたびに、局長のフォークの動きが荒くなる。


「セラフィーナ殿、王都ではどのような業務を?」


「書類の処理全般を。……まあ、独りでやるには少し量が多かったですが」


「お一人で? それは──」


「セラフィーナ」


 ルーカス局長の声が、不意に割り込んだ。


「……追加のパンがある。食べるか」


「あ、はい。いただきます」


 パンの籠を差し出す局長の声が、いつもより少しだけ高かった。


 ミラがスープに口をつけたまま、ぼそっと呟いた。


「局長、私たちにもその声で話してください」


 局長が黙った。スープの湯気だけが昇っている。


(その声? ……普通の声だと思うけど)





 食事の後、保護区の開放エリアでモルテを撫でていた。


 白い毛並みに頬を押しつけると、モルテが「きゅう」と鳴いて目を細める。小さな翼がぱたぱた動く。


 至福。


「この子が噂のモルテですか。可愛いですね」


 アルベルト伯爵が近づいてきた。手を伸ばそうとした瞬間──


「きゅぅうっ!!」


 モルテが毛を逆立てた。小さな体を精一杯膨らませて、アルベルトに向かって威嚇している。


「モルテ! お客様に失礼でしょ!」


「いやいや、大丈夫ですよ。嫌われたようだ」


 アルベルトが苦笑して手を引いた。


 モルテは私の膝にしがみついて、アルベルトを睨んでいる。


(もふもふも嫉妬するのか……かわいいな)


(でもね、モルテ。安心して。もふもふと定時退勤のためにここにいるんだから。スカウトなんて受けないよ)





 アルベルトが帰った後、トビアスが何気なく言った。


「そういえば王都から来た商人が言ってたんだが、王宮で外交書簡の返答が遅れまくってるらしいぞ」


 私は食後のお茶に口をつけたまま、少しだけ目を伏せた。


(……ああ。外交書簡のテンプレート、私しか管理してなかったからなぁ)


 各国との定型書簡、前例文書の参照番号、宛名の序列ルール。全部、私の頭の中にあった。引き継ぎ書も──作る暇がなかった。


「もう君の仕事じゃない」


 ルーカス局長の声が、静かに落ちてきた。


 顔を上げると、局長はまっすぐ私を見ていた。無表情。でも、声が──なんだろう。少しだけ、柔らかかった。


「……関係ない。ここにいる仕事だけやればいい」


(局長。……そうですよね)


 お茶を飲んだ。温かかった。取っ手は利き手側だった。





 ──同じ頃。王都、社交の夜会にて。


 社交の夜会で、アルベルト伯爵が何気なく話した。


「辺境の魔物保護局に、とびきり優秀な事務官がいましてね。業務効率が倍になったとか」


「それは結構な人材ですな。名前は?」


「セラフィーナ・ローゼンベルク嬢ですよ。元は王太子殿下の──」


 話を聞いていた側近が、翌日クラウスに報告した。


「殿下、元婚約者のセラフィーナ嬢が辺境で評判を呼んでいるそうです」


 クラウスのペンが止まった。


「……何?」


 声のトーンが変わった。低くなったのではない。硬くなった。


「あの女が──評判?」


 窓の外で、夕方の鐘が鳴っていた。


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