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婚約破棄ですか?大歓迎です!これからは辺境で定時退勤を満喫しますね  作者: 九葉(くずは)


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第3話 フォーマット?

 開始五分で悟った。


 この書庫は──前世のブラック企業の資料室を超えている。


 棚にラベルがない。日付がバラバラ。案件名も書いてない。束ごとに紐で括ってあるが、その紐は少なくとも三年は解かれた形跡がない。


(これ全部、体系が存在しないまま放置されてきたということ……?)


 前世のOL魂が震えた。


 いや。震えている場合じゃない。


「……やりましょう」


 袖をまくった。





 まずバインダーを色分けする。


 赤は外部提出用。青は内部管理用。緑は保護区関連。黄色は経理。ここまでは前世と同じだ。


 次に日付順に並べ直す。崩れた紐束をほどくと、五年前の報告書と先月の受領書が同じ束から出てきた。


(……五年前。私が王宮で書類に埋もれていた頃と同じだけの時間、この書庫も埋もれていたのか)


「おい、なんだこの速さは」


 トビアス副局長が書庫の入り口から覗き込んでいた。


「もう半分片づいたのか? まだ昼前だぞ」


「分類体系を作れば、あとは当てはめるだけですから」


「分類体系……」


 トビアスが呆然と棚を見渡した。色分けされたバインダーが整然と並んでいる。ラベルには番号と案件名。索引もつけた。


「こんなの、うちの局始まって以来だ」


「書庫が整えば業務時間も短縮できます。定時退勤の確度が上がります」


「そこに繋がるのか……」


(全ての業務改善は、定時退勤のために存在するんです。トビアスさん)





 昼食の鐘が鳴った。


 食堂に行くと、マルタさんのスープの匂いが漂っている。今日は豆と根菜のスープ。焼きたてのパンの横に、小さなチーズが添えてあった。


「今日も美味しいです。ありがとうございます、マルタさん」


「あんた、毎回そう言うねぇ」


 マルタさんが嬉しそうに笑う。


「前のお勤め先じゃ、ご飯はどうしてたの?」


「冷めたスープを……書庫で」


 しん、と食堂が静まった。


「書庫? 椅子は?」


「ありませんでした」


「あんた……」


 マルタさんが立ち上がって、私の頭を両手でぎゅっと抱えた。


「もう! うちにいる間は温かいもの食べさせるからね! 毎日!」


「ま、マルタさん、苦しいです」


(でも、温かい。この人の手も、この人の声も)


 テーブルの向こうで、トビアスが黙ってパンをちぎっていた。何かを飲み込むような顔をしていた。





 午後、ルーカス局長に提出した報告書が戻されてきた。


 開いて、目を瞬いた。


 余白に、下手な字で何か書いてある。


「よくできた」


 三文字。


(……業務評価のメモかな)


 不格好な筆跡だった。一画ずつ、力を入れて書いている感じがする。剣を握るような筆圧。


(前世の上司は、こんなこと書いてくれなかったな……)


 報告書をファイルに綴じる。


 少しだけ、嬉しかった。理由は──まあ、褒められて嬉しくない人間はいない。それだけだ。


 トビアスが通りすがりに呟いた。


「局長、俺の報告書にはそういうの書かないんだけど」


「……気のせいだ」


 廊下の向こうから、ルーカス局長の低い声が聞こえた。





 五時の鐘。


 モルテが窓に張り付いている。小さな翼をぱたぱた揺らして、こちらを見ている。丸い瞳が「まだ?」と訴えていた。


「はいはい、定時退勤ですよ〜」


 鞄を持って外に出ると、モルテが飛びついてきた。白い毛に顔を埋める。柔らかい。温かい。


(一日の報酬がもふもふ。これ以上のインセンティブが存在するだろうか。いや、しない)


 ミラが笑いながら「モルテ、すっかりセラフィーナの子になっちゃったね」と言った。


 保護区の夕焼けが綺麗だった。赤と橙が森の梢を染めて──


 ……いや、風景の感想は後でいい。帰ろう。定時だ。


 翌日は休みだった。


 しかし朝、庁舎に向かうと──鍵がかかっていた。


(……え?)


 ガチャガチャと取っ手を回す。開かない。


(休日で閉まってるの? でも、ちょっとだけ整理の続きを──)


 諦めて帰った。


 後日ミラから聞いた。


「あの鍵、局長が休みの朝に自分で閉めに来てるんだよ」


「わざわざ?」


「『休みの日まで来る必要はない』だって」


(厳しい人だ。……でもまあ、前世の上司が「休みの日は来るな」って言ってくれたことは一度もなかったから。ちょっとだけ、ありがたい)





 ──同じ頃。王都、王宮。


 クラウスは執務室の机を睨んでいた。


 机の上には五日分の未処理書類が積み上がっている。


「……このフォーマットは何だ」


 苛立ちを隠さない声で呟く。ファイルを開いても、分類番号の意味がわからない。索引の体系が読めない。


 リリアーナが控えていた。


「わたくしがお手伝いいたしますわ」


 微笑んで書類を手に取ったリリアーナが、一時間後、青い顔で戻ってきた。


「す、少し……頭が痛くて……」


 書類は一枚も片付いていなかった。


 リリアーナの足音が廊下に消えた後、クラウスは独りで呟いた。


「……まさか、あれを全部、一人でやっていたのか?」


 一瞬だけ、考えた。


 いや。そんなはずはない。あの地味な伯爵令嬢に、そんな能力があるはずがない。他に補佐がいたのだろう。すぐに代わりが見つかる。


 ──僕の判断は、正しい。


 窓の外で、正午の鐘が鳴っていた。

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― 新着の感想 ―
好きな作家さんとして、 いつも楽しく読ませて頂いております。 読んでいて、少し気になりました。 >余白に、下手な字で何か書いてある。 >「よくできた」  >三文字。 物語の世界の言語だと3文字…
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